『SS』 たとえば彼女か……… 24

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 古泉がベンチに座った以上、俺がここで逃げるという選択肢はないのだろう。『機関』の連中が何人居るのかは知らないが、話が終るまで脱出出来るとは思えないし、九曜の力を借りて逃げれば以降『機関』を敵に回すということになりかねない。いや、敵も何も俺一人だけを消すことなど容易いだろうな。
 内心では冷や汗をかきたいのだが、何事も無かったように古泉の隣に座る。横にいるキョン子も不安そうに腰掛けたのだが、ここまで頭上から降りなかった九曜は古泉ですらもスルーしやがった。喉が渇いていたので唾を飲む。出した声が思ったよりも落ち着いていたので安心した。
「事情と言われても何を説明すればいいんだ? どうせお前らの事だから全て承知と言いたいんだろうが」
 森さんに新川さん、田丸兄弟まで出てきたのだ、『機関』が何も分かってないなどとは言えないだろう。こいつも先程まで閉鎖空間に居たようだしな。
 それを聞いた古泉は肩をすくめ、
「とりあえずは、そちらの彼女さんをご紹介いただけますか? ああ、頭の上の女性も一緒にご紹介いただけると助かります。…………出来ればあなたから彼女たちが何者なのかを聞かせてもらいたいのでね」
 分かっていても、ということか。古泉の意図は読めないが、俺としては変な勘繰りをやめておく事にした。
 朝比奈さんにも長門にも言ってしまったんだ、もうこいつにだけ嘘をつく必要など無いんじゃないか。
「俺の背中に乗ってるのは周防九曜だ、お前も見たことだけはあるよな。今のところは敵なんかじゃない、少々変わっているが基本はいい奴だ」
「――――――なう」
 古泉は手を挙げた九曜に軽く目礼をする。実際、どのくらい印象に残っていたかは分からないが、古泉が覚えていないという事はないだろう。目礼で済ませたのはそのせいでもあるだろうが、用心も込めているのかもしれない。
 そして、俺はキョン子の肩を抱きよせた。驚きながらも自然に寄り添ってくるキョン子の温もりを感じながら、俺は古泉に彼女を紹介する。
「こいつはキョン子、分かってるだろうが異世界人であり、もう一つの世界の俺でもある。だが、そんなことはどうでもいい。キョン子は…………今、俺が一番一緒に居たいと思ってる女だ。それを付き合ってる、とでも言うならそれで構わない。お前にははっきり言っておくが、俺とキョン子は所謂恋人のそれだと思ってくれ」
キョン……」
 あれだけ真剣に、心から好きだと言われて何も感じない訳ないだろう。俺の出した答えは朝比奈さんにも言ったものと変わりはしない。
 キョン子は俺の恋人で、俺達はデートをしている。
 それだけは、譲るわけにはいかない、今までだってこいつを困らせたり泣かせたりしてきたのに。だから、という訳ではないけど、俺は古泉に真剣な自分の気持ちを伝えたつもりだ。
 その答えは沈黙だった。古泉は俺の言葉を黙って聞き、そして何も言わなかった。





 奇妙なまでの沈黙後、最初に口を開いたのはやはり古泉だった。大きく息を吐き、少しだけ眉を顰めると、
「分かりました。概要は把握していたつもりなのですが、直接あなたから言われてしまうとなかなか衝撃が大きいものですね」
 スマイルの仮面が剥がれかけているのだが、それでも苦笑気味に笑ってベンチにもたれかかる。横目で俺とキョン子を見て、
「しかし、あなたという人もつくづく奇妙といいますか、難儀な出来事を呼び込んでくれますねえ」
 わざとらしいため息を吐く。からかわれているのが俺じゃなくても分かったのか、キョン子が不機嫌そうに古泉に食って掛かる。
「ねえ、どういうつもりなのかは知らないけど、古泉って事はあたしも向こうの世界で会ってる古泉と同じなのよね?」
「さて、どうなのでしょう? 僕がそちらの世界でどの様な姿なのかというのは興味がありますが」
 どうやら向こうのお前も女らしいぞ、そのくらいしか俺も知らないが。
「その古泉があたしに用でもある訳?」
