『SS』 月は確かにそこにある 7

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 結局わざわざ出かけた甲斐も無いほどにささやかな情報を交換したに過ぎない俺は失意の内に帰宅の途に着く事と相成った。
 別れ際まで微笑みを崩さない古泉には不安しか感じず、かといって今までとは違い古泉にしか頼れないという状況に焦るしかないのである。
 その古泉も『機関』の力を全面的に借りるわけにもいかず(どこでボロが出るか分からないからな)、その割には余裕が随分とあるように見えるのだが逆にそれが心配になってくる。というかだな? まるでこの状況を楽しんでいるようにしか見えないんだよな。
 家に帰ってからもハルヒ長門にどうにかして話が出来ないか考えてみたものの、どう考えても今回は俺は蚊帳の外なのである。下手に話せば余計な騒動を誘発しかねないので慎重にならざるを得ない中ではハルヒ達と接点がない事がハンデでしかない。つまりはここでも古泉しか窓口が無いという事実しかない訳だ。
「はあ……………知るか、もう」
 考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。最終的に女になった古泉の妙に意味ありげな笑顔しか浮かばないようなら意味も無いしな。
 という訳で、俺は明日起こりうるであろう厄介事を乗り切るためにも早めの就寝を心がけたのだが。
 ………………予想通りにあまり眠れずに朝を迎えてしまうのであった。万が一にでも夢というか閉鎖空間に入らされてしまわないかと用心していたのも仇になったな、ハルヒはいい夢を見れただろうか? などと愚痴ってもしょうがない。
 益体も無く思い出すのはハルヒの笑顔だったり朝比奈さんの困った顔だったり長門の無表情だったり、何故か女のままの古泉のニヤケ面だったりしたのだが、誰も俺の夢までは来てくれなかった様だ。ただし古泉は除く、たとえ女であってもだ。浅い眠りの中でもそれだけはしっかりと考えておきたかった、見た目だけには騙されないぞと。
 こうして朝を迎えて機嫌の悪い妹(そんなに俺を叩き起こしたかったのか)と共にパサパサのトーストをコーヒーで流し込んで重い体を無理矢理引きずり、それでも無くなる事もない我が愛しの学び舎へと自転車を走らせねばならないのであった。欠席したくとも出来ないのは生憎と肉体的には健康体であるので親の目は誤魔化せない事と、精神的には後ろの席の住人から何を言われるか分からないという恐怖である。とはいえ今回ばかりは何も言われるはずはないのであるが、それでも染み付いた習性と言うのは恐ろしいものでやはり俺は真面目な一凡人であるのだなあと自嘲したくもなってくる。
 そんな平凡で普通の人間であるはずの俺が何故に騒動に巻き込まれているのかは神様(他称、但し認めたくはないが)のみぞ知るというものなのかもしれないが。
 そして今日も今日とて平凡であるはずの俺の日常はどことなくずれていっている事に気付かされていくのであった。そう、駐輪場に自転車を止めて嫌々坂を登ろうとしたときから。
「…………何の用だ?」
 自転車に鍵をかけるためにしゃがみこんだまま、視線も合わせずに声をかける。すると頭上からは、
「何と言われましても、あなたを待っていましたとしか言えないのですが」
 と苦笑した声が聞こえてくる。だろうな、だが待ってろとも言ってないぞ。
「ええ、私が自発的にやってることですから。ですが思ったよりは待たずに済みましたよ?」
 そうかい、どれだけ遅刻ギリギリにしか来ないと思われてたんだ。それでこの妙に周囲から視線を感じてる事態というわけか、と俺は立ち上がった。目の前にはほぼ見た全員が美人だと言うであろう美人が立っている。いつもの感覚で言えば視線が少し下なのが妙といえば妙なのであるが。
 俺よりも低い身長になってしまっているが笑顔だけは崩さない古泉は、
「では、行きましょうか」
 当然のように並んで歩こうとするので思わず回れ右とばかりに行きたかったのだが、残念な事に目的地が同じならば同じ方向にしか歩けないのであって、必然として俺も古泉の馬鹿と同じ道を歩くしかないのであった。だが何故に並んで歩こうとするのだ、お前は。
 しかも距離が異様に近い、はっきり言って歩くのに邪魔なレベルで。これだとまるで腕を組みたいのに我慢しているように見えるほどに近いのだ、簡潔に言うと古泉の必要以上にある部分が当たりそうなほどの位置にいやがるんだよ。
「察しが良くて助かります、では」
 では、じゃねえ! 当たり前のように腕を絡めるな! なんで男と腕組んで登校せねばならんのだ?! いや、見た目だけなら異性同士にしか見えないんだが、それもそれでまずいだろ? 周囲の視線はこのバカップルが! とばかりに突き刺さってるし。
「しかもテメエ当ててんだろ?!」
「当然です」
 言い切りやがった。いや、このサイズならば狙わなくても腕を組めば必ず当たるのだが。しかし積極的に抱え込まれた腕に伝わる感触が柔らかいものに包まれているのにも関わらず弾力性にも富んでいて、ああなるほど朝比奈さんとはまた違った感触がって何を冷静に分析してるんだ、俺?!
