『SS』 ちいさながと
冬も押し迫り、SOS団の部室にも電気ストーブの明かりが煌々と灯っているある日の事である。
いつものネットサーフィンもそこそこに朝比奈さんが淹れてくれた温かいお茶を飲みながらストーブの前を動こうとしなくなったハルヒと、この時期の風物詩となりつつある編み物をする朝比奈さん。それと相も変わらずボードゲーム三昧の俺と古泉。SOS団は季節が変わろうとも通常営業中だった。
もちろん窓際で読書を続ける長門もいつもどおりであり、その肩の上で読書しているのは俺の恋人である長門有希なのである。ただたまに暖を取る為かハルヒの肩に乗ってストーブにあたるのは心臓に悪いから遠慮して欲しいのだが。いくらステルスで見えない上に体重を感じさせないとはいえハルヒの直感なら何時感づくか分かったもんじゃないんだからな。それとも有希なりのイタズラ心なのかもしれないが俺の肝が冷えるだけなのでそろそろ遠慮して欲しい。
そんないつもの活動を長門の本を閉じる音と共に終えると俺と古泉は朝比奈さんの着替えを待つべく寒い廊下へと放り出されてしまうのであった。
という事で適当に古泉と話しながら待っているといつもより早くドアが開いた。何だ、と思ったら出てきたのは長門である。肩に有希が乗っている、最近の団活中は俺よりも長門の肩の上にいる時間の方が長いな。
「どうした長門? まだ朝比奈さんも着替えてるだろ、ハルヒも居るし」
「トイレに行くと言ってきた」
そうか。いや、そういうのを聞きたいんじゃなくて。
「何でお前だけ先に出てきたんだ?」
すると長門は古泉に視線を向ける。それに気付いた古泉は長門に問いかけた。
「少し席を外しましょうか? 僕が居てもいいのならここに居ますけど」
「構わない、口外さえしなければ」
では、ということで古泉はその場を離れなかった。何となく監視されているようで気分はあまりよくないな、有希もいることだし注目されないうちに早めに話を終わらせよう。
「で? お前の用件は何だ?」
「帰宅後わたしの部屋まで来て欲しい。あなたに用がある」
古泉が若干構えた気がしたのを長門が制する。
「心配ない、これは指令などではなくわたしの意志。ただし彼女達には口外無用」
「…………分かりました。ただしあまり無茶はしないでくださいね」
肩をすくめて話を切り上げた古泉だが、こいつは俺と有希が付き合っているのを知らないのでハルヒの顔色を伺っているんだろう。ハルヒは長門に甘いから俺が勝手に長門と話したりするのを好まないというのもあるからな、過保護も大概にした方がいいと思うのだけどあいつらしいとも言えるかもしれない。
「半分正解で半分間違っている」
どういうことだ? 有希はそれだけ言うと俺の肩に飛び乗った。
「だから安心出来るけど、だけど心配」
それに長門も頷いて、俺だけが腑に落ちないままで話は進む。
「とりあえず一度帰宅してからわたしの家まで来て欲しい。その際、夕食は摂らない状態で構わない」
というか飯を食うなってことだな。つまりは晩飯を長門の家で食うってことか?
