『SS』 たとえば彼女か……… 19

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囲碁をしながら横目でちらちらと見てくるオッサン達の生暖かい視線に耐えながら、数少ない味方である湯飲みを傾けてお茶を飲む事しばし。
「やあやあ、おっまたせー!」
元気に飛び出してきた鶴屋さんに、ほらほら! と背中を押されて和室に入った俺は、驚きのあまりに目を見張った。
「…………あによ」
何よ、も何も。
パステルイエローのブラウスに白のカーディガン。同じようなパステルブルーのミニスカートにボーダーラインのニーソックス。
えらい美人がそこにいた。少しはにかんだ笑顔が眩しいぜ、ってこれキョン子だ! いかん、さっきまでのラフな衣装と違って破壊力がありすぎる。
「―――――どうよ」
お前もか。
モノトーンカラーを基調としたタータンチェックのシャツに黒のショートパンツ。サスペンダーは肩にはかけないスタイルで。いつも黒いストッキングが白のハイソックスになっている為、見た事のないほど白い生足が見えている。
無表情なのに自慢げに輝く黒い瞳。普段よりも数十倍以上アクティブモードの周防九曜がそこにいた。こ、これがギャップ萌えというやつなのか? 多分違う。
「衣装を変えただけでも印象が違って見えるからね、少なくとも相手が捜す時の目印は変わっちゃったから少しは誤魔化せると思うよ」
そうかもしれないが、この二人だと逆効果になっているような。通りを歩くだけで嫌でも目を引くぞ、これだけ可愛い子が並んで歩いていたら。しかもただ歩くのではない、俺の腕にしがみ付くか俺の背中に乗ってんのよ、なんだぞ。今までもスルーされてたのが不思議なくらいだ。
「ま、せっかくのデートなのにさ、あんな地味な格好っていうのも可哀想にょろよ」
そう言われてしまうと何も言い返せない。逃げる事を前提で動きやすい服装を指示したのだが、キョン子だって可愛い服の方が良かったに決まっている。
俺が買ってやった服が着られなくて寂しそうだったじゃないか。それも忘れていた俺が馬鹿だ。
「でも、やっぱり動きやすい服の方がいいかも。スカートだと走れなくなるし……」
そんなのはどうでも良かったんだ、俺の都合ばかり押し付けてキョン子が望むデートらしさを考慮しなかったなんて男として最悪だ。
それを、今からでもいいから取り返す。俺はキョン子を正面から見つめ、両肩に手を置いた。
キョン?」
「それで行こうぜ。今のお前は正直言って滅茶苦茶可愛いぞ、何だったら自慢しまくりたいくらいだ。俺の彼女は最高だろ、ってな。だからそのままでいてくれ、俺が頼む」
「へ? あ、あたしぃ?! いや、その、えぇ? か、可愛いって、キョンが可愛いって! 彼女だって! あたし、キョンの彼女なんだって!」
「うわお。キョンくん、それは破壊力強すぎるかも。普段のキョンくんを知ってるだけに、威力が三倍増だよ」
「―――――拡散―――――効果の―――――無差別――――爆撃―――――」
何がだよ、とツッコもうかと思ったら真っ赤な顔したキョン子と、同じくらいに赤い顔の鶴屋さんが居たわけで。ええと、俺、変な事言いました?
「―――――私も―――――」
「そうだな、お前も可愛いぞ、九曜。たまには制服以外もいいだろ? 俺もそんな風に色々な私服姿のお前も見てみたいよ」
九曜の頭に手を置いて軽く撫でてやる。さっきまで頭に乗られてたから、お返しだ。
「―――――そう」
そんな俺と九曜を見て赤い顔のキョン子が呟いた。
「な、なんで、さらりとそんな事言えちゃうのかな、こいつ……」
「―――――無自覚―――――ですもの」
ここにきてそれかよ。
「いや、ヤバイね。本当に、単純に、純粋に羨ましくなってきちゃったよ…………やるんじゃなかったかなぁ…………」
鶴屋さんまで何か呟いている。何と言うか、色々とすいませんでした。





「さて、着替えたはいいけど、これはどうするんだ?」
と、言うのも目の前にある袋が原因だ。中身は光陽園の制服とパーカーにジーンズなど。つまりキョン子と九曜が今まで着ていた服である。
「面倒だけど持っていくしかないんじゃない?」
そうだな。結構膨らんでいる紙袋が二つ。荷物って言うほどでも無いけど邪魔といえば邪魔なサイズだな。
「何だったら、あたしが処分してあげるよっ!」
 親切に言ってくれるのは鶴屋さんであるが、流石に申し訳なさ過ぎる。それにキョン子はともかく、九曜は制服なのだから処分されても困るというか。
「いやいや、現役女子高生の脱ぎたての服なんて幾らでも処分方法はあるにょろよ。お代はそれで勘弁だ!」
 待てぃ! そういう意味? そういう意味で処分なの?! キョン子と九曜が着ている服は確かに高そうだけどお金取っちゃうなら今すぐ着替えさせますよ! という間にキョン子は早くも上着を脱ごうとしている。
「あっはっは! ほんの軽いジョークだよ、あくまでも処分するならあたしが個人的に使用するだけだから心配ないって」
 メチャクチャ心配になること言ってる! 個人的使用って何なのだ、それはあれか、植物で例えるところの百合的な何かなのか? その発言、まさか朝比奈さんにも言ってないですよね?!
「ノーコメント」
 禁則事項って言ってくれー! ノーコメントって何か、マジっぽくて怖い。ほら、キョン子がひいてる。ほんとに顔青くしてるって。マジドン引きしてるポニテが膨らんでる。あれは怯えている表現なのだろうか、ちょっと涙目で震えてるキョン子が可愛いのだけど逆効果だよなあ。
 すると九曜がトコトコと鶴屋さんに近づく。やめろ、その人は危険だ、いろんな意味で!
「――――――お姉さま―――――」
 ギュッと抱きしめた。九曜が鶴屋さんを。凍りつく空気、マジでこれは引く。百合なんて二次元で楽しむものであって、本物の、しかも知り合い同士のシーンなんて見るもんじゃない。
「あ、あれ? その、本気? いやいやいやいや、ジョーク! かる〜い冗談だからねっ!」
 抱きしめられた鶴屋さんが真っ赤な顔をして激しく首を振っている。やっぱりからかうつもりだったのか。しかし、こちらには冗談をボケで重ねる芸人がいることを知らなかったようだな。
「ちょっとキョンくーん! 見てないで助けてってばー!」
 あなたが悪いんじゃないですか。と言っても仕方が無いので、抱きしめてほっぺにキスしようとしている九曜を引き剥がした。恐ろしく軽い九曜をシャミセンを持つように片手で首根っこを掴まえて持つ。というか、腕が髪の毛に入りこんでしまって本当に首を掴んでいるのか分からないのだが。まあ、大人しくなったからいいんじゃないだろうか。
「ネコをそういうふうに持っちゃダメなんだぞ」
 ネコじゃない、九曜だ。赤ちゃんで芸人なだけでも変なのに、これ以上属性をくっ付けるような発言をするんじゃない。
「―――にゃん―――」
 ほら、すぐ乗ってくるだろ。それと、そういうのはウチの宇宙人がやってるからもういいぞ。しかも向こうはネコ耳スーツで三人がかりだ。
「―――――無念―――」
 こいつがネコ耳を用意しないことを祈っておこう。用意されれば見ないとは言わない、事は内緒にしておかねば。

 




「いやあ、まさかの返しにさすがの鶴にゃんもビックリ仰天だったよ! 九曜ちゃんは将来大物になるねっ!」
 未完の大器で終る可能性も高いと思うのだが。しかし先程までの騒ぎはどこへやら、いつもの天真爛漫な笑顔に戻った鶴屋さん囲碁教室の先生や皆さんに丁寧な挨拶をすると、俺達をビルの入り口まで送るために階下までやってきていた。勿論、キョン子と九曜の服は着替えたままで、「お金なんか気にしないでね、これはおねえさんからの応援グッズなのだ!」という鶴屋さんの言葉に済まなそうにキョン子が頭を下げただけで、俺には口も挟ませてもらえなかった。
「何から何までありがとうございました、すいません鶴屋さん
 こちらもお礼を言って頭を下げるしかない。鶴屋さんはカラカラと笑い飛ばして、
「いいってことだよっ! キョンくんが困ってるようだし、キョン子ちゃんも九曜っちも可愛いからね!」
 キョン子と俺の頭に頭を乗せてる九曜を見てまた笑う。大人物である鶴屋さんにとっては大した事ない話なのかもしれないが、恐縮するしかない。
「でも、あのキョンくんがねぇ? キョン子ちゃんにメロメロなんてみんなが聞いたら驚くだろうね」
 いや、あの、メロメロって。あからさまに言われると照れるしかないだろ。
「否定しないってだけで信じられないけどね」
 そういうもんか? とにかく俺をイジるのは止めて欲しい、隣のキョン子まで真っ赤だ。俯いて「あの、その、でもキョンがメロメロって、えへへ」なんて呟いてるくせに俺の腕にしがみ付いて離れそうもないのだから。
 そんな俺達を笑って見ていた鶴屋さんだったが、急に真面目な顔になり、
「ねぇキョン子ちゃん、キョンくんの事が好きかい?」
 何の衒いも無く直球で訊かれた。
「はいっ!」
 即答だった。俺が鶴屋さんに何か言おうとする間も無く、キョン子は即答で、最高の笑顔でそう言ったのだ。照れるというより感動さえする。ここまでストレートに好きだなんて言われた事は無かったんだ、しかも面と向かって言ったのはキョン子も初めてのはずなのに。態度で示されてのではない、言葉として好きだと言われることがこんなに嬉しいものだったとは思わなかった。妹から言われたりもするが、女の子から、それもこんなに可愛い子に言ってもらえる喜び。素直デレの破壊力は俺の理性など紙の様に突き破るのだった。
 あまりに早いキョン子の返事に、キョトンとした顔をした鶴屋さんだったのだが、やがて破顔一笑
「そうかっ! いやあ、青春だねっ! 本当に羨ましいな、キョン子ちゃんは!」
 そう言ってキョン子の目を覗き込むように見つめた。
「…………諦めないこと、逃げないこと、聞いてあげること、ちゃんと話すこと、そして後悔しないこと、だね」
「…………はい」
 俺には鶴屋さんの言葉の意味は分からなかったのに、キョン子は全て分かっているかのように頷いた。朝比奈さんもそうだったのだが、キョン子は初めて来たはずの世界で何故か女性と通じるものを感じているらしい。
「よしっ! では、お邪魔虫はとっとと退散してしまうのだ! そんじゃデート楽しんでね、ハルにゃんたちに見つからないようにするんだよっ」
 そう言った時には既に鶴屋さんは駆け出していて、俺達は碌に礼も言えずに残されてしまったのであった。
 しばらく呆然と鶴屋さんを見送ってしまった俺とキョン子なのであるが、
鶴屋さんって…………やっぱり凄いんだね。何でも分かってるんだ、あたしの事も」
 小さく呟くと、ギュッと俺の腕を掴んだ。
「憧れるな、あんな先輩って」
 キョン子が俺を見上げて微笑む。何というか、面映い感じだ。自分の先輩を褒められて嬉しくない訳ないし、それを語るキョン子の笑顔が途轍もなく可憐だったからだ。
 年上の女性に憧れるなんて可愛いじゃないか。鶴屋さんなら、さも有りなんといったところでもある。ただ、あそこまでパワフルにはなって欲しくないかもな。個人的には今くらいの微笑むキョン子の方が好みではある。





 などと衣装の変わったキョン子が改めて可愛いのだと気付かされたりしていると、「おーい」という声と共に先程まで目の前にいた鶴屋さんが走ってくる。 
 何事だ、まさかハルヒにでも会ったのか? と俺達二人が驚いて固まる目の前ギリギリにストップした鶴屋さんは、
「てっへっへ、ちょろんとお代を貰っちゃうのを忘れてたからね」
 俺を見上げるような上目遣いで微笑む。
「え、お代って。やっぱり幾らか払わないとダメですか? 全額はちょっと……」 
 すると鶴屋さんがニヤリと笑う。その笑顔の質の違いに俺は気付かなかった、キョン子が気付いた時には遅かった。
「そんじゃ、いっただっきま〜す!」
 な?! いきなり背伸びした鶴屋さんの顔が近づいて。
 伸ばした両手が俺の首を捉えるように回されてガッチリとホールドされた、と思ったら。
 温かく、柔らかい感触が俺の唇に。
 驚いて見開いた視界には目を閉じた鶴屋さんの長い睫毛と整った鼻筋、特徴的なおでこしか見えなくて。
 つまりは何だ?―――――俺は鶴屋さんにキスされてるのか。そうだろうな、この柔らかさは鶴屋さんの唇以外に有り得ないだろう。
「ん? んん〜っ?!」
 いや、キスされてちゃダメだろ! 慌てて押しのけようにも首に回された鶴屋さんの腕は、男の俺でもビクともしない。
「あ、あわわ…………な、な、何やってんのよーっ!」
 急展開に思考がフリーズしていたキョン子が叫んだ時には鶴屋さんの唇は俺から離れていた。と、言っているが俺も呆然として力が入らなくなっている。
「んっ……ごちそうさまっ!」
 丁寧に両手まで合わせる鶴屋さんに何も言えない俺達。一体この人、何を考えてるんだよ?!
