『SS』 ちいさながと:料理を作ろう

 風が気持ちいいと思えるのは、今日という日が晴天であるからで、おまけに気温は高くもなければ低くも無く、湿度もそんなに無いものだから清々しいほどいい天気だと言うしかない。
 そして晴天の中を自転車を走らせているのであるから、吹き抜ける風は心地良いのである。つまりは、いい天気の下で自転車を漕げば風が頬を撫でてゆく。それが何とも言えずに心地良い。
 お前だって、そう思うだろ?
 俺の肩の上で柔らかなショートヘアを揺らす、小さな恋人長門有希は俺にしか分からないかもしれない微笑みを浮かべて風の流れに身を任せていた。
 もう少しは気持ちの良い風を感じつつ自転車を走らせることが出来る。しかも、その先にも楽しみがあるのだから今日という日はいい一日になりそうだ。そんな事を思いながら鼻歌なんか歌いながら自転車のペダルに力を込める。





 目的地に着いた俺は、自転車を停めて鍵をかけ、愛車のママチャリの前方カゴからビニール袋を取り出した。
「出しっぱなしだったけど大丈夫か?」
「平気。あなたが移動に時間をかけなかった為に劣化等はほぼ無い状態」
 まあ、万が一の時は有希に頼もうかと思っていたのだが、余計な能力を使わせなくて幸いだったな。けれど、ダラダラしていても仕方ないのでさっさと移動するか。
 ということで、さっさと移動して今はお馴染みの場所である。どのくらいお馴染みかと言えば、手馴れた調子でテンキーを押すくらいにはお馴染みだ。で、数字を入れたら、
『…………』
 沈黙が返答なのもいつも通りなので、
「よう長門、ちょっと上がらせてくれ」
 そう言って、こちらから声をかけてあげなければならないのである。
 まあ、厳密に言えばこのような手続きが無くても入る事は可能だ。何故かといえば、長門有希がここにいるからである。インチキな能力ではなく、単純に合鍵を持ってるんだよ。けれども有希も長門個人のプライバシーを尊重しているが故に、きちんと手続きを踏むことを推奨しているのである。
 だが基本的には俺と有希が来訪して長門が断わる事は無い。今日も自動ドアが開いて俺達はエントランスへと入場するのであった。





「悪いな、突然」
 言いながら玄関で靴を脱ぐ。ここは長門の部屋であるということは、有希の部屋でもあるということであり、有希から見れば単に帰ってきただけなのだけれども、何も連絡無しの訪問は長門からすれば迷惑だったかもしれない。
「いい。ここはあなた達の家でもある。それに、わたしも歓迎する」
 長門は、そう言いながらお茶を淹れてくれる為にキッチンへ向かおうとしたのだが、
「ああ、今日はお茶はいいぞ。それよりもちょっと台所を貸してくれ」
 俺の言葉が意外だったんだろうな、足を止めて振り返った。
「何故?」
 ああ、ちょっとな。分かるようにビニール袋を持ち上げると、長門は不思議なものを見たかのように首を傾げた。
「有希と話してて、何となく思い出したというかやりたくなった。そんなに時間はかからないと思うぞ」
 有希と共に過ごす俺にとって、長門宅は本当に第二の我が家である。勝手知ったる何とやらで台所に立つと、
「……手伝う?」
 長門が顔を出してくる。こいつは料理などにも興味を持つ方だし、どちらかといえば構って貰いたがるタイプなので予想通りなのだが、
「今日は有希と二人で十分なんだ。お前は座って本でも読んでいてくれ、楽しみに待っててくれていいぞ」
「任せて」
 有希が袖捲りをしたのを見た長門は、「そう」とだけ言ってリビングに戻って行った。それじゃ、やるぞ有希。
「了解」
 




