『SS』 金銀・ダイアモンド&パールプレゼント 8

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 こうしてハルヒの笑顔が表すとおり、俺達はドジョウ娘と力一杯遊びまくった。どのくらい全力だったのかと言えば、ハルヒが投げたビーチボールを古泉が避けてそれが朝比奈さんの顔面にヒットしたり、ドジョウ娘が朝比奈さんの豊かすぎる胸部をボールのように跳ねさせてそれを見た俺がハルヒに殴られたり、長門がソッと近づいてきて俺の耳元で「わたしの方が勝っている」と言ったその視線の先にはささやかなる膨らみがあったりしたくらいには全力だったのだ。
 そんな楽しい時間も、
「あー、楽しかったー!」
 というハルヒの一言で終わりを告げる。心地良い疲れを残したまま着替えた俺達はプール前で再集合したのだが。
「…………なによ?」
「あー、いや、うん」
 長門、朝比奈さん、ドジョウ娘ときた最後に更衣室から出てきたハルヒを見て俺は言葉を失った。ハルヒは制服姿だったのだ。違った、ハルヒは髪型を変えていたのだった。
「髪も濡れちゃったし、乾かしたけど纏まりが悪かったのよ! それだけなんだからね?!」
 あー、そうかい。随分と綺麗に髪は梳かしてあるように見えるのは元々手入れが行き届いているからなんだよな? 間違っても何度もやり直してくれている訳じゃないんだよな? それほどまでにハルヒのポニーテールは俺のツボを着いてくれていたのだが。
「おっかしいわよね、夢なんだから髪くらいパパーッと乾いちゃえばいいのに」
 そうなっていたらお前のポニーテールは拝めなかったということか? それなら夢じゃなくて良かったくらいだ。いや、ハルヒにとっては夢でも俺にとっては夢じゃないんだよな。
「だからさっきから何なのよ? 言いたいことがあるならハッキリ言いなさい」
 そういうハルヒは既に頬がピンク色なのは水から上がって冷えていた体が火照ってきているからだよな。そう思うことにしとこう。俺を睨むような、期待しているかのような上目遣いも夢だからこそなんだと思うから。
 どうせハルヒにとっちゃ夢なんだ、少しはちゃんと答えてやるか。
「似合ってるぞハルヒ、激しく萌えるってやつだな」
 うわ、我ながら照れくさい。言った傍からこっちの顔が熱くなるぜ。
「うっ、うん! あ、あったりまえじゃない! あたしは何したって似合うんだから!」
 そういう自信溢れるセリフは、こっちをちゃんと見てから言ってくれ。そっぽを向かれても耳たぶまで赤いぞ。
「ほら! とっとと行くわよ!」
 結局目を合わさずに朝比奈さんを引っ張ってハルヒは先頭を歩き出した。やれやれ、ちょっと言い過ぎたか? 自分でも思わず口に出しちまったしな。
「いやいや、今回の件の提案といい、あなたにしては大胆な行動に驚かされっぱなしの一日でしたよ」
 うるせえよ、たまには俺だってふざけたい時があるだけだ。古泉のニヤケ面にどこか妙なニュアンスを感じてしまい、俺は古泉の尻を蹴り上げた。そんなじゃれ合いに苦笑しながら、
「実は僕もかなり楽しかったんですよ。何と言ってもSOS団初の不思議体験です、涼宮さんが夢だと思っていても楽しかったと言えますからね」
 そうかい。施設の利用が終わったので手続きを取るという古泉が一旦離れ、俺達は入口で待つことになった。
ハルヒーは、変わったー?」
 いきなりなんだ? ドジョウ娘は俺の袖口を引くと唐突にそう言った。
「ああ、髪型のことか? お前もやってみたいのか?」
「ヒゲはー、変えられないー」
 え、お前のその髪型ってドジョウのヒゲだったのか?! 意外すぎる事実がこんなところで判明してしまった。本当にどうでもいい話だったが、何してんだ長門
