『SS』 ちいさながと:にゃがとゆき

 俺と有希が恋人となってしばらく経つが、その間飽きたことなど無いと断言出来る。有希と過ごす毎日は、少量の刺激と多数の幸福と、ちょっとだけの疲労を持って俺を飽きさせることなど無いからだ。
 しかし、いくら何でもこんな日が来るとは思ってもいなかったが。目の前の光景を見て呆然とせざるを得ない。ええと、俺はまず自分の部屋に居るんだよな? そしてベッドの上には俺の恋人がいる。
「…………にゃん」
 いつものように小さなサイズで正座してるのは同じなのに、いつもの有希ではないのだ。
 どこが違うって、まず制服じゃない。そして、頭の上にはネコ耳。黒のワンピースにこれまた黒のしっぽが揺れている。おまけに肉球つきの手袋とブーツまで。つまり、目の前に座っているのはネコミミシッポの長門有希だった訳で。
「なあ、有希?」
「わたしはネコ」
 はあ、有希じゃなくネコねえ。呆れながらベッドに座ると、黙って俺の膝の上に寝転がった。ほんとにネコみたいだな、と触ろうとするといきなり飛びのく。
「有希?」
「にゃあ」
 あ、ネコだった。ネコという生き物は自分が気に入らなければ触ろうとすると逃げてしまうものだけど。
「そこまで真似しなくてもいいじゃないか」
 手を伸ばしたら、指先を引っかかれた。いてっ! と指を引っ込めても、有希の表情は変わらない。あくまでも無表情に指先なんか舐めてやがる。ネコか、お前は。ネコなんだよな、うん。
 一体有希に何があったんだろうか。チャクチャクと毛づくろいをする有希は途轍もなく可愛いのだが、そこに至る理由が分からない。ため息と共に優雅に寝そべる有希を見ると、
「今朝のこと」
 ネコが顔だけ上げて一言呟いた。今朝? 何があったんだと聞こうとしても有希は既に背中を向けて寝てしまっている。
 やれやれ、といつもの口癖を呟いて。俺は今朝の出来事を思い出そうとしていた。