 まずはしっかり手を洗い、買ってきた食材を取り出す。
「有希、そっちは頼む」
「分かった」
 俺が用意しているのは豚肉である。有希と買いに行ったのはとんかつ用のロース肉だったのだが、これがたまたま安かった。まるでハルヒみたいに望んだとおりになったと思ったら、
「チラシは既にチェック済み。あなたの提案に合わせて店は選択していた」
 などと言う節約主婦な彼女に感心してしまった。けど、その割りに料理を作ったりはしないよな。
「…………やれば出来る」
 はいはい、期待してるよ。それで少しだけ遠いスーパーまで自転車を走らせてここに至った訳なのだから、散歩としても十分楽しかったしな。
 有希のサイズから見れば巨大としか言いようの無い包丁を持ち上げて、まるでアクションゲームのキャラクターのように振り回す。それはそれで痛快な光景なのだが、見惚れていても仕方が無い。こっちはこっちで用意しないと有希に怒られてしまうからな。
 と言っても、実は用意などほとんど無い。すこしだけ楊枝を使って肉の表面を突いて火の通りを良くしたら、塩コショウを両面に適当。はい、おしまい。
「完了」
 さすがは有希、見事に俺に合わせるように作業を終えた。これにて下準備終了である。数分単位で出来る事なのだ、有希の作業は慣れも必要だと思うが有希だから心配いらないし。
「それじゃ、そっちから始めるか」
 俺は有希が皮を剥いて輪切りにしてくれた人参を小さな鍋に放り込む。具材が浸るか浸らないかくらいに水を入れたら砂糖を少し多めに。こういうのは感覚というか、目分量だ。男の料理に軽量スプーンは存在しません。一応甘すぎないように気は付けるけど、この後照りを出す為に水飴を入れるので甘ったるくだけはならないようにする。コンロに火をかけたら、沸騰するまで放置。
「監視をお願いします、有希さん」
「畏まりました」
 そんな軽いトークのやり取りも楽しいものだ。アスパラは人参以上の手抜き方法を使用するか。耐熱のタッパーに水と塩、アスパラ。電子レンジにかけておしまいっと。最近はレンジに水を入れたパスタを入れて茹でるやつもあるが、同じ様なものだと思えばいい。短時間でしっかり味を染み込ませるにはいい方法だと思っているが、取り扱いには注意だぞ。
「任せて」
 任せた。有希の能力を持ってすれば、二ヶ所同時に火の管理をする事など造作も無いだろう。と、いう事でいよいよこちらの作業開始だ。
 フライパンを温めて、バターを一欠け。馴染んだら豚肉投入、表面を焼き色が付くまで炒める。ここで大事なのは焼き過ぎない事だ、あくまで焼き色が付いたら素早く次の工程にかかる。
 ここで取り出すは、とっておきの赤ワインだ。小瓶で買ったのは一度で使い切るつもりだからだ、勿体無いが酒を何度も使うのも高校生としてはよろしくないだろう。
 フライパンの豚肉を浸すようにワインを入れたら、トマトケチャップと照りを出す為の…………手持ちがないので人参用と同じ水飴。隠し味にウスターソース、といくべきところを関西人としてお好みソースを使用する。全て適量だが、慣れればおかしな味付けにはならない。自信が無ければ小さじで数量ずつ調節してもいい、俺も前はそうだった。
 一度味を見る。甘酸っぱい味わい、まあいい方だろ。酸味と甘みを同時に出す手抜き食材としてトマトケチャップは欠かせない。ホールトマトなどで本格的に作るのもいいのだろうが、面倒なのは御免なのだ。
 そして、蓋をして煮込み。量が多い訳ではないので、あっという間に出来上がる。およそ五分ってとこか。
「こちらも完成」
 まあそのくらいだろうな。アスパラは水気を一回切り、人参はしっかり茹れば完成だ。ついでなので缶のコーンを器に入れてレンジでチン。彩りとしては三色揃うからいいだろ。
 こうして付け合わせのニンジングラッセもどきとアスパラの塩茹で、コーンを皿に盛る。
「よし、こんなもんだろ」
 煮込みながら色を付ける目的もあって、何度かひっくり返した豚肉を見て俺は満足した。
 盛り付けたら、フライパンに残ったソースをかけて、完成である。
「美味しそう」
 だろ? 結構手抜きだけど見た目は本格的に見えるもんなんだよ。さて、長門が待ってるぞ。





