『SS』 涼宮ハルヒの爆弾

 その日の俺はイライラしていた。イライラの原因はストレスであり、ストレスの原因は寝不足である。
 寝不足の原因は何かと問われれば、それは今まさに目の前の坂を登らなければならないという事でもあるのだが、それ以上にこの坂を登った先にいることが確定している奴の顔など見たくもないことに起因する。
 昨晩は最悪だった。寝入りばなを叩き起こされた俺はそこから一睡もする事を許されず、ただひたすらに肉体と精神を酷使するに至ったのだ。その間の出来事を話すつもりもなければ思い出したくも無い。ただ、原因の一端を握ったのは確かに長門であり、朝比奈さんはその為に未来と過去を往復することになってしまったのは俺にも責任があったのかもしれない。古泉は必死だったのだが『機関』という奴らには腹が立つ事ばかりで、もしも森さんと田丸兄弟の活躍がなければ俺は新川さんを恨むしかなかっただろう。
 全てが悪夢のようでありながらも長門の涙を見た俺には何も言えず、さらにはSOS団というものが俺達にとってどれほど貴重なものだったのかということを思い知らされたという点では起こるべくして起こった事件なのかもしれない。
 その全てはあいつのせいでもあるのだが、それが嫌だなんて言うには俺は深く関わりすぎている。何よりもあいつがどう望もうともあいつ自身が叶った事を知らされないままだという矛盾が俺に瘧の様な罪悪感となって圧し掛かる。そうだ、今回だってあいつは目の前に起こった出来事を理解出来ないまま、理解させてもらえないままに事件は俺に疲労感だけを残して解決したのだから。勿論、無意識の中であいつは俺達を必要としてくれていた。それが絆っていうような気恥ずかしいものなのかどうかはニヤけた超能力者が後から語ればいい。
 いかんな、思考が悪い方向にループしそうだ。誰の責任でもない、誰も悪くない分タチだけが悪い。こういう事が無ければいいと思う反面、こんなトラブルがあってこその俺達なのだと思えてくるのだからもうどうしようもない。自己嫌悪と自己満足だけだ、それにあいつが笑っていられればいい。
 いつの間にか坂を登り終え、生徒達が吸い込まれていく校門に俺も流れて行きながら、ただひたすらに教室の机だけを思い浮かべていた。いいから、少しでいいから寝かせてくれ。