「そう。わたしが用意する」
それは嬉しい。素直に喜びたい。だが例え長門であろうとも正直に感情を表す訳にはいかないのだ、俺には心に決めた相手がいるのだから。
「これはわたし達の意志」
そうなのか? 見ると肩の上の有希も頷いている。つまりは有希公認という事だ。これは本当に嬉しいじゃないか、長門有希が俺の為に夕食をご馳走してくれるのだ。
「だけど大丈夫なのか? お前だけじゃなくてその、何人かいるとかってないのか?」
具体的に言えば眉毛とかわかめなのだが口にすると本当に出てきそうで怖い。しかし長門は数ミリ首を振ると、
「今回は彼女達には何も相談もしていない。オリジナルと二人で決めた我々の意思」
今度こそ俺は感動した。思わず長門を抱きしめようとしたくらいだ、しかし殺気を肩の上から感じたのですぐに撤回したが。うん、抱きしめるなら有希ですよね。
「分かった。喜んでお邪魔させてもらうことにするよ、有希はどうするんだ?」
「わたしは彼女と共にあなたを迎える。…………楽しみ?」
ああ、すっげえ楽しみだな。ちょうどタイミング良く朝比奈さん達も出てきたので早速帰る事にしよう。
帰り道も浮かれ気味の俺にハルヒが疑いの視線を向けてきて多少慌てたものの無事に解散となり、肩の上に有希がいない事に若干の寂しさを覚えてしまいながらもいつもより急ぎ足で家へと帰った俺は妹の相手もそこそこに着替えると長門からの連絡を待っていた。
しばらく待つと携帯が鳴り出したのでワンコールも待たずに取る。これをハルヒ相手にも出来れば恐らく俺の精神的にも肉体的にも負担が大幅に減るのではないだろうか。しかし人間好き嫌いと得て不得手があるのであり、こと長門からの電話などかかってくるのが分かっていれば一瞬にして取ってしまうのであった。
『もしもし』
おお、あの長門が沈黙ではなく自分から話しだすなんて。一々感動するような事ではないのだが矢張り長門の成長を思うと涙ぐみたい気分ではあるな。などと勝手に思っていると、
『準備は完了した、…………来て』
その言い方は妖しすぎる。だが喜んで! という事で適当に言い訳をしながら既に家を飛び出し自転車を漕いでいる俺は一体何を急いでいるのだろうな。
競輪選手を将来の就職候補に入れることを真剣に考えたくなるような脅威のタイムでマンションまでやって来た俺はインターフォンを鳴らして長門の無言の返答と共に開いた自動ドアに飛び込む。
エレベーターの動きももどかしく、俺は地団駄を踏みながら五階へと急ぐ。ドアが開くと同時に猛ダッシュをしかけた。
今行くぜ、長門、有希! この止まらない俺の情熱をお前たちに伝えるためにっ! って、思ってたら顔面に何かぶつかった。それは「待っていた」と長門がドアを開けてくれたからだったらしいのだが、気を失った俺には分からなかった…………
「……大丈夫?」
次に目を開けた時に飛び込んできたのは見慣れた有希の顔だった。というか俺の顔に乗っているのでほぼ全身が見えるから長門が覗き込んだのではない事がすぐ分かる。というか、何で気絶したんだ、俺?
「慌てすぎ」
そうなのか。だがそれは高すぎる期待感が生み出した俺のリビドーの表れに過ぎない。未だ残る頭痛など何のその、俺は一気に起き上がった。
「それで? 一体どんな事をしてたんだ? 何食わせてくれんの?」
「慌てすぎ」
すいません。とりあえず落ち着こう、長門はどこだ?
「用意している」
マジで? 何、いつ食えるの? というか俺気絶しちゃったけど手伝った方が良かったのか? それともお茶でも淹れようか?
「慌てすぎ」
すいません。
といった何だかんだを合間に挟み、ようやく落ち着いて長門宅のリビング、いつものコタツ(流石にコタツモードだった)に座って大人しく長門を待つ俺だった。
「どうぞ」
あ、すまん。サイズ的には巨大な急須を持ち上げた有希にお茶を淹れてもらいながら、まったりとした時間を過ごす。何というか、ここなら有希の能力を気にしないで二人でいられるから安心できるんだよな。
「わたしも、」
有希が俺の肩に飛び乗って頬に寄り添った。
「安心出来る、あなたの傍が」
そうだな、有希が俺の肩にいるというだけでこの安心感だ。最近は長門の肩にもいる時間が長くなってるからここまで一緒にくっ付いているのも久々な気分だ。
「数時間前もわたしはここにいた」
そうかもしれんが気分の問題だ、有希が俺に寄り添ってくれているだけで幸福なんだからな。
「そう、わたしもあなたを感じるこの場所が好き」
ああ、俺も有希を感じられるよ。
「…………そう」
そうさ。言いながら俺の唇に有希の顔が近づいてきて。ほとんどくっ付きそうになったところで、
「完成した」
見事だ長門。お約束なタイミングでキッチンから出てきた長門に驚いた俺に恥かしいのか避けようとした有希が後方宙返りのような体勢で蹴りを入れ(何でもサマーソルトキックという技らしい)俺は長門宅のリビングの壁にキスをした。
そこから再び意識が無いのだが飯を食うだけで何回気を失えばいいんだろう? とりあえず長門の料理だけは楽しみなんだけど。
「起きて」
今度起こされた時に飛び込んできたのは長門の顔だった。サイズが違うからすぐ分かるって、何か近くないか?
