『SS』 たとえば彼女へ………


 その日がとんでもなく寒いと辟易しながら朝のワイドショーで例年よりも暖かいと言われて矢張りテレビは信用出来んと思いながらも吐いた息の白さに本格的な冬を感じていた今日この頃の話である。俺はすっかり暗くなった道を自宅へと帰る途中であった。
 学生が制服姿で纏える防寒着はせいぜいコートに手袋、マフラーといったところであって俺はそのうち二つを装備していた。手袋は何となく邪魔だったのでしなかった。マフラーに顔を突っ込み、吐いた息で暖を取る。
「やれやれ、早いとこ帰って風呂にでも入りたいぜ」
 実際に体は疲労で悲鳴を上げている。ただし苦痛ではない、心地良い疲労なのだ。というのも、先程まで俺達は文芸部室でパーティーを開いていたからであり、それはもう盛り上がったからなのだ。
「まあ楽しかったから良しということだな」
 帰り道で何度も思い出し笑いなどしている姿は傍目から見れば不気味だったかもしれないが、それだけ楽しい時間であったことは否定出来ない。
「ただなあ、またアレだったのは勘弁して欲しかったが……」
 去年に引き続いて被り物を無理矢理被らされ、一発芸という名の羞恥プレイを強制された俺は鶴屋さんの爆笑を背に窓から飛び降りようとして朝比奈さんに止められた。そんな事も楽しい思い出になるのかもしれない。
 そんな一日だったのだ。ハルヒが、朝比奈さんが、古泉が、鶴屋さんも国木田に谷口もいた。皆が笑っていた。そして、あいつも。
 あれから様々な出来事があり、こうして笑って今日を迎える事が出来る。その事をあいつも喜んでくれている、そう思いたいもんだ。ふと儚い彼女の微笑みを思い出し、マフラーに顔を埋めた途端に視界に飛び込むあいつの姿。






 ……………………いつからそこにいたんだよ? 






 漆黒の髪は闇の中に溶け込むように周囲と同化して全体の輪郭を曖昧なものにしている。
 その中で浮かぶ白皙の顔を強調させるかのように。
 双眸の深遠たる黒は上空の漆黒よりも尚深く、その中に新星なる光を湛えて。
 何も上着など着ていない制服は闇と同じ黒一色。風景の全てが黒く見えるように。
 そしてそこには何も意思を感じさせない無表情がある。




