『SS』 たとえば彼女か……… 12

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そして俺達はENOZの皆さんが借りたと言う貸しスタジオにいるのだが、意外な事に雑居ビルの二階なのだ。俺はこういうことには詳しくないので分からないが、何でも結構あるそうだ。カラオケ屋が潰れたりした後に防音設備があるのでそのまま利用したりしているらしい。
「交通も便利だし、借りるのも結構安いんだよ。機材の持ち込みが面倒だけど、ここは一応一通り揃ってるから」
岡島さんのドラムだけは搬入してしばらく置いてもらえるようにしているらしい。普通あんなでかいもんを置くスペースは無いもんな。
「大学が違っちゃったから週末くらいしか時間ないけど、活動そのものを辞める気も無いから共同でここを借りてるのよ」
ギターの弦を調節しながら中西さんが事情を説明している。俺はそれを聞きながらぼんやりと卒業後の事に思いを馳せていた。
もしも卒業したらSOS団はどうなるんだ? ENOZのようにどこか拠点を作って皆で集まるのだろうか。あのハルヒが卒業即解散なんて言い出すとは思えないが、朝比奈さんは来年卒業する。ENOZの今は、俺達の未来の姿でもあるかもしれないのだ。
「大丈夫だよ、ちょっと離れたけど皆ここにいるって決めたんだから。私達が自分で決めたように、キョンくん達も自分で決められるよ」
「SOS団だっけ? あの涼宮さんだからね、きっと無理矢理にでも居場所を作っちゃいそうだけど」
文化祭の時もそうだった、と笑っている先輩達を見て何となくだが大学生になった俺やハルヒがSOS団なんてまだ名乗りながら歩く姿を想像し、思わず微笑んでしまった。そうかもしれない、どこに行こうが俺達は俺達なのだから。
「ん…………」
気が付かないうちに俺の隣に座っていたキョン子に袖を引かれた。どうした?
「ちょっとだけ、羨ましかったの。ああ、ここはキョンの居る世界なんだなって。そしたら、あたしも卒業して佐々木たちと一緒に居られるのかなって思ったら急に寂しくなって……」
女の子になった俺は繊細なのかもしれないな、キョン子は涙を浮かべそうになった目をこすっている。ハンカチをミヨキチに貸したのは失敗だったのかもしれない。すると、傍らから白いハンカチが。
「え?」
周防九曜がハンカチを持っていた。ありがと、と受け取ったキョン子が目を拭う。落ち着いたキョン子に九曜が静かに語りかけた。
「私には―――――有機生命体の―――――時間の概念は――分からない―――けれど―――――有限たる―――――あなた達は―――――とても―――――綺麗―――――よ?」
「九曜……」
「―――――大丈夫―――――私は―――――ここにいる―――――」
「うん、ありがと九曜。あたしもお前と一緒に居たいって思ってるよ」
いつものボケが無い九曜の言葉に素直に頷くキョン子。そして俺も感動していた。あの九曜がキョン子の為に拙いながらも伝えた言葉に。
あいつも、そう思ってくれているだろうか。いや、そうだろうと俺は信じている。俺達の大切な仲間の宇宙人は九曜と同じ様にずっと一緒なのだと。
「だからこそ今を一生懸命楽しまないとダメだぞ! 思い出したときに笑える様にね」
岡島さんの言葉に、
「はいっ!」
キョン子が大きな返事をして、ENOZの四人が笑っている。





…………いつか大人の朝比奈さんが言っていたな。全てが思い出になっていくのだと。
ならば、今この時も俺の美しい思い出として蘇るのだろう。
明るく笑うポニーテールが似合う少女と、無表情だけど皆を大切にする黒髪の少女との出会いも。