「ゆっくり顔を起こして」
ああ、もう首がどうにかなりそうだ。と動かしてみたら目の前に不思議な光景が広がった。何で俺の視界に白と青の縞が見えるんだろう。
「…………逆を向いて」
え? 何で? ということで逆を向いたら長門の言った意味が分かった。要するに俺は長門の膝枕で寝ていたのだ、そして長門側に向かって顔を動かしたという事だったのだな。そして長門はいつもの制服姿であり、そのスカートは正座すると見えそうというか見えたと。
なーんだ、つまりさっきの白と青は長門のパンツだったのか。分かれば何て事はないな、有希で見慣れてるし。
それにこの流れのオチはもう見えてるんだ、目の前には黒いオーラが充満している。ははは、だから偶然だし、お前が気絶させたからだろーっ?!
対する有希さんのお言葉。
「浮気者」
はい、脳天にドロップキックを喰らって俺の意識は再び飛んだ。いつになったら長門お手製の料理を食べれるんだろうか…………
「起きて」
えーと、三度目だっけ? 起きた時には俺はコタツの天板に伏せていた。どうやらこれが長門たち的には一番いい体勢だったようだ、俺は体中が痛いんだけど。って、もう何度も頭を打ってるから意識もはっきりしてないんですけど。
とにかく今度こそ意識を飛ばさないように気をつけよう、今までだって俺が原因なのは全く無いけど。まずは背を伸ばし、肩を回してあちこち痛む体を伸ばす。
「大丈夫?」
机の上の有希が心配そうに声をかけてくれる。いや、原因の主たるものはお前だ。でも心配してくれるから許す。
「で? 結局晩飯は何なんだ?」
「用意している」
おお、ついに長門の料理が目の前に。結構時間が経ってしまったと思うのだが温めなおしてくれたのか、茶碗からもホカホカと湯気が上がっている。
さて、肝心のメニューなのだが、
「和食か」
それは純粋な和食だった。但し白飯ではなくてお粥である。それも小豆が入った雑穀粥だ、美味そうではあるが何故なんだ? それとおかずが一汁三菜、カボチャの煮つけとカボチャの天ぷら、餃子とカボチャの味噌汁だ。えーと。
「何だ? 俺は別にベジタリアンじゃないぞ」
「餃子がある」
ああ、そうだな。だが些かバランスが悪いような気もするのだが。お粥に揚げ物に煮物に焼き物、それと味噌汁か。あれ? バランスいいのか?
しかし野菜中心だし腹持ちがいいとは言えないだろう、高校生が食べるにはちょっと味気ないというか。
「どうしてこんなメニューになったんだ? 気持ちは嬉しいけど少々物足りないというか、どうしても肉とか食べたくなっちまいそうなんだが」
すると長門と有希は顔を見合わせ、
「「知らないの?」」
同時に言われてしまった。知らないって何がだ? 俺は二人の長門有希の態度に戸惑うしかない。
「携帯を出して」
有希がそう言ったので俺は携帯を取り出した。開けて見せると有希が何やら携帯に乗っかって操作している。
「これ」
操作を終えた有希が携帯から降りたので覗きこむと、カレンダーが表示されている。日付は十二月二十二日を表示していた。
「これが何だ?」
「…………本日は冬至」
あまりに鈍い俺に有希が呆れたように答えを教えてくれた。なるほど、今日は冬至だったのか。
「それでカボチャってのは聞いた事があるな」
実際ウチの晩飯でもカボチャの煮つけは出てたと思う。天ぷらと味噌汁も分からなくはない。
「だけど何でお粥なんだ?」
「カボチャと同様、冬至がゆ(小豆がゆ)を食することにより風邪を引かないという風習がある」
自慢げに言っているのは長門である。どうもこいつは知識を披露するのが楽しいようだ、ある意味古泉の今後の出番が無くなるんじゃないか?
