『SS』 ちいさながと:好み

 俺と有希の付き合いも長い。どのくらい長いかと言えば、付き合いだしたきっかけがいつだったのか忘れるくらいには長い。
 そんな俺達は二十四時間をほぼ共に過ごし、その事に対し違和感も無く、満足感だけを持って過ごしているのだが、現状を簡潔に言えば冷戦状態であったりもする。
 お互いに背を向けて座るなどという機会はありそうで無かったし、俺の肩に有希がいないというだけで異常事態であるのはご理解頂けるのではないだろうか。 
 そんな冷戦から、開戦の口火を切ったのは有希だった。
「納得出来ない」
 何がだよ。
「先程の行為。我々は昼食の為に牛丼店に入った」
 そうだ、予算的にも厳しいながらも有希と二人分の胃袋をある程度満たしてくれるのはファミレス以外では米の飯だと思ったからな。そこで近場の牛丼屋に入った、そこまでは良かったんだ。
「その後、あなたの注文がおかしかった」
 どこが? 俺は自分の好みどおりの注文をしただけだろうが。それに有希が異議を唱え、俺が反論して現在に至っているのだが。
「……何故、ツユ切り?」
 お前こそ何でそれが気に入らないんだよ。
「牛丼はツユが白飯に絡むことが重要。ツユが少ないのは邪道」
「そんな事は無い。ツユの染みた部分と白飯のまま楽しむところがあってこそ美味いんじゃないか。それをお前、ツユだくだくって何だよ? ツユだくですら頼んだ事ないのに、だくだくってどんだけツユを入れりゃいいんだ。それだと茶漬けでも食ってろよな」
 大体いつから始まったんだ、ツユだくだく。あれか、少しでも量を増やした方がお得だとでも思ってるのか?
「白飯が食べたければ牛皿で頼めばいい。牛丼ならばツユはだくだく」
牛皿は味気無いだろうが。俺は一気にかき込みたいんだよ、それもツユに浸ってない白飯を。歯応えとか、喉越しが違うだろ、ずるずる食いたくないんだよ」
 ツユに浸った飯は美味いが流しこむみたいで気に入らないんだよ。俺はご飯はがっつり噛んで食いたかったんだ。
「ツユの味も楽しめてこその牛丼」
 ツユだけを楽しみたいんじゃないんだって。ツユの味も好きだけど、多すぎるのが嫌なんだよ。
「たっぷりのツユとご飯を同時に口に入れるのが醍醐味」
「ツユ部分を味わってから白飯も楽しんだ方がいいじゃねえか」
 平行線を辿り続ける論争だ、しかも有希は論争を拡大にかかった。
「それに、まだある」
「何だよ?」
「牛丼はネギ抜きで頼むべき」
 まてまて、何というおかしな事を言ってるのかね? 
「ネギ抜きの牛丼なんて牛丼じゃねえよ!」
「牛丼とは、その名が示す通り牛肉を味わうもの。タマネギはその味わいを阻害する」
 んなアホな。
「タマネギの甘さがあってバランスがいいんだろうが! それに、ツユにだってタマネギの甘さが出ているからあの美味さなんだぞ、タマネギ否定すんなよ」
「ツユに味を入れるだけで十分、私は牛肉だけ食べたい」
「だったらタマネギだけ避ければいいだろ!」
「残すのは嫌」
 知るか! タマネギと牛肉と白飯のバランスがあってこその牛丼だろうが!
「ネギ抜き、ツユだくだく、これが最高」
「ツユ切りでがっつりが一番だって言ってるだろうが!」





