『SS』 観測観察観賞感情

「観測する」
 何をだ? などという質問は今更する必要も無いだろう。長門有希は布団が無くなっても机として成立しているコタツの一角に正座したままで無表情に告げた。
「そうか、頑張れよ」
 それを聞く俺は長門と正対する位置にて胡坐をかいたまま、長門の淹れてくれた茶を飲んでいる。
 時刻は放課後の団活も終わり、日も暮れて外が暗い時間帯だ。いきなり長門に呼び出された俺は、夕食も取らずに長門のマンションへと駆けつけ、理由も分からぬままに部屋に上がって出されたお茶を飲んでいて冒頭の台詞となるのであった。
いきなり呼び出されて用件はそれかよ。今更ながら改めて宣言した理由ってもんをお聞かせ願いたいもんだね。そこで「何?」とばかりに首を傾げられても、俺の方が何故だと言いたいよ。
しかも、言いたい事は全て言ったとばかりに俺の正面に座った長門は、何も言わずに正座したまま俺を見つめている。あのさ、そんなに見つめられると居心地が悪いというか、気恥ずかしいんだけど。
「…………言いたい事はそれだけなのか?」
「そう」
頷かれてしまった。たったそれだけの為に飯抜きでチャリを飛ばした俺の苦労を返してくれ。
などと長門に言えるはずも無く、俺は残った茶を飲み干すと、
「帰るわ」
流石に付き合ってられないから立ち上がった。これが長門だから許せるが、本当なら怒鳴りつけたいくらいだぜ。
すると、長門まで立ち上がり、俺の後をついて来る。
「どうした?」
「見送る」
本当にどうした、だろ。今までも長門は見送る事などしなかったはずだ。袖を引かれたことはあるが、その長門を今の長門は知らないはずだからな。
 何があったのかと勘繰りながらも、長門は無言でエレベーターにまで乗り込んできた。会話の無いままの二人きりのエレベーターというのはどうも気まずい。かといって、ネタも無いから会話が出来ずにいる俺もいる。
 結局無言のままエントランスまで戻って来た俺達だが、その間も長門の視線は俺を捉え続けていた。
「もうここでいいぞ、わざわざ悪かったな」
 一応見送ってもらったので礼を言ってから帰ろうとしたのだが、
「…………何してんだ?」
「見送り」
 それはもういい。お前まで自動ドアの外に出る必要はないだろ、ここでいいって言ったんだからさ。
「最後まで付き添う事が見送るという事」
「お前なあ、そうしたらこんな暗い時刻に長門一人で帰す事になるじゃねえか。そんな事が出来るか、結局俺もお前のとこまで送らなきゃならなくなるだろ。そうしたらどうなる?」
「わたしはあなたを見送る」
 見事な返事だ、堂々巡りの完成だな。と、いう事で帰らせてくれ。
「わかった」
 放送事故ギリギリなくらいにたっぷりと間を空けて、長門は頷いた。普段どおりに見えるかもしれないが、渋々のようにも思えるのは何故だろう。
「それじゃ、また学校でな」
 俺はドアをくぐり、自転車を停めてある駐輪場まで急ぐのだった。
 その後ろから視線を感じているのは多分気のせいだと思いながらも、振り返るといつまでも長門が居るような気がしてしょうがない。まあ、自意識過剰というものだろうな。






