『SS』 金銀・ダイアモンド&パールプレゼント 7

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 長門から蔑まれたようで居たたまれない気持ちになりながらも、逃げるように更衣室に入った俺は必要以上に時間をかけて着替えていた。何故そうしたのかとなど問われるまでも無い。脳裏に浮かぶハルヒが俺を妨害していたからだ、主に下半身に対し。
 具体的に言えば血液が一箇所に凝縮しようとするのを様々な考えで紛らわせようとしながらも結局回りまわって真っ赤になったハルヒが出てきて血液が集まるという悪循環を繰り返していた訳である。このままでは更衣室で生涯を血液の循環だけに捧げなくてはならないかもしれない、などというバカすぎる妄想に心底自己嫌悪に陥りそうになっていると、
「あれ? まだいらしていたんですか?」
 救いの主が現れた。助かった、お前のニヤケ面を見ると血の気が引くよ。
「何やら大変失礼な事を言われたのだけは間違い無さそうなのですが、何があったのですか?」
 そうか、古泉は居なかったんだよな。居たら間違いなく血の海に沈んでいる、ハルヒがやらなければ俺が沈める。あらゆる手段でこいつの記憶を完全に消去させてしまうだろう、たとえそれで古泉が「ここは誰? 僕はどこ?」などと言い出しても後悔はしない。むしろ望むところだ。
「人をボコボコにしておいて後悔しないというのはあんまりじゃないですか…………」
 つまりはその場に居なくて正解だったって言う事だ。まったく納得していないだろうが古泉は溜息をつくと、
「涼宮さんの精神が一気に興奮状態に陥ったような気がして閉鎖空間の発生を覚悟していたら急速に終息したんです。本当に一体何があったんですか?」
 言いたくない。言えば俺もハルヒもお終いな気がする。頑なな俺に古泉も諦めたのか、
「分かりました。ただ僕も遅くなってしまいましたので急ぎましょう、流石に女性を待たせるわけにもいかないでしょうし」
 まあそうだな、ようやく落ち着いてきたようだし。ということで俺と古泉が着替えて待っていると、そんなに待たずに朝比奈さんがドジョウの手を引いて出てきた。その後ろに長門が続く。ハルヒはといえば最後尾をモジモジしながら付いて来ている。何だろう、まるで朝比奈さんのようだというと悪いのだが、非常に可愛いというか恥らうなんてハルヒらしくないというか。いかん、思わず見とれてしまうではないか。
 しかしハルヒは俺の方を見ようともせずに、
「これは夢、これは夢、そうよ、これは夢なんだから見られたって恥かしくないもん!」
 必死に何か呟いていたが意を決したように俺を一気に睨んで。
 ボンッ! という効果音が背後で鳴った様な感じで顔を真っ赤にしてしまった。いや、あまり素直に赤くなられるとこっちまで頬が熱くなるからやめてもらえないだろうか?
「ああ、先程は申し訳ありませんでした。何分久しぶりに会った親戚なものでして」
 流石は古泉だ、ある意味空気を読んでいる。あまりに普通な会話にさしものハルヒも毒気を抜かれ、
「あ、うん、そんなに待ってたりしてないから大丈夫よ? それよりせっかく着替えたんだけど他に水着が無かったのかしら?」
 若干ハルヒが不満そうなのは女性陣四人が着ている水着に起因する。全員が着用しているのは何の変哲も無い学校指定の水着、所謂スクール水着であるからだ。
「そこは涼宮さんが普段萌え、というものに拘りを持っているからこそ、あえてシンプルなスクール水着をチョイスされてのではないでしょうか?」
「うーん、そうかもしれないけど。まあ確かにドジョウちゃんにはお似合いよね」
 実際のところはもっと現実的な理由である。単にハルヒの好みそうな水着まで、しかもドジョウを含めて四人分も用意出来なかったのだ。流石の『機関』も女性のスリーサイズまで把握して揃える事など出来なかっただけで、急遽用意するのに一番都合が良かったのはサイズも揃っているスクール水着が最適だったというだけの話だ。ちなみにどうでもいい話だが、それでも朝比奈さんの水着だけは特注だったらしい。どこが、というよりも以前ハルヒが用意した水着の入手手段の方が気になるな。とにかく朝比奈さんは特別なのだ。
 しかしまあ、チョイスとしてスク水は正解だった。朝比奈さんのけしからんスタイルも際立つが、このような水着がよく似合うのは何と言っても長門である。控えめな胸部も、隙間の開いた太ももも、全てが水着の雰囲気にフィットしている。本人は淡々としているが似合ってると言っていいものかどうか。