「…………これは?」
 うーん、なんと言えばいいんだろうか。テーブルに並べられた豚肉料理を見た長門に本日の経緯を説明する。
「ポークチャップっていう料理があるんだ。まあ豚肉をトマトソースで煮込んだような料理なんだが、古い洋食屋なんかだと定番メニューであるんだよな。その話をしたら有希がどうしても食べたいって言い出してさ」
 俺もガキの頃に親に連れられて行った店で数度食べただけなのだが、味のイメージは残っていた。
 そして、ここからが重要なのだが、まだ妹が今よりも小さい頃に俺は両親不在の時に食事を作っていた時期があったのだ。というか、今でも機会はあるのだがコンビニというものに頼り切っているだけだ。
「まあつまり、大昔にこのポークチャップ風を作ったことがあったんだよ。勿論今よりも不味かったと思うんだが、妹は気に入ってくれてたしな」
 実際の正しいポークチャップのレシピなど知る由も無い。本当に適当に似た味になるようにしただけだ。子供だったから火を使うのを少なくしたのもあるし、あの時は確か赤ワインではなく料理酒を使ったと思う。それでも親には使いすぎだと怒られたぞ。
「結局はトマトケチャップ煮込みだ。単に自分で食ったら美味いかなって味付けだけど、それでも有希がいいって言うからさ」
 長門は有希がセットしていた米が炊けたので茶碗によそいながら俺の話を聞いていた。俺と有希の分をちゃんとついでくれるのが長門の優しさだよな。
 しかし、ここまでセットしておきながら首を傾げるのも長門らしい。
「何故、わたしの分まで?」
「場所代だと思ってくれよ、それに有希が食べたいって言ったんだ。長門、お前だってそうだろ?」
 有希が頷くのを見た長門は、少しだけ唇の端を上げ、
「わたしも、食してみたかった」
 と、言ってくれた。まあ適当料理だが、そこそこは食えると思うぞ。
「あなたが作ってくれた、それだけで嬉しい。人間は何を食べるかではなく、誰と食べるかで味覚を変化させる事が出来る。きっと、わたしもそれを体験出来る」
 そこまで言って貰えると作った甲斐があったってもんだな。すると有希が、
「わたしが言いたかったセリフを全て言われてしまった」
 なんて拗ねるもんだから、やっぱりこいつは可愛いのだ。しかも長門が、
「誰と、とはオリジナル、あなたも入る。わたしにとって、彼とあなたが作ってくれた料理で一つの食卓を囲むという行為は、とても、嬉しい」
 これもまた可愛い事を言ってくれるのだ。有希も「そう、私も同様」と長門の頭を撫でている光景は、何とも言えない暖かさだった。
「さあ、冷めちまうぜ。食べるとしよう」
「そう」
 たまにはいいだろ、こういうのも。
 長門宅で長門と有希と夕食を、なんていうのもな。
















「質問がある」
「なんだ?」
「まだ余っているけど、これはお替り用?」
「いや、オチ用だ」
「あー、何か食べてるじゃない! せっかく長門さんの為に何か作ろうと思ってたのに、有希ちゃんもキョンくんもずるいわよ!」
「いいタイミングのようでしたね、ではご相伴に預かりましょうか」
 な? 結局五人で食卓を囲み、長門は嬉しそうにご飯を七杯お替りしたのであった。
「わたしも」
 有希、お前の体でどこに茶碗八杯分の白米が入っているのか教えてくれないか?