「…………足りない」
 無理に髪を結ぼうとするな、お前はそのままでいいんだよ。
「そう」
 一瞬、髪の長い長門というものも想像してみたが矢張りショートカットの方がしっくりくる。眼鏡が無い方がいい、と同じくらいには。長門長門だからいいんだ、無理なんかする必要はないさ。




 しばらくして古泉も合流したので帰りの車内。しばらくは騒いでいたハルヒであるがやがて、
「く〜……」
 隣の朝比奈さんにもたれ掛かるようにして寝息を立てていた。その朝比奈さんも現在はお休み中である、何気にお疲れ様だったと思うな。
「ぐう〜……」
 何故かそのハルヒの膝枕でドジョウ娘まで寝てしまっていた。知らなかった、ドジョウも寝るんだな。
 ということで残った三人は事後処理に追われる事となっている。俺だって疲れてはいるが仕方ないだろう。
「幸い涼宮さんがお休みになられたので辻褄は合わせやすいですね。車で家の前まで運びますので後は長門さんにお任せするということで」
 だ、そうだが頼めるか? ハルヒを着替えさせてベッドに運び入れるまでの作業になるが。
「了解した。その後わたしは帰宅して待機する」
「お前はどうするんだ、古泉?」
「僕は朝比奈さんをお送りした後に学校に戻って替え玉の用意をします。まあ既に『機関』で用意してありますので、それほど手間はかからないかと思いますけど」
 そうか、すまないが頼む。承知しました、と古泉が頭を下げたところで車は静かに止まった。
「では、あなたはこのままお休みください」
 なんだ、家の前か? 俺も一緒に行くぞ。
「それでは徹夜になってしまいます。万が一あなたが遅刻や欠席になってしまうと涼宮さんの機嫌が悪くなって元の木阿弥です、ここは僕らに任せてください」
 お前だって徹夜じゃないか。古泉の家を知っているわけじゃないが、ハルヒ長門に朝比奈さんまで送った後で北高まで戻れば休憩時間はあまり取れないだろうに。
「僕は慣れてますから。それに、」
 鍛えてますので、と言われたので大人しく従うことにした。考えてみれば何時閉鎖空間に呼び出されるか分からない毎日を過ごしてきた古泉にとっては徹夜など日常茶飯事なのかもしれない。
「今日は僕も楽しめましたし、このくらいのアフターケアで済むなら充分ですよ。それではまた学校で」
 と、降りる前に確認しなくては。
「ドジョウはどうするんだ?」
「わたしが預かる」
 即答で長門が答えた。いいのか?
「元来わたしはあなたにドジョウの世話を依頼されている。最後まで責任を負うのはわたし」
「すまないな、こんな風になるとは思わなかったんだ」
「いい。あなたの依頼を完全に遂行する、それはわたしの意志でもある。それに、ドジョウという生命体にもわたしは愛着に近い感情を持ち始めている。これはあなたがドジョウと接触する機会を与えてくれたから。感謝する」
 そう言ってもらえるとありがたいな。長門がまた少しだけ人間に近くなったのかもしれない、それは俺にとっても喜ばしい事だと思う。ハルヒの膝の上で眠るドジョウを見る長門の目に優しい光が見えたような気がするのも気のせいなんかじゃないだろうさ。
「なあ、本当にドジョウの奴は消えちまうのか?」
「実際は分かりませんね、涼宮さんがどのように今日の出来事を思うかにより結果は変わるはずです」
涼宮ハルヒが夢と現実を完全に隔離すればドジョウは消える。だが、再度夢を望むのならばあるいはドジョウという存在が留まるかもしれない。これはわたしにも予測は不能
 全てはハルヒが目覚めて替え玉のドジョウを見てからのことか。もしかしたら消えてしまうかもしれないドジョウ娘が起きている時に最後に挨拶くらいしておくべきだったかもな。
