『SS』 たとえば彼女か……… 33

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「…………ぷっ」
「あははは、なにやってんだろ、あたし達」
ハルヒキョン子、二人のにらめっこは互いの笑い声で何故か和やかに終了した。あれだけ緊張していたのが嘘のようだ、このまま二人でどこかに行きそうだよな。
一頻り笑ったハルヒは、改めて俺に向き合った。
「好きよ、キョン
照れるでもなく、自然に口にする。そんなハルヒの笑顔は柔らかく、優しさに溢れていた。こんな顔も出来るのか、新たなる涼宮ハルヒを見たようで思わず驚き、その言葉の破壊力に赤面する。
「あたしも。大好きよ、キョン
こちらはもう口癖のようになっているキョン子の顔も、優しく微笑んでいた。素直デレが二人になったのだ、破壊力は二倍どころか二乗を超える勢いだ。
これは何かの夢なのだろうか、と自分の頬を抓りたくなってくる。目の前に居るのは、見た目で言えば俺なんかとは釣り合いが取れそうもない程の美人が二人なのだ。それが二人とも俺の事を好き、だなんて言ってるんだぞ? これが夢じゃなければ、俺はもうすぐ死ぬんじゃないだろうか。
キョン、あたしを残して死んだら駄目なんだからね!」
「そうよ! あたしが居るのにキョンが死ぬわけないじゃない!」
どちらがどちらのセリフなのか、もう分からないだろ? どっちも言いそうだもんな、こういうの。しかも二人とも嬉しそうなのだから参る、やれやれという口癖も口を吐くというものだ。
 ヤバイだろ、まずいだろ、何だこの甘ったるい空気。背中がむず痒くなるくらいの気恥ずかしさに、この場から走って逃げ出したくなるくらいだ。緊張した修羅場よりも和やかな雰囲気なのに、笑顔の中に譲れないものを感じる分だけタチが悪い。ハルヒキョン子、二人の真剣さが伝わってきてしまうから答えに窮してしまう。もう一度言おう、俺なんかでいいのかよ?
キョンだから、いいんだよ」
キョンじゃなきゃ、ダメなのよ」
 参った、降参だ。これ以上言われたら顔に血が上りすぎて倒れてしまう。この一日で素直デレというものの破壊力にやられっぱなしなんだぞ? あのハルヒまでが感染してしまった今、俺に逃げ場などある訳が無かったんだ。
 おい、このままじゃとても耐え切れない。真面目すぎる展開が続いているぞ、空気を読んで黙るのもいいが、ちょっとばかり引っ掻き回してくれないと俺がどうにかなりそうだ。
 


 頼んだぞ、九曜!



「ZZZ――――――」
 寝てりゅ?! 人に負ぶさったままで、頭の上に顎乗っけたままで寝てやがるのか、こいつ! 道理で何も言わない訳だ、ハルヒキョン子が張り合ってた時にカッコよく俺を止めたのが嘘みたいだな。
 しかも、こいつ意図的にステルス化していやがる。幾らなんでも、ハルヒキョン子も俺と正面から向き合っているのに九曜の存在を無視しすぎるからおかしいとは思ってたんだよ。何で暢気に寝てやがるんだ、こいつは。真面目が嫌いでも寝るのはいかんだろ、普通。だがしかし、
「――――――ほら――ZZZ――――ね?」
寝言のようだけど、自信の一言。周防九曜は分かっていたのだろう、こういう結果になることを。相変わらず表情は見えないが、多分寝てても偉そうなんじゃないだろうか。長門よりも無表情なくせに、誰よりも感情豊かかもしれないお子様宇宙人だからな。
 その言葉に免じて寝ている事は許してやろう。だが、このまま生ぬるいのも勘弁して欲しいもんだけどな。ハルヒキョン子も楽しそうなのだ、そして笑顔だからこそ圧し掛かるプレッシャー。とてもじゃないが耐えられない、俺が鈍感であっても胃が痛くなるに決まっている。
 一番タチが悪いのは、二人が後悔しないという事が分かる事だ。元々全力主義のハルヒが、キョン子に触発されるように爆発している。それも、ただ俺に好かれたいというだけという理由にもならない理由で。
 そんなハルヒキョン子に歯向かえる訳がない。
 しかし、答えを出せといわれれば一つしかないのだが。

 もしもハルヒの涙を見たのがキョン子と出会う前だとしたら、俺はハルヒを抱き締めていたかもしれない。 
 だが、キョン子がいなければハルヒの想いに気付けなかったかもしれないのだ。俺という男がどれだけ鈍いのか、というのは正面の二人が一番承知しているだろうがな。

 それでも、俺の答えは…………

 意を決した俺が口を開く前に、
「それじゃ、帰るわね」
 先に口を開いたのはハルヒだった。あっさりとした口調に拍子抜けしてしまう俺を苦笑しながら見て、
「……もう帰らなきゃ、何でしょ?」
 キョン子に笑いかける。キョン子は何も言わず頷いた。俺が驚いたのとは違い、キョン子は分かっていたかのようにハルヒの言葉を受け入れている。
 くすっ、とハルヒらしくもない寂しげな笑みを浮かべ、
「もうちょっとだけ話したかったかもね。何か気が合いそうだし」
 なんて言えば、キョン子は肩をすくめて、
「あたしは勘弁、疲れちゃうの嫌いだもん。まあ、気が合いそうなのは確かだけど」
 などと言うものだからハルヒの機嫌が悪くならないかとハラハラしたものだ。しかしハルヒは苦笑したまま、
「言ってくれるわね。それに、」
 キョン子の目を覗き込むように。キョン子も楽しそうにハルヒを見つめ返す。
「「ライバルだもんね!」」
 二人で声を揃えて笑った。どこがだよ、と言いたくなりそうな仲の良さだ。そのままハルヒは踵を返した。
キョン!」
 少し離れたところで振り返ったハルヒは俺を指差した。
「これはハンデよ! ちょっとその子と話したくらいじゃ、あたしが好きだって気持ちを止められないもの! だから時間を少しあげただけなんだからねっ! 明日は覚悟しておくこと!」
 一気に言うとキョン子にも、
「次に会うときはあたしとキョンがラブラブ過ぎて居なかったことを後悔させてあげるんだからね! だから…………絶対に帰ってきなさいっ!」
 それだけ言ったハルヒは走り出していた。振り向く際に少しだけ唇を噛みながら。何も言わせずに走って行ったのは、あいつなりに気を遣ったつもりなのだろうか。
「それだけじゃないと思うけど、あいつも優しいからね。あたしの事まで考えなくていいのにさ」
 ハルヒを見送ったキョン子が寂しそうに溜息を吐いた。
「明日か…………」
 そうだ、明日どんな顔して学校に行けというのだ? ハルヒもそうだが、長門も、鶴屋さんだっている。朝比奈さんと古泉は笑って何もしないだろうし、喜緑さんの監視の目も怖い。
 不登校って訳にもいかないよな、とこっちも溜息を吐いた。 
 だが、やはり俺は鈍い男で、キョン子の気持ちを理解するにはまだまだだったのだ。
「いいな……」
 それは、本当に寂しそうな声だった。漸く気付く、キョン子が何を言おうとしていたのかを。
 明日会える、それが今のキョン子にとってどれほど羨ましいのかを俺は理解しきれていなかったのだ。
「…………っ!」
 急にキョン子が膝から崩れ落ちた。俺は慌てて駆け寄り支える。身体から力が抜け、額に汗をかいていた。
「大丈夫か?!」
「うん、大丈夫。ちょっと緊張してたから……」
 当たり前だ、今日一日散々引っ張りまわされた挙句に、さっきのハルヒとの対決だったのだ。この小柄な身体にどれだけのエネルギーがあったのだろうか。それでも負担が大きかっただろう、気付けなかった俺が馬鹿だ。
 後ろから抱き締めて改めて分かる。こんなにも小さく、華奢で、柔らかい女の子だったんだ。
「ゴメンな……もっと気遣えるはずだった、俺が悪かった。本当にすまない……」
 謝っても謝り足りない。キョン子には笑っていて欲しい、だが俺のやっている事は本当に正しかったのだろうかと思う。
 今日一日は単純にデートするだけだったのが、この始末だ。キョン子には負担しかかけていなかった気がしてしまう。
「ううん、キョンが謝ることなんて何もないよ。あたしは、あたしの意思でここにいるんだし。それに……キョンがみんなに好かれてる。あたしの好きな人はみんなに愛されてるんだって分かって嬉しいよ」
 好きになって、良かった。そう言ってキョン子は笑った。優しさが染みてくるような微笑みに、思わず抱き締める。
「ねえ、九曜?」
 抱き締めた肩越しにキョン子が九曜を呼んだ。背中に乗ったままの九曜が反対の肩越しに、
「――――――なに?」
 と答える。冷静に見れば俺は二人の女の子に前後から挟まれている構図なのだが、それでも気にならないのは何故なのだろう。
「もう少しだけ、時間あるかな?」
 それはお願いというよりも懇願だった。
 キョン子の言葉を聞いて思い出す。そうだ、俺もまだ時間が欲しい。まだ今日という日を終らせる訳にはいかないんだ。
「俺からも頼む、その、キョン子と二人だけの時間ってのをくれないか?」
キョン……」
 抱き締めた温もりを離したくない、というのもあるが、俺はまだ今日の目的を果たしてもいない。慌しさに忘れていたなんて言い訳にもならない言い訳はしたくないんだ。
 だから頼む、もう少しだけ時間を。
「――――――」
 背中から気配が消える。分かってくれたのか、九曜。感謝と同時に、
「ごめんね、九曜……」
 泣きそうな声を出すキョン子の言葉が全てだ。時間をかければ九曜に負担がかかる、それを分かっていても俺達は頼んでしまったのだから。
 抱き締めたキョン子がそっと抱き締め返してくる。温もりに包まれ、掴んでいる手にキュッと力が込められた。
「あとちょっとだけ…………こうさせて…………」
 夜の公園、二人だけのベンチで。
 俺は、キョン子を抱き締めていた。
 




 今日という一日を最後に笑って終わらせる為に。