 それにハルヒの言うとおりドジョウもスク水がよく似合っていた。こちらは夏休みに毎日プールに通いそうな健康的なイメージだ。色黒なのだが日焼け跡に見えなくはないくらいに初めて着た水着に興味津々の様子である。
「おおー、ぴったりーだ」
 分かったから水着を引っ張るな。見えそうだから! 肩の部分をずらすな、見えちゃうから! 朝比奈さんが慌てて止めに入る。
 さて、ハルヒなのだが。いや、意識的に見ないようにしてしまう。なんというか、こいつのスタイルの良さは折り紙つきであって、それはスク水であろうが強調されることはあっても損なわれることはない。その水着の中すらも………………いかん、考えるな。
「まあいいわ! せっかく着替えたんだから泳ぎましょう!」
 ハルヒが気を取り直すように宣言してドジョウ娘と朝比奈さんを引き連れてプールに飛び込んだ。その間際に俺の方をチラッとだけ見て、頬を染めて顔を背けたのは反則なのではなかろうか。卑怯なまでの可愛さに呆然と見とれてしまっていると、思い切り後ろから蹴られてプールに頭から突っ込んだ。蹴った相手は分かっている、よく似合ってるぞ長門。だけど溺れ死んじゃうかもしれないから蹴らないでくれ。





 と、色々あったもののプールの中で皆で遊ぶという流れなのだ。早速ハルヒが張り切って泳ぎだしたのだが、こいつは本当に無駄に能力が高い。水を切るような勢いで泳ぎきると、
「今度はドジョウちゃんね、マグロみたいに泳げるわけじゃないんでしょうけど見て見たいわ」
「おおー、わたしーも、やるー」
 とドジョウも張り切って水に潜った。さて、何だかんだ言っても元は魚だ。そのお手並みを拝見といったところだったのだが。
「おおー?」
「あれ?」
 結論から言うと、見事に溺れた。手足をばたつかせるだけで進むどころか沈んでしまう。幸い水を飲んでどうにかなる様子ではないようだが、見た目はよくないよな。とにかくドジョウのくせに泳げないのだ、ハルヒとすれば意外というか不満なのではないだろうか。
「恐らく魚の形態から人間へと変化した事により自分の体を上手く動かせないのではないでしょうか。違和感が大きいとは思いますが」
「やっぱりそういうものなのね、よく擬人化なんかされてて能力が高いのっておかしいと思ってたのよ」
 その割にはさっき長門と物凄いバトルをやっていたような気もするが。どうやらハルヒの思うドジョウ娘は肝心なとこで抜けてるタイプなのかもしれない。そのドジョウは今も無駄な努力を繰り返しているが。
 バタバタと高い波を立てながらも数センチも進まないという謎の泳法を披露しているドジョウはさておき、ハルヒは何やら考えている様子だ。どうせロクでもないことには違いないのだろうが、何もしないハルヒというのもありえない。
 やがてハタと手を打ったハルヒは、
「それじゃ、ドジョウちゃんにあたしが泳ぎ方を教えてあげるわ! 大丈夫よ、あたしに任せて!」
 ドジョウの肩を掴んで堂々と宣言したのである。どこから湧いて来るんだ、その自信。などと言ってもハルヒの根拠のない自信などいつものことなので放っておく。ドジョウ娘も乗り気なのでハルヒの好きなようにさせておけばいいんじゃないか?
「あ、ついでにみくるちゃんも練習しましょう!」
「へ? ふえぇ〜?! あ、あたしもなんですかぁ?」
 いきなり振られた朝比奈さんがオタオタとしている間に着々と話が進み、
「ほら、もっと真っ直ぐ足を振り降ろして!」
「バタバターで、もがもがー」
「沈んじゃダメだって!」
 気付けばドジョウの両手を引いて泳ぎを教えているハルヒがいる。ハルヒの指導法といえばスパルタ式ではあるのだが、根性があるのか何も考えていないのかドジョウもよくついていっている。考えてみれば人間に泳ぎを教わる魚という妙にシュールな絵面なのだが。
 その一方で、
「て、手を離さないでくださいね〜?」
「了解してます、それよりも朝比奈さんの場合は息継ぎが上手くいっていないのでは? 一度きちんと顔をつけて顔を横にして呼吸が出来るように……」
「ひゃい…………あばばばばば」
 朝比奈さんが頑張って練習をする姿は微笑ましくて良いのだが何故古泉が指導してやがるんだ? その立場は俺こそが相応しいのではないだろうか、それこそ優しく手を取ってだな、
「………………」
 どうした長門? お前も暇なのか?