「そうは言いますが、確信があるのではないですか?」
 何がだよ。
「涼宮さんがドジョウ娘さんを消さない、ということですよ」
 それは俺にも分からない。だがハルヒがあれだけ楽しんでいたんだ、悪い結果にだけはならないんじゃないかと思うだけだ。
「それだけで充分だと思いますよ、僕らも彼女が消えてしまうことを望んではいませんしね」
 では、なるべく休んでください。という古泉の言葉を最後に俺は車を降りて家へと帰ったのだった。後はあいつらに任せるしかない、情けないが何の力もない俺はせめて明日ハルヒに疑われないように休養するだけだ。
 散々歩いたり運動した挙句に深夜の水泳までこなしたんだ。俺はベッドに倒れこむと即座に意識を飛ばしていった…………





 翌朝、俺はどうにかいつもと変わらない時刻に目を覚ました。妹のダイブが役に立ったと思う日が来るとはなあ。腹は痛いが、昨日の疲れは多少だるいだけで済んでいる。まだまだ俺も若者の範囲なのだ、筋肉痛などになっていたら逆にショックだ。
 それでも体全体に倦怠感が残っていたので結局家を出る頃には遅刻とのデッドレースをせねばならない状況には陥っていた。昨日長門のマンションに置いたままだったはずの自転車が家にあったときには『機関』に感謝したくなったほどだ。必死になって自転車を漕ぎ、走る気にもならないが急ぎ足で坂を登ってどうにか教室に飛び込んだ時には昨日のプールの方がまだマシだったと思ったものだ。
 適当に国木田や谷口と挨拶を交わしながら席に着けば後ろの住人は既に来ていたものの机にうつ伏せたまま顔も上げようともしない。まあ原因は俺と同じで寝不足なのだが本人は理解していないだろうな。
 俺も疲れているからハルヒに習って席に着いてうつ伏せようかと思ったのだが、何となくハルヒに声をかけてしまった。
「どうした、随分疲れてるじゃないか。寝不足か?」
 するとハルヒは顔も上げず、
「うっさいわね、十分寝てたわよ。ただ夢のせいなだけ」
「夢? 悪夢でも見たのか?」
「逆よ、すっごくいい夢見たもん。だけど夢ではしゃぎ過ぎたら変に疲れてただけ」
 夢じゃないからしょうがないよな。とも言えるはずもないので、
「寝ながら暴れてたんじゃないのか? 寝相悪そうだもんな」
 からかうように言うと、
「そんな訳ないでしょ! とにかくあたしは疲れてるから寝てるわ、話しかけてこないでよね」
「へいへい、授業はいいのかよ」
 いつものハルヒからは想像出来ないほどあっさりと俺との会話を打ち切ると、早々に寝息を立て始めた。本当に疲れてたんだな、あれだけ遊んでいれば仕方ないだろうとも思うけど放課後まで寝る気か?
 それでもハルヒはいい夢を見たと言った。確かにいい夢だと思ってくれたんだ、それでいいんだろうさ。
 さて、俺も少しは体力回復といこうか。ハルヒ同様机に伏せると俺も授業を回避することにした。元々の出来が違うので後々が怖いが、そこはハルヒに責任を取ってもらうことにしとこう。試験勉強でスパルタは覚悟しておかないとな。
 などと思っているうちに俺の意識もいつの間にか無くなっていった。ハルヒとドジョウ娘が笑っている、本当の夢を見ながら。






 放課後のチャイムを聞くまで俺とハルヒは目を覚まさなかった。昼休みすら起きなかった俺達に誰も声をかけなかったのもどうかと思うのだが、目覚めは悪くはなかった。ただ体勢が悪かったから背伸びしたらあちこちが痛かったくらいだ。
「さ、行くわよ!」
 こっちは何一つダメージを感じさせないハルヒにネクタイを引っ張られて俺も無理矢理立ち上がる。
「お前昼飯はいいのかよ?」
「後でキョンのお弁当を食べるからいいわ」
 おい、俺の分はどうなるんだよ? 俺だって昼飯食ってないんだぞ! 
