『SS』 たとえば彼女か……… 34

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 キョン子の温もりが、ここに彼女が居るという証明のようだ。この感触を、温かさを、俺は無くしたくない。離したくない。たとえこの後、別れなければならないのだとしても。だからこそ俺は忘れないように今この時、抱き締めておくんだ。
「あったかいね…………キョンは…………」
小さく呟いたキョン子も同じ様に思ってくれている。信じている、なんてものではない。キョン子異世界の俺だから、なんて理由もどうでもいい。
ただ胸に抱き締めている彼女が愛しかった。今まで感じる事の無かった想いが胸に込み上げる。
今なら分かる、キョン子の言った言葉の意味が。
誰かを好きになるという事は、こんなにも狂おしく、切なく、そして、凄い事なのだと。それを教えてくれたのは、この小柄な少女なのだと。
だからこそ、俺はキョン子の想いに応えたい。涼宮ハルヒと関わって、非日常の生活に身を置く事になった俺が選んだ究極の非日常。それが異世界人、しかも異世界での女性になっている俺との恋。
そう、これは恋なんだ。恋愛感情というものは何をどうやっても止められない。それは精神病と言っていたハルヒや、感情を表せなかった長門ですらそうだったのだ。その感情を、誰かを好きになる事を素直に告げる勇気をくれたのもキョン子だった。
そして、俺も。ストレートな感情をぶつけられて、その想いの全てを受け止められる男でいたい。その為に、俺も素直な自分の想いをキョン子に告げなければいけないんだ。
俺は、そっとキョン子の肩を押して距離を空けた。名残惜しそうな視線でキョン子が俺を見つめている。俺だってそうさ、だけど目を見て言わなければならない事なんだ。
「ええと、あの、な?」
ええい、ここでまだ照れてしまう自分に腹が立つ。キョン子のように素直になれないのかよ、俺は。
すると、そんな俺を見てキョン子が笑った。
「いいよ、無理しなくても」
 違う、お前は勘違いしている。俺は別に迷っている訳ではないんだ。



 答えは、とっくに出ているのだから。



 後はそれを表せばいい。それだけでいいんだ。
 俺は改めてキョン子の瞳を見つめる。街灯の灯りが潤んだ目に星のように輝く光を落とし、瞳の中に宇宙を創生している。それは、キョン子が作るキョン子の宇宙だ。
 その瞳の宇宙に、飛び込むように。
「好きだ」
 悩みぬいて、迷った挙句、出て来た言葉は一つだけだった。感情を表す言葉を知らない、語彙が不足している俺が唯一紡ぎ出せたのは、単純にして明快なほどにシンプルな一言だったんだ。
「あたしも。好きよ」
 返ってきた言葉も一言。それで十分だ、何度も聞いたはずなのに初めて聞いた時と同じ、それ以上の感動が胸の中にストンと落ちてくる。
「大変だったね」
 キョン子が面白そうに笑う。つられて俺も笑った。
「ああ、大変だったな。たったこれだけのことにさ」
 そう、たったこれだけ。
「お互いに好きだって言っただけなのにね」
 俺とキョン子がお互いを好きだと告白した。今日一日がどんな日だったかと問われれば、そう答えるしかない。たとえどんなに紆余曲折があったとしても、俺はキョン子に告白した日だと言い切るだけだろう。
 今日出会った人たちが俺に向けてくれた好意は素直に嬉しい。今日という日に経験した全てに感謝すらしたいね。



