『SS』 たとえば彼女か……… 17

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「…………何で? あたし、この人に見覚えがあるような気がする」
 キョン子のしがみ付く力が増している。多分見たことがあるはずだ、向こうでの古泉と会っていれば。北高生以外は性転換していない(何故か妹を除く)キョン子の世界において、新川さんに変化はないのだろう。
「あの人は、新川さんだ。『機関』の人間と言えば分かるな?」
「古泉に連れ出された時の運転手…………」
 やはり心当たりはあったらしい。本能的になのか、俺の後ろに隠れようとするキョン子。それを庇うように前に立った俺は意を決して新川さんと対峙する。
「一体どうしたんですか、新川さん? 時間なんて言われても俺達はまだ帰るつもりなんて無いですけど」
「理由まで話す必要はありません。ただし私は森ほど甘くもありませんよ」
 話しながらドアの開く気配、新川さんが車外に出る前に! 咄嗟にキョン子の手を掴んだ俺は振り返らずに走り出した。
キョン?!」
 キョン子が何か言おうとしたが、それどころではない。とりあえず新川さんから逃げてどこかに隠れて、
「何処に行くんだい?」
 物陰から出てきた人物に俺とキョン子の足が止まる。しまった、この人までいたのか!
「僕も一般人である君にここまでしなくてはいけないのは心苦しいんだけど、君はそうされる理由も分かっているはずだね」
 分かりたくはないけどな。それにあなた達がここに居る理由も分かりたくはなかったぜ。背後からは新川さんの気配が迫る。
「どいてください、は無理ですよね」
「当然だね」
 久しぶりに会った多丸 圭一さんは警察官の衣装ではなくサラリーマン風だったが、立ち昇る雰囲気はあの時の森さんを彷彿とさせる迫力だった。普通の衣装で笑顔なだけに恐怖心が増してくる。
 咄嗟に逃げ道を探そうと視線を泳がせたが、逆効果でしかなかった。圭一さんが現れた反対方向からゆっくりと歩く人を見つけてしまったからだ。やはりというか、単純に逃げ道を塞がれたな。そして田丸圭一さんと新川さんとくれば、
「やあ、久しぶりだね。元気そうでなによりだ」
 そのセリフは別の機会で聞きたかったぜ。多丸 裕さんはラフな格好でジーンズにジャケットを羽織っている。キョン子を後ろに庇おうとしたが、背後にも新川さんがいる。
「ね、ねえ、キョン…………誰なの、この人たち?」
キョン子は知らないだろう、もしかすると橘の『組織』にも似たような連中がいるのかもしれないが俺たちの世界では無関係だ。つまり、キョン子からすれば無関係の人間に取り囲まれた事になる。
「『機関』の連中、と言っても分からないだろうな。俺から見れば味方だとばかり思ってたんだが」
「さっきのメイドさんの仲間なんだね…………あたしが邪魔、ってことか」
あちらの理屈ではそうなるのだろう。世界の安定を望む『機関』はハルヒの精神状態が平穏であればいいのであって、キョン子の存在はその安定を崩しかねないイレギュラーに過ぎないのだろうからな。
だが見てみろ、キョン子の不安に満ちた目を。森さんは同じ女性だったのもあるが、今は男三人に囲まれて自らの存在を否定されようとしている女の子を。こんな顔をキョン子にさせてまで平穏な世界なんか俺は望まない、多分ハルヒだってそうだ。あいつはどんな理屈をつけようが、みんなが笑っていられる世界しか興味はないんだからな。
「申し訳ありません。但し、こちらの世界には異世界人を住まわせるほど余裕はないのです。万が一、最悪の事態を常に我々は想定しているのですからな」
理屈は分かるさ、俺もいきなり異世界人なんぞ現れたら出来るだけ速やかにお帰り願いたい。
だけど、なんだよ。しかし、でも、だが、でも接続詞は何でもいい。
こいつだけは、キョン子だけは別だ。特別なんだよ、こいつは俺でもあり、俺ではなく、俺がここに居て欲しいと願う人なんだ。そしてキョン子もそう思ってくれている。それだけで充分だ、この状況から逃げ出す理由として。この女の子を不安な表情にさせただけでも、俺は『機関』と対立する決意を固められるんだ。
「悪いけどデートの最中なんでね、終わったら自慢話だけは古泉の奴に言っておくから勘弁してくれないですかね」
「…………十分楽しまれたのでは?」
「んな訳ねえだろ、まだまだお楽しみはこれからってやつさ!」
言うと同時に俺はキョン子の手を引いて走り出す。キョン子も分かっていたように速度を併せてくれるのは流石俺だとしか言えないぜ。
「おっと、あまり手間をかけさせないでくれよ」
やはり急な動作にもついてくる田丸兄弟が行く手を遮る! が、
「九曜!」
キョン子の呼び声に、
「―――――とう―――――」
俺の背中から九曜が飛んだ。いや、もうちょっと早く動いてくれても良かったんじゃないか?