「ちゃんとあんたにも分けてあげるからいいじゃない」
 俺の弁当だ! という俺の抗議もネクタイを強く引かれる事で却下された。どうやら昼飯は食えないで決定だな、なんで自分の弁当でおこぼれを期待せねばならんのだ。
 そう思うと急に腹が減ってきたのだがまずは部室へ行かないとな。このままでは俺は死ぬ、空腹ではなく絞殺される。弁当目的なのか早足のハルヒに合わせて前のめりで走らざるを得ない俺だった。






「やっほー! みんないるわね?」
 いつものようにドアを蹴り開けてハルヒが部室に入る。飯も食ってないのに元気な奴だ。俺もようやく首周りが解放されて一息つけた。
「あ、おはようございます涼宮さん」
 よかった、朝比奈さんは既に着替えていた様子である。いや? もしかしたら着替えていないのか? 昨日帰る直前までメイド服だったものだから、ついそんな事を考えてしまう。実際は俺達と同じように授業も受けてるはずだから制服から着替えているはずなのだが朝比奈さんならメイド服で授業を聞いてても納得してしまいそうなのが怖い。
 そんな失礼な事を考えている俺にも平等に美味しいお茶を淹れて下さる地上に舞い降りた天使に心の中で謝罪をしながら湯飲みを傾けていると、
「どうやらご機嫌はよろしいようですね」
 古泉がホッとした様子で話しかけてきた。
「まあ今日一日は授業があって無い様なものだったからな。それよりお前は大丈夫なのか?」
 多分こいつが一番働き尽くめだ、俺としては多少気にしてやったのだが、
「ありがとうございます。それでも仮眠が取れただけマシでしたね」
 相変わらずの爽やかなスマイルを見て安心したようなムカツクような微妙な気分になった。こいつが取り乱すなんて事があるのかね? そうかい、とだけ言って古泉が用意したオセロをする。
 その途中で目線を向ければ長門は定位置で読書中だった。こいつこそ最大の立役者なのだが、寝ることなど無くここにいるような気がする。思わず立ち上がって長門に近づき、
「おい、大丈夫なのか?」
 と訊いてみると、長門は本から目線を上げ、
「平気」
 簡潔に答えると再び視線を本へと落としたのだった。まあ長門が疲れたとか言い出したらそれこそ緊急事態なのだが。
 こうしていつものSOS団の活動(若干疲れ気味)となっていたのだが、今日に限ってはそのままでいられなかったのは覚悟はしていたのだ。
「ねえ、ドジョウちゃんの飼い主は見つかったの?」
 団長席で朝比奈さんのお茶を二回おかわりして一息ついたハルヒが唐突に古泉に問いかけた。一瞬にして室内に緊張が走る、ついにそこにきたかと。
「そうですね、今日か明日には引き取り手も見つかるかと。趣味として魚を飼う人も多いですからね」
 古泉が如才無く答えたのを、ふ〜んと聞いていたハルヒは、席を離れて水槽へと近づいた。中では『機関』が用意した替え玉のドジョウが優雅に泳いでいる。それを覗き込んだハルヒは、
「うんうん、元気そうね。早くいい人が見つかるといいんだけど」
 愛しげに見るのはいいが、お前は見合いのセッティング好きの近所のおばちゃんか。しかし俺のツッコミにも無反応のハルヒはジッと水槽の中のドジョウを見つめていたのだった。
 その瞳は本当に子供を見つめるような慈しむ光を宿し、柔らかな微笑みはこんな顔も出来たのかと俺を驚かせるに足るものだった。いや、違うな。