「しかし何で今更ハルヒの観測を俺に言わなきゃならないんだ?」
 帰り道の自転車を漕ぎながら、本当に今更な疑問だけが後に残ってしまったのだが。







 翌日。いつもどおりに遅刻にはならない範囲で適度な怠惰を示すかのような時間帯に、同じ様な思考を持っているであろう生徒達の中に埋もれるように悪魔のような坂道を愚痴る気にもならなくなりつつ登る。
 すると、意外な後姿を見かけて驚いた。本来ならこんな時間に坂を登るような奴じゃない、俺は足を速めてそいつに追いつくと、
「どうしたんだ、長門。珍しいじゃないか、こんな時間に登校なんてさ」
 俺が登校する時間といえば長門はとっくに教室内にいるとばかり思っていたのだが、意外と差が無いのだろうか? そんなはずはないな、たまたまだろうと思う。
 その予想は正解だったようで、長門は軽く首を傾げると、
「この時間の登校は初めて」
 そう言って俺を見つめた。
「そうか、でもどうしたんだ? まさか寝坊したなんて言わないよな」
 冗談のつもりで言った俺に、長門は遅刻を心配してしまいそうなくらいにたっぷりと間を空けて、
「観測」
 とだけ言った。観測? ハルヒが近くに居るのかと思ったが、見た感じでは居る様子もないし、大体あいつの登校時間はもっと早いはずだ。
 それとも遅い登校だったのを長門が追っていて、俺が話しかけたせいで見失ってしまったのだろうか。だとすれば長門に申し訳ないな。
「あのさ、もしかしたら邪魔したか?」
 心配なので訊いてみたのだが、長門の返答は首の角度の変化だけだった。つまり分かりやすく横に傾いただけなのだ。なんだ、その反応は。
「別にいい」
 結局返事はそれだった。そりゃ長門だったらハルヒの観測ならいくらでもやりようはあるだろうけど、だったらわざわざ登校時間を合わせることもあるまいに。
 まあ俺にも責任が無いとは言えないのだろうから、せめて長門の首の角度くらいは元に戻してやっておこう。
「珍しく会ったんだ、一緒に学校行くか?」
 すると長門の頭は元の位置に戻り、
「行く」
 小さく頷いた。じゃあ行くか。
 



 
 こうして下校時ならともかく、登校時に長門と一緒になるという貴重な経験をしたのだが、教室に入ると既にハルヒが机に伏せていたのはどういうことだ?
 それとなく訊いてみても普通に登校したと言われたので、俺は午前中の授業を朝の長門ばりに首を傾げて受けることとなったのであった。







 昼休み。ハルヒはチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出し、俺は一息ついてから弁当を鞄から取り出して国木田と谷口が待つ席まで行こうとしていた。
 ところが足を止めざる得ない出来事が起こってしまう。
「で? 何があった?」
 俺は目的地を入り口に変え、そこに立つ長門に話しかける。ハルヒとすれ違わなかったかと思ったのだが、長門は何事も無かったように、
「財布を忘れた」
 などと言い出したのだから、驚きのあまり弁当箱を落としそうになった。いや、長門が食堂に行っているのかどうかも分からないが、財布を忘れるという人間的行為が似つかわしくないというか、ありえないだろ。
「ええと、それを俺に言うという事は、つまり俺に金を貸してくれということか?」
 現実味を感じないのは長門ならば何も食わなくてもいいような気がするのと、財布など忘れる訳がないという思い込み、それに財布が無くても何とかなるんじゃないかという長門の能力への信頼のような期待感である。
 とにかく、あの長門が金を貸してくれという状況がピンと来ない。だからなのか、間抜けな顔をして突っ立っていた俺に長門が食堂で座れるのか心配になるくらいたっぷりと間を空けて、
「お願い」
 と、言われてしまったのだ。いや、お願いって。
 こうなれば俺に拒否権は無い。長門にお願いされて嫌だなんて言う奴がいたら、俺がぶん殴るだろうからな。
 しかし、正直なところ金を貸すのも少々気が引ける。長門が今まで俺達の為に働いてきた事を考えれば学食の一回くらいは奢ってもおかしくはないだろう? なので、
「ちょっと待ってろ」
 俺は自分の席に帰って弁当を鞄にしまうと長門の元まで戻る。途中で谷口達には目線で謝り、
「待たせたな、食堂まで付き合うぞ」
 そう言って教室を出た。すると長門は、
「いい。あなたは弁当を食すべき、わたしは昼食を摂らないようにする」
 なんて言うものだから、
「気にすんな、お前に頼られるなんて滅多に無いんだから奢らせてくれ。ついでに久々に学食の味も楽しみたいしな。まあ、弁当は帰りにでも食うことにするさ」
 軽く背中を押してやると、素直に「そう」と言って歩き出した。