 フラフラと足元も覚束無くなりながら、三分の二ほど閉じかけた瞼に最後の気合をいれてどうにか視界を確保しつつも階段で二度ほど転びかけるという失態を犯しながら、やっとクラスが見えてきたと思ったら教室の前には人だかりが出来ていた。何だ? まだ時間に余裕はあるはずだ。
 どうでもいいから俺を教室に入れてくれないか? 早いとこ座りたい、机に伏せたい、そしたらこのクソ重い瞼にようやく閉じていいと言ってやれるんだ。俺の意識はすでにクラスで惰眠を貪る自分の姿しかイメージ出来なくなっていた。
「おっ? キョン! ちょうどいいとこにって、お前どうしたんだよ、えらく顔色悪いぞ?」
 そうか、谷口から見ても俺の顔色は悪いのか。まあそれよりどうした? クラスの前にはほぼクラスメイトが全員揃っていて邪魔な事この上ない。というか、お前ら早く教室に入れよ。すると人混みの中にいた国木田が出てきて苦笑いでこう言った。
「それがさ、どうしても入れない事情があるんだよ」
「何がだ。俺は眠いんだ。いいから早くそこをどけ」
 こんなとこで話していたらすぐにチャイムが鳴って担任が来てしまう。その前に意識を飛ばしていれば上手く誤魔化されるかもしれない、後ろの席の悪影響はこういう時こそ有効活用するべきなのだ。なのでそこをどけ。
「いやそれどころじゃねえんだって! 大変なんだ!」
 お前の顔より大変なものはない。それに俺の方が大変だ、もう瞼への強制的な指令が脳から出てきそうにないんだ。
「はあ? お前、いいから見てみろ!」
 そう言いながらクラスメイトを掻き分けて俺を引っ張った谷口は教室の扉の窓に顔を寄せて、
「お前も見てみろ、ほら!」
 無理矢理に俺まで窓に顔をくっ付ける羽目になった。それよりも俺はこの扉を開けたいんだが。  
「いいからよく見ろ、この馬鹿!」
 なにがだよ、お前よりはまだ成績はマシなほうだ。とはいえクラスメイトも誰も入ろうとしない教室に何があるのかと覗くだけ覗いてみたのだが。
「何だ、あれ?」
 そう言うしかなかった。
「な? どうなってんだよ、これ」
 知るか。
 ああ、状況を説明しよう。まず教室内には既にハルヒがいた。そしてハルヒは机に伏せて寝ていた。俺が教室でやろうとしていることを先に来て行っていた訳だ、羨ましい事甚だしい。
 だが、問題はハルヒの寝ている机の真下にある。そこにはダイナマイト的な何かが五本ほど束ねた状態で置かれており、そこにはタイマー的な何かがくっ付いていてデジタル数字が一つずつ減っていた。ちなみにタイマーとダイナマイトはコード的な何かで複雑に結ばれている。
 つまりは何だ?
「見て分からないのかあ?! 爆弾だよ、爆弾!」
 爆弾? 確かに見た目は分かりやすいほど爆弾だ。あんなの漫画かゲームでしか見たことないほどに。というか、何だダイナマイトって。今時はプラスチック爆弾だろ、知らないけど。
 とはいえ爆弾は爆弾だろうと思う。多分。
「それならこんなとこに屯ってないで警察とかに連絡すりゃいいじゃねえか」
「涼宮さんがいるから刺激させないようにって。ほら、起こして騒いだら大変じゃない?」
 いや、嬉々として爆弾を解体しようとすると思うぞ。ああ、それがダメなのか。いかん、頭がボーっとしている。大体爆弾なんかがある割には皆冷静すぎるだろうが。それともこれもハルヒの悪影響か。
 そうか、ハルヒの仕業か。そう思うとムカついてきた。大体今日はあいつのせいで寝不足なのに今から寝ようとしているのまで妨害しようというのか。
「それなら保健室にでも行けばいいじゃないか」
 そうはいかん、朝一で保健室など行けばそれこそハルヒに何を言われるか分かったもんじゃない。それに俺が保健室は嫌いだ、ベッドは恋しいがあの雰囲気で寝れるような気がしない。
 だからこそ俺は教室に入って机に伏せて寝たいのだ、今ハルヒがやっているように。それが何で爆弾、しかもハルヒの下?
 何か腹たってきた。こっちは眠いのに。全然寝てないのに。原因を作ったヤツは爆弾の上でぐーすか寝てやがる。なんだ、この理不尽。
「くそったれが……」
 眠い、ムカツク。俺は扉に手をかけていた。
「お、おい、キョン?」
 後ろで何か谷口が言ってる気がするが知るか。教室に入り込んだ俺は脇目も振らずにハルヒの席に向かった。かーっと机に伏せたまま大口を開けて寝ているハルヒは足元でデジタルがカウントしている音にもまったく気付いた様子がない。阿呆というか図々しい奴だ。
 あー、もう眠い。限界だ、タイマーのカチカチいう音もイライラさせてくる。何だこの数字、残り三分? 知るか、ボケ。
 俺は近くの机を動かして四つばかりくっ付けると簡易のベッドのようなものを作る。布団までは用意出来るもんでもないけど、まあいいだろ。そしてハルヒの背後に回ると眠っているハルヒの脇から手を回し、
「よっと」
 そのまま持ち上げた。何か柔らかいものを鷲掴みにしたような感触があるけどそれどころじゃない。教室の外で歓声のような悲鳴のような声がする。しかしハルヒの馬鹿は起きないな。
 このままだと体勢が悪いので左腕を下半身の方に持っていき、膝の裏から抱え込むようにして持ち上げながら上半身は右腕一本で支えるとどうにか寝ている体勢のまま持ち上げることが出来た。ハルヒはまだ起きないが騒がれるよりマシだな、それにこいつ思ったより軽いし。ただもう少しくっ付いてくれたほうが持ちやすいんだが。
「ん〜……」
 すると寝ぼけたハルヒが俺の首に腕を回してきたのでどうにか抱えやすくなった。外からお姫様だとか羨ましいとか言ってる奴らがいるが、それなら替われよ。
 抱えたハルヒを並べた机まで持ってきてゆっくりと降ろす。女子一人なら十分なサイズだろうと思っていたが、ハルヒが丸まってくれたので寝るにはちょうど良いサイズだった。というか、いい加減起きてもいいと思うんだけど俺はそれよりも自分の睡眠の方が大事だ。
 まあいい、次はと移動しようとした俺の制服の裾をしっかり掴む奴がいる。こいつ、寝ぼけてやがるのか?
「にゅ〜、キョン〜……」
 はいはい、今はそれどころじゃないって。と言っても寝てるから分からないだろうから俺はハルヒの頭を撫でて、
「ちょっと待ってろ、すぐ終わる」
 そう言ってハルヒの手を制服から外そうとする。だがハルヒは離そうとしない、こっちはイライラしてるのにまだ時間をかけるつもりか? と、ここで意識が混濁しつつある俺は何かの回路が切れたのだろう。
「いいから大人しく待ってろ、ハルヒ
 ハルヒの前髪をかき上げて、おでこに唇を付けた。キャーッという歓声が教室の外で巻き起こる。しかし効果はあったようで、ハルヒはえへへ〜、とか笑いながらどうにか手が離れたのだった。
 くそっ、何で教室で居眠りするだけの事にここまで手間をかけねばならんのだ。イライラは怒りに変わりつつある、ハルヒの席の下の爆弾を見ればタイマーは一分を切っていた。よく見ればお約束のように赤と青のコード。これのどちらかを切ればって、ドラマじゃないんだから。
「……………アホか」
 俺は教室の窓を開けた。外を確認して誰もいない確信を得ると、
「やってられるかーっ!!」
 爆弾を思い切り放り投げた。思ったより軽かった爆弾は綺麗な放物線を描くと、



 ピッ



 空中で大音量と共に爆発した。学校中から悲鳴や騒ぐ声がしてくる。これで教師どもも何があったかと思うことだろう。
 だがしかし、そんなもんどうでも良かった。俺は眠いだけなんだ。
 机の簡易ベッドでぐーすか寝ているハルヒを一瞥して俺は自分の席で机に顔を伏せた。やれやれ、これで一安心ってとこか。
 俺はようやく瞼に負担をかけることを放棄して、意識を遥か遠くへと飛ばしていったのだった…………









 目覚めた後にハルヒに何があったのかと詰め寄られたり、事件は長門と古泉が揉み消したり、クラスの視線が俺とハルヒに生暖かかったりしたのはまた別の話だ。