『SS』 たとえば彼女か……… 18

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「それにしても岡部先生に追い回されるなんて、また何かやっちゃったのかい?」
 路地を抜けて岡部のいる反対側の道に出てきた俺達は鶴屋さんに促されるままに通りを歩いている。キョン子が腕にしがみ付き、九曜が背中に乗っているのにまったく気にしないのが鶴屋さんだ。
「いえ、どうやら教育指導らしいんですけど俺達は目をつけられてるみたいで」
 苦笑せざるを得ない。内申書の中身はとっくに諦めているが、実際にやられると不安になってくるもんだ。岡部がこの後も探し続けるのも仕方ないが週明けまで引きずられないようにはしたいとこだな。
「あっはっは、SOS団は目立っているからねえ。まあ先生にはあたしからも言っておくよ、一応お目付け役がいたよって」
 鶴屋さんは言わずと知れた名家のお嬢様であり、成績面や明るい人柄で学年でもトップクラスの人気を誇っている。当然教師の覚えもよく、朝比奈さんがSOS団で活動出来るのは鶴屋さんの親友であるからだと言われる部分もあるくらいだ。
 つまりは見えないところで俺達を常に助けてくれているのが鶴屋さんなのだ、足を向けて寝れないくらいに世話になってるな。
「すいません、何から何まで」
「なーに、いいってことだよっ!」
 頭を下げても豪快に笑い飛ばす。何事においてもこの方には関係無いようだ、バシバシと肩を叩かれればこっちも笑うしかない。
「それで、鶴屋さんは一体どうしてこんなとこに居たんですか? 助けてもらっておいて何ですけど、一人で出かけるには、」
「もっちろんキョンくんを探してたのさ! みくるに連絡貰ったからね、手分けして探してたんだよ」
 即答だった。というか、可能性として考えられるパターンだったな。朝比奈さんならばまず鶴屋さんに相談するはずだ、未来的に関係ある出来事で無い限りは。
「でも、こーんな可愛い子とデートだったなんてキョンくんもなかなかやるにょろね〜」
 そうか、俺はデートの最中なのだった。腕にしがみ付いているポニーテールはともかく、背中に乗っている女子高生も含めていいのなら。
「ふむ、歩きながらも何だから、ちょろんとおねーさんに付き合ってくんないかなっ?」
 返事も待たずに先に歩き出す鶴屋さん、俺にとっては慣れた行動だが一応キョン子に確認しておかないとな。
「と、いう事なんだが少しだけ付き合ってもらえるか?」
 いつも、というか今日のキョン子ならばポニーテールを逆立てて不満を言うのかと思いきや、
「うん、助けてもらってるしね。それに、あたしも鶴屋さんと話してみたいんだ」
 だから行こう、と逆に引っ張られてしまう事となってしまった。どうやら気に入ったのか? 流石は鶴屋さんだと感心するしかない。
「―――――私は―――――」
 まず背中から降りろ。





 俺達は普段来ることが無いのだが、そこは鶴屋さんである。まるで自分の家の庭のように勝手知ったるといった風で俺達を先導すると、
「ここだよっ!」
 街中を少し抜けたところの雑居ビルの二階を指差した。看板を見ると囲碁教室と書いてある。
「教室なんて言ってるけど、ほとんど老人会の寄り合いみたいなもんさね。うっとこの爺さまが昔から通ってて、ついでにあたしも遊びに来てたんだよ」
 きっと幼い鶴屋さんはこの囲碁クラブのアイドルだったんだろうな。居るだけで皆を笑顔にしてしまう才能を天から与えられたような鶴屋さんはリズム良く階段を昇っていく。
 その後ろを歩きながら、キョン子がそっと呟いた。
鶴屋さんって凄いね、何にも言わないのに全部分かってるみたい」
 そうだな。だけど鶴屋さんだけじゃない。朝比奈さんも含めてウチの高校の上級生は一筋縄ではいかない連中ばかりだと思うぞ。
「かもね」
 キョン子が苦笑して、鶴屋さんがドアの前で手を振っている。俺も笑うしかないだろ、とりあえずは先輩に従うしかないさ。