 食堂に着くと既にハルヒが食事中であり、俺が長門に奢ってやると「なんで有希ばっかりなのよ!」と言われて結局ジュースを奢らされてしまったのだが、長門が美味そうにカツ丼の大盛を食べている姿はなかなかいいものだったな。こういう奢りなら歓迎とまでは言わないが、悪くはないもんだ。
 しかし、長門まで俺がうどんをすする姿を凝視するのは勘弁して欲しかった。ハルヒまで興味深げに見てるものだから食いにくいったらないだろうが。
 何だか分からない満腹感の中で俺は思った。
 どうして長門は先にいるハルヒから金を借りようと思わなかったのだろうか、と。







 昼食後。いつもの長門らしさが無いと気付き始めた午後の授業を、さっきの食堂での態度を非難するハルヒの攻撃をかわしながら過ごし、どうにか迎えたのは放課後だ。チャイムが鳴ったと同時に首根っこを掴まれた俺は、
「早く行くわよっ!」
 と、ネクタイを引っ張られて部室まで引き摺られて行くのだった。待て、これは死ぬかもしれん! まず一回手を離せ! 足がもつれる、コケたら絞まるから!
 などと死ぬ訳にもいかないので足を速めながらどうにか部室までたどり着く事が出来た。前のめりになっているので腰も痛い、こうなったら早いとこ開放される為にも部室まで急がなければならなかったのだ。
「さあ、今日も活動を始めるわよーっ!」
 ノックもせずにドアを蹴り開けたハルヒに、
「あ、こんにちは、涼宮さん」
 良かった、着替えは終ってたのか。メイド服の朝比奈さんが優しく挨拶してくれて、ハルヒが団長席まで一直線に向かったので俺はようやく首周りが自由になった。いや、決して朝比奈さんが着替えていた事を残念に思っていたのではない、念の為。
 とりあえずシャツの前を開けて呼吸を整えていると、
「今日は涼宮さんのご機嫌はいいとは言えないようですね」
 朝比奈さんにお茶の用意を命じるハルヒを横目で見ながら、古泉が苦笑していた。それでも大事に至る状況ではないのか、棋盤の上に駒を並べて待っている。俺も正面に座ると、
「ちょっとな。だが、あいつが不機嫌になる必要も無いと思うぞ」
 適当に駒を動かしながら、俺は昼休みの出来事を簡単に説明した。古泉は長考しながら俺の話を聞いていたのだが、
「なるほど、それは原因と呼べるものが二つありますね」
 パズルが解けたような爽やかな笑顔であっさりとそう言った。二つだと? 腑に落ちない俺に、古泉が説明を始める。
「一つは恐らくあなたが思っているのと同じで、涼宮さんは長門さんにだけ奢ったあなたに対して自分にも、という気持ちがあったのだと思われます」
 そんなもん、あいつの方が先に来ていたのだから仕方ないだろうが。
「そういうものでも無いのですけどね」
 古泉は優雅と思える動きで肩をすくめる。一々、様になるのがムカつくな。
「それより二つ目の理由ってのは何だ? 俺にこれ以上原因があるというなら、ハルヒの我が儘も大概にしろって話だぞ」
「いえ、二つ目の原因はあなたではなく長門さんにありますね」
 何だって? 思わず長門の方を見てしまうと、偶然なのか本を膝の上に置いた長門と目が合ってしまった。慌てて古泉に問い質す。
「おい、何で長門が悪いことになっちまうんだよ?」
「いえ、長門さんは悪くないのですけど、涼宮さんとすれば先に食堂に来ていたのですから何故自分に声をかけなかったのかと思ったのではないですか。団長である自分よりもあなたを頼ってしまったことに対して、長門さんへの不満と自分が不甲斐無いのではないかという不安が同時に起こったのではないかと思われるのですが」
 なるほど、と思う。ハルヒは団長である自分に自信がある、しかし長門は団長が食堂に居るにも関わらず俺へ声をかけてきてしまった。それはハルヒのプライドを傷付けたのかもしれないし、同時に団長である自分への不安も喚起したのかもしれない。
 だが、長門からすれば団長であるハルヒに金の話など出来なかったとも言える。それよりも奢っている姿を何度も見ている俺の方が言いやすかったとも言えるのではないだろうか。
「そういう考え方も出来ますけど、涼宮さんとしたら頼られたかった部分もあると思いますけどね」
 まあハルヒ長門に甘い部分もあるので分からなくはないな。それにしても面倒な奴だ、直接長門に言えば済む話じゃないか。
 長考が終った古泉は駒を置くと、
「出来れば長門さんに気を使って頂きたかった、というのが本音ですね。閉鎖空間が出るかと思って午後の授業はほとんど頭に入りませんでしたよ」
 苦笑いもいいが、そこに置いたらお前の飛車は俺の角に狙い撃ちされるけどいいのか? それにこいつが一日や二日授業を聞かなかったからといって成績面で影響があるような気もしない。
 なので気にせずに飛車を奪うと、古泉は再び長考に入ってしまった。
 仕方なく視線を彷徨わせると、またも偶然長門と視線が合ってしまう。そこから古泉が次の駒を置けるくらいたっぷり間を空けた長門は、無言で本へと視線を落とした。
 その様子を古泉も見ていたのか、優美に眉を顰めたので、
「勝手に名前を出すなってこったろうよ」
 そう言って肩をすくめた。そうですね、と古泉も返して俺達は棋盤へ視線を戻す。おい、これもう二手で詰むぞ。何で飛車を取った角をそのまま残しちゃってるんだよ、お前。





