『SS』 たとえば彼女か……… 7

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「え、ええと、どうしたんですか森さん? 偶然ですね、こんなとこで会うなんて」
ははは、と乾いた笑いで答えつつも掌が汗ばんでいるのが分かる。あのツインテール、よく森さんを前に笑っていられたな。あいつもそれなりのタマだということか、お笑い担当だなんて言ってて悪かった。
しかし、ここには生け贄としてのツインテール(海老に近い味がする)は居ない。グドン、もとい森さんと相対するのは帰ってこれないかもしれない俺なのだ。ごめん郷さん、俺ウルトラ七つの誓い守れなかったよ。
「ええ、奇遇ですね。と、言ってもらえると思いました?」
全然思ってませんとも。間違い無く待ち伏せされていたとしか思えない。だが疑問もある。
「何故あなたなんですか? 古泉の奴は、」
「理由を語る必要もないと思いますけど古泉は只今戦闘中です。連続発生している閉鎖空間からの脱出にはまだ時間がかかるでしょうね」
ああ、嫌味でも皮肉でもなく事実なのだろう。すまん古泉、後は死なないことだけを祈る。多分お前が天国に行ったらすぐ後を俺が追うぞ、目の前のメイドさんがそうするに違いないからな。
「ねえ」
なんだよ? 今それどころじゃ、
「この人って誰なの? 古泉ってあの古泉一姫のこと?」
そうか、キョン子の世界では古泉は女なんだっけか。そして『機関』についても多少の知識もあるということか。しかし森さんはキョン子の事をどこまで把握してるんだ?
「そちらの方が異世界人という事は報告を受けています。そして今回の騒動の原因の一端でもあるという事も」
やはり『機関』の連中もある程度は理解済みってことだったのか、ならば今まで何も言ってこなかったのは奇跡的だ。
「TFEIが全責任を持つとの事でしたからね。それに、」
森さんが九曜を見やる。
「原因が宇宙人同士の勢力争いならば我々の関知するところではありませんので」
それは乾いた視線だった。前に古泉も言っていたような記憶がある、決して『機関』と情報統合思念体は相通じているのではないのだと。メイドの衣装のままだが森さんは確かに『機関』のエージェントなのだ、それを痛感させられた。そして視線の先の九曜は。
「―――――安いわね―――――これ―――――」
三枚で九百八十円のババシャツを見て感心していた。って待て、待ってくれ!
「緊張感を削ぐんじゃねえよ! お前が狙われてるんだ、ロックオンされてるんだよ! やるぞ、あの人はやるかやらないかで言えば必ず殺る人だ!」
しかし九曜には関係無い。こいつの能力からすれば当然だろう、人間ごときに何が出来るのですかとは同じ宇宙人海産物の人の言葉だが。
 森さんも笑おうともしていない、この人は本物のプロだ。九曜の天然かボケか分かりにくい行動すらもスルーしてしまえるほどにプロなのだ。俺のツッコミだけが虚しく響き、再び緊張感が走る。
「まあ今回は古泉の携帯に連絡があったのでこちらとしても口が出しやすかったのですけどね。あまり友人を心配させてしまうのは感心致しませんよ?」
ここでも国木田情報か、しかも『機関』の介入を許してしまったのだから尚悪い。親友の親切心が裏目に出るなんて不幸にも程があるぜ。
「と、いう訳ですからそろそろお帰り願えませんでしょうか。今なら古泉と打ち合わせて辻褄も合わせられますから」
お願いというより脅迫だ、笑顔のままの。はっきり言おう、怖いって。物言わぬ迫力に押され、頼みの九曜もイマイチ役立ちそうに無い。一か八かだがキョン子を連れて走って逃げ出そうか、だが敵うとも思えない。それでも俺はキョン子の手を握ろうとした時だった。
「バッカじゃないの?」
今まで黙って俺達の会話を聞いていたキョン子の第一声がそれだった。お、お前なんてことを。青ざめる俺を尻目にキョン子ポニテを逆立ててまくしたてる。
「いい? あたし達はただ単にデートしてるだけなの。それを横から出てきて帰れだの何だのと余計なお世話なワケ! あんたらハルヒのお守りが任務ならそれだけやってればいいじゃない、邪魔なのはそっち!」
うわ、キョン子がまた暴走モードだ! あのハルヒにケンカを売るだけでは飽き足らずに森さんにまでとんでもないこと言ってる!
「言いたいことはそれだけですか? 我々は涼宮ハルヒの精神が安定しさえすればいいのです。今ならば穏便に済ませてあげますから大人しく異世界に戻りなさい」
丁寧なようでナイフのような森さんのセリフに聞いているこちらの肝が冷えてくる。だが相手が悪かった、あの暴走キョン子なのだ。
「だーかーらー! それが余計なお世話だって言ってるのよ! いい? ハルヒだって女の子なんだから今みたいな状況がイラつくのも分かるけど、そんなもんあたしとハルヒの問題であって『機関』だか何だか知らないけどあんた達の出番なんか無いワケっ! そんなことも分かんないの、あんたは?!」
だからこれ以上刺激するな! 見ろ、森さんの笑顔の背後のオーラを! 怖いよ、それにビクともしないキョン子も怖いかもしれない。しかもキョン子はニヤリと笑い、
「ハッハーン、もしかしてあんたハルヒの気持ちが分かんないんじゃない? あたしが言ってる意味もね」
なんて事を言ってしまったのだ。終わった、流石の森さんも我慢の限界だろう。俺は覚悟してキョン子を引っ張ろうとした。一瞬でもいい、逃げるしかない。



