『SS』 ちいさながと・アーケード

 小春日和の日曜日。季節は春というものをほぼ感じさせないままに初夏を迎えつつあるのだが、これだけいい天気で暖かさを感じれば矢張り表現としては小春日和というのが相応しいもんだ。
 そんなぽかぽか陽気に誘われた訳でも無いのだが、俺達はのんびりと散歩中である。肩の上には俺の恋人、長門有希が座っているのもいつもどおりだ。
 別にデートだなんて肩肘を張るようなもんでもない、最近は週末にブラブラと出かけるのも定番となっている。何となく彼女と歩いているだけで満足している自分にも驚くのだけどな。
「あなたといるだけで、わたしは満足している」
 なんて言ってくれる彼女に色んなものを見せてやろうなんて、おこがましいのかもしれないのだけど。
 適当に歩くのは遠出をしている訳ではない、精々バスで行ける範囲で。つまりは俺のよく知る景色であり、有希がまだ見たことの無い景色だったりするようなそれである。
 どこかで飯でも食ってもいいけど、そんな気分でも無いくらいの気だるさだ。有希と二人で目的も無いままの散策は毎回こんなもんで、昼飯を食ったら帰って昼寝したりもするし、何となく有希の服を決めて長門のマンションで再構成してもらったりもする。本当に適当すぎる散歩で適度な運動と心地よい疲労感で有希と共に過ごす時の流れに小さな幸福を感じたりもする。
 何度も通った道だから、別段見るものなんか無い。そのくらいでいいのさ。なんて思いながら、思うこともないけどという思考のループすら鬱陶しいくらいに有希との散歩を楽しむ、というよりも俺と有希が二人でいるのは最早当然ではなく必然であるのだから何で歩いてるんだ、俺は。と問えば、有希と一緒だからだとしか答えられないのだからいいじゃないか。
「そう」
 そうだ。結構どうでもいい話だな。
「それは違う。あなたがわたしを想ってくれる言葉は全てわたしのメモリに永久的に保存される」
 それもそれで恥ずかしいぞ。とにかく俺は有希がいればそれでいいんだ、散歩は何となくついでだ。うむ、これも恥ずかしいセリフだな。