 それでも俺は彼女を選ぶ。陽だまりのような優しい笑顔の、ポニーテールが何よりも似合う女の子を。


「なあキョン子、今日が何の日か覚えてるか?」
「当たり前じゃない、だからデートしてたんだし」
 まったくだ、たった一日に詰め込みすぎて日付が分からなくなりそうだけどな。
「それでな?」
「うん、待ってた」
 そうかい。苦笑しながら俺はポケットから包みを取り出す。あれだけ走り回っても、失くさないようにしっかりと持っていた小さな箱。それをキョン子の掌に乗せた。
「チョコ、ありがとな。こういう時はハッピーホワイトデーとでも言うのか?」
「さあ、知らないよ」
 変なとこだけ拘るんだよね、と笑われた。そんな事言われても単にチョコのお返しってのとも違う意識を持ってしまえば、どうやって渡せばいいのか困ってしまってもいいものだと思う。
「で、開けていい?」
「ああ。お前に開けて貰うために包んでるんだからな」
 面倒なラッピングに幾許かの予算をプラスさせられたのだ。どうせ開けたら意味の無くなるものだと分かっていても見た目を重視しなければならない重要性も理解はしているつもりだ。
「余計なとこに気を使わなくてもいいのにね」
 などと言いながらも嬉しそうに、丁寧にラッピングを解いたキョン子は箱の中身を見て目を丸くする。
「えっ? こ、これって」
「あー、俺はそういう類の知識がまったくなくてだな? アクセサリーといえばそれくらいしか思いつかなかったんだ」
 それは指輪だった。男性が女性に贈るアクセサリーで指輪しか思い浮かばないというのも些か短絡的だと自分でも思うのだが、それでも喜ぶキョン子の笑顔が見られたらいいのさ。
「何で?」
 ん? 何がだ? 指輪を見たキョン子のリアクションは俺の想像とは違っていた。嬉しそうに、でも少しだけ寂しそうに、指輪を見つめるキョン子
「どうしてあたしにだけアクセサリーを贈ろうと思ったの? あたしがこっちの世界に居られないから…………そんな意味で特別扱いしてるの?」
 いや、違う。特別扱いしているのはしているが意味が違う。まだ何か勘違いされてるのか? 世界が違うことなんか、今の俺にとっては瑣末な話なんだよ。
「……形に残したかったんだ」
「形?」
「俺はどうも鈍いらしい。相手の好意に対してどんな形で応えていいのかも分からん。それでも、お前に何かしてやりたいと思った時に一番最初に思いついたのが、これだった」
 キョン子の持つ小さな箱を指差す。指輪のデザインなどに拘った訳ではないが、キョン子に似合うかどうかだけは十分考えたつもりだ。
「自分でも好きな子にプレゼントなんて柄でもないしな。頭が悪いなりに考えた結果が、アクセサリーってとこだった。それで思いついたのが指輪ってのも古い考え方なんだかどうだか」
 それに、もう少しデートを楽しんでから雰囲気のいいところで渡したかったもんだぜ。散々走り回って、喜緑さんにあんな事を言われた後だと惜別の形見みたいに思われても仕方ない。
「単純に好意を表す方法を知らなかったんだ。形として、お前に身に付けて欲しいって思っただけなんだよ。どうやら俺も独占欲ってのがあるみたいなんでな」
「え?」
「…………向こうの世界で、誰かに声なんかかけられないようにってことだ」
 うわ、これは言ってて照れる。思わずキョン子から目を逸らしてしまった。くそ、耳まで熱くなってきやがる。
 そんな俺を見たキョン子が指輪に視線を落とし、もう一度俺を見る。
「……ほんとに?」
「何がだよ」
「本当にあたしでいいの?」
 その答えは一つしかないだろ、お前が先にそう言ったじゃないか。
「お前じゃなきゃ、ダメなんだよ」
 キョン子が俺じゃなければと言ってくれたように。
 俺も、キョン子を選んだのだから。
「そう、なんだ……」