「それなら餃子の意味は?」
「中国北方では餃子を、南方では湯圓(餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣がある。今回は野菜が多目の為にバランスを考慮して餃子を選択した。 また、この日は家族団欒で過ごすという風習もある。餃子はそれを表してもいる」
そうか、そう言われると納得だ。何より長門が俺と有希を家族だと思い、団欒を望んでくれているというのが嬉しいじゃないか。有希も静かに頷いた。
「そっか、ありがとな。喜んでいただくよ」
「どうぞ」
こうしてようやく俺は長門と有希の作った冬至の料理を頂ける事となったのだ。やれやれ、飯を食うために三回も気絶したのは俺くらいじゃないか?
結論から言えば長門の作った料理はとても美味かった。カボチャの煮付けは煮崩れすることなく甘辛く煮付けられていたし、箸で持てるのにスッと箸でも切れるという絶妙の固さは口に入れると歯ごたえがあるのに舌の上では溶けてゆく。
天ぷらも衣がサクサクしているし、味噌汁はいい塩梅だった。揚げ物や煮つけが濃い目の味付けだったのだが、小豆粥のあっさりとした味付けで胃が落ち着く。小豆が入っているので甘めかと思えば逆に塩加減が効いていい感じなのだ。
最後に餃子も皮の中に肉汁が充満してジューシーでありながらもそれが後を引く美味さであって、しかも肉汁を閉じ込めておけるように一口サイズに作られている。
「九州は博多の餃子の作成法を参考にした。肉汁を逃さないように一口で食す事を推奨する」
確かにそうした方が美味い。しかし、
「あっつっ!」
一気に食べれば口の中に肉汁が広がり、それは焼きたての熱さを含めたままなので食べ方が悪ければこうなる。つまりは舌を火傷する、口の中で噛む時に注意するべきだった。
かといって吐き出すなんて出来るはずもないので一気に飲み込んだら口の中から喉まで熱い。だからって熱さにのた打ち回ったら長門に失礼だろ。なのでグッと我慢する。男とは小さな事にプライドの全てをかけることが出来るのだ。
「これを」
すると長門が水を差し出した。流石は長門、よく分かっている。
「涙目になっている」
そうですか。だって熱いんだもんよ、美味しかったんだけど。
「…………ごめんなさい」
何を謝ってるんだ長門、お前は何も悪くないだろ。ジューシーな餃子が美味いからこうなるのであって、感謝することがあっても怒る要素はない。
とにかく水も飲んだし落ち着いたから良しとする。残りも美味しく頂いていた俺だが、餃子と同レベルの罠がそこには待ち構えていた。
「ああっつーっ!!」
それは食べ進めていた小豆粥だった。表面は冷めかけてきていたのだが、まだまだ中に熱を保ったままだったのだ。それを忘れてレンゲで一気にすくって食べたのが悪かった。おまけにさっきの火傷のダメージがまだ残っていたのか、口の中がまだヒリヒリしていたのだ。
つまり敏感になっていたところに再び熱さがやってきたのだ、俺の口内はその熱さに耐え切れなかった。慌てて長門が差し出した水を一気飲みする。
「…………ごめんなさい」
いやいや、何を謝るんだ長門、俺がいい気になって一気に食べたのが悪いんだ。タイミングよく水まで渡してもらって嬉しいくらいさ。
「涙目で顔が紅潮している」
だろうな。だけど俺は泣かないよ、男の子だもん。でも水が口の中で沁みるんだけど。とりあえずみっともない姿を見せる事無く俺は綺麗に食べきった。
「ごちそうさま、美味かったよ」
手を合わせて食事を終えた俺の素直な感想だ。確かに熱かったのもあるが味が悪かったなどというものは一品も無かった。やはり長門は万能選手なのだと改めて思う、それが俺の為だけに料理の腕を披露してくれたのだから感動したっていいだろう。
こうして長門の心づくしの冬至の料理を堪能した俺は長門の淹れてくれたお茶で一息つこうとしたのだが。
「あちっ!」
まだ口内が火傷で爛れていたのか、熱い緑茶が沁みてしまった。いかんな、舌がヒリヒリする。
「大丈夫?」
長門が覗き込むようにして訊いてきた。その上目遣いはなかなか素晴らしいが大丈夫だ、水でも飲んでしばらくすれば納まるさ。
「口内を確認する、口を開けて」
は? いやだから大丈夫だって。しかしこのような事を言い出した長門は頑固だ、しかも俺の事を心配してくれての発言なので単に断わるのも申し訳ない。なので俺は結局口を開いて長門に見せることとなったのだが、
「あー、もういいか?」
これが思った以上に恥かしい。考えてみれば口の中をじっくりと見られるなんて生活の中でも歯医者にでも行かない限りはありえない状況だ、それを同級生の、しかも女の子に覗かれるなんてどう考えてもおかしな話だ。
今更ながら羞恥心に火が点いた俺は口を閉じようとして、
「待って」
と長門に顎関節を押さえられて無理矢理口を開かされた。というか片手で鷲掴みにされた。同級生の女の子に顔を鷲掴みにされて口を無理矢理開かされた間抜けな高校生、それが俺である。
「ひゃにふんら、ひゃらほ」
「わたしは長門有希」
言えないんだって。という反論も言えないけど。それどころか長門は俺に羞恥心の上塗りを命じたのである。
「舌を出して」
何で?