「正確に言えばあなたではないのですけどね。ですが、そろそろ考えていただきたいというのは我々の総意でもあります」
「どういう事よ、あたしとキョンが居る事が『機関』とやらはそんなに気に食わないわけ?」
「正直なところを言えば、ですね。どちらかと言えば厄介事を持ってきて欲しくないのですよ、それはあなたにではなく彼に言いたいところですが」
分かって言っていやがる。大体キョン子を厄介だと思ってるのはお前らだけだろうが。
「お前らの都合は分からなくはないが、こればっかりは自由にさせろ。俺なんかが誰とデートしてようが構わないだろうが。それとも何か? ハルヒはそんなに団員の自由を束縛したいのかよ? あいつがどれだけ怒り狂おうが知ったことじゃないぜ」
恋愛禁止なんて言われても構うものか、俺がキョン子を好きだと言って何が悪いってんだ。自分が恋愛を精神病だなんて言ってるからって人に押し付けてるんじゃない。
開き直った俺は、堂々と古泉に言ってやった。これがきっかけでSOS団を辞めさせるっていうなら仕方ない。そのくらいの覚悟は俺だって持っている。
しかし、古泉の反応は奇妙なものだった。奴は眉を顰め、不思議そうに俺に訊いたのだ。
「怒る? 涼宮さんがですか?」
他に誰がいるんだよ。それで世界が崩壊するとかって理屈を述べたいんだろうが。
「とんでもない、涼宮さんは怒ってなどいませんよ。むしろ逆です」
逆? どういうことだ? 俺は理不尽なハルヒからキョン子を守るつもりで今まで逃げ回ってきたんだぞ?
古泉は大きく息を吐き出し、俺を驚愕させる一言を言ってのけた。
「彼女は、涼宮さんは今、怯えているんです。不安に押しつぶされようとしている、とでも言えばいいのでしょうか。世界は崩壊するかもしれませんが、それは怒りなどではありません。彼女は、不安と恐怖のあまり閉鎖空間を発生させているのです」
なんだと……? あのハルヒが怯えている、恐怖と不安を感じているというのか? 何故だ、どうしてハルヒが、
「…………そういうことなんだ? ハルヒも、分かってるんだ……」
不意にキョン子が小さく呟いた。まさか、キョン子にはハルヒの不安が分かるとでも言うのだろうか。
「僕には大まかに、といいますか、漠然としたイメージでしか捉える事が出来ませんでしたが……これは僕が異性だからですかね?」
 古泉の問いかけに、キョン子は「多分ね」と答えた。俺には分からない、何故キョン子にだけ分かるのかも。
「お前が無自覚なのと、男だからだよ。あたしは、女だしハルヒと同じだもん。古泉があたし達の世界の古泉だったらもっと分かる、と思う」
「そうですか、僕は自分が女性になるという想像も出来ないのですけど。生憎彼のような柔軟性に乏しいものでして」
 苦笑しているが嫌味のつもりか。さっきも言ったがキョン子キョン子であって、俺とは違う女の子だ。
「その考えに至るが難しいのですけどね。まあ、そんなあなただからこそ皆さんが惹かれていくのでしょうけど」
 その苦笑は嫌味じゃないのかよ。自然過ぎる笑みは何となく腹が立つ。
 しかし、古泉は笑みを消した。それは仮面を外した、という表現が一番合うのかもしれない。
「だからこそ、現状は最悪としか言えません。怒りならば逸らせる方法もあるのですが、不安というものは拭いきれるものではないからです」
 何となくだが理解出来る。不安は後からいくらでも湧いてくる、消すには根本的な原因を排除するしかないからだ。
「その根本的な原因はお分かりでしょう? 『機関』としましてはこれ以上あなた達を放置出来ないというのが総意です」
 古泉は真剣な眼差しで俺とキョン子を見つめる。長門よりも冷酷な印象を持ってしまうのは、普段笑顔しか見ない古泉だからなのか。笑顔の森さん以上に笑わない古泉に戦慄が走った。
「何なのよ、『機関』って! そんなに偉いのかよ、お前ら!」
 キョン子の激高を俺は止めた。
「なんで?!」
「『機関』の勢力はお前らの世界とは違うからだ。俺はいいが、お前を危ない目に遭わせるにはいかない。今のところ乱暴な手段は取る気は無さそうだがな」
