『SS』 朝倉涼子の逆襲 2

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朝倉涼子の逆襲(2)


「んまあ、つもる話は後にでもして。ところで何でいきなり熱湯のでっかいシャボン玉があったの?」
 有希を確認できて、この桃色の髪の女は、どこかあっけらかんと問いかけている。その相手は、むろん俺ではなくて有希だ。この中に、この女と顔見知りなのは有希だけなのだろう。
「それはこちらのセリフです。あなたこそ、どうして、この場にいきなり現れたのですか? というかいったいあなたは何者なのですか?」
 んで、真っ先に我に返ったのは、あんまり嬉しくないのだが喜緑さんだ。実に人見知りしない淑女の笑顔を浮かべてはいるんだが、なんとなく後ろ髪が揺らいで見える。
 ……邪魔されたことを怒ってそうだなぁ……
「あたし? あたしはそこにいるナガトさんの顔見知りで別世界から来た通りすがりの魔法使いよ。ナガトさんを目標に飛んだからここに着いたってわけ。あたしの言っている意味はナガトさんなら分かるから後で聞いてちょうだい。で、あなたこそ何してたの? あんな熱湯がかかっちゃうとキョンくんたちみんなただじゃすまないわよ」
 きびすを返して正対する異世界の魔法使いは、怖いもの知らずよろしく、喜緑さんに意見しておられます。
 ううむ。事情を知っている俺たちからすれば同時に命知らずにも見えてしまう。
「質問に対して質問で答えるのは無礼であることは承知ではございますが、あなたの質問に答える前にまだ少しよろしいでしょうか?」
「ん? まあいいけど」
「ありがとうございます。それでは」
 喜緑さんが一度言葉を区切り、
「通りすがりで別世界から来ているなんて奇特な方ですね」
「そう?」
「ええ、この場は今、わたしの情報制御空間にあります。何人たりとも入って来れないはずなんですけど、あなたはあっさり入ってきました。どうやって侵入されたのでしょうか?」
「どうやって、って言っても、テレポテーション――という言葉じゃ意味が通じないかもしれないんで言い直すけど、空間移動を利用したからよ。情報制御空間って名前から判断させてもらうけど、結界っぽいものを張っていたってことよね? でも、あくまでそれは通常空間に作られた結界だろうし、空間の狭間にも張ることができたなら話は別だけど、空間の狭間を利用した移動だったから入れたんじゃないかな? 前にも、あたしの親友が絶対不可侵と言われていた結界の中にこの魔法で入ってきたし」
「なるほど。ということはあなたの言うとおり、別にわたしの邪魔をしよう、というわけではなくて、本当にたまたまここに現れた、ってことですね」
「うん。だって、向こうの世界からこっちの世界で何が起こっているか、なんて分かるわけないじゃん」
「それもそうですね」
 初対面のはずなのに、この二人はどこか和んだ談笑を交わしている。この隙に逃げ出したいところなんだけど、喜緑さん曰く、今、この場は情報制御空間だから逃げ出せるはずもない。
「それでは先ほどのあなたの質問にお答えさせていただきます。申し訳ございませんが、少し外していただけないでしょうか? わたし、そちらの方々に少し、折檻しなければいけないものでして。そのための水泡だったのですよ」
 げぇっ! やっぱ忘れてねえ!
「ほえ? そうなの?」
「はい、そうです。本来は、そちらの1980年代であれば流行の最先端を走っているであろう眉毛の女の子だけのつもりだったのですが、彼はわたしに対して不埒な発言をされましたし、長門さんは彼と供にあることを望んだものですから」
「ふうん」
 言って、桃色の髪の美女は俺たちへと肩越しに視線を移し、しばし観察して、
「ん〜〜〜今回ばかりは許してあげたらどうかな? 何か随分怯えているわよ、三人とも。それで充分、反省していると思うけど」
 おお! 俺たちを助けてくれるのですか!?