 そんな感じで団活中も何事も無く終ろうとしているのだが、不思議な事に視線を感じる。ふと見回してみても、いつもの光景なのだが。
 ただ、長門の本がいつもよりページが進んでいないような気がしたけれど、あいつの読書ペースを知っている訳では無いので気のせいかもしれない。
 些細な疑問は浮かんだものの、結局いつもどおりの長門が本を閉じる音で団活は終るのであった。






 
 帰り道。ハルヒと朝比奈さん、続けて長門に最後尾が俺と古泉。いつもどおりの順番で長門のマンションまで帰る。
「それじゃ、また明日ね! 有希、お財布忘れちゃダメよ!」
 ハルヒが珍しく解散時に長門だけ注意を与え、長門も素直に頷いたので満足そうに帰って行った。朝比奈さんも丁寧にお辞儀して後に続く。
「では、僕も。涼宮さんも落ち着いたようですしね」
 古泉が手を振って去ったところで、俺と長門が残っている。
「なあ、長門。今日の昼休みなんだが、どうしてハルヒに金を借りなかったんだ? あいつもお前になら金を貸すどころか奢るかもしれなかったぞ、先に食堂に居たんだから声をかけてやるべきだったかもな」
 古泉の受け売りだが、納得出来る部分もあったので一応長門には注意しておく。すると、長門は俺の目を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「今回の場合、あなたしか声をかける人物を選択出来なかった。朝比奈みくる古泉一樹には関係上過度の接触は推奨出来ない。涼宮ハルヒは過去のあなたとの会話を考慮した際に金銭的懇願は不可と判断した」
 そう言われると納得してしまうな。古泉や朝比奈さん個人に思うところは無くても、それぞれの背景を思えば長門が声をかけない理由は分からなくは無い。それと、やはりハルヒは俺に奢らせるイメージが強すぎたんだな。そして俺は奢るキャラとして長門に認識されてしまっているのだろうか。それはそれでかなりショックなのだけど。
「まあいいや、今度はハルヒにも声をかけてやってくれ。というか、財布なんか忘れないでくれよ」
 それで俺の財布に負担がかからないのなら十分だ。まあ長門もたまには失敗するというのは安心するというか、可愛いところがあるじゃないか。
 長門は俺が帰ると言いそうになるくらいにたっぷりと間を空けると、
「了解した。また明日」
 そう言って踵を返してマンションへと帰るのであった。相変わらずの愛想の無さに少々呆然としたが、
「やれやれ、本当に分かってるのかね」
 ため息を一つ残して俺も帰宅の途に着いたのだった。





 家に戻って部屋に入り、スウェットに着替えてベッドに倒れこむ。妹が晩飯を伝えに来るまでシャミセンを撫でながら、俺はふと思ったのだった。
 今日は随分と長門と目があったような気がするな。
「まあ、自意識過剰だよな」
 今日は長門らしくない行動が続いていたから、俺の方が長門を気にしすぎていたのかもしれない。だとすれば長門も迷惑だったかもな。
 明日は長門もいつもどおりだろう、そう思いながら俺の方はいつもどおり飯を食ってから風呂、そして宿題の存在を忘れたまま就寝してしまったのであった。