 優しく微笑むハルヒの横顔に不覚にも見惚れてしまった。まるで我が子の頬を触るように伸ばした指先も含めて女神のような、という表現が相応しく。やばい、何だ? これがハルヒか? 別人だろ、これ。
 その前に俺は何を考えてるんだ、大体相手はハルヒだぞ?! それが何であんなに優しそうなんだ、ドジョウ相手に。元々俺が持ってきたドジョウだぞ、それにそいつは『機関』の用意した替え玉であってお前の知ってるドジョウじゃない。にも関わらず俺は何故こんなに焦っているのだろう? そういう表情はなるべくするな、俺の精神的に非常によろしくない。
「…………やっぱり夢だったのね」
 そんな俺の意味不明な混乱はハルヒの小さな呟きで中断させられた。朝比奈さんが困ったようにお盆を抱え、古泉も若干笑顔が曇ったような気がする。
 確かに俺達はハルヒに夢だと思わせるように仕向けたし、その通りになったのだから喜ぶべきなのかもしれない。だが、反面ハルヒに夢だと思ってほしくはなかったのかもしれない。SOS団全員で、ドジョウ娘を含めてみんなで楽しかったという思い出を共有したっていいじゃないか。そう思いたいのかもしれない。
 だがハルヒが不思議を認識してしまえばそれは現実となる。ドジョウ娘だけじゃない、ハルヒが人間になればと思えばどんな生き物だってそうなってしまうかもしれない。それは避けねばならない、その為にハルヒには夢だと思わせるしかない。
 大いなる矛盾だ、ハルヒが望めば望むほどに不思議な体験からハルヒを引き離さねばならないのだから。その為に俺も他の連中も苦労しているのだから。その為にハルヒが喜んでいた事すらも誤魔化さねばならないのだから。………………気分が悪いな、理由は考えたくも無い。
 一心に水槽を見つめるハルヒに何か声をかけたくなった俺はハルヒの後ろに回ろうとして、
「待って」
 その俺の背後から長門に声をかけられた。どうした?
「今わたしの部屋からドジョウの人間体が消失した」
 何だと?! あのドジョウ娘が消えたっていうのか? 長門の話を聞くためにハルヒから離れる。幸いにハルヒはドジョウに夢中のようだしなるべく小声で話す。
涼宮ハルヒは昨夜の出来事を夢だと認識した。そして夢の中での登場人物であるドジョウの人間体は現実には存在しないと判断、結果人間体であるドジョウはその存在を現実に維持する事が不可能となった」
 それは理屈としては分かる。しかしハルヒは夢であってもドジョウが消えることだけは拒否してくれるだろうと思っていたんだ。今の替え玉のドジョウを見ても、夢での出来事を大事にするだろう、それは俺の期待し過ぎだったのか? ハルヒなら、あいつならそうすると思っていたのに。
「仕方ありません、やはり涼宮さんも常識的な部分では現実を見ているということなのでしょう」
 古泉が少しだけ寂しそうに、
「ドジョウさん…………お別れが言いたかったですね」
 朝比奈さんも悲しそうに言ったが、俺だってそうだ。せめてドジョウがいるうちに何か言ってやれば良かった、寝ている姿が最後に見たあの娘の姿だったなんてな。
 ハルヒには悪いが沈んだ気持ちで背中を見つめる。こいつの望みでドジョウは人間になり、こいつが否定してその存在は消えた。
 しかもそれはハルヒ自身が望んだ訳でも無く、ハルヒ自身の知らないところで勝手にそうなったのだ。
 何かとてつもなくやりきれない気分だ。俺達の苦労が報われないということではない。ハルヒの事だ。