「ふふ。確かにそうかもしれませんが、しかし、少しでも甘い顔を見せますと彼らが付け上がることが無きにしも非ずですし、やはり、ここは一つ、きちんと言い聞かせるべきだと思うのですよ」
「えっと、あたしには今のセリフ、『気に食わないから一発いっとこ』、っていう風にしか聞こえなかったんだけど?」
 桃髪の女がそう漏らした瞬間、場が一瞬白黒反転して戦慄が走ったような気がした。
 しばし沈黙。
 その沈黙を破ったのは、
「いえいえ誤解なさらずに。ほら、昔から言うじゃありませんか。言っても分からない子には体で分からせるしかない、と」
 う、うわぁ……絶対に今、喜緑さんは不機嫌だぁ……にこやかな笑顔なのに前髪の影が濃くなってるし……
「そうは言うけど、この三人、間違いなく、もう分かってると思うわよ。じゃなきゃ、こんなに怖がってるわけないじゃない」
 がんばれ! 見知らぬ魔法使いさん! おそらく、俺のみならず有希と朝倉も同じく、心の中でエールを送っていることだろう!
「これはわたしたちの問題です。部外者のあなたを巻き込むつもりはございませんが、邪魔立てすると言うのであれば、初対面とは言え、容赦はしませんよ」
 つぶやき、笑顔のままの喜緑さんが痺れを切らしたが如く、ついに一歩を踏み出した!?
「やれやれ」
 と、同時に魔法使いがため息を一つついた気がして、って、何だ? 手のひらを喜緑さんに向けて、十字に構えるって……ん? 何かぶつぶつ言ってるな……?
「あくまでも邪魔立てするつもり、ということでよろしいですね?」
 ついに喜緑さんがずかずか歩み始めた。が、魔法使いは動じない。
「それでは――」
「ディメンジョンエスケープ」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あら?」
 喜緑江美里は、突然、変わった眼前の風景にいぶかしげな声を漏らしていた。
 確かに、彼女は自分の妹分二人、涼宮ハルヒの鍵と称される少年、そして、突然、出現した自称・別世界からきた通りすがりの魔法使いへと向かっていったはずだった。
 しかし、気がつけば、住宅街はそのままなんだけど、目の前には左右と正面に道路が広がり後ろが壁という、T字路に立たされていた。
「これはいったい……」
 自分があの四人を追い詰めていたはずであるし、情報制御空間に閉じ込めていたはずなのだ。
 一応振り返っては見るものの、そこにも誰もいなくて塀垣が広がるのみ。
 あり得ない。
 なぜなら喜緑江美里は一度も、意識を失った瞬間を感じてはいなかった。
 たとえるも何も歩みを進めた流れのまま、前進していたのに、いきなり風景が変わったのである。
 いったい何が起こったのか。
 もっとも、彼女も情報統合思念体によって生み出されたインターフェース。
 焦ることなく、即座に情報分析を進める。
 そして、導き出された結論は――
「なるほど。あの魔法使いとやらの仕業ですか――」
 呟く、彼女の笑顔の唇はどこか恍惚に釣り上がっていた。
 そう。喜緑江美里は気づいたのだ。場から姿を消したのはあの四人ではなく自分の方であるということに。
「まあいいでしょう。どの道、朝倉さんはマンションに帰ってくるでしょうし、今回ばかりは長門さんと彼を大目に見ても」
 そう漏らして、喜緑江美里は帰路に着く。
 楽しみは後に取っておいた方が喜びが増しますし――なんて考えながら。


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「あ、あれ? いきなり喜緑さんが消えましたけど?」
 無自覚ではあるが、絶賛挟み込んでんのよ状態の朝倉が、おっかなびっくりの表情で声を漏らしている。確かに俺の目にも喜緑さんはいきなり消えたように見えた。
 もっとも、俺は、いや俺と有希はこの人についてのある可能性に気づいたんでどこか落ち着いていた。
「魔法、ですよね?」
 どこか緊張の笑みを浮かべて、少し警戒気味に問いかける。
「まあね。つっても、どこにあの人が出たかって言うと、たぶん、この裏くらいよ。今の魔法はディメンジョンエスケープ。テレポテーションの応用でここと別の空間を繋げて強制送還させるもの。さすがに長い距離は無理でも短い距離ならこの空間内であれば繋げられるわ。ただ一発ネタね。物体ならともかく、本能という意識がある人や動物相手だと二回目以降は警戒されて引っかかってくれないし」
 あっけらかんと答えてくれて、