「…………あのね?」
「何だよ?」
「何?」
「ここがどこか分かってる?」
 分かってるよ。ここはお前の家だろ。
「うん、私の部屋なんだけど……」
 困ったように特徴的な眉を顰めている朝倉。
「もしかして有希ちゃんとキョンくんのケンカの原因ってそれなの?」
 そうだよ、結局のところ、この言い合いを店内でやってしまい、有希はステルスなので単に電波なだけの俺を訝しげに見る店員達を無視して俺は店を後にした。
 そこから飯も食ってなければ、有希との話し合いも平行線のままで、空腹もあってお互いに不機嫌なままなんだよ。
「えっと、有希ちゃんがいきなり部屋に飛び込んで来たから何事かと思ったら、その後キョンくんまで怒ってるし、私かなり心配してたんだけど」
「そこについてはすまん。だけど分かるだろ? 牛丼はツユ切りだよな、朝倉」
「牛丼はツユだくだく。それが朝倉涼子に理解出来ないはずがない」
「ど、どうでもいいんだけど、それ……」
 つまりは俺と有希は朝倉の部屋まで押しかけてケンカの真っ最中ということだ。いきなり押しかけられた朝倉は困ったように俺たちを見ていただけだったのだが、ようやく声をかけてきたといった感じだった。
「いきなり人の部屋に押しかけてきてケンカをしてる挙句に原因が牛丼ってのもどうなのよ?」
 何を言うか、牛丼の味が変わってしまう分水嶺だぞ。
「そう、美味しい牛丼を食べる為にはツユとご飯、肉のバランスが最重要。よってツユだくだくにネギ抜きこそが、」
「だからツユ切りにネギは必要だって!」
「待って! また話が戻ってるから! それに私、ちょっと二人に訊きたいことがあるの!」
「何だよ?」
「何?」
「…………なんで私の部屋なの? こんな事言っちゃうとアレだけど、長門さんもいるじゃない」
 あー、それはだな、
「以前わたし達がケンカした時に長門有希に追い出された」
「なんで?」
「カツカレーのカツにソースをかけるか否かで揉めてたから」
「ふ〜ん……そんな事あったの」
 朝倉の態度が豹変した。具体的に言うと、壁を灰色にしてナイフを取り出しそうな雰囲気になった。
「前にもそんなにくだらない理由でケンカして長門さんを怒らせておいて、今度は私の部屋にまで押しかけちゃうんだ……」
 ヤバイ、何かスイッチが入った! 俺は座ったまま後ずさる。有希は…………いつの間にか俺の肩に乗っていた。
「あのね? 今日は涼宮さんと朝比奈さんと長門さんで買い物に行こうって約束してたの。それを有希ちゃんが来たから断わったって言うのに、原因がそれ? 涼宮さん、機嫌悪くなるわよ? いいの?」
 ゲッ! ハルヒと約束かよ?! しかも、朝比奈さんに長門まで。それを断わったってのは……
「私も楽しみにしてたのにね、長門さんの夏服も買いたかったし」
 ゆらり、と朝倉が立ち上がる。立ち昇るオーラが黒い炎のように見える! 咄嗟に俺は両手を伸ばして朝倉を止めようとして、 
「ま、待て、朝倉! 俺達が悪かった!」
「出てけーっ!」
「うおわあぁぁぁぁぁぁっ!!」
 首根っこを掴まれた俺は放り投げられた。見事な弧を描いて飛ばされた俺は、どういう理屈なのかリビングから廊下、そして玄関まで通過して、いつの間にか開いていたドアから外で尻餅をつかされた。
「いってぇーっ!」
 思い切り打ち付けた腰が痛い。ここで追い討ちをかけるように後頭部に靴が当たった。目から火花が散る。長門と違って厳しすぎるだろ、朝倉。
 おまけに放り投げられた有希が頭の上に着地して、朝倉の部屋のドアは閉じられてしまったのであった。
   




「やれやれ、酷い目にあったな」
「刺されなかっただけマシ」
 そうかもな、ナイフが出てきたらやばかった。
「ただ、どうする? 結局飯も食ってないし」
 出来ればここまでくると牛丼にリベンジしたいと思ってるのだが。かといってケンカの延長も無いだろうしな。
「先程の会話から名案が浮かんだ」
 そうなのか、流石は有希だ。
「早速実行する」
 お願いする。




 と、いう事で長門を呼び出した俺達なのだったが、牛丼屋でまさかの有希と長門の衝突――――長門はツユだくで卵を入れる派だった――――により再び冷戦状態に突入してしまい、昼食どころの騒ぎではなくなってしまった。





 この話は最終的に朝倉が牛丼を作る羽目になってしまい、それぞれが納得したものを食べることが出来たのだが、
「な、なんか納得いかない…………」
 と呟きながら、卵を割って牛とじ丼を作る朝倉がちょっとだけ可哀想だった。
「あ、牛とじは私です」
 …………何で食べる時だけいるんですか、喜緑さん。