 だらだらお散歩でどこか店に入るのも何なので、買い食いでもするかと店を探していて、ふと目をやった通りに違和感を感じる。
「あれ?」
 いや、毎日とは言わないまでも幼い頃から何度も通った道なんだ。どこに違和感を感じてるんだ、俺は? しかも、ここは久々に通る訳ではない、つい先日も有希と二人で前を歩いているんだぞ。
 まさか、ハルヒの力で何か街並みの情報操作でも行われたんじゃないだろうな。などと不安に陥っていると、
涼宮ハルヒの能力発動は感知されていない。わたしが先日あなたとここを通過した時と気温、湿度等の状況的な変化以外は物理的に建築物の移動及び廃棄の形跡は無い」
 有希の言葉に間違いは無いだろう。では、いきなり感じてしまった俺の違和感は何だ? 足を止めて周囲を見渡してみても何も変わりは……
「あ、そうか」
「どうしたの?」
 いや、違和感の正体に気がついただけだ。見上げた先にあるものが無かったんだよ、あんなに大きなものだったのにな。
「この通りはアーケードだったんだ。屋根が無くなってたから随分明るくなったんだよな」
 そうだ、ここは商店街でオンボロのトタン屋根みたいな(といっても通り全体を覆っているのだから、かなり大きなものだが)アーケードがあったんだ。
「そう」
 有希は頷いたが、多分一緒に歩き出した頃には既にアーケードは撤去されていたのだろう。そうでなければ真っ先に指摘していたはずだ。
「この通りに関する情報を検索した結果、あなたの言っているアーケードが撤去されたのは約二年前」
 そうか。だとすれば有希は俺と付き合う前にここを通った事が無いのだからアーケードの存在を知らなかったのも無理は無い。しかし二年も前だったとはな、それ以降も俺は何度も通っているのに今更気付くとは変な気分だ。案外大きすぎる変化というのは気付かないものなのかもしれない、ちょっとしたアハ体験だ。
 そう思えば感慨深い、俺は何となく有希を頬に寄り添わせた。
「俺がガキの頃はまだアーケードは綺麗なもんでさ、急に雨が降ってきたら必ずここに避難してたんだ。近くに本屋もあるし、ちょっと歩けばスーパーもあるだろ? 子供が遊ぶにはいいとこだと思うぜ。今はどこに買い物に行くのも遠出してもっとでかい施設に行くけどな」
 お袋に連れて行ってもらうスーパーのおもちゃ売り場なんかが最高のスポットだった頃なんかは、帰り道のアーケード街は花道のようだった。通りを抜ければ別世界がある、なんてトンネルじゃないけど思ってみたりしたもんだ。
「そういや、最後にアーケードから雨漏りしてたのを見たな」
 白かったはずの屋根が灰色になり、傘を差さずに歩くためのはずのアーケードで傘の華が咲いていた。舌打ちしながら見上げた屋根はもうそこには無い。
「老朽化してたからな、危ないから撤去したんだろうな」
 今のご時勢だ、立て替えるという選択肢は無かったのだろう。結果として屋根は無くなり、空が見えて明るくなった。けど、どこか物足りない。よく見たらシャッターも閉まってる店が多いな、前を通ることはあっても中に入る事は無くなっていたから気付かなかった。いや、気にしなくもなっていた。ここはあくまで通り道でしかなかったのだから。
 アーケードが無くなった通りは、ただの道でしかなかった。
 それを実感すると、急に虚しいというか、
「…………寂しい?」
 そうかもな。何となくだけど、自分の大事にしていたもの――――――――カッコつけて言えば想い出ってやつか、そういうのが薄れていくような気がしてな。
「そう。けれど、わたしは記憶はメモリとしてしか認識出来ない。あなたは記憶を昇華している、それは――――――――」
 とても素晴らしい事なのだ。有希は最後まで言わなかったけれど、そう言いたかったのだと思う。永遠とも思えた八月ですら全て覚えていると言った有希にとって、想い出とは自らのメモリとは別のモノなのだから。
 それを俺と共に過ごす事によって知った有希は、想い出というものに憧れているのかもしれない。朝倉や喜緑さんと過ごした三年前を思い出した時の有希の顔は暖かく、嬉しそうだった。ふと、思いついたままを口にする。
「なあ、想い出ってのは美化されるもんらしい。俺がここにあったアーケードの事を思い出したって、本当はあの当時から小汚いトタン屋根だったのかもしれない。けどな? ガキだった俺には、その天井が高くて見上げるだけですげえと思ってたんだ。それは間違いなく覚えてる」
 有希は黙って俺の話を聞いている。そっと寄り添ったままで。
「今こうして有希と一緒にいるのだって、想い出になれば美化されちまうのかもしれない。お前のように正確に思い出す事は不可能かもしれない。けどさ、俺は有希と過ごす時間全部が輝いている想い出になって欲しいとは思ってるんだ。それを一緒に分かって欲しいとも思ってる」
 多分、俺は今日一番恥ずかしいセリフを吐いてるな。けど、偽りの無い本音だ。
 この小さな恋人に、想い出ってものを与えたい。いや、共有したいと思っているのは変わることはないのだから。
「わたしも、今あなたと過ごす時間をメモリと呼ぶ事に抵抗がある。あなたの表情、あなたの声、再生は容易だけど全てが違う。今のあなたを、わたしは好きだから。前よりも、今を」
 ストレートな告白。いつまでもそう言ってもらえる自分でもありたいもんだ、この小さな恋人に。
「なあ有希、この通りの中に昔は小さな玩具屋があったんだ。子供の頃はそこが唯一の遊び場というか、ガキどもが屯ってなけなしの小遣いでプラモデルとか買ってたのさ。まだ残ってるかどうかは分かんないけど見に行っていいか?」
 いつの間にかただの通り道になって、まったく興味を無くしていた道。そこを想い出を確かめに歩いてみる。俺の想い出を恋人に分けるために。
「いい。わたしも興味がある、あなたの幼い頃の想い出に」
 有希が分かりやすく頷いた。どうせ目的の無い散歩だ、こういうのもいいだろう。
 …………想い出巡りの散歩なんてのも、な。





 その後の話だ。なんと通りには玩具屋は残っていた。周りの店はほとんど閉めていたのに奇跡的だな、少し前に潰れない竿竹屋なんてのがあったが同じ理屈なのかもしれない。
 つい懐かしさのあまり車のプラモデル(スポーツカー)なんか買ってしまったが、いつ作るんだ、これ。




 などと思っていたら、いつの間にか有希がプラモを作り上げて車の前でキャンギャルの衣装を着てポーズを取っていたりしたのは全然別の話なのだ。