「でも、正真正銘、あの人を、ここからまったく遠くない、ほとんど目と鼻の先程度の別の場所に移動させただけだから安心して。超空間で迷子になってることは無いから。それはともかく、とりあえず、あの人が戻ってくる前に、キョンくんの家にでも連れてってもらおうかしら。面倒ごとは御免だし、構わないわよね?」
「あ、はい」
 言って、彼女は俺の手を取り、ふむ。ということはテレポテーションってことだな。
 以前、蒼葉さんが言っていたことを思い出す。確か、行き先を浮かべればいいはずだ。
 しばしの間、静寂が場を支配して、
「テレポテーション」
 桃色の髪の美女が美しい歌声のような声をあげたとき、俺たちは淡い光にその身が溶け込んだ気がした。




 有希の予想通り、今の時点で俺は不幸を被らなかった。
 しかし、それはあくまで序盤であったからであり、この後、どうなったかと言うと、最大級と言っても過言ではない不幸が俺の身を襲ったのである。
 このときは、ただただ喜緑さんから逃げられた開放感に近い安堵感で俺も油断していたのだろうが、ひょっとしなくても、今の喜緑さんをやり過ごしたことがあんな結果を招くことになろうとは。
 もちろん、予知能力なんぞ持たない俺だから、このときは毛ほどの先も気づくことはできなかったがな。




「お。あったあった。これを取りに来たのよ」
 俺の部屋に着き、開口一番、桃髪の女は満面の笑顔で、壁にもたれさせていた紫色で先端に天使の羽根を模ったデザインの、その上に淡い光を放つ宝玉を乗せている杖を見据えるなり、そう言ったのである。
「あ、それは、前にあおさんが忘れていった――」
「はい? あの子、自分の名前を教えたの?」
 ええ、まあ。
「ん〜〜〜いいのかなぁ。ここって完全に異世界なのに……」
「いや、何でもこれで俺たちと出会ったのが三度目だから、とか言って」
「二度目までは偶然だけど、三度目は運命ってやつね」
 そうそう……って、朝倉!?
「テレポテーションの際、朝倉涼子はあなたの腕を掴んでいた。よって、共に移動することになったと思われる」
 なるほどな。すっかり忘れてた。
「酷っ! せっかく挟み込んであげていたのに!」
 って、自覚あったんかい!?
「当たり前じゃない。せめて死ぬ思いをする前くらい、わたしが巻き込んだんだし、責任もって、いい目を見させてあげようって考えたんだから」
 なるほどな。しかし今のセリフは有希がいないところで言うべきだと思うぞ。というか俺もそんなことに気が回らなかった。
「フーン」
 ほら、有希がすっかりご機嫌斜めじゃないか。どうしてくれるんだ?
「どうせキョンくんが慰めてあげるんでしょ。むしろ、そのきっかけを作ってあげたことに感謝してほしいな」
「なるほど一理ある」
 おいおい。それであっさり引き下がるのか?
「そう。それにあなたは言った。『そんなことに気が回らなかった』と。だから後ほどいつものとおり接してくれればいい」
「……いつも何やってんの? 二人とも。まさかと思うけど、この間みたいなことをいつもやってないわよね?」
 え? 俺たちは高校生としては健全な交際しかしてませんよ? あれはまだ最初の一回目だよな、有希。
「そう」
 普段はせいぜい舌を絡めあったり、裸のお付き合いをしたりする程度だ。
「それって健全って観点から考えるとギリギリアウトなんじゃ?」
「気のせい」
「なんか釈然としないわね」
「いつの間にか、あたし、蚊帳の外なんだけど」
 え?
 視線を声の主に移せば、そこには苦笑を浮かべた桃髪の美女がいて、
「あ、すみません」
 頭を下げたのは朝倉だった。


 さて、当然のことながらこの人と俺たちは初対面なわけだから、彼女は自分の名前を教えてくれなかった。むろん、これが三回目のコンタクトなら教えてもらえるかもしれないが、元々が異世界の人物であり、次回の再会すら怪しいものだから覚える必要はないとのことである。
 つっても、この人は俺と有希のことは知っているのでなんだか釈然としない。ちなみに俺のことについては、別の並行世界の俺がこの人の生きる世界を救ったことがあるからと、その世界の俺と出会っているからであるが、有希についてはおかしい。有希があっちの世界にしばらくいる羽目になった時期があったはずなんだが、そのときはどうやって呼び合っていたのだろうか。
「ああ、それは簡単よ。ナガトさんが向こうの世界にいる間については、ずっと別人格にしていたから。たぶん、ナガトさんがナガトさんでいられたのは最初の日と最後の日くらいなんじゃない?」
 …… …… ……
『は?』
 なんかさらっと説明されたが、正直言って俺と朝倉はまるっきり意味が分からなかったのである。
 有希が有希じゃなかった?
