『SS』 月は確かにそこにある 30

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 ほとんど授業の内容など分からないままに放課後を告げるチャイムだけがやけに響いたのを聞くまでも無く、ハルヒは教室を飛び出した。声をかけるどころか、一顧だにされなかったって訳か。嫌われたもんだな、俺。
 こんな憂鬱な気分でも足だけは止まることも無くハルヒを追って旧校舎までの廊下を歩いてしまっている。習慣だからというだけでは無いのも分かっていても足取りは重い。それでもSOS団には行かなければならないんだ、あくまでも普通に。
 と言っても朝の様子はハルヒ以外のメンバーも知っている事だろう。普通なんてもんになるはずもないが、古泉は分かっているのだろうか? 確信犯だとしたら本当に何を考えているのか理解不能になってきている。不安だ、立つ鳥跡を濁しまくっている。
「はあ、どうすんだよ…………」
 溜息ももう飽きてきてるのに何故か止まる気配もない。諦めて部室へ向かえば何となくだが雰囲気の悪さというか黒い気配がしてくるような気がするから嫌になる。 
 朝比奈さんと、ついでに古泉もいる手前(普通にこいつを数に入れなければならないのが腹が立つ)ノックを欠かさないようにする。すると嫌な予感が的中したのが分かった。
「どうぞ、開いてますよ」
 この声で分かる、古泉は在室中だ。だが他の連中は? 長門は居ても返事がないのは分かるが朝比奈さんが居れば古泉よりも先に天使のようなお声が聞こえてくるはずだ。何となくドアを開けるのが怖くなってくる、正面に立っているから分かるのだが内部から重苦しい雰囲気を感じてしまうのだ。
 一か八か、という半分自棄になって扉を開くと、そこには何も無かった。何も無さ過ぎた、とも言える。
 窓際には長門、本から顔を上げる気配も無い。その隣で俯いたまま座っている朝比奈さん、一応メイド服に着替えているが若干顔色が悪いのは気のせいなんかじゃないだろう。いつもの席の古泉は苦笑い気味で相手もいないオセロの駒をいじっている。
 そして団長席でハルヒはパソコンのモニターから顔を動かすことは無かった。思い返せば俺がこの部屋に入ってから誰も挨拶もなければ顔を向けてくれる事も無い。あえて無視されている、としか言い様がなかった。
 何なんだ、この重苦しい空間は。これがあのSOS団の、俺が帰るべき場所だとまで思っている仲間達はこんな奴らじゃない。思わず踵を返して退室しようとしたのだが、
「……座りなさいよ」
 団長が低く、重く呟いたので仕方なく俺は席に着いた。朝比奈さんが様子を伺うように少しだけ視線を上げた以外はハルヒ長門もまったく俺を見ようともしない。それだけで非難されているようで居たたまれなくなってくる。
 変わってないのはこいつだけだ、俺は古泉に話しかけるしかない。
「どうなってるんだ?」
「見ての通りです。涼宮さんのご機嫌がよろしくありません」
 それは誰が見ても分かる。原因は何かと訊いているんだ。
「あなたの予想通りです」
 予想というと俺と古泉が今朝登校したところからか。そこからハルヒの機嫌が悪くなった、そのまま今に至る。
「そうです。但しまだ閉鎖空間が発生するまでには至っていませんのでこのまま何もせずに時間を稼ごうと思っています」
 …………それでいいのか? 何かが間違っていると思うのだが何も出来ない。かといって下手なことを言ってハルヒを刺激してしまい、閉鎖空間が発生して古泉がそこに行けば俺たちが元の世界に戻るのが遅れるというか今日が最後のチャンスなのだ。これを逃せば古泉は北校から転校してしまい、俺たちの前から消える。
 つまりは今ハルヒは機嫌が悪いがそのままにしておくしかない。朝比奈さんも長門も様子見なのだろう、その結果がこの重い沈黙という訳だ。
 いつもならば、俺たちの世界なら朝比奈さんは涙目で俺を見つめ、長門はわずかに本から顔を上げる。古泉がスマイルからインチキ臭さが抜けたところで俺がハルヒに話しかける。そういうお約束があったのだが、今はハルヒが何を思おうが沈黙の時間を守り抜くしかない。見た目は普段と変わらないままで空気だけが澱んでいるかのような不快と表現したくなるような時が流れる。
 こんなSOS団なら俺は居たいとは思わない。何よりもハルヒが望んでいるなどと思えない。ただひたすらにチャイムが鳴るのを、長門が本を閉じるのを待つ。
 ほとんど古泉と何をして何を話したのかも覚えていないままでチャイムが鳴ったことだけは覚えている。体中から力が抜けていくようだった、まるで終わったかのように。ここからが本番だというのに気力が沸いてこない、朝比奈さんの着替えを待つ間で廊下に座り込んでしまう始末だった。何とも締まらない話だ、とてもじゃないが帰還の喜びなんて沸いてこない。
「お待たせしました」
 この声は朝比奈さんではない。廊下にいたのは俺一人で、後は全員室内にいたのだから(俺以外は全員女性なのだから当然とも言える)朝比奈さん以外でこれだけ丁寧な言葉遣いの人間は一人しかいない。というか、古泉以外は無言だった。長門は元々だろうと思われがちだが、会釈くらいはするのだ。それすらもないのだから無言では無く無視である。はっきり言おう、ムカつく。居心地が悪いなんてもんじゃない、これはイジメだろ。
 昔、中学生の時分によく女同士のグループがいがみ合っていたのを見たことがあるが(俺の親友は心からそのような行為を軽蔑していた)高校生にもなってまさか巻き込まれる側に立つとは思いもしなかった。何より女同士がここまで怖いという事も知りたくはなかったような。まんま普通の女子高生なハルヒ達など見たくも無かったぜ、この三人だからこそ違和感が際立って逆に目立つ。これじゃ古泉も可哀想だ、陰湿すぎて今までこいつらの何を見ていたのかと腹立ってくる。
 やはりとっととこんな世界はおさらばだ。原因が何であれ、こんなハルヒ達など見たくも無い。