だがしかし、俺の予想は見事に覆されたのだった。



「え? あ、あなたの言っている意味など分かる訳ないじゃないですか!」
あれ? あの森さんが動揺しているだと? しかもキョン子は分かっていたかのように畳み掛ける。
「やっぱりね。そうだと思ったのよ、女の子だったら分かりそうなもんなのにね。それともそういう経験が無かったって言っちゃうのかなー?」
い、いつの間にキョン子の方が上に立っていたんだ? しかも森さんはあーとかうーとかと煮え切らない返事をしているし。
「そりゃそうよねー、命令だか何だか知らないけど高校生のデートをストーカーしててちょっと彼氏の奪い合いしてるだけなのに偉そうにしてるんだもんねー。しかもそれを分かってないなんて女としてどうなのかなあ?」
ちょっと待て、彼氏の奪い合いってあっさり言ったけど彼氏って俺? お前はともかくハルヒが一体、
「お前は無自覚だからいいんだって。それよりこっちよ、森さんだっけ? あんたさー、そういう事してて女としてどうなの? ちょっと終わってるんじゃない?」
う、うわあ。キョン子怖い、森さんがまったく反論出来ないなんて。最高級の屈辱のはずなのに森さんは肩を震わせるだけなのだ。
「どうせ仕事から帰って一人暮らしのマンションで子犬を飼いたいけどペット禁止なんて言われて仕方ないから水槽に金魚なんか飼っちゃって電気点けたら誰もいないもんだから金魚に「ただいまー」なんて言っちゃって、ポストに詰め込まれてた分譲マンションのチラシを見ながら『もう買っちゃってもいいかなあ、将来の為だし』なんて独り言呟きながら柿ピー食べつつビールを飲んでるんでしょ!」
何その一人暮らしの独身OL(8年目)みたいなシチュ。というか具体的すぎないか、それ? しかし対メイドさんにおいては破壊力は抜群だったようだ。
「あ、いや、そんなこと…………ないもん…………」
なんと、あの森さんが顔を青くして後ずさったのだ。こんな森さん見たことない、て言うか図星だったのかよ。想像しただけで涙が出てきそうになる。
そしてキョン子が弱りきった森さんに止めの一言を言ったのだった。



「そんなんだからあんた彼氏出来ないのよっ!」


かいしんのいちげき! もり そのおはたおれた!