 こいつは何も知らない、知らせてもいけない。そして何も知らされないままなのだ。それなのに周囲は勝手に騒いで事態は収拾してしまう。どことなくハルヒに申し訳ない気分になった。思わず口を開きそうになって古泉に目で制される。分かってるよ、何も言っちゃいけないんだろ。
 …………チクショウ、やっぱり気分が悪いぜ。水槽を眺めるハルヒに結局声をかけられないまま、重苦しい時間だけが過ぎていった。






 放課後の活動を終えるチャイムが鳴り、長門は読みかけの本を閉じた。ハルヒはあれから水槽を見つめ続け、俺と古泉はそちらを気にしながらとりあえずオセロをしていた。結果はどうでもいいだろう、お互いに長考しすぎて勝敗は決しなかったのだから。朝比奈さんはこの時期になると始める編み物をしながら時々手を止めてはハルヒと水槽を交互に眺めていた。顰めた眉にこの方がハルヒを心配している様子が伝わってくる。
「あ、もうこんな時間なのね。それじゃ帰りましょうか」
 ようやく水槽から目を離したハルヒがそう言ったので朝比奈さんの着替えを待つために俺と古泉は部室を出る。
 廊下で待っている間、古泉が笑みを消して呟いた。
「ほんの一瞬なんですけどね、替え玉のドジョウを置かないでおこうかと思ったんです」
 そうすればハルヒが夢が本当になるかもしれないと思うかもしれない。だがそれは『機関』の望むものじゃないだろ。
「その通りです。僕は『機関』の一員として正しく行動しただけですよ」
 その口調が本当に面白くまさそうだったので思わず古泉の顔を見つめてしまった。すると古泉は肩をすくめ、
「どうやら僕もSOS団に染まりすぎてきたみたいですね」
 などと言いやがった。俺も肩をすくめてそうだな、とだけ答えた。後はお互い何も話さなかったさ、言ってもしょうがないしな。





「お待たせ! じゃあ帰るわよ!」
 ハルヒを先頭に朝比奈さんが後に続く。すると最後に出てくるはずの長門が出てこない。
「あら? どうしたの有希?」
 ハルヒが再び部室に戻り、俺達もそれに続いた。中に入ると長門は水槽のすぐ横に立っている。
「どうしたんだ長門? もう帰るぞ」
「提案がある」
 俺が声をかけると長門は無表情に答えた。
「提案? どうしたの?」
 ハルヒに向き直った長門は淡々と、
「このドジョウを持ち帰りたい。許可を」
「え? 有希がドジョウちゃんを飼うの?」
 長門が? いきなり何を言い出したんだ? 長門以外の面子が戸惑う中で本人だけは真顔で、
「わたしが飼育する。居住スペースに不足はない、持ち出しの許可を願う」
「そりゃ有希がそういうならいいけどちゃんと世話出来るの? 一人暮らしなんだから大変じゃない?」
「問題ない。飼育方法については把握済み」
 あの長門ハルヒ相手にここまで主張するなど珍しいを越えて奇跡的ですらある。俺を含めた残りの三人は呆然とやり取りを見ているしかなかった。
「そこまで言うなら有希に任せちゃいますか! キョンも古泉くんもそれでいい?」
「僕の方は構いませんよ、相手には丁重にお断り頂きますので」
「俺も構わんぞ、長門の家なら妹にも見せに行きやすいしな」
 もしかしたらそこまで考えてくれていたのだろうか。それとも別の意図があるのだろうか。とにかく長門のいきなりの提案にハルヒが許可を与えてドジョウは長門宅にて飼われる事となったようである。
「じゃあ、キョンお願いね」
 は? 何がだ? 