「おおっ?!」
驚く『機関』の三人。まさかと思うが気付いていなかった? 九曜ならありえる話なのだが、それはそれで酷い。だが、そこで怯んだ田丸兄弟の間を俺とキョン子がすり抜ける。
「九曜、何とかあいつらの気を引いて!」
「―――――承知―――」
なんか無駄にカッコいい返事をした九曜が三人の前に立ち塞がる。『機関』にいるのだ、九曜が何者なのかは分かっているのだろう。距離を置いた三人と九曜の間に緊張感が走る。俺も思わず息を呑んだ。
ゆらり、と九曜の手が上がる。何か情報操作でもやる気なのか?!
「―――――さ〜て―――――みなさま―――――お手を―――――拝借―――――」
はい? 何も前フリ無しでいきなり言い出した九曜は、何故か手拍子を始めてしまった。
独特のリズムで手を叩く。どうやら節回しもあるようなのだが、こんな感じで。
素早く二回、間を空けて一回。
パンパンで、パン。
違った。
パパンで、パン。
「―――――パパンが―――――パン―――――」
まさか。
「―――――パパンが―――――パン―――――」
同時に片足を後ろに上げて両手を伸ばして腰を折る。ちょうど片足立ちで地面と水平に体を倒すような形で。で、戻って手拍子。
「だーれが―――――ころした――――――――――」
同時にさっきのポーズ。
「―――――クック―――――ロービン―――――」
ポーズ。
「―――――あっそーれ―――――」
扇子を広げて飛び跳ねる九曜。どこから取り出した、その扇子!
「っていうか、そのネタをここでやるかーっ!」
まさかの常春である。
「心晴れ晴れと―――――愉快な気持ちに―――――なるわ―――――?」
なるかぁ! 選りによって微妙すぎる古いネタ持ち出してきやがって、誰が同調するんだよ!
「―――――あれに」
そこには執事服を着たロマンスグレーの紳士が珍妙なポーズを取っていた訳で。
「あんたかぁ!」
「い、いかん、つい体が」
 何でだよ。しかし、これで勢いづくのが芸人根性なのだ。
「―――――パパンが―――――パン―――――」
 うわ、再び手拍子始めやがった!
「―――――パパンが―――――パン―――――」
 ポーズ。で、何で一緒にやってんだろう、新川さん。
「だーれが―――――ころした――――――――――」
 言いながら無理矢理圭一さんにポーズを取らせようとする九曜。抵抗虚しく間抜けな格好になる圭一さん。
「―――――クック―――――ロービン―――――」
 珍妙なポーズの九曜と新川さんと圭一さん、何故そこまでやるんだろう。
「―――――あっそーれ―――――」
 扇子を持って飛び跳ねる九曜と、後ろに新川さんと田丸兄弟。兄弟?!
