『SS』 たとえば彼女か……… 11

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 全力で駅に向かっていたはずなのに想像以上に時間がかかった気がするのは、妹の我がままとキョン子とミヨキチの張り合いと九曜の無反応のせいなのだが、それでも奇跡的にアラームの音は遠ざかったまま、俺達は駅へと辿り着いた。
ここで電車に妹達を放り込んで俺達は再び街中へと逃げ込むのだったが、言葉にすれば短いこの間のやり取りも大変なものだったのだ。というのも、
「え〜? だったらキョンくんたちも帰ろうよ〜」
という妹の発言からだった。見ると九曜の手を繋いだままで、九曜自身も何も言わないが妹に懐いているようでもある。こちらとしてもハルヒを確認している以上は脱出するのも手段だろうと思っていたのだが。
「ゴメンね、あたし達はまだ用事があるから先に帰ってて」
などと、いきなりのキョン子の発言に驚くこととなる。おい待て、用事って何だ? そんな事よりここから移動する方が正解じゃないか。
しかしキョン子に俺の小声での忠告は聞こえなかったのか、
「ここからはあたし達だけで行かなきゃだからね? それに妹ちゃんが帰るの遅くなったらお父さんとお母さんが心配するから。あ、ついでにキョンは帰りが遅くなるって言ってくれると嬉しいかな」
妹にそれだけ言ってしまうと満面の笑顔で頭を撫でてやる。
「うん、分かった! キョン子お姉ちゃん、キョンくんをよろしくね」
何故かキョン子に対してだけは聞き分けのいい妹は頭を撫でられて嬉しそうに頷いた。お兄ちゃんの言うこともそれだけ聞いてくれると嬉しいんだけどな、それとキョン子にだけお姉ちゃんと付けるのも些か寂しいものがある。
「お義父さんとお義母さんによろしくね、義妹ちゃん」
「はーい、キョン子お義姉ちゃん」
…………何かニュアンスが違ったような気がする。いや、声で分かるはずはない、気のせいだ。多分。
「私は―――――妹―――――?」
なんでお前を我が家で養子縁組せねばならんのだ。
「では―――――娘―――――ということで―――――」
おかあさん、九曜を止めてくれ。はいはい、とキョン子が九曜を嗜めたところで、
「あ、あのっ! 私は……一緒に連れて行ってくれないんですか?!」
今まで黙っていたミヨキチが急に声を上げたので思わず全員が注目する、但し九曜は除く。注目されたミヨキチは頬を赤らめたがそれでも、
「え、と、わ、私もお兄さんたちともう少し居たいと言うか、お兄さんが離れるのが嫌だし、その、一緒に帰ってくれないから…………」
言いたいことは伝わったし、いじらしいな。というのは、あくまで俺の感想であって、こいつには関係ない。キョン子は何故か満面の笑顔でミヨキチに、
「ゴメンねー。どうしても、あ・た・し・と・キョンが一緒じゃないとダメなのー。もうお子ちゃまは帰らないとね、ミ・ヨ・キ・チ・ちゃん!」
うん、怖い。笑顔なのに恐怖を感じるという経験は過去にもあったのだが、まさか平凡な女子高生であるはずのキョン子から同様のオーラを感じ取る日が来ようなどとはガウタマ・シッダールタでも気が付くまい。
そんなお姉さんの笑顔に普段は物静かなミヨキチが敵うはずも無い。あの、その、と言いながら涙目になっている。後ろで妹が頑張れとミヨキチを励ましているが、流石に可哀想になってきた。大体キョン子は何でここまでミヨキチに厳しいんだ? 同じ女性であり、人生においては先輩でもあるのだから、もう少し優しく接してやればいいのに。
やれやれ、どうして見送るんだっけ? キョン子には後で言っておかないとな。それよりもミヨキチが泣く前に何とかしないと。ということで、
「すまんな、ミヨキチ。お前が一緒じゃないと妹一人で帰らせるのは心配なんだ、あいつは目を離すとどこに行くか分からないからな。だからな? ミヨキチを信頼してるから妹は頼んだぞ」
そう言って、妹のように頭を撫でる訳にもいかないから肩を叩く。ちょっとだけ視線が痛い気がするが無視しておこう。
「お、お兄さんがそういうなら………………分かりました。でも、今度また私と一緒にお出かけに付き合ってもらえますか?」
「ああ、いいさ。いつでも、という訳にはいかないかもだけど、ミヨキチが好きな時に言ってきてくれ」
おおー、ミヨちゃんやるぅ〜、という妹の声と、殺気の込められた視線はあえて考えずに俺はミヨキチにハンカチを貸してやる。一応デートのつもりだったので持ってきておいて正解だったな。
「あ、ありがとうございます。でも、これ……」
「いつでも妹に渡しておいてくれよ」
「いえ! 必ず返しに行きますっ! その時は、その……」
ミヨキチが何か言いかけたのだが、生憎と電車が来てしまった。妹がミヨキチを引っ張って乗り込むと、そんなに待たずに電車は動き出す。
これでとりあえずは身軽にはなったな。しかしミヨキチのやつ、ハンカチなんか帰りに妹にでも渡せば済むのに。
「なんてやってる場合じゃないぞ。どうするんだ、キョン子? 俺達がここに残っても、」
言い切る前にキョン子の蹴りが俺の脛を打った。いってぇ! お前、これ二回目だぞ!