 そうさ、周防九曜はいつでも俺の傍に現れる。




「――――――――――」
「…………………………」
 この沈黙も慣れたもので、俺はいつものように話を切り出そうとした時だった。九曜はゆるゆると両手を広げて顔の横に持ってきた。
「――――パッ――――――でた―――――――」
 え、え〜と、スベリ芸?
「スベる――――ゆーな――――――」
 表情も変えずに両手を突き出し抗議する芸人宇宙人なのだが、どう見てもスベリ芸である。何なんだ? こいつはこの年の瀬にスベる為に現れたのだろうか。だとするとなかなか出来るもんじゃない、俺もついさっき人生をやり直したいと思ったばかりだ。それだけスベるというのは怖いのである、芸人にとっては。いや、何で俺が芸人根性を語っているんだ?
 兎にも角にも、もういい加減遅い時間帯である。放課後からずっとパーティーだったので解散時間がそこまで遅かった訳ではないが、日が暮れるのも早いのですっかり辺りは暗くなっている。後は家に帰ってのんびりするだけだったのだ、今頃出てこられても対処に困るというか。
「それに佐々木はどうしたんだ? もう遅いから家に居るのか?」
 俺達は遊びすぎているから仕方ないが佐々木などは規則正しい生活を送っているだろうから当然だろうと思って訊いただけだったのだが。
「彼女は―――――塾で―――――」
 ああ、そうなのか。今日くらいは勉強なんか考えるもんじゃないし考えたくもないだろうに。いくら進学校とはいえやりすぎな気になるな、勉強机で真面目に授業を受けている佐々木は容易に想像出来るものの今日という日付を考えると可哀想な気分だ。
「そんで残りのアレとかアレは何してやがんだ? 佐々木のフォローくらいはしてやってるんだろうな?」
 特にツインテールのアレなんかはその為にいるんだろうが。というか、そのくらいしか役に立たないだろうがアレは。
「アレと――――アレは―――――レッツ――――パーリィ―――――」
 なんでそんなに流暢に話しやがる。いや、佐々木抜きで楽しんでるのか、最低だなあいつら。
「血で―――血を洗う―――――パーリィの――――始まりだぜ――――――」
 いや、こええよ!
「いくぜ―――――野郎ども―――――」
 Yhaaaaaaaaaaa!!!! って、しねえよ! 何なんだ、お前んとこの連中は。ていうかいつの間に眼帯をしてるんだ、てめえ。
「これも―――――」
 九曜はそっと俺の手に何かを握らせた。見るとそれはマヨネーズだった。
 えーと。
「…………中の人ネタじゃねえかああああああっ!!」
 俺はマヨネーズを地面に叩きつけた。何でアレとアレの話をしていて中の人に繋がらねばならんのだ、しかもマヨ系統で。
「いいか、俺はマヨネーズに何の恨みも無いが用事もないんだ! いいからアレとアレがどうなったのか教えやがれ!」
 すると九曜は小首を傾げ、
「――――ああ」
 と手を叩くと、
「これを――――――どうぞ――――?」
 何かを俺に握らせた。何かと言えばイチゴ牛乳のパックである。いやあ、ちょうど甘いものが欲しかったんだよ。そうじゃないと俺死んじゃうから。ということで一気に飲み干す。やっぱ糖分は重要だよ、うん。
 えーと。
「って、やっぱ中の人ネタじゃねえかああああああああっ!!」
 俺は中身の無くなったイチゴ牛乳のパックを九曜に叩きつけた。
「――――いたい――――」
 知るかぁ! いいか、ネタとして中の人ネタなんて風化しやすいし文章で表現すんのはめんどくさいんだ! それに俺が訊いてるのはアレとかアレの話だ!
「―――――――――さて?」
 うわ、こいつマジで知らないんだ。つかどうでもいいんだね、あいつら? すると素直に頷く周防九曜。何というかアレな奴らだが哀れにも思えてきた。 
「まあいいや、俺帰るから」
 正直なところ疲れている上に帰ってからも妹の相手をしなくてはならないのが確定しているのだ、あいつもパーティとかあったようだがそのままのテンションでいるのは間違いないしな。
 ということで今日は九曜の相手などしている暇はないのである。いつも暇な時にしか出てこないのに珍しいとも言えるのではあるがタイミングが悪すぎるだろ。
「―――――――――」
 アレ? 九曜さん? 何故俺の制服の裾を摘んじゃってるんですか? 離してくださいよ、俺帰らなきゃなんですから。
「調べました―――――――よ?」
 何を?
「検索――――サイトの―――――――ヤホーで―――――」
 Yahooね。確かにそう読めるけどね。
「クリスマス――――って――――ご存知ですか――――?」
 うん、今日だね。っていうか誰でも知ってるからね、そういうの。
「今日は―――――私が―――――クリスマスを――――――説明したい?」
 知らないよ、説明されなくても分かってるよ! いつまでやるんだよ、浅草の星!
「クリキントンとは――――――」
 クリスマスね。
「イエス・ウィー・キャンの―――――誕生日でして―――――」
 イエス=キリストね、何もチェンジしないからね。
「その日に――――――毒蝮―――――三太夫が――――――」
 サンタクロースね、サンしか合ってないからね?
「不法侵入して―――――――少年少女を――――――泣かせるという―――――」
 それはプレゼントを貰ってうれし泣きしてるんだよね? ただの犯罪だよね、サンタ! 
「そんな―――――滝川――――――クリステルを――――――よろしく――――――お願いします――――――?」
 まったく合ってないじゃねえか! というか一ネタやりきりやがったな。よく付き合ったな俺。
「もう満足したろ? それじゃ帰らせてくれ」
 浅草演芸場で一仕事終わったら庄司歌江師匠の説教を受けるかのような妹の相手という面倒が待っているのだ、いい加減寒いし帰ってもいいんじゃないだろうか。
 だがしかし、俺の制服の裾は尚も引かれたままだったのだ。まだ何かあるのかよ?
「――――――――」
 少し力を入れたら解けそうなその手を離せないのは九曜の瞳に宿る光のせいなのかもしれない。しかも長々とやり取りしていてこいつの意図にも気付いてしまったから始末に終えない。
 要するにこの生まれたてのゼロ歳児宇宙人はクリスマスなるものを知識としては知っていても経験はしたことがないのだ。ちょっと知識も怪しいものだがネタだと思っておこう。
 はあ、何だってこんなに回りくどい事になってんだ? だが周防九曜は瞳だけで俺に訴えかける。そして宇宙人の瞳の訴えに何故か俺は逆らえないのであって。
「分かった分かった、ちょっとだけだからな?」
 どうせ遅くなったついでだ、もう一人の宇宙人さんにも地球のクリスマスってやつを経験してもらおうか。あいつもSOS団でのクリスマスパーティをそれなりに楽しんでいてくれたからな、九曜も少しはおこぼれに預かるって訳じゃないが楽しんでもいいのかもしれない。
「さて、何処に行けばいいんだろうな?」
 ツッコミを入れすぎて緩んだマフラーを締めなおし、寒さに身をすくめてから九曜を見やる。上着すら着ていないこいつの方が平気なのだからまるでこっちが寒がりに見えちまうな。
「―――――どこでも――――いいわ―――――」
 へいへい、お前に訊いても意味は無いよな。適当にイルミネーションがありそうなとこまで出てみるか、そう思って歩き出すと九曜も静かに付き添ってくる。
 それにしても夜になって冷え込みも厳しくなってきたようだ、思わず両手に息を吐きかけると白くて寒さを際出させてくれる。
 しまったな、手袋もしてくるべきだったぞ。仕方なくポケットに手を突っ込もうとしたら、
「――――――――手を」
 短い言葉と差し出された手。これで頬でも赤かったら雰囲気もあるのだろうが生憎と無表情のままなのだ。
 その姿が何というか、まるで迷子にならないように差し出されたように見えて照れるどころか微笑んでしまった。
「はいよ、離すんじゃないぞ」
 九曜の手は表情のように冷たくなくて温かいものだった。もしかしたら手だけ体温を上げたりすることも可能なのかもしれないが、そこまで考えるのも野暮ってもんだろう。
「そんじゃ行くか」
 数ミリの首肯という見慣れた態度の宇宙人と手を繋いで俺はクリスマスとやらを満喫させるべく街へと繰り出す事となったのであった。