 朝は取り立てて何かあったのかと言われれば、特段何かあったという記憶は無い。朝飯を取ったら学校へ、クラスに入ると。
 ここで思い出した、今朝はちょっとした事件があったのだ。
 自分の席に着こうとしたら、後ろの席で何やら騒いでいる。有希と顔を見合わせて、何があったのかと思いながら近づいてみると、そこでは三人の少女が騒いでいた。と、いうものでもない。ここは何故か涼宮ハルヒの席であり、座っているのはハルヒ本人だ。そして騒いでいるのは席の横に立っている二人である。
 朝倉とハルヒは最近は毎朝のように話しているし、そこに加わるのは阪中であることも珍しくない。女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、この三人が話していれば俺も有希も近づけない。しかし珍しい事もあるものだ、どのくらい珍しいかと言えば、涼宮ハルヒって女子高生だったんだなと思えるくらいには珍しい。
 まあ、俺が来るまで話しているのもいつものことなので、席を確保する為に声をかける。
「おっす、ハルヒ
 すると、本当に珍しい事にハルヒよりも先に阪中に話しかけられたのだ。
「ねえキョンくん、ちょっと聞いてほしいのね?」
「そうね、キョンくんの意見も聞いておきたいわ」
 朝倉まで追従してきたので何事かと思えば、ハルヒはため息交じりに、
「ちょっと涼子と阪中ちゃんが揉めてんのよ。あたしもどうも決めきれなくてね」
 なんて言うものだから有希まで驚いている。あのハルヒが優柔不断に決めきれないなどとは意外過ぎる展開だ、一体何を話してたんだ、こいつら。まあ、すぐに阪中が話し出すのだが。
「あのね、やっぱり犬の方が可愛いと思うのね」
 ……はあ?
「そんな事ないわよ、猫だって可愛いっていうか、猫の方が可愛いもの」
 えー。どうしたんだ、朝倉。
「ウチのルソーだってすごく可愛いもん、飼うなら絶対わんこちゃんなのね!」
「猫よ、ちょっと我がままだけど可愛いもの、にゃんこの方が飼うならいいわ!」
 またか、とハルヒがため息をつく。なるほど、ハルヒが困る理由がはっきりと分かるな。まさか阪中と朝倉がこんな些細な理由で言い合いをしているなんて思わないだろ。
「わんこは大人しいし、言う事聞いてくれるし、甘えん坊だから可愛いのね!」
「にゃんこだって寝てるのが可愛いし、ちょっと素っ気無いけど、そんなにゃんこがふと膝の上になんか乗ってきちゃったりするのが可愛いんじゃない!」
「寝てばっかりじゃつまんないのね!」
「纏わり疲れたら疲れちゃうじゃない!」
 なんとまあ、ハルヒを挟んで熱論というか水掛け論だ。この類で答えが出ることなどまず無い、それは一歩だけ後ろに下がれば見える景色が見えなくなっている本人達には理解不能なのだ。しかし、ルソー及び子犬を心から愛する阪中はともかく、朝倉が猫愛好家というのは初耳だ。しかも普段、教室では冷静で優しい優等生のクラス委員長を演じているのに、SOS団や長門のマンションで見かけるようなキャラに戻ってしまっている。
 あの涼宮ハルヒを呆れさせる、という偉業を成し遂げている事にすら気付いていない二人は口論を止めると、
「ねえキョンくん、やっぱり犬よね?」
キョンくん、猫が一番だよね?」
 おいおい、こっちに振るのかよ。どうすんだ、ハルヒ? と水を向けてみれば、
「あたしも飼うなら猫かなーって思ってたんだけど、JJと遊んでたらやっぱり犬もいいもんだなって。だから、あたしにははっきり決められないのよ。涼子の言うとおり猫も可愛いけど、やっぱりJJも可愛いしー、あーっ、もうっ!」
 本当にハルヒまでも優柔不断にさせてしまったのだから、ルソーと遊んだ経験というものが大きかったことは頷ける。阪中が朝倉に対して強気な理由もそこにあるのだろうな、見た感じではやや朝倉が押されているようだし。
 そこで俺にお鉢が回ってきたという訳か。ハルヒにまで助けて、という視線を向けられてしまえば知らん顔も出来ないのだろうな。
 やれやれ、と口癖を呟いて頭を掻きながらも、俺は答えは決まっていたので阪中と朝倉に視線を向ける。
「あー、お前らの言い合いは理解した。けどな? 阪中には申し訳無いけど、俺は朝倉につくぞ」
 驚く阪中と拳を握る朝倉、少しだけ不審そうな目を向けるハルヒに俺は答えを述べる。
「確かにルソーも可愛い。けど、ウチには既に猫がいるからな。たまたま飼う様になったシャミセンだが。けど、あいつは邪魔にもならないし、たまに寄り添ってくるのも可愛いもんだ。まあ、結構長く一緒にいるから愛着もあるしな、よって俺は猫がいいと思う」
「そ、そうなの……」
 ガッカリしたのか、俯く阪中には悪いが事実としてウチのシャミセンは猫らしくはないが可愛げはあると思うぞ。
「そうよね! 我がままでマイペースでちょっと素っ気無いけど、たまに甘える猫って可愛いわよね!」
 お前の場合は我がままばかり言われそうな気がするけどな。というか、そんな猫的な行動をしてそうな人間を一人知ってるんだが、その人の相手に慣れ過ぎたからなのだろうか。あの緑の髪にネコミミねえ、案外似合うかもな。
 なんて呑気に思いつつ、ハルヒが阪中を慰めるように自分も子犬を飼うなんて言ってしまって、瞳を輝かせた阪中にどんな犬を飼うのかと詰め寄られて、困った視線を俺達に向けたところで救いの鐘が始業を告げて、俺達は無事にホームルームを迎えたのであった。







 と、いうのが今朝の出来事である。朝倉と阪中の口論というのも珍しければ、ハルヒの困惑顔というのもなかなか見物であったものの、別段おかしなところは無かったはずだ。精々放課後に部室に行くまでの間もハルヒが阪中に捕まって飼う犬の種類を決めさせられていたくらいだ。あのハルヒが部室に着くなり机に伏せてしまい、古泉から散々理由を問い質されたのは迷惑な話だったけどな。
 だが、それと今の有希との関連が分からん。あの話に有希がネココスプレをする理由は皆無だ、しかもコスプレではなく行動がネコそのものだなんて想像も出来ないだろ。
 そんな有希は毛づくろいに飽きたのか、俺の膝までやってくると(ご丁寧に四つん這いだ)ごろんと寝転がる。けれど触ろうとすると逃げられてしまうのだ、なんとも焦らされてるみたいで構いたくなってくる。
「ゆ〜き〜」
 チッチッチと呼びながら手招きしても無視される。仕方ないのでそっと近づいてあまり刺激しないようにすると、落ち着いた有希はうつ伏せで寝転んでいた。いつもの有希では考えられないくらいだらけた格好だな、足をバタバタさせてるのが可愛い。
 今なら大丈夫か? 手を伸ばしてネコなので喉元を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄ってきた。まんまネコだったんだけど、有希がやると可愛さが倍増、いや、三倍増である。いかん、元々ネコ派だと思っていたが有希ネコはそんな俺を魅了する為に存在しているかのようだ。
「って!」
 油断してたら噛まれた。甘噛みじゃない、ちょっと本気だ。血がついてないかと確認したら、出血はしてないけど歯形はきっちりついている。
「あのなあ、」
「にゃあ」
 にゃあですか、そうですか。すっかりネコと化した有希は人の指を噛んでおきながら、舌なめずりしていやがる。ペロリと舌を出すな、可愛いから。
 …………そちらがその気なら、こっちにも考えってもんがあるんだぞ。
 俺は立ち上がると机の引き出しを開ける。有希は小首を傾げてそれを見ているが、これを見てもそんな顔が出来ると思うなよ。
「ほれ」
「!!」
 俺が取り出したのは、柔らかくしなるプラ製の棒に先端部分がフワフワとした綿のようなパーツがついているアレである。要するにネコジャラシだ、シャミセンという猫を飼っている身としては、このような玩具は常備しているというものだ。
 それを見た有希改めネコの瞳の輝きを見ろ、シッポが揺れているのは期待感の表れなのだよな。
「ふっふっふ、覚悟しろよ、有希ー!」
 俺は左右にネコジャラシを振った!
「にゃあ!」
 有希が左右に飛び回る。おお、有希がこんなにアグレッシブに動くなんて。
「ほ〜ら、こっちだぞ〜」
「にゃんにゃん」
 声のトーンは棒読み気味ながらもネコジャラシを追って走り回る有希。こ、これは萌える! 俺はいつの間にか我を忘れていたようだ。
「ほらほら〜、頑張れ〜」
「にゃあ」
 高さを上げればジャンプする。左右に揺らせば走り回る。俺は夢中だった。ベルリンフィルの総合指揮者でも有り得ないくらいに腕を振り回した。