 俺達など居ないかのように先を歩く三人を見ながら、俺は悲しいような腹立つような気分の悪さに胃が締め付けられそうになっていた。
「随分と嫌われてしまいました」
「それについては同情したいところだがお前にも原因はあるだろ」
 自然、古泉と会話せざるを得ないのだが、こいつはこいつで何事も無かったかのような態度だ。
「自覚はしていますよ、それともあなたが涼宮さんを説得しますか?」
 そんなもんできるか。本末転倒だ、俺達がこの世界に居ることでハルヒ達の関係が変わってしまったのに俺が残ってどうする。それに今のハルヒには俺が何を言っても訊く耳など持ちはしない。
「ですから後は帰るだけなんですよ。今のは私のほんの少しの我が侭だけで」
 ほんの少しなんてレベルじゃないだろ、かなり立つ鳥跡を濁した形だ。それでも何とかしようというより戻ろうと思ってしまうのはハルヒ達の態度が悪いからだろう。
「あの年代の女性達としてはおかしくない反応ですけどね」
 それが俺にはおかしいんだよ。女性に対する理想主義とまでは言わないがハルヒらしさの欠片も無い姿を見せられて黙って居られるほど優しくはないんでな。
「…………伝わらないものなんですよね」
 何がだ。と言いながら俺は携帯を取り出した。新しく登録した番号の内の一つをコールする。何度も鳴らさない内に相手は当然のように挨拶も切り上げて出るのだった。
『お待ちしておりました。こちらはいつでも伺えます、生徒会も終わりましたので』
「頼みます、もう一人も忘れずに連れて来てください」
 短い会話を終えると間を置かずに再度違う番号を呼び出す。今度はワンコールで通話に出てきた。
『準備は出来たみたいですね。では北校にて』
 こちらも簡潔に用件だけを言うと電話を切ってしまった。もう一人について何も言えなかったが恐らく承知済みなんだろう。
「という訳だ、解散したらそのまま学校に戻るぞ」
 俺は携帯をしまいながら何も言わずに見ていた古泉に声をかける。
「……いよいよ終わりなんですね」
 ああそうさ、これで馬鹿げた話は終わりだ。戻ってからハルヒにどんな態度で接したらいいのか悩むところではあるが、それは帰ってから考えればいい。
 俺が電話などしていたのにも関わらず、後ろを振り返りもしないハルヒを見て唾でも吐きたい気分になった。こんな俺らしくない、ハルヒらしくない世界なんて一分一秒でも居たくはないね。





 結局何も言わないままで長門のマンション前で解散した。長門は家へと帰り、ハルヒと朝比奈さんが連れ立って歩く。会話どころか挨拶もない、寒々しいまでに解散という言葉が似合う解散風景だった。
 俺と古泉は三人の姿が見えなくなるまで見送ると元来た道を戻る。長門ならあるいは、と思う反面、喜緑さんも動くので静観するだろうという予感もあった。それに今の長門と話したくも無い、これが俺の正直な気持ちだ。
 多分普段の俺ならば解散時には何か言っていただろう。いや、その前にも何度も機会はあったはずだ。しかし俺は何も言う気にならなかった。俺自身の心も荒んでいたのかもしれない。それは後々だからこそ思うのだが。
 そんな俺だから肝心な部分を見落としていたのだろう。
 古泉一姫がこの時笑顔を無くしていた事を。
 俺は逸り、焦っていた。なのでこの時は古泉も緊張している、そうとしか思えなかった。そう思うことしか出来なかった。