「当たり前でしょ――と言っても、ここにいるキョンくんは理解できないか。実はね、まったくの異世界に一人で放り込まれる恐怖はハンパないの。だから、ナガトさんは別人格になって過ごしたのよ。彼女も同意してくれたわ」
 そうなのか? 有希。
「そう。わたしにとってあなたがいない時間は耐えられるものではない。ならば、こちらに帰還するタイミングまで意識を消失させるほうを選ぶ」
 なるほどな。確かにあの時、有希はこっちのクリスマスイブにあたる時間で向こうの世界にテレポートしたんだったな。期間に直せば四十日ほどだ。
「そう」
 ちなみにこの日数なんだが果たして何人の人が気づいてくれるだろうか。そのあたりは考えないようにしよう。
「ところで、別人格って?」
「そういう魔法薬があるってことよ。特別調合した人格を形成する薬品。まあ作ったのはあの子だけど、まったく別の性格の人を覆い被せる、と言えばいいのかな? とにかくそういうこと。ナガトさんの上に別の人格を被せて過ごしてもらったのよ」
 ……どこかで聞いたようなネタの薬品なんだが……とりあえず、有希が蒼葉さんとこの人の名前を知らなかった理由がようやく分かったぞ。
 ただ、もうひとつ謎が残っている。
「かの魔法使いのこと?」
 そうだ。お前は確か、蒼葉さんのことを歴戦の猛者と言った。その根拠は何だ? 今の説明からすればお前は、向こうにいる間のほとんどを覚えていないことになる。
 しかし、答えてくれたのは有希ではなく、桃色の髪の魔法使いだった。
「ああ、あの洞窟の話ね。あの状況は並みの戦士じゃ突破できないもの」
 は?
「こちらの世界に移動するための地場がある場所。その広さは800000平方メートル。その端から端まで歩くようなもの。その間、文字通り切れ目なく全面を覆い尽くして、次から次へと発生してくる石人形を破壊しながら前進することになり、それを成し遂げたのが、かの魔法使いと彼女の連携。そのときの動きはわたしの記憶に焼きついている」
 …… …… ……
古泉一樹の言うところ、涼宮ハルヒが創り出す閉鎖空間内に出現する《神人》が五分の一くらいの大きさで、学校の敷地全体を覆い尽くしている状況を想像してもらって構わない」
 うげ……想像するとかなり壮絶な光景だな……
 というか、今回のアラビア数値はここか!? ホントなんだろうな!?
「ん〜〜〜そんなものかもね。測ったことはないけど、目安で幅1000メートル、奥行き800メートルくらいはありそうだし。正直言って、あの場所にはあたしたちもあんまり行きたくないんだけど、ナガトさんが小さかったんでそこにしたの。ちなみに飛んで進もうとするともっと大変なことになるから、自分の足を地に付けて進むしかないの。詳しい理由はここでは省くけど」
 まあ計算は間違っちゃいないし、異世界のことだから次回の参考になる可能性も少ないんで飛んだ場合のことはスルーするけど、そんな広い洞窟ってあるものなのか?
「彼女が住む世界はこの世界ではない。だからこの世界の常識で測ることはできない」
 ……よし。ここはツッコミを入れたら負けの部分だ。
 というわけで、
「じゃあ、その杖を取りに来たってことで?」
「そうよ。あの子が忘れてきたなんて信じられなかったんだけど、たぶん別の理由があるんでしょうね。でも、このロッドがないとあの子はここに来れないから、あたしが来たのよ」
 はて?
「こっちのキョンくんじゃ言っても理解できないわ。だから割愛させてもらう」
 口調と表情に苦笑が満ちていたんで、ちょっと失礼な言い回しな気もしたが、腹も立たなかったから流すけど、意味不明に桃色の髪の魔法使いがつぶやいて、
「ところで、こっちからもいい?」
 あ、はい。何でしょうか?
「さっきのアレ、何だったの? キョンくんたちが折檻されなきゃいけないほど、悪いことをしたのかもしんないけど、その割にはあの人、そこまで怒っている風には見えなかったし、それこそ、『罰』というよりは『お仕置き』レベルって雰囲気だった。むしろ楽しげだったかな? それが不思議でならなくて」
 え、ええっと……それはですね……
 俺と朝倉は交互に詳細に状況説明をした。
 途中、この魔法使いがこれまでも同じようなことがあったのかどうかも確認してきたんで、洗いざらい話した結果、結構、長話になったと思うのだが、それでも、彼女は茶々を入れることも口を挟むこともなく、黙って聞いてくれて、そして説明が終わると一言。
「やりすぎね。陰険で悪辣で性悪だわ」
 あっさり悪人認定だ。命知らずと言っても過言じゃないぞ。
「でも、アサクラさん、だったっけ。あなたもどうしてやられっ放しなのよ?」
「え? だって……」
「だって、じゃないわよ。あなたがそんなだから相手が付け上がるんじゃない。いいこと、これはイジメと同じ法則が成り立ってしまっているわ」
 説教し始めましたよ、この人。
「イジメってのはね、確かに苛める側が100%悪いんだけど、エスカレートするのは苛められる側にも問題があって、苛められる側が抵抗しないから、苛める側がどんどん面白がって酷くなっていくって統計が出ているわ。最初は悪口だけだったものが、机の落書きになって、教科書やノートを破られたり、しまいには暴力に変わっていって、しかも暴力自体もどんどん陰湿に過激になっていくの。始末が悪いことに周りはリンチを見る大衆心理と同じで『もっとやれ』という雰囲気になってくるから、気がつけばクラス中がイジメに加担しているようになっているわ」
 言われてみれば確かにそうかもしれないな。もしかしたら俺も小学生の頃は無自覚にイジメの加担者になっていたかもしれん。
「だから、苛められっ子はどこかで抵抗しないといけないの。そりゃそういう勇気がもてないほど弱気になっているだろうけど、それでも抵抗しないといつまで経ってもイジメはなくならないし、周りは誰も助けてくれない。たまに外から綺麗ごとを言う大人はいるけど、あんなものは偽善よ。いいカッコしたいだけの自己満足。本当に助けてくれるのは周り。でも周りは、頑張っている人じゃないと助けてくれないの。当然よね、為すがままにされていれば、そういう人間だと思われてしまうんだから、そのために痛い思いをしたくないのが当たり前で自分が傷ついてまで助けたいとは思わないわ」
 正論だな。俺にも覚えがある。
 それは映画撮影のときだ。朝比奈さんが抵抗しないことをいいことに、ハルヒの傍若無人振りがどんどんエスカレートしていって、周りもみんな朝比奈さんへの、ある意味、暴虐が酷くなっていった。あの鶴屋さんですら、親友のはずの朝比奈さんの飲み物にお酒を混ぜたほどの非道っぷりだったからな。
 あの時は、あまりの酷さに俺が見かねて止めたんだが、あのまま俺も放置していたらはたしてどうなっていただろうか。今でも俺はあの行動を間違っているとは思っていない。手をあげることは古泉によって止められたが、それでもガツンと言われたハルヒは多少なりとも反省したのを覚えている。
「でも……」
「でも、じゃない。確かに水をかけてしまったあなたは悪い。でも、だからと言ってキョンくんを巻き込んでまで熱湯をかけられるほどでもない。そんなの洗濯してあげる、で済む話」
「そうですが……」
「だけど、あなたが今まで一度も抵抗しないから、向こうはどんどん付け上がって、そんな風になってるの。だから、ひとつ、ここいらでガツンと言ってやりなさい」
 うむ。言っていることは間違いじゃない。しかし、それはあくまで一般常識の話であって、喜緑さんには当てはまらないのである。元々の性格が性格だし。
「そんな! 言えません!」
「何でよ?」
「あなたは喜緑さんを知らないから言えるんです……」
 消え入りそうに呟く朝倉の声には嗚咽が混じっている。ちなみに俺は朝倉と同意見だ。
 はぁ……
 あれ、魔法使いさんが呆れたため息を吐いておられますが?
「じゃあガツンと言えないなら、こんな手はどう?」
 ん? 朝倉に耳打ちって?
「え、ええ!? それは確かに大丈夫そうですけど!」
「なら決まりね。じゃあ早速」
 朝倉の吃驚声に、しかし魔法使いは満面の笑顔を浮かべて、なにやらメモとボールペンを取り出しましたよ?
「いったい何を?」
「果たし状よ」
 俺の問いに、魔法使いの笑顔はあくまで強気一辺倒だった。