「なんであんたはノリノリなんだよー!」
 恐るべし裕さん、いつの間に馴染んだのだ? とにかくさっきまでのシリアスモードは一瞬にして崩壊したのであった。
「今の内に逃げるよ!」
 あ、ああ、ツッコミに夢中で気付かなかった。そう言えば逃げる途中だったんだっけ。キョン子に引っ張られて走り出す。
 振り返ると三人のいい大人が変なポーズだった。『機関』の皆さまには済まない気分だな、後で何か持って行ってやろうかなあ。
「作戦―――――成功―――――」
 いつの間にか背中に張り付いた九曜が頭越しに威張っているのだけど。
「いや、何であんな展開になったんだ?」
「シリアス―――――なんかに―――――させるかよ―――――」
 天蓋なめんな、以来の暴挙だ。九曜の主張に確固たる信念を感じるな、正しいのかどうかは逃げ切れてから考えることにする。
「ねえ、キョン?」
 なんだ、キョン子
「さっきのアレって何だったの?」
 ああ、知らないのか。アレはクックロビン音頭だ、主に常春の国で風習にはならないまでも一世は風靡したんじゃないだろうか。
「あ、何かヨガの効果で心晴れ晴れするっていう」
 そんなタマネギ経由な情報は信じられないけど、ハレハレユカイな気分にはなったんじゃね? 『機関』の人はストレス溜まってそうだからなあ。





 と、いう事でどうにか新川さんたちを撒いた俺達なのだったが苦難は続く。というか、登場人物を無理矢理に出そうとしているとしか思えない。どんな意図があれば偶然が続くことになるんだよ。
「―――――リクエスト―――――募集中―――――?」
 してません。受け付けてませんから! 大変だろ、逃げてるだけなのにこれだけの人に遭うなんて。どんなエンカウント率だ、って、
「お、キョンか」
 え、まさか。
「どうしたんだ、こんな所で」
 それはこっちのセリフなんだけど、いつものツッコミなど出来るはずない。何故も何も、
「あ、こんちわっす」
 一応挨拶だけは欠かす訳にもいかないんだよ。何でクラスの担任がこんなとこをうろついていやがるんだ。ハンドボール馬鹿の岡部に遭いたくない場所で遭ってしまう偶然などあってたまるか。
「せ、先生こそどうしたんですか? 飯でも食いに来たとか」
 プライベートに踏み込む気などさらさら無い。まったく興味無い。欠片も興味が湧かない。ていうか、居なくてもいい。
 しかし岡部はニヤリと笑うと、
「いいや、お前みたいな奴を探していたんだよ」
 などと言いやがる。何だ、ハンドボールのスカウトか? 暇な奴を捕まえては自分の趣味に巻き込むつもりなのだろうか。断固として断わる! と柔らかい表現で言おうとしたのだが、
「今週の担当になったからな、見回りしていたんだよ」
 何? 見ると岡部の左腕にはウチの団長ばりに腕章が巻かれていて、そこには『指導員』の文字が。って、ヤバイ! こいつ、教育指導員かよ! つまりは素行不良な生徒などを探していたという事であり、校内の悪評高いSOS団の構成員である俺は格好のターゲットって訳だ。通りで声をかけてきたはずだ、普段はハルヒの勢いに押されて何も言えないみたいだしな。
「お前ら、今日は何をしてたんだ? どうやら涼宮の姿が見えないようだが他校の生徒まで巻き込んでいるようじゃないか」
 状況が分からずキョトンとしていたキョン子が「あたし?」とばかりに俺を見る。多分、俺は青い顔してると思う、キョン子が心配そうに眉を寄せてるのが申し訳ない。かといって今すぐに説明も出来ないから立っているしか出来ないのだが。
「まあいい、時間があるなら付き合え」
 時間が無くても付き合わせる気満々じゃねえか、痛くもない腹なんぞ探られてたまるか。それに岡部に捕まって説教されたなんてハルヒにばれたら今度こそただじゃ済まない、下手すればハルヒが職員室に乗り込んでSOS団全員停学なんてありえてしまう。
「いや、ちょっと立て込んでますから! また月曜にでも学校で聞きます!」
 言うと同時にキョン子の手を取って走り出していた。「え? え?」訳の分かってないキョン子は俺に引っ張られながらも頭の中に疑問符だらけのようだが、説明は後だ。
「こら、キョン! 待て!」
 言わずと知れたハンドボール馬鹿は単純にも俺達を追いかけてくる。くそっ! 体力勝負で勝てるわけねえ! あっという間に距離を縮められそうになって、
キョンくん、こっち!」
 うわっ! いきなり伸びてきた手に引っ張られて俺達は路地に入り込んだ。勢いがあったので腕が痛いが、岡部が探し回っているのが見えたので助かったのか? しかし一体誰だ、俺を引っ張ったのは?
「いやあ、何だか分かんないけど助けちゃったよ! でも大丈夫? 思いっきり引っ張っちゃったけどさ、まあ無事なら何よりっ!」
 え、その声は? 
「え、えっと…………誰なの?」
「お? どうしたんだい、キョンくん〜。えらく可愛い子ばっかり連れちゃってさぁ。こりゃモテモテくんに、おねーさんも紹介してもらっちゃわないとね!」
 モテモテくんって。しかし助けてもらったのは事実だし、この人に言われると怒る気にもならなくなるさ。
 苦笑する俺と驚いているキョン子、無表情な九曜の前で。
 北校の頼れる先輩、鶴屋さんは豪快な笑顔で立っているであった。