がっくりと跪いた森さんは、
「だって、だってずっと『機関』に居て出会いも少ないし、しょうがないじゃないですかぁ…………私だって彼氏欲しいけどどうしていいのか分からないし………………」
そう言いながらシクシクと泣き出してしまったのである。うわーお、なんと組織とも宇宙人とも対等以上に渡り合う『機関』の無敵メイドを倒したのは女子高生のナチュラトークだったのだ。そのキョン子はどうだとばかりに腕を組んで仁王立ちしている。どこかで見たような光景だと思ったらハルヒがコンピ研からパソコンを強奪した時がこんなだったような。
つまりはキョン子の完全勝利である。まさかの展開に開いた口が塞がらないとはこの事だ。
「さて、行こっか。九曜ー、おいてくよー」
しかもキョン子は既に何も無かったかのように俺の腕にしがみ付いて九曜を呼んだのだが、
「おい、森さんはどうするんだ?」
 エレベーターの前で膝を抱えて泣いているメイドさんを置いたまま行こうと言うのか、お前は。
「自業自得よ、あたし怒ってるんだから」
 何の力もないはずの女子高生の怒りで泣かされるエージェントって。とはいえこのままではあまりにも森さんが哀れだ、独身彼氏無しで仕事に生きるメイドさんは今や「だって職場はオッサンかガキしかいないし友達とは勤務時間合わないから疎遠になりつつって、そういえばまた結婚式の招待状来てたなぁ…………はぁ、ご祝儀だって馬鹿にならないってのに。それより二次会で出会いがあるなんて嘘じゃない、何よお前らそんなに私が飢えてるとでも言いたいのか? 獲物を狙うような目をしてると言いたいのかお前ら……」なんて怖い事呟き始めちゃってるんだぞ。
 そんなダウナーな独身女性をこんなとこに残しておけるか、この場で暴れるか屋上に昇って飛び降りちゃうかもしれないだろうが。どちらにしろ放ってはおけるものではない。
「ちょっと待ってろ、一応話だけはしておくから」
 キョン子を待たせてしゃがみ込んで森さんを見ると何か別の意味で黒いオーラに包まれていた。ある意味閉鎖空間だ、きっと家だったらずっと出てこないだろうな。しかしここはデパートでエレベーター前なのだ、このまま重しのように座られても困る。
「あ、あの〜、森さん?」
 身じろぎもしない。膝を抱えて地面だけ見ながらブツブツ呟くその姿は悲哀に満ちていて泣けてくるな。メンタルも強い森さんなのだが女子高生に言われたというのが余程ショックだったらしい。女同士の口論とはかくも恐ろしいものなのだ。
「いや、キョン子が言いすぎたみたいですいませんでした。ですからこの場は一旦帰った方が……」
 帰ったらビール飲みながら泣くのかなあ。いかん、それも悲しいぞ。しかし小さく丸まったメイドさんは微動だにしないのであった。どうすればいいいんだ、これ。
 と、とにかく森さんのご機嫌を取るしかないのだろう。どうやって? えーと、
「ああ、そう言えばチョコありがとうございました。美味かったですよ、あれって森さんの手作りですか?」
 あ、肩がピクッと動いた。そして背後でブワッと気が立ち昇った。
「…………そうですけど、なにか?」
 なんという卑屈な声だろう、これがあのにこやかなメイドさんが出す声だとは。これはいかん、ここで立ち直らなかったら何か終わりそうな気がする。森さんの人としての何かが。
「流石ですね、合宿の時も美味い飯をご馳走になったし。残念ですよ、古泉経由だったのがですね」
 ここは褒めて褒めまくらなければ! そう思いながら古泉ばりの爽やかスマイルをどうにか浮かべてみる。
「………………本当ですか?」
 膝を抱えたまま下からチラッと見上げてきたので何度も頷く。
「せっかくチョコがもらえるなら、あいつからなんかより森さん本人からの方が嬉しいに決まってるじゃないですか。こんなに美人から直接チョコをもらえる機会なんて俺なんかにあるとも思えませんから」
「ほ、ほんとに? 私からチョコなんてもらって嬉しいですか? 鬱陶しくないですか?」
 えーと、今はちょっとウザイ。だけど言えないので、
「当たり前じゃないですか、森さんみたいな美人にならいくらでも会いたいに決まってますよ。それに俺もお返しを古泉に頼んでしまってすいませんでした、直接渡したかったんですけど」
 ちょっと前までは本当にそう思えたのだがなあ。だけど今の森さんも何というか、助けてあげないといけない気がしてくる。そうじゃないと可哀想だよ、この人。