「水槽。持って」
 いや、これ学校の備品だろ。
「別にいいわよ、使ってないんだし。それならドジョウちゃんの為に使ってあげる方が水槽も喜ぶってもんよ!」
 いやそういう問題じゃないだろ! せめて許可を取れよ! と言っても実際に邪魔だったんだろうからあっさり許可も貰えそうだが。
「ではそちらは僕がやっておきましょう」
 古泉のいらん気遣いのせいで結局俺はドジョウを持ってきた時よりも巨大な水槽を抱えて坂道を降りる羽目になったのだ。流石に水は抜いているが持ちにくい上に重い。
「ほら、さっさと有希の家まで行かないと!」
 うるせえな、だったら代われよ。ハルヒにせっつかれながら何度も持ち替えて水槽を運ぶ。ちなみにドジョウは俺が持ってきたガラスケースに入れられて長門が大切に運んでいた。





「ねえ、本当に手伝わなくていいの?」
 長門のマンション前までどうにかやって来た俺達なのだが、ここで長門が解散を宣言したのでハルヒが言ったのが前の言葉である。
「いい。彼に水槽をセットしてもらえれば後はわたしが全て処理する」
「うーん、水を入れたりとか水底の砂利とか結構力作業が多いわよ?」
「そこは全てわたしが指示して彼にやってもらう」
 ちょっと待て、何で俺が。
「雑用係としてわたしのサポートを」
 お前にまで雑用と言われるのかよ。ちょっとだけ傷ついたぞ、俺。 
「でも本当に男手が足りないなら古泉くんもいるし」
「大丈夫、雑用だけで十分」
 だから傷つくって。あんまり雑用を強調しないでくれ。それと俺一人よりも誰か手助けがあった方がいいのは確かじゃないか?
「あなただけでいい。他のメンバーは完成後に見せる。サプライズ」
 今言ってしまえばサプライズにはならないと思うのだが。
「そんなに有希が自信あるならどんなアクアリウムを作るか楽しみね。キョン、しっかり手伝いなさい!」
 上手い事ハルヒを乗せた長門は見事に俺だけを手伝い要員にして解散と相成ったのである。ここ数日肉体労働が激しいんだけど何で俺だけこんな目に遭ってんだ? 
「なあ長門、こいつを部屋に入れるだけでいいのかって、何だあれ?」 
 ハルヒ達が帰るのを見送ってから渋々水槽を抱えて長門の部屋までやってきた俺は、長門が何故頑ななまでにハルヒの手伝いを拒否したのか、その理由を知る事となった。
 殺風景な長門の部屋のリビングの中央に置かれた机の上。そこに長門が持っているのと同じようなガラスケースが置かれている。そしてその中には。
「…………まさか、あいつか?」
 一匹のドジョウが騒がしく泳いでいる、まるで俺達を迎えるように。ドジョウなんて違いが分からないと思っていたが、こいつは見ただけで分かる。
 あの女の子だった、妹が連れて来たドジョウだ。ハルヒのせいで消えたんじゃないのか? 驚く俺の背後でもう一匹のドジョウを持った長門が、
涼宮ハルヒは女性体であるドジョウは否定した。しかし、また機会があれば会えるのではないかと想像したものと推測される」
 たとえ夢の中であっても。そう言った長門は、わたしには理解出来ないと言ったがそんな事はないと断言出来る。何故ならば分かっているからこそ長門はドジョウの為にガラスケースも用意していたのだから。
「そうか、ハルヒはあのドジョウに会いたいと思ってくれたんだな」
「そう。きっと会えると」
 そうだな、ハルヒがそう思うならきっとまた会えるだろう。その時はまた俺も長門も古泉も朝比奈さんも大変だろうが、
「いいんじゃないか? 夢だって何回見てもいいもんさ」
 それでハルヒが喜ぶのなら多少は苦労してやるさ。お前もそうだろ? 問いかけた俺に数ミリの頷きを返したのを確認した俺は思わず笑ってしまった。

  




 
「それにしても何でもう一匹のドジョウまで持って帰ったんだ? 別にこいつが無事なら良かったと思うんだが」
 水槽をセットして色々と準備してから水を張り、二匹のドジョウを入れたところでようやく作業を終えた俺は長門が淹れてくれたお茶を飲みながら一息ついていた。
 水槽の中では二匹のドジョウがそれぞれ落ち着いた位置でゆっくりと泳いでいる。別段ケンカなども無いようで一安心だな。
 長門は自ら淹れたお茶を飲みながら、