「あ、あ、あのねえっ! せっかく尊敬出来る先輩だって思ってたのに何てことすんのよ、あたしのキョンに!」
 ああ、キョン子が爆発した。しかし、相手はあの鶴屋さんなのだ。
「いやー、最初は応援して見てるだけにしようかと思ったんだけど、何か悔しいっていうか羨ましかったからつい、ね。まあ十分お代は貰ったし、お釣りが出るくらいだよ」
 悪びれずに笑う鶴屋さんに、迂闊にも俺は何も言えなかったのだ。そして、そんな俺を見たキョン子のポニーテールが膨らんで逆立つって、アレは尻尾なのか?
「キョ〜ンっ!」
「あっはっは、そんじゃ後は若いもん同士でごゆっくりー!」
 どうやってゆっくりするんだよ! 待って、鶴屋さん、コレどうにかしてくださーい!
「まったねー!」
「この浮気者ーっ!」
 鶴屋さんがにこやかに手を振って走り去り、俺は脛に激痛が走り抜けていくのであった。キョン子、お前のキックって威力増していってないかー?!
「―――――ニヤリ」
 痛みにしゃがみ込んだ俺の頭越しに九曜が圧し掛かってきて、上から顔が接近してくる。まさか、お前までかよ?
「させるかーっ!」
 キョン子は九曜の頭を掴むとそのまま前方に放り投げた。いや、乱暴すぎるだろ! と思ったら綺麗に一回転して着地しやがった。
「―――――コマネチ―――――」
 いや、そのポーズはいらん。そんな得意気にされても対応に困るだけだから。それよりも、
「おいキョン子、お前あまりにもやりすぎっ?!」
 キョン子に一言言ってやろうと思ったら、凄い勢いで頭を抱きかかえられた。
「フーッ! シャーッ!」
 ポニテを逆立てて九曜を威嚇するキョン子。お前までネコかよ! なんてツッコミはやったら負けだな。キョン子にネコ耳…………今度買っておこう。それはそれとして。
「いいから大人しくしてくれ、俺も油断しすぎた。本当に悪い」
 抱えられてるのを幸いに抱きしめ返すと、
「フーッ!…………あれ?」
 と、やっと落ち着いてきたみたいだな。
「あ。えーと…………ばか」
 いや、本当だ。俺がバカなのか、鶴屋さんがアレなのか、というか何してくれるんだ、あの人は。
「うぅ〜、何か鶴屋さんには勝てないかも……」
 そんなことはない、服などは鶴屋さんが用意してくれたものだけど、
「やっぱり俺にはお前くらいが丁度いいんだよ。ていうか、お前が一番可愛いと思う」
 今まで色々あったが結論としてはそうなる。これは嘘偽りの無い本音だ、素直に好きだって言ってくれたポニーテールが誰よりも似合う女の子はもう一人の俺なんかじゃないのだから。
「え? あ、あぅ〜…………あたしも、キョンが一番だからね?」
 さっきまでの怒りも収まったキョン子がモジモジしながらそっと俺の服の袖を掴む。やばい、本当に可愛い。段々麻痺していっているのか、キョン子に対して可愛いという事にまったく抵抗が無い。だって可愛いじゃないか、ちょっとヤキモチ焼きだけど。
 ああ、と応えて俺がキョン子を抱きしめようとすると、視界が闇に包まれた。目の前が真っ黒だ、しかも顔の前がサラサラと流れる感触でむず痒い。
「―――――つーん―――――」
 はいはい、言わなくても分かってるよ。見えないけどクスクスとキョン子が笑っている。
「大丈夫だよ、九曜も可愛いもんね」
 そうだな、お前も十分可愛いよ。だから髪の毛で視界を遮るのは止めてくれ。
「―――――そう」
 目の前が明るくなる。そして目に飛び込んだのは春の日差しのような温かく優しい笑顔。ハルヒのような眩しさではない、俺を落ち着かせる柔らかな微笑みのキョン子がそこにいた。
「――――――――――」
 背中には乗ってんのよ、の九曜。重くはないけど感触だけは確かにある。
「えへへ、今度こそデートっぽくするんだからね」
 ああ、こんなに可愛い彼女を連れて歩けるなんて人生最高の一日だぜ。当ててんのよ、なんてレベルではなく俺の腕をギュッと抱え込むキョン子に俺は笑いかけた。





 しかし、新たなる危機はすぐそこまで迫っていたのだった。鶴屋さんが去っていった反対方向から迫る脅威に俺達はまだ気付いていなかった。