 いつもの古泉なら苦笑して肩をすくめるだろう。だが、古泉は冷静な眼差しのまま、
「あなたが言われるとおりです。我々はあなたを傷付けるつもりもありませんし、彼女がもう一人のあなたである以上そちらの世界と過度の接触を持つつもりもありません。それに、これ以上宇宙人に付け入る隙を与えたくないというのもありますね」
「――――――」
「TFEI達との交渉だけでも綱渡りなんです、余計な勢力の台頭は望むものではありませんよ」
 古泉の視線は九曜を捉えている。疑い、とは違う冷静な目だ。仮面を外した古泉一樹は、怜悧な『機関』のエージェントだった。それを俺は思い知らされたのだ。
 しかし、それを良しとしないのが今のキョン子だ。キョン子は『機関』を知らない。それは強みでもあり、弱点でもある。
「それは『機関』の理屈だろ?」
「ですが、世界の望みでもあります。大袈裟なようですが、我々は世界を守っているという自覚を持っているのですよ」
ハルヒが世界だとでも言いたいの?!」
「その通りです。少なくともこの世界は彼女が望むままに動くのですから」
 …………待て。今の古泉はおかしい、若干のニュアンスだが俺の聞いた話と違う。
 いや、『機関』がどうなのかなど知った話ではないが、古泉の意見なはずがない。あいつはSOS団の一員として直接ハルヒと接している、その上であんな馬鹿な話を信じているなんて思えない。……何か分からない違和感がある、これは今まで培ってきた経験に基づく勘に近いのだが。 
 俺はキョン子を制すると、改めて古泉と向き合った。真剣な顔をしたこいつと向き合うなんてお断りしたいとこなんだけどな。
「おい、古泉」
「なんでしょう?」
「意図を教えろ」
 言いながら古泉の目を覗くようにする。長門相手ほどではないが、こいつの表情を読むのも俺は上手いようなのでな。
「意図と言われましても。『機関』の総意はあなたも理解されているはずですが?」
「そんなもんに従うつもりはないと言ってるだろうが」
「強制的、という意見は今のところ抑えていますけど、僕のような末端にはどうしようもない事もあります。これは友人としての警告だと思ってもらいたいものですけどね」
 くそっ、笑顔の方が読みやすいぜ。真剣な古泉には隙が無く、俺もまた真剣に向き合わざるを得ない。
「俺が誰と付き合おうが世界には影響ないだろ、ハルヒは恋愛を精神病と言った女だぞ」
「それを鵜呑みに出来るあなたに、僕は感心すればいいのですか、それとも呆れたらいいのでしょうか? 涼宮さんを変えているのはあなたです、過去の彼女が発した言葉が今も同じだと思いますか?」
 そう言われると答えに窮する。確かにハルヒは変わってきている、それもいい方向に。長門もそうだった、俺達と接する事により変化は訪れていたのだ。
 しかし、あのハルヒが? まだ俺には古泉の言っている意味が掴めないでいる、あいつと恋愛なんて結びつく要素が皆無だとしか思えないんだ。
「今まではそれで良かったのですが、今回は少々行き過ぎています。キョン子さんと世界が天秤にかけられている状況は『機関』としては容認出来るようなものではありません」
「またも世界か、ハルヒと世界をイコールで語るんじゃねえよ」
 一々言い方が気に入らん。それに事ある毎に『機関』の名前を出すのもこいつらしくない、挑発してやがるのか? 俺がそれに乗るように古泉に詰め寄ろうとした時だった。
「ちょっと! お前ら、離れろ! 特に古泉、お前は顔が近すぎる!」
 いきなりキョン子が間に入ってきたのだ。良く見れば確かに古泉の目が真正面にある、しかも本当に顔が近い。
「うわっ!」
「おや、気付きませんでした。どうも、いつもあなたとは内緒話が多くなるものですから」
 思わず飛び退いた俺と、ニヤケ面を取り戻した古泉。
 その瞬間、奴の表情が読めた。何でニヤケ面の方が分かりやすいんだよ、お前。なんてツッコミを思った次には俺の意図を読める奴が動いている。
 頼んだぞ、多分俺と古泉以外にはキョン子すら気付いていないはずだ。お前が俺の頭の上から消えている事にな。