「わたしも練習する」
「練習って、お前泳げるじゃないか」
 しかもこの中では誰よりも速く長く泳げるだろ。身体能力でいえばハルヒくらいなもんだ、こいつに追いつけるのは。しかし長門は無表情に両手を肩まで上げると、
「練習にはパートナーが必要」
 と淡々と言われてしまった。だから練習なんか必要ないだろ、と言っても聞きそうにはないしな。それに俺もどうせ暇してたんだ、長門がドジョウや朝比奈さんみたくやってみたいというのなら付き合ってやろう。さっきあまりにも冷たい目で見られていたので避けられるかと思っていたのに嬉しいじゃないか、むしろ喜んで相手をするべきだろう。
「それじゃやるか」
 俺が長門の手を取ると、長門は数ミリ単位の頷きで応えた。後はパチャパチャと飛沫を上げて水を蹴る長門をゆっくり引っ張ってやるだけである。その気になれば太平洋を単独で泳いで横断出来そうな長門が大人しく黙々とバタ足をする姿は着ている水着の効果と相まって、なかなか幼いというか心温まる光景である。まるで妹相手に泳ぎを教えているような感じだな、懐かしいような気分で長門の手を引いて水の中を歩いていると、
「くぉらーっ! あんた有希に何してんのよーっ!」
 後頭部に鈍い痛みが走り、俺は顔面から水没した。
「いてえだろうが、何しやがる!」
 見ればビート版が浮かんでいる。どうやら俺の後頭部を襲ったのはこいつらしい。そしてこのビート版を投げたのは一人しかいないだろう。
 ハルヒはドジョウの手を引きながら俺にビート版をぶち当てるという器用なことをしやがった。
「有希にちょっかいかけて鼻の下伸ばしてんじゃないわよ! まったく油断も隙もないんだから」
 だからお前はドジョウの相手をしてたじゃねえか、暇だった長門に誘われたんだから俺に落ち度も否もないぞ。見ろ、長門も残念そうじゃないか。
「有希は大人しいから言う事を聞いてくれてるんでしょうけど、あたしの目は誤魔化せないわよ! 大体あたしの夢なのに何であんたが他の子を見てるのよ?!」
 いやだから暇だからって、何かおかしなこと言ってないか?
「あ! う〜、いいからあんたはあたしの大活躍を見てなさい! ドジョウちゃんもオリンピックで金メダルクラスまで成長させるんだから!」
「いや、そのドジョウが沈んでるんだけど」
 興奮したハルヒが俺に怒鳴っていて手を離した拍子にドジョウ娘はおおー、という言葉と共に沈んでしまった。
「キャーッ?! ご、ごめんドジョウちゃーん!」
 慌てるハルヒの横に立ってドジョウを引っ張り上げる。
「おおー、キョンーは、力持ちー」
 じゃなくて平気なのか?
「わたしーは、水ーが、好きだものー」
 水中でも呼吸が出来るのだろうか? しかしそんな様子もないので多分沈んだままなら溺れるんだろうな。
「やれやれ、ハルヒだけじゃ心もとないな。ほら、手伝ってやるから手を貸せ」
「なっ?! 何でキョンまでドジョウちゃんに! いいから、あたしがやるからいいのよ!」
 そう言ってドジョウを沈めた奴が何を言うか。ドジョウ娘の安全の為にもお目付け役が居た方がいいんだよ。
「だからってあんたじゃなくてもいいじゃない!」
 お前相手で俺以外にいるのかよ?
「あ、う〜……何なのよ……」
 まだ何か言いたそうなハルヒだったが、
キョンーも、泳ぐーの、手伝うー」
 ドジョウがそう言うんだ、いいから手伝わせろ。
「う〜、し、仕方ないわね。ドジョウちゃんが言うからだからね?! しょうがないから手伝わせてあげるわよ!」
 へいへい。こうしてドジョウの特訓に俺も手伝う事となったのだが。
「わたしも手伝う」
「あれ? 有希も?」
 まああぶれるよりもいいだろう。それにしても長門にしては積極的だよな、やはりドジョウが気にかかるのだろう。
「そうね、こうなったらみんなでドジョウちゃんを特訓よ!」
「おおー、がんばれー」
 お前が頑張るんだよ。
 とまあ、何だかんだでドジョウ娘はハルヒのスパルタ指導と長門の的確な指示と俺のフォローによってどうにか体が浮くようになった。息継ぎなどに不安があるが、バタ足で前に進むようになっただけでも大した進歩なのではないだろうか。






 ついでというと申し訳ないのだが、この間朝比奈さんは二回溺れかけて、ついにはプールサイドで寝込むハメになっていた。古泉はそれに付きっ切りだったのだが、これは役得と言えるのではないだろうか。是非その役目は変わってもらいたかった、こっちはハルヒ長門とドジョウに振り回されっぱなしだったのだから。