「一つは、涼宮ハルヒがドジョウの処遇について気にかけていた為身近なわたしが所有することにより安心感を与える為。それともう一つある」
 何だ? すると長門は水槽に目をやった。その目が少しだけ細まり、
「一人は、寂しいだろうと」
 それは長門が初めて見せる顔だった。さっきまで見ていたハルヒと同じ様な慈しむような表情。あの感情を表さない長門が、恐らく自分でもしたことのないような表情を浮かべている。
 どうやらドジョウはハルヒだけじゃなく長門にも劇的な変化を与えてくれたようだ、まさかドジョウが寂しいかもなんてな。
 そうだ、長門もずっとこの部屋に一人だった。それを寂しいと思ったことはないと言いきれるのだろうか。そして自らの思いとドジョウを重ね合わせてみたとしても仕方ないと言えないか。
「…………明日ハルヒ達とドジョウを見に来るよ。近い内に妹も連れて来たいんだが、それもいいか?」
 少なくとも今までよりは賑やかになるかもしれない。毎日とまでは言わないが、来客は確実に増えるだろう。それを長門がどう思うかは俺には分からないが。
「……歓迎する」
 ああ。お前だって一人じゃないんだ。長門はお替りを用意すると言って立ち上がった。そして台所に向かう前に小さく、ありがとうって呟いてくれたのは俺だけの胸にしまって置く。
 一人でリビングに残って水槽を眺めるとドジョウはのんびりと泳いでいる。俺はそいつに対してこう言った。
 ありがとう、ってな。それとこれからもヨロシクってとこだ。おおー、とあの娘の声が聞こえたような気がして俺は一人微笑んだ。








 こうして長門家に家族が増え、俺達は放課後や休みなど時間があるたびに長門の部屋へと遊びに行くようになった。
 妹もドジョウが元気なのを見て喜んでいたし、長門に世話の仕方などを熱心に聞いていたりもした。
 長門も騒がしいハルヒや妹の来襲にも嫌な顔一つせず(元々分かりにくいが)、むしろ楽しそうだったし古泉や朝比奈さんも何かに付けてドジョウの世話を焼いている。
 何にしろその度に餌を買って来いだとか水を替えろと働かされる俺としてはそろそろ勘弁してもらいたいところなのだが。
 だが満面のハルヒの笑顔も、賑やかになった部屋に満足そうな長門も、世話焼きに楽しそうな朝比奈さんや、ついでに古泉も見れるから良しとしといてやろう。
 今もハルヒの命令で一人餌を買いに走らされているのだが、何となく空を見上げてみた。
「やれやれ、お前のせいでエライ目に遭ってるぞ」
 色黒の少女が何も分かってないような顔で俺を見つめている。
「後はお前が何とか言ってやってくれ。俺の頑張りを褒めるとかな」
 そうさ、後は何時お前が帰ってくるかだけなんだろうさ。
「待ってるぜ」
 そう言って俺はドジョウの餌を持って長門のマンションまで急ぐのだった。





 いつかまた会える、そう信じて。









あとがきにかえて

今回の話は英太郎さんがコメントで残してくれたアイデアを元に勝手に膨らませたものです。最初はポケモンのようにドジョウが進化して長門と古泉のアクションなど考えていたのですが、自分があまりポケモンを知らないのもあって(苦笑)どうにもしっくりこなかったのです。ということで進化という部分に特化したら人間にしよう、長門と向かい合ったら面白いだろうなということでドジョウ娘さんの登場となりました。二次創作とはいえオリキャラを出すのには抵抗もあったのですが上手く動いてくれたと思います。大事なのはSOS団全員ということに拘ってみたとこですかね、ハルヒ長門が中心にはなりましたけど古泉も朝比奈さんも楽しんでくれたと思ってます。
まあ中編ネタとしては結構色々詰め込んだので面白かったですね。ドジョウさんの次回があるかは気分次第ですけど(笑)
改めてアイデア提供の英太郎さんには感謝の言葉を。すいません、思ってたのとは違うものにしてしまって。でも楽しかったです、ありがとうございました。
イラストを描いてくれた三単元くんもありがとね。
ではまた次回夢の中でお会いしましょう。
バーイ。
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