「火傷の状態を確認する。舌を出して」
何だろう、これは。俺は何故綺麗な女の子に顔を鷲掴みにされて口を無理矢理開かされた挙句に舌を出しているんだ? これはさっきまでの幸せの代償というのならばあんまりだと思う。
しかし長門は一度言い出した事は翻さない、俺は仕方なく舌を伸ばした。
「もう少し舌を伸ばして」
無茶言うな、これでも結構顎も痛くなってきてるんだ。目一杯舌を伸ばすアホ面の高校生、これが俺である。それでも長門に逆らう事無く舌を伸ばしているんだから、そろそろ勘弁してもらえないだろうか?
「軽度の温熱熱傷を確認した」
そうだろうな、火傷したからヒリヒリするんだし。ということで舌を引っ込めていいか?
「患部を治療する」
何? 治療って何するんだよ、と舌を出しているので上手く言えない俺に長門の顔が近づいてきて。
「治療開始」
その言葉と共に俺の舌が長門の唇に挟まれた。うん、俺の舌が長門にはむはむされてる。
え? 何コレ、何で俺の舌が長門に食べられてるの? しかもチロチロと舌の上を這う感触。舐められてる、俺の舌が長門の舌に舐められてる!
どうしよう、どうしたらいいんだろう? 羞恥に顔が染まるのは自覚出来ているがどうしようもない。頭の中が沸騰しそうになりながらも大人しく長門に舐められるしかなかった。
どのくらいの時間が経ったのか、恐らく数秒なのだろうが体内時計は永遠とも呼べる時を刻み、
「…………治療完了」
言葉と同時に長門の唇が離れる。唾液が繋がるように垂れていたのが扇情的で、俺の羞恥は頂点に達する。
「な、な、な、ながとぉ?」
何を今更ながら俺は長門の顔がまともに見れなかった。思わず逃げ出したいと思ったくらいだ、いくら長門とはいえやっていいことと悪い事があるだろ?!
しかし、長門は長門だったのだ。先程までの行為が無かったかのように淡々と平面な声で、
「もう大丈夫、熱傷は完治した」
そう言った顔は普段どおりの無表情だったのだ。何か俺だけ大騒ぎしたみたいで毒気が抜かれる。
「あ、ああ…………ありがとな」
普通にお礼を言ってしまった。顔の赤いのはまだ治りそうもないが、何か落ち着くしかないような。
「どうぞ」
長門も普通にお茶を出してくれて、それを普通に飲む。確かに沁みなかった、治療は完璧ということなのだろう。
「あ、あー、治してくれてありがとう」
改めて礼を言うと長門は淡々と、
「いい。火傷の原因はわたしにある、当然の行為。それに、」
そう言いながら自分の唇にそっと手を当て、
「これは役得」
わずかだけど目を細めた。そしてほんの少しだけ上向く唇。目視出来るかどうか分からないが確かに染まるピンクの頬。
至高の微笑みを浮かべる長門有希がそこにいた。
やばい、可愛すぎる。今までの大胆な行動は何だったんだ? 思い切り(長門からすれば)照れているその姿は萌えるとしか言い様がない。
もう我慢の限界です。思い切り抱きしめたいのですが、既にオチが見えていた。
今までの話の流れを思い返してみよう、俺は長門の料理を食べて火傷して長門に治療してもらった。
はい、火傷まではよかったんだ。その後が大問題だったんだ。というかよく黙ってたな、治療だったからか長門だったからか? それでも我慢の限界だったらしい。
目の前に広がる暗黒のオーラ。
長門よりも分かりやすく感情を出すようになった俺の恋人が怒りで肩を震わせていた。
「す、すまん! だけどこれって治療だよな? だからそんなに、」
「浮気者」
最後まで謝罪を言えず、俺は脳天に衝撃を受けて気を失った。結局食事以外はずっと気を失ってたんじゃないか、俺。
「起きて」
目を覚ますとそこは長門の部屋ではなかった。見慣れた天井で分かるが俺の部屋である、どうやって連れて帰ったのか訊くのが怖いな。
「あ、ああ。ごめんな、有希」
まだ頭が痛むがそれどころではない。まずは彼女に謝らなければ何も出来ないのだ。そのまま土下座に移行しようとした俺を有希は制すると、
「いい。あれは治療行為だと理解はしている。サイズの問題でわたしには出来ない行為だった。でも、」
俺にキスをした。
「悔しかった。あなたはわたしのものなのに」
そのストレートな物言いが俺の胸を打つ。そうだ、あいつも長門有希だけど俺の恋人の長門有希は目の前の小さな彼女だけなのに。
「…………ごめん」
情けないくらい同じ事を繰り返すしかなかった。ちょっとでも浮かれた俺がバカだった、有希はサイズの問題で何も出来ないと言ってたのにそんな事を考慮することもなかったなんて最低だ。
「ほんっとうにすいませんでした!」
改めて土下座もした、そのくらいで許してもらえるなんて思いもしないが俺が誠意を見せる方法なんてこのくらいしかない。何てバカなんだ俺は。
「………………いいの。わたしも悪かったのだから」
有希はそう言うと俺の頭を抱え込むように抱きしめた。
「許して、くれるのか?」
「そう、もう怒ってないから」
体を起こした俺は有希を抱きしめた。こんなに健気で可愛い彼女がいるか? 間違いなくいないだろ。
「今度からは気をつけるよ、火傷なんかしないからさ」
「そう」
ああ、誓うよ。俺は誓いのキスを有希と交わした。これから熱いものを食べる時は気をつけよう、それを思いながら。
「料理は美味しかった?」
ああ、美味かったよ。
「そう。ここからはわたしの提案。あなたに冬至を満喫してもらいたい」
まだ何かあるのか? すると肩の上に有希が飛び乗った。
「こちらへ」
連れて来られたのは風呂場だ。
「脱いで」
えらくまた積極的だな。だが毎晩の事なので慣れているから素直に脱ぐ。当然有希もだけど見せてやらないからな。
で、まあ脱いだら風呂に入れということなので風呂場のドアを開けると柑橘系の香りがしてきた。
「なるほど、これはいいな」
風呂の中に柚子が浮かんでいる。
「柚子湯。これに浸かる事により風邪を引かないと信じられている」
ああ、これくらいは知ってるぞ。プカプカと浮いている柚子から香る柑橘系のそれは湯気と溶け合うようで風呂の雰囲気が違って感じる。
「温まる?」
最高だね。だけどちょっといいか?
「なに?」
いや、浮いている柚子の上に全裸で座ってる有希はまったく浸かってないんだけど。
「足は浸かっている。半身浴」
そうか。だけどこう、丸見えの女の子が目の前に座ってるというのは何というか。
「見たい?」
何を、という間もなく目の前に柚子の上に座った有希が。正面を向いて。両足を開いてくれちゃって。
「どう?」
すいません、いただきます。
「柚子を?」
いえ、柚子の上です。
「そう」
ということで大変美味しくいただきました。ゆずと一文字違いの方を。
こうして俺は冬至を満喫したのだが風邪を引かないはずの料理を食べて柚子湯にも入ったのに翌日風邪を引いたのは何故だろう?
「お風呂に浸かってなかったから」
ですよね。