 一言呟いたキョン子の頬に一筋の涙が流れる。ギョッとする間も無く、キョン子の瞳から大粒の涙が零れ落ちていった。
キョン子?!」
「あ、あれ? おかしいな……何で? 凄く、凄く嬉しいのに、どうしてだろ? 涙が……止まらない…………」
 指輪を持ったまま、片手で涙を拭う。それでもキョン子の瞳から涙が途切れる事は無かった。
「嬉しいな……あたし、キョンを好きになってよかった。キョンに好きになってもらってよかった。今、すっごく嬉しいよ」
 泣きながら、微笑んだキョン子は、喩えようもないくらいに綺麗だったんだ。
 見惚れてしまう。泣いていてもキョン子は可愛かった。
 こんな可愛い女の子に好きだと言ってもらえて、嬉しくて泣いてくれて。これで幸福を感じないなら、男ではないだろう。
「つけていい?」
「ん?」
「指輪。つけるから見て欲しいんだ」
 ああ。俺も見たいよ。キョン子が指輪を箱から取り出す。
「あ、これって裏に石が入ってるんだ」
 パッと見が分からないからつけていても目立たないだろ。学校にまでして行ってもいいのかどうかは分からんが。
「そこまでうるさくはないと思うよ。でもさ、」
 なんだ?
「これって、結婚指輪だと思うんだけど」
 へ? け、結婚?! いや、まだ早いって何でそうなる?!
「うん。たしかサムシングブルーってやつ。結婚式の日に青いものを身に付けていると永遠の幸せがどうとかって」
 …………店員は何も言ってなかったぞ。目立たないように、でも一応宝石なんかあったほうがいいって言っただけなんだが。
「分かってやってるとも思ってなかったけどね。でも、」
 これならキョンの分もいるよね? と言ったキョン子の顔は忘れられない。イタズラをする前の小悪魔な笑顔を前に「おう」と答えてしまって、
「ふ〜ん、結婚指輪を買ってくれたんだ〜」
 赤面して逃げ出したくなった。もうキョン子は泣いていないが、代わりにニヤニヤ笑ってやがる。
 まったく、指輪なんて柄にも無いものを買ったらこの始末だ。キョン子には笑顔でいて欲しいが、この種の笑顔ではなかったんだぞ。
「うん、ピッタリだ」
 俺が自分の行動に対して後悔の念を感じている間にキョン子は指輪をしていたらしい。嬉しそうにそれを見せ付けてきた。
「どう? 似合ってる?」
 ああ、最高だね。だが、何でその指にはめたんだ?
「あたしも単純だからよ。キョンに貰った指輪なんだから、ここしか思いつかなかったってだけ」
左手の薬指、ね。なんて短絡的なんだ、俺達は。
「ふ〜ん、他の指だったの? これ」
「いいや、残念ながら正解だ」
「なら、いいじゃない」
そういうことだ。俺はキョン子に指輪を贈ろうと思った時点で左手のサイズしか考えてなかった。キョン子も自然に左手にしか指輪をしなかった。
ただ、それだけのことなんだ。
「ありがとう、一生大事にする。約束するから」
一生、か。俺達はまだ若い。その先の人生など想像も出来ないし、したところでどうしようもないだろう。
それでも、このキョン子の言葉だけは信じられる。信じたいと思う。何故ならば、その想いは俺も同じなのだから。
キョン!」
いきなりキョン子が抱きついてきた。俺はそれを両腕でしっかりと抱き止める。
「好き」
ああ。
「大好き」
俺もだ。
「今は会えなくなっても、あたしはここに帰ってくるの」
それも楽しみだけど、今度は俺がそっちに行くよ。
「うんっ! 佐々木も、橘も、藤原さんも! あたしの大切な人たちにキョンを見せてあげたいんだ!」
佐々木はともかく、他の連中はどうなってるんだか。少なくともキョン子の大切な友達ってのには会ってみたい。
「だから…………あたしのことを、忘れないでね」
忘れるものか。
この声を。
暖かな笑顔を。
何より似合う髪型を。
抱きしめた柔らかな感触を。
身体に残る温もりを。
「好きだ」
「あたしも」
そして。



重ねた唇の愛しさを。