「さて、先輩らしい事も言ったから練習するよ!」
照れくさいのか、岡島さんが声を張り上げたところで俺達はENOZの練習を見学させてもらった。
 ライブも参加させて貰った事もあるのだが、これだけの至近距離で演奏を聴くのは初めてかもしれないな。あのライブの時は自分の事だけで頭が一杯だった感もあるから、何も考えずに聴く事が出来て感動も一入だったりもする。
 岡島さんのドラムがビートを刻み、財前さんのベースと中西さんのギターがメロディを奏でる中で榎本さんの力強いボーカルが腹にまで響く。あの時よりも迫力を感じるのは距離だけのせいじゃないだろう、俺みたいな素人が言えるもんじゃないが確実にENOZの演奏が上手くなってると思った。
 何度か演奏を止めては話し合う四人。そのやり取りを俺達は興味深々で眺めていた。特にキョン子は中西さんに質問などしているくらいだ、あいつギターに興味なんかあったのか。俺はさっきまでの逃走に疲れていた事もあり、床に座り込んでその様子を眺めているのに元気なもんだ。そういえばキョン子たちの文化祭ってどんなものだったんだろうか、今度訊いてみるのもいいかもしれない。
若干疲れが出てきたのか、大きく背伸びをして欠伸が出てしまったところに、はいっとペットボトルが飛んできたのだ慌ててキャッチする。
「随分お疲れみたいね」
気が付くと中西さんが隣に座って苦笑していた。これも中西さんが投げたらしい、お礼を言って財布を取り出そうとすると、
「いいよ、後輩くんに奢ってあげるから」
なんていい人だ、奢ることはあっても奢られる経験の少ない俺は素直に先輩の好意に甘えておくことにした。スポーツドリンクが喉を潤す中で見るとENOZのメンバーはそれぞれ個人で練習を始めたようだった。
中西さんは休憩らしいが、キョン子は今度は榎本さんと話し込んでいる。初対面のはずなのだが、俺でもあるから気安いのだろうか。何の話で盛り上がってるんだか。
九曜はというと、何故か財前さんのベースに釘付けなのだ。最初はやりにくそうにしていた財前さんも今は指の使い方を九曜に説明していて、九曜はいつもの無表情でそれを聞いている。
そういえばあいつもトレースしただけと言いながらギターに愛着を持っていたようだったな。九曜の場合はそれがベースなのかもしれない。但し、あいつはプロも顔負けの演奏だったのだが、どうしても九曜だと上手く弾けない絵面しか浮かばないのはご愛嬌ってとこだろう。
「いい子だね、あの子たち」
「すいません、何かお邪魔みたいで」
中西さんの言葉につい頭を下げると、笑顔で首を横に振られる。
「こうやってギターとか音楽に興味を持ってくれるのって嬉しいよ。SOS団だっけ? 皆にも助けてもらったし、あれからやっててくれたらいいけど」
SOS団としてバンドをやる機会というのは無かったが、ハルヒの事なのでいつ急に言い出すかは分からない。それにまあ、楽しんだのも事実だ。だから、そうですねと頷いておく。
何よりもキョン子と九曜が楽しそうなのだ、近いうちにお鉢が回ってくるかもしれないな。
最早押入れの奥にしまってある楽譜を再び引っ張り出さねばならないのかと思いながらペットボトルに口をつけた時だった。
「で、どっちがキョンくんの彼女なの?」
盛大に吹いた。危ない、もうちょっと口に含んでいたら大惨事だぞ! というか、気管に入った!
「な、な、何を?」
「だって、どう見たってデートなのに二人もいるからどうしてかなって。彼女が友達呼ぶってのもアリだろうけど本命はどっちなんだろうって思っただけよ」
思わないでください! 思い切り咽びながらも、鋭いというか良く見てたなと感心するしかない。ここは呼吸を整えて上手く返そうとしたのだが、
「てっきり涼宮さんと付き合ってると思ってたのに意外だったなあ」
などと言われてしまい、またも咽ぶのである。何で俺がハルヒと付き合ってるって事になってるんですか?
「え? 違うの?」
そんな意外そうに言われても。俺が反論しようとすると、
「だから言ったじゃん、貴子ー。キョンくんは涼宮さんとは付き合ってないって」
救いの手を差し伸べてくれたのは岡島さんだった。そうですよ、俺はハルヒとそう言った意味でのお付き合いなどしていません。助かった、と思ったのもつかの間、岡島さんは笑顔で、
「あのギターの長門さんだよね、キョンくんの彼女」
なんでそうなるんだよ。あいつは俺の恩人でもあり、大事な仲間であって、お付き合いとかいうものではない。それにあいつが恋愛というものを理解しているかなど俺に分かるはずないじゃないか。
「違うって、キョンくんは朝比奈さん狙いだもんね」
「ああ、あの子は可愛いよね」
混ぜ返さないで下さい、榎本さん! 大体朝比奈さんが俺なんか相手にするはずないじゃないですか。それにあの人には事情もあるのを俺だけは知っている、それは辛いだろうと思うから余計に不憫に思っているのに。
などという俺の意見など、もう聞きそうもない先輩方が勝手に人の彼女をSOS団のメンバーに固定していく中で、それを是としない奴がいるのを忘れていないだろうか? そいつは当然のように俺へと飛びつき、
「あたしのキョンなんですからっ!」
とポニーテールを逆立てて威嚇するのだった。いや、あの、先輩方を前に恥ずかしいから止めてくれないか、キョン子。それを見て囃し立てないでください! 榎本さんの指笛に顔が赤くなるしかない。おまけに、
「―――――私は――――彼の――――――所有――――だったり―――――?」
などと言いながら乗ってんのよ、を実践するな。頭の上に胸を置くんじゃない、というか乗るな、九曜!
「おお、キョンくんって……」
「なかなかやるわねぇ」
「いや、青春ってやつじゃない?」
皆さん勝手な事言わないで。キョン子も九曜も俺にくっ付いて離れなくなってしまい、それを三人がニヤニヤと見ているという世間体ゼロな光景に、俺は泣きそうになりながらため息をつくしかなく。
「………………ちょっと残念かな、そこに居なくて」
という財前さんの呟きに「何ィッ?!」と全員が注目してしまったところで有耶無耶に練習は再開されたのであった。な、なんか休んだ気がしない…………