 とにかく離せ、離れろ、頼むから近づくな! 腕を組んだまま登校するなんぞ恥ずかしすぎる、しかも周りはどうか知らんが男同士なんだぞ、一応。
「我慢してください、これも作戦の一部なのです」
 顔が近い、いつもの古泉との会話の距離なのだがやっぱり近い! 男だった時と違った意味で顔を背けたくなる。だが作戦だと? わざわざ衆人環視の元で羞恥プレイを行うことが何の作戦になるって言うんだ?
「それは後ほど分かるかと。とりあえずは僕の指示に従ってください、あなたにとっても不本意でしょうがお願いします」
 …………そこまで言われればこの世界で事情を知るのは俺と古泉だけであり、脱出方法を探す中では古泉の意見にも従わねばならないのだと頭では理解しているのだが。それにしてもこれはないんじゃないだろうか? 俺は顔を赤くして嫌になるほど気持ちよい感触を右腕に覚えながら殺されそうな視線の中で満面の笑みの美少女を連れて登校することに相成ったのであった。誰でもいい、代わってくれ! もしくはここで殺してくれても構わない。
 その羞恥プレイは結局下駄箱まで続き、おまけに別れ際に、
「この場合、やはり抱きしめて頬にキスするくらいは必要ですかね?」
 などと真顔で訊きやがったので思い切り不機嫌そうに睨みつけてやった。苦笑して肩をすくめた古泉は、
「ではまたお昼休みにでも。こちらも情報を整理して報告します」
 そう言うとやや足早に自分のクラスへと駆けていった。律儀に手まで振って。どうやら作戦とやらは真面目にやる気らしい、情報の整理と言うからには何らかの意図があってやっているのだろうからな。
 だが、この状況はどうしてくれるんだ? 誰がどう見ても仲睦まじくみえたであろう(腕を組んで登校したあげくに顔を近づけて内緒話などしている奴らを見たら俺でもそう思う)俺が一人になった瞬間から刺し殺されそうなほどのこの視線を。
 まったくもって不本意そのものである、俺は大きく分かるようにため息をつくと、いつもの口癖を呟いてから教室へと向かうのであった。これすらも勝ち組の余裕と取られるとは思いもしていなかったのだが。
 そして古泉の作戦とやらの効果は確実に現れているようであった。クラスに入った瞬間に視線が俺に集中したのが分かったし、谷口が机に伏せたままピクリとも動かない。横で国木田が苦笑しているので目で挨拶すると、面白そうに谷口に視線を落としたのだった。お前、結構楽しんでるだろ? その谷口の席の前を通って自分の席に着こうとすると、
「……………裏切り者ぉ〜」
 と声がしたが、黙って無視しておいた。こっちだってやりたくてやってるんじゃないんだ、そんなに赤い目をして恨みがましく言われても知るか。また後で、と国木田とは上手く目で会話しつつ席に着けば、
「やっぱり一姫さんの目は腐ってたのね」
 そうだな、ただしあいつが腐ってるのは目じゃなくて脳だが。前にいる俺へと目線を向けることも無く窓の外を眺めている涼宮ハルヒを見て、俺は何か罪悪感のようなものに襲われた。そうじゃない、お前がそんな顔をする必要ないじゃないか。
 ハルヒが望んだはずