『SS』 ちいさながと:親子丼

 不思議探索でもない休日の昼は、俺と有希が散歩をしている時間帯でもある。残念な事に前日に搾取された財布の中身に不安はあるものの、俺と有希はいかんせん金のかからないデートというものについては、そこらのカップルになど負ける気がしないくらいには熟知しているので、買い物などはしない散歩を楽しんでいる。
 そんな俺達の数少ない娯楽といえば、
「そろそろ昼飯でも食うか」
 ランチくらいなものだろう。勿論高い物など食することは出来ないが、外食するだけでも微妙にテンションが違うものなのだとご理解頂きたい。特に有希は食に関しては一家言ある女性であるので、食事に連れて行くだけでも喜んで頂けるのである。誰だ、安上がりな女だって言う奴は。
 まあ頷く彼女と店を探すというのも、なかなか楽しいものなのだ。あえてファーストフードやファミレスに行かないのがルールみたいなものである。そんな中だと当たり外れは大きいが小さな店などを覚えていき、いつの間にか自分なりのグルメマップなどが出来上がっていくものだ。ちなみに、そんなマップが出来上がったのは俺が有希と付き合い出してからである。
 と、いう事でマップに新たなる店を追加してみようかと思っているのだ。いきつけの店というのもあるにはあるが、せっかくなので歩いてみてもいいんじゃないか。有希の腹具合もまだ大丈夫なようなので、しばらくは散歩になりそうだ。





 うろうろと歩き回る事しばし。どうも決めきれないのは俺の腹具合もあるが、何というか口の中で求めているものが定まっていないというか。
 ラーメンは違うんだよな、同じ意味で脂っこいものはパスだ。となると、肉類はダメかと言えばそうでもない。パスタは軽いし、米が食いたい。ううむ、意外と悩むぞ? うどんや蕎麦はどうもなあ、丼にでもするか?
 などと一人悩んでいると、肩の上で周囲を見渡していた有希に声をかけられた。
「あれを」
 有希が指差した先には一件の店があった。雑居ビルの一階、どちらかと言えばこじんまりとした印象の和食店だな。というか、居酒屋が昼に営業しているような印象だ。
 どちらかと言えば高校生には敷居が高そうにも見えるが、別に飯に違いは無い。むしろ、こんなとこはハルヒ達とだと来るような感じではないので一人で入ってみるのもいいのかもしれない。この場合の一人とは、あくまで見た目の問題であり、実際は有希と二人なので抵抗はあまりないのだが。
「けど、有希はいいのか? 一体何が食べたいんだよ」
 有希が俺を促すくらいなので目当ての物があるのだろう。表にいくつかメニューを書いてある中で有希の目を引いたのは、
「親子丼?」
 大きな字で親子丼と書かれているのはランチタイム限定のようだ。有希はそのメニューの下に書かれた説明を凝視している。
「豊後鶏と耶馬溪地鶏の卵を使用している。大分県の名産を中心にしている模様」
 有希の言うとおりで、良く見れば他に書いてあるメニューも大分産のどんこ椎茸とか、山葵なんてのもある。俺は良く知らないが、大分県では名産なのだろう。
耶馬溪、湯布院という山間部においては名水もあり、椎茸や山葵、自然薯などが名産」
 そうなのか。
地産地消ってやつか?」
「それは違う。地産地消とは地元で取れた食材を地元で消費することにより地域経済の活性化及び移動コストを削減することによりCO2を減らして環境に影響を与えないようにしようという活動の事
 そういう意味だったのか、最近良く言われているから使ってみたいと思ってたら余計な恥を掻いてしまったな。まあ、そこまで言われると美味そうな気がしてきた、ここにするか。
 と、ここでメニューに書かれた値段を見て仰天する。
「980円? ランチタイムで親子丼だぞ、何だその値段!」
 おかしくないか? それとも俺が貧乏臭いのか? だが高校生が昼飯に使う金額じゃないだろ、しかも親子丼だぞ。
「なあ有希、ちょっと俺の財布には……」
 ヘタレですまん。だが土曜日にダメージを受けた俺の財布には結構な負担なんだ、出来ればワンコインで済ませたかったというと情けないのだけど。
 しかし、有希の目を見てしまったのだ。何も言わなくても饒舌な長門有希の瞳を。
 やばい、物凄い甘えてる。甘えんぼ有希ちゃん光臨だ。『美味しいものを食べたいの』というお願いを黒曜石の瞳に込めて。
 小首を傾げた有希を見てしまえば、俺は財布の中身を一瞬にして計算する。ギリギリ大丈夫…………だと思う。
「まあ、たまには贅沢もいいもんだよな。セコイ事ばっか言えないぜ」
 男とはかくも悲しき生き物なのである。そう、と頷いた有希を肩に乗せて暖簾をくぐる時、肩の上で待ちどおしそうに足をばたつかせているのを見てしまえば、まあいいかと思ってしまうのを含めて、だな。





 かくして店内である。ランチタイムも終了が近い時間帯でもあり、店の中は空いていた。俺は有希と食事する為に出来るだけ店内の奥、死角になりそうな席に座る。これだけは有希に申し訳無いのだが、俺の彼女はそれでもいいと言ってくれる。それでもいつか、有希と二人で向かい合わせて食事をしたいと思っている。お互いにそう思っているんだ。
 さて、注文は親子丼のみ。取り皿も一応頼んだし、後は待つだけという時間帯で有希は珍しく本も読まずに厨房の奥を覗き込まんばかりに凝視している。そんなに楽しみだったのか、ちょっとだけ呆れながらも、そんな有希は見ていて飽きないのだ。
 やがて、店員がお盆に乗せた丼を運んでくる。有希、机の上に立たないでくれ、流石に行儀が悪いぞ。
 と、まあそんな事があって目の前には丼と吸い物、漬物がある。正直値段の事もあるのかもしれないが、美味そうだよな。それと、思ったより丼がでかい。予想では値段と反比例のような小さな器で少量ずつ、なんてのも考えていただけに嬉しい誤算だな。
「あなたの想像は懐石料理」
 だよな、我ながら小市民過ぎると思えてくる。まあいいや、食おうぜ。と、丼の蓋を開けようとすると、
「待って」
 と有希に止められた。何でだ、お前が一番楽しみにしてたんじゃないか。
「丼に蓋をしているのは蒸らしを入れる為。卵が半熟状態でありながら全体を馴染ませるには蓋をして蒸らすことが重要、残り一分待って」
 そういうものなのか、俺は丼が来たらすぐに蓋を開けてがっつくタイプだったので目からウロコものだった。有希は食いしん坊ではあるが、それも最高に美味しく食べたいという欲求に基づいてのものであり、蒸らしがいるというならば待てる女でもあるのだ。というか、拘ってるなあ。
 一分などという時間はそんなに長いものではない。あまり長いと冷めてしまうし、蒸らし過ぎて水っぽくなるそうだ。そんな有希の薀蓄を聞きながら蓋を開けてみると、
「おぉ……」
 思わず感嘆の声が漏れてしまった。まず卵の色が違う、黄色というよりオレンジ、黄金と言うに相応しい。その卵が所々白い箇所を見せつつも柔らかく揺れている。理想的な半熟状態は、嫌でも食欲をそそるものだ。その黄金の卵とネギの緑のコントラストも素晴らしい、鶏肉は腿肉を使用しているのか。
 とにかく美味そうなのは確かだ。というか、美味くないはず無さそうだ。有希がいそいそと取り皿を用意したので少し取り分ける。それでも有希のサイズから見れば山のように盛られているはずなのだが、いつの間にか消えているのだから不思議だよな。
「いただきます」
 と両手を合わせ、早速一口頂くと。
 

 いや、これがもう美味かった。


 まず卵が違う。今まで食べた卵と段違いだ、口の中に広がる甘みは黄身そのものに味があるからなのだろう。半熟で生の部分と火の通った部分のバランスも良く、喉元を滑らかに滑っていく感触がたまらない。
 鶏肉も噛み締めると肉汁が溢れ、歯応えはあるけれど噛むと柔らかく喉越しがいい。鳥皮と脂が嫌味無く後味がいいのも鶏がいいからなのだろう。しつこく無いが濃厚な脂分を感じ、皮はコラーゲンが固まってる感じとでも言えばいいのか。
 出汁は大分、九州という事で濃い味の甘辛風である。というか、甘い。しかし、これが卵と白飯に合うのだ。蒸らしの重要性を実感する一体感に箸も進もうというものだ。
「…………まだ?」
 っと、悪い。丼を抱え込んで一気にかっ込もうとしてしまった。とっくに空になった皿を前にした有希に睨まれそうになっちまったぜ。謝りながら有希の分を取り分け、落ち着けるつもりで吸い物に口をつけると、
「うまっ!」
 これは油断していた。とんでもなく美味いぞ、この吸い物。恐らく丼と同じ鶏を使った出汁を使った吸い物は濃厚にして後味はサッパリ、具材に入った鳥皮も柔らかくて喉に吸い込まれそうだ。
「…………」
 ああ、分かってるから袖を引っ張るな。ちゃんと取り皿は枚数を用意してもらってるんだ、そっと吸い物も取り分けると有希は豪快に持ち上げて一気に飲み干した。うわ、メチャクチャ目が輝いてる。
「真理を見た」
 そうかい。地球の食事は宇宙にどのように報告されているんだろうな、などとくだらない事を思いながらも、これもいい塩梅の漬物を齧りながら有希の旺盛な食欲を見て微笑みたくなってくる。何だかんだで、俺は有希の食べている姿が好きなのかもしれないな。






「ごちそうさま」
 お粗末さまでした。名残惜しさすら感じる程に美味かった昼食を終え、いざ会計となって財布からなけなしの札が消えていったのだが、今日は惜しいと思わなかった。
 本当に美味いものを食うと、人間というのは心が広くなるものなのかもしれない。それに、俺の愛する恋人が満足そうな顔をしているのを見れたんだ、最高のランチだったと言うしかないだろ?
「…………また」
 そうだな。不思議探索が無ければもう少しは通えるかもしれないが、あまり慣れてしまって有希の美食魂に火が点いても困るかもしれないぞ。
「まあ、月に一回くらいはこんなのもいいかもな」
 サイズの問題もあり、普段は窮屈な思いもさせてしまう恋人が喜んでくれるのならば、財布との相談だって幾らでもやってやるさ。
「ありがとう」
 素直なお礼を言ってくれる小さな恋人を肩に乗せ、俺は午後の散策を楽しむのであった。




















 余談であるが、俺達の話を聞いた長門が我慢出来ずに朝倉と喜緑さんを誘って同じ店に行き、俺達もご相伴に預かってしまって、朝倉が「お小遣いが……」と泣きそうになったのはまた別の話なのである。