「やあやあ、お久しぶりっ!」
 ドアを開けて第一声がそれだった。その大声に驚いて顔を上げた囲碁をやっている人たちが、鶴屋さんを見るなり満面の笑顔になる。久しぶり、とか、元気だったか? の声に一々応えながら歩く鶴屋さんを俺とキョン子は尊敬の眼差しで見つめていた。
 本当にこの方は周囲を笑顔にしてしまう星の元に生まれついているのではないだろうか。囲碁をしていた連中の中に見知った顔があると思ったら、SOS団の自主制作映画の時にスポンサーになってくれた商店街の店主さん達だ。どうやら鶴屋さんのネットワークというのはこんなとこでも広がっているらしい。旧家のお嬢様だから、ではない。鶴屋さんだからだ、としか言い様が無いな。
「ちょっとだけ奥の部屋を借りてもいいかな? お客さんと話したいからさっ! あ、お茶とかは勝手に用意するからいいからね」
 この囲碁教室の経営者のような人に声をかけた鶴屋さんは「こっちだよ!」と奥にあるドアを開けた。俺達の爺さんくらいの年齢に見える先生は嬉しそうに鶴屋さんを見ていて、反対する気もないらしい。俺とキョン子も頭を下げて鶴屋さんの後に続いた。
 奥の部屋は畳敷きの和室だった。部屋の隅に囲碁盤と石があるところを見ると、ここも囲碁教室の一室らしい。
「ちっちゃい大会とかやってるんだよ、ここはその為の部屋なんだ。けど、昔っからあたしの昼寝スポットだったけどね」
 笑いながら座布団を用意した鶴屋さんは、「お茶を持ってくるから座ってて!」と言いながら既に部屋を出て行ってしまった。残された俺とキョン子鶴屋さんのお言葉に甘えて座ることにする。ただ、座布団が自分の分を含めて三枚しか敷いてないのは、九曜が背中から降りてこないと踏んでいるのだろうか。
「一応九曜の座布団も敷こうか?」
「―――――いらなーい―――――」
 だから降りろって。無理矢理九曜を引き離そうと思ったら、こいつ引っ付いて離れやしない。何故かキョン子も助けてくれないので一人悪戦苦闘していると、お茶を載せたお盆を持った鶴屋さんが帰ってきてしまった。結局九曜は俺の頭の上である。
「いいね、仲良しさんで。あたしも乗っていい?」
 止めてください、むしろ降ろすのを手伝ってくださいよ。それは断わる! と笑いながら卓袱台を用意した鶴屋さんは人数分のお茶を淹れると俺達と向かい合うように座った。
「さて、何でそんなに面白い事になってるのか訊いちゃおうかな?」
 一番楽しそうな笑顔の鶴屋さんに、俺は何度か使用した言い訳を述べた。所謂中学時代の知り合い云々というものだが、鶴屋さん相手に通用するかは些か不明だ。この『機関』とも繋がりを持っているかもしれない先輩に、俺の中学時代など筒抜けかもしれない。
 だが、ふむふむと俺の話を聞いてくれた鶴屋さんはポンッと手を合わせ、
「それは大変だね! うんうん、それなのにハルにゃんも野暮ってもんだ!」
 何か納得したように一人頷いてくれたのだが、逆に聞き分けの良さが怖いくらいだ。それどころかキョン子の肩を叩いて、
「よしっ! おねーさんに任せときな、キョンくんとのデートをズバッと応援しちゃうにょろよ!」
 などと言ってキョン子の目を白黒させてしまったのだから底が深すぎて見えなさ過ぎる。戸惑う俺達をよそに鶴屋さんは、
「ちょっと待ってて! すぐ用意するから!」
 とだけ言い残してあっという間に部屋から飛び出していったのだった。会話を挟む隙さえ与えてもらえなかった俺達は呆然と見送るしかない。しかし何の用意をするつもりなんだ?
「えっと、どうしたらいいんだろ?」
 待ってるしかないんじゃないか。鶴屋さんが決めた事に逆らうなんて出来ないんだよ、時間は惜しいが置いていく訳にもいかないだろうしな。
「でも、やっぱりカッコいいね。鶴屋さんって、いつもあんな感じなんだ」
「まあな。お前の世界にも鶴屋さんはいるはずだから、もしも会ったならよろしく言っておいてくれ。多分SOS団が世話になってるはずだからな」
 けれどキョン子の世界だと鶴屋さんも性転換して男性になってるのか? それはそれで校内でも人気抜群だろうな、男女共に嫌う人など居なさそうだ。
 …………やっぱりあっちでは鶴屋さんに会わないほうがいいかもな。
「ヤキモチ?」
 かもしれない。だが、鶴屋さん相手にそんな気持ちも持てないぜ。男の俺でも憧れる対象だもんな、多分男になった鶴屋さんになんて勝てる要素が見つからない。
 情けない話かもしれないが、やはり凡人の俺とは住んでいる世界が違うなと実感させられるだろうよ。同性になった鶴屋さんを想像して俺はため息さえ吐きたくなった。すると、キョン子がくすくす笑っている。何だよ、と言う前にキョン子が肩に頭を乗せてきた。
「バーカ、心配なんかいらないわよ。あたしには、キョンだけなんだからね」
 でも、ヤキモチはやっぱり嬉しいかな? そんな事を言いながら上目遣いで微笑まれたら赤面して何も言えなくなるだろ。
「そいつはどうも」
 頭を掻きながらそれだけしか言えなかった。よろしい、と笑顔のキョン子が俺にもたれかかる。散々走ったはずなのに、ポニーテールからは変わらずいい香りがしてきて勝手に心臓が早鐘を撞いた。
 なんていい雰囲気になってしまうと、、
「あちゃ〜、ラブラブなのはいいけど、見せ付けられちゃうとおねえさん困っちゃうなあ」
 全然困っていない鶴屋さんの声で俺達は慌てて離れて座るのだ。そんな俺達をニヤニヤと笑って見ていた鶴屋さんは、
「まあ、そういう事は後でゆっくりやってくれればいいよ。それよりキョン子ちゃんと九曜ちゃんをちょっと借りるからね」
 そう言ってあっさりと俺の背中の九曜を引っぺがすと、
「ほいほい、ここからは男子禁制なのだ!」
 と、俺を部屋から追い出してしまった。あの九曜が大人しく従うというだけでも凄い話なのだが、キョン子まで唯々諾々と鶴屋さんについていくのは寂しくないか? とはいえ、男子禁制と言われてしまえば唯一の男性は部屋の外で待つしかない。