 それにそろそろ片をつけたいんだ、そうじゃないと今度は背後から立ち昇るオーラに俺の生命が危険に陥る。確か後ろのポニーテールは普通の女の子のはずなんだけどなあ。
「あ、キャンディ…………ありがとうございました。『機関』の関係者以外から何か貰うなんて数年ぶりで……」
 うわ、何か泣きそうだ。森さん………………苦労してるんですね。って古泉以下『機関』の連中は何をしているんだ、森さんだって機械でもなければ一人の人間なんだぞ。もう少し休ませてやるとか考えてやれよな。
 そう思うと本当にハルヒの我がままで『機関』の連中は振り回されて、その中でも森さんは女性なのに頑張っている。キョン子は怒っているが命令で仕方ないと思えば許してやってもいいじゃないか。俺は思わず森さんの手を取った。
「あーっ!」
 背後のオーラが爆発する前に言っておかねば。
「森さん、俺で良かったら何か辛い事あったら言ってくださいね。俺は人生経験も不足しているので聞き役にしかなれませんけど『機関』の連中への愚痴くらいなら幾らでもお相手しますから」
「あ、ありがとうございます! こんな私にまで気を使っていただけるなんて……」
「いえ、森さんは頑張ってるんですから卑屈にならないでください。ハルヒの我がままにいつも付き合ってもらってありがとうございます、これからも迷惑をかけてしまうかもしれませんけどよろしくお願いします」
 両手でしっかりと森さんの手を握り頑張れと念を込めてやる。本当にこんな華奢な人が使命だか命令だかで苦労してるのだから俺達はもっと感謝しないとな。
「じゃあ俺達は移動しますけど森さんもくれぐれも気をつけて帰ってくださいね。本当に無理しないでください」
「分かりました、それでは少し休ませてもらいます…………………ありがとう」
 ようやく立ち上がった森さんが頭を下げて少し覚束無い足取りで去っていくのを俺は見えなくなるまで見送った。これで多少は気が晴れてくれればいいのだがなあ。
「でもまあ、なんとかなったな。待たせたな、キョン子
 返答の代わりに脛を思いっきり蹴られた。痛ってぇなぁ、なにすんだよ!
浮気者
 一言で返された。浮気者って。お前があれだけへこませた森さんをどうにか立ち直らせたのに酷い話じゃないだろうか。
「うるさい、無自覚の朴念仁のくせにこんな時だけかっこいいなんてズルイわよ。あーあ、これでまた一人増えるのかー、フラクラの犠牲者が」
 何故ため息までつかれる。それに森さんには自立した大人の女性として頑張っていただきたいだけだ。
「絶対お前は女の子に刺されると思うぞ」
 それは既に経験済みだ、違う意味で。本当にナイフで刺されてるし。
「まあいいや、この借りは大きいぞ? ものすごーくあたしを構わないと承知しないからね!」
 え、なんでそうなる? だが既にキョン子は俺の腕をガッチリと抱え込んでいて、
「あたしだけ見てくれないとダメなんだからね!」
 なんて言われてしまったのだ。さっき森さんを撃退した女の子とは思えない上目遣いの可憐さに、俺はおう、としか答えられなかった。
 




 そしてその頃、周防九曜は。
「――――――――――あれ―――――?」
 五枚千円のお子様パンツを買うために子供服売り場のレジに並んだまま誰にも相手にされていなかったのである。
 それに俺達が気付くのは森さんと別れてから二十分後、店内放送の迷子のお知らせでの事であった。奇跡的に九曜の存在に気付いた店員さんがいなければ俺達はまだ九曜を探して店内を彷徨っていたことだろう。
「―――――まま―――――」
 そう言いながら飛びつこうとした九曜をキョン子が小突く。
「誰がだ! ったく、迷子になってんじゃないわよ」
 なんて事を言ってたくせに結局九曜の代わりにパンツまで買ってやったのだからやっぱり、
「―――――まま―――――」
 と言われても仕方ないと思う。
「…………そうね。じゃあ行きましょうか、パパ」
 すいません、それはやめてください。 
「ふん、分かったか」
 はい。高校生にパパママはまだ早いのです。
 こうして俺達は九曜のパンツを買っただけでデパートを後にしたのであった。というか、いらん時間をかけて包囲の網を縮めてしまったのではないか?
 その俺の不安はこの後的中してしまう。しかし俺達はまだそれに気付いていなかった。