 その結果。



「はあ……はあ……」
 ベッドに倒れこんで呼吸を荒くしている男子高校生がいた。信じられない事に俺である。何時間やってたんだ? 既に時間の感覚も無いのだが、夕飯はどうなったのだろう。
「ふにゃ〜」
 傍らで有希が呑気に毛づくろいをしている。たとえサイズが十二分の一でも、長門有希長門有希なので体力というものに差がありすぎた。というか、遊んだ満足感でツヤツヤしている。
 楽しかったのは事実だけど、結局どうしてこうなったのか答えは出ていないままだ。呼吸を整えながら毛づくろいしている有希に声をかける。
「なあ有希、いい加減答えを教えてくれよ。ネコもいいけど、やっぱり有希はいつもの有希が一番いいぞ」
「にゃん」
 まだダメらしい。ため息をついても変わらないが、どうすりゃいいんだ? 相変わらず寝転んでる有希は答えてくれそうにない。というか、ネコならシャミセンが…………



 あ、そうか。



「有希、俺が悪かったよ。だから、おいで」
 俺が手を横に広げると、にゃあと言いながら有希が寄って来る。そのまま脇の下にすっぽりと収まるように丸くなってしまった。ネコはこういうとこで寝るの好きだもんな。けど、聞いてないはずはないよな?
「今朝の件だけど、シャミセンを飼うきっかけになったのは有希の責任でもあるだろ? あいつとも色々あったけど付き合いも長いんだから許してくれよ」
「…………」
「それに、猫は邪魔にならないし、たまに構ってやると喜ぶのが好きなのも確かだ」
 お前は覚えていないというか、知らないだろうが、お前に猫を飼う事を勧めたことだってあるんだぜ?
「けど、有希と付き合いだしてからはシャミセンだって遠慮してくれてるじゃないか。シャミセンにまでヤキモチを焼かないでくれよ」
「…………にゃあ」
 本当に可愛いじゃないか、こいつ。俺達が一緒に暮らし始めてからはシャミセンはたまに顔を出すけど俺の部屋をねぐらにしなくなっている。それは多分有希に遠慮してくれているのだと俺は思うのだ、あいつがもし話せるのなら愚痴を零されそうだけどな。
 なのに、猫が可愛いと言われて、付き合いが長いと言ったらこの態度だ。どれだけ構われたいんだよ、有希。
「だからさ、ちょっとだけシャミセンの奴にも気を使ってやってくれないか? 遊び相手には些か不似合いなくらいに無精者だが、同居人として、な?」
「…………分かった」
 久々に人語を話した恋人は脇の下ではなく、腕枕で寝転んでいる。どうやら正解だったらしいな、ちょっとだけ頬が赤らんでるぞ。
「でも、まだ足りない」
 何がだよ。と言いかけて肉球でプニプニと頬を突かれた。ええと、シャミセンにヤキモチ焼いて、猫になったんだから……



 あ、そうだ。



 やれやれ、本当に甘えん坊だな。俺は苦笑して有希の頭を撫でる。
「猫も可愛いけど、有希が一番だよ」
「そう」
 満足そうに目を細めた有希が喉を鳴らして擦り寄ってくる。ほんとにネコみたいだな、と笑いかけたら、
「正解のごほうび」
 と、言われてキスされた。しかも、鼻先まで舐められた。
「お前なぁ……」
 呆れた俺だけど、
「にゃん」
 可愛く鳴いたネコミミの彼女を抱き締めてしまったのは仕方ないよな?












 翌朝、阪中に付きまとわれたハルヒが困った挙句にSOS団総動員でペットショップに行った話はまた別の機会にでも。