まあとにかく色々あったものの、練習時間としては一時間弱でスタジオから退出と相成った。それぞれが時間をやりくりする中で、短いながらも集中して出来るだけ会おうということらしい。
「なんて言いながら明日も会うんだけどね」
中西さんの苦笑は照れ隠しなのかもしれないけれど、俺はそれを羨ましく思う。それは、
「いいな………………明日も会えるんだ…………」
俺の腕にしがみ付く彼女の小さな呟きが聞こえたからかもしれない。
「彼女、大切にしてあげなさいよ」
榎本さんの言葉に、俺は何も言わずに頷いた。
ENOZの皆さんとはビルの入口で別れる。最後まで手を振ってくれた先輩方に感謝しながら、
「行くか」「ん」
俺はキョン子の手をしっかりと繋ぐ。指と指を絡ませて。
さて、目的地などはないけれど、もう少しだけこうしていたい。だから俺達は歩くのだ。





と、感慨に耽ろうとしていたのに、雰囲気をぶち壊すような着信音が携帯から鳴り響いた。何だよ、いい感じだったのに。と、思いながら携帯を開くとメールだった。
『今度またライブに来てね、キョンくんなら大歓迎だから』
うん、大変ありがたい話だな。タイミングさえ良ければ。
「ええ、送ってきたのが財前さんってのは何でなのかなーって思うんだけど」
ええと、それはENOZ代表って事でいいんじゃないでしょうか? あれ? 嫌な予感する。
「うっさい、浮気者っ!」
結局無実の罪で三回目の激痛が俺の脛を襲ったのであった。だから何でなんだよって!