「うっさい、このフラグ乱立男! だから一緒に連れて行きたくなかったのに勝手に話を進めるんだから、もう!」
だからお前が泣かせそうになったミヨキチを慰めるフォローをしたんだぞ、俺は。何で痛い目にしか遭わないんだ、まったく。
「もういいから! 早く駅を出るんでしょ、ハルヒに追いつかれるわよ!」
それもお前が、と言う前に腕を抱えられて万事休すである。恐らく朝比奈さんと言わずともハルヒクラスの大きさがあれば当ててんのよ、ではなくて挟んでんのよ、なくらいに俺の腕にしがみ付いたキョン子に引きずられるように俺は駅を後にした。
「ところで、九曜」
「―――――なに―――――?」
「いい加減、俺の背中から降りてくれないか?」
「―――――乗ってんのよ」
それは新しいかもしれないけど降りなさい。女子高生にしがみ付かれて、女子高生をおぶってる男子高校生なんていませんから、俺以外には。





そして再び逃亡劇の幕が開く。最早奇跡というより何らかの意図すら感じられる程に上手く逃げてはいるものの、俺の体力及び精神力、主に精神力は底を尽きかけていた。
「なあ、もう少し休めるとこないか?」
「あたしよりもお前の方が地理には詳しいでしょ、どこか心当たりないの?」
そうは言うが地理的にはほぼ変わらないことは分かってるだろうに。とはいえスタミナ勝負なら俺よりも鬼の連中の方が数百倍は上なのも事実なのだ、どこかに隠れて体力の回復を図るしかないだろう。
とは言っても高校生の財力ではファミレスかファーストフードが関の山であり、それは発見確率を上げてしまうことに他ならない。何故ならば同じ高校生なのだから行動パターンは把握済みだろうからだ、先ほどのブティックは偶然避けられたに過ぎない。
さて、どうするかと思案する時間すら惜しいのだが妙案など浮かぶはずもなく、俺達は八方塞がりで立ち尽くしてしまったのだった。
「とりあえず一ヶ所に留まるのは良くないから歩かない?」
建設的ではないが手段はないな、仕方なく適当に中心街から抜けて店を探すかと思っていると、
「あれ? もしかしてキョンくん、でいいのかな?」
なんて俺の間抜けなあだ名を言われてしまえば立ち止まるしかないのだ。ええと、誰だっけ?
「覚えてないかな? 文化祭の後のライブ以来だし、私達はOBだもんね」
と言われて気が付いた。慌てて姿勢を正して挨拶をする。
「榎本先輩じゃないですか、お久しぶりです」
それは昨年の文化祭の時にハルヒが急遽勝手に代役したバンド『ENOZ』のボーカルであり、俺達北校の先輩でもある榎本 美夕紀さんだったからだ。春に卒業してからは学生でもある俺達SOS団との接点はなかったのだが、偶然とは恐ろしいものだ。
「お待たせ、美夕紀」
「あれー? その子は?」
「お、懐かしいね」
なんとENOZのメンバー勢ぞろいである。中西 貴子さんに岡島 瑞樹さん、財前 舞さんは卒業してから数ヶ月しか経っていないはずなのだが、制服ではないからか若干大人びて見えるようだった。それぞれ荷物を持っているところを見ると今からどこかへ行くのだろうか。
「でもどうしたの、こんなとこで?」
だが中西さんに核心を訊かれて返事に困る。まさかデートをしていてハルヒ達から逃げているなんて説明出来るものではない。それに、
「ねえ、この人たちはキョンの知り合いなの?」
と言うキョン子にも一から説明せねばならないのだ。それに、
「ええと、この子光陽園よね? 何でこんなとこに制服でいるのかしら……」
九曜はいつの間にか財前さんの目の前に立っているのだ、こいつの事を説明するだけで気が重い。というか、先輩が困ってるから離れてくれ。
既に頭の中ではここから逃げ出したい気持ちを抑えつつ、俺は中西さんに簡単に事情を説明した。要は久々に会った友人を案内していて休憩場所を探しているといった具合にだ、国木田の時と同じパターンだが先輩方は俺の中学時代など知る良しもないので簡単に信じてくれたようだった。ひとまず安心ってとこだ、後は上手く処理して移動したい。
「それより先輩達はどうしてここに?」
出来れば適当に話を合わせてから上手くやり過ごしたいのだが先輩相手に失礼も出来ない。なのでこれで相手の行き先でも聞いてから「分かりました、ではまた」といった展開に持っていきたかったのだが。
「ああ、私達はこれからミーティング兼音合わせだよ。近くにスタジオ借りてるんだ、何だったら見に来る?」
「あ、あたし行きたい! ちょうど休憩したかったし、バンドの生演奏なんて滅多に聴けないもん」
中西先輩の何気ない一言に驚いたことにキョン子が素早く反応した。この辺りなんか俺ではなく、どちらかと言えばハルヒ寄りの行動力だ。キョン子って絶対に俺じゃないと思うんだけど。中西さんもこんなに食い付きがいいとは思ってなかったのか、答えに迷っているようだったが、
「いいんじゃない? 聴いてくれる人がいた方が練習にも力入るし」
と榎本先輩が言ったので決定ということになったらしい。他のメンバーも賛成してくれたようだし、キョン子も嬉しそうだし俺も休めるならいい気がしてきた。それに久々にENOZの演奏を聴きたいというのもある。
「お前もそれでいいか、九曜?」
「ええっと……」
「―――――おけ」
何故か財前先輩の持っている楽器のケースから目を離そうとしない九曜が俺とキョン子以外には分からない角度で頷いたところで揃って移動となったのであった。
流石のハルヒもまさか先輩達と一緒に貸しスタジオに居るとは思わないだろう。今のところアラームも鳴る様子もないので一息つけそうだ。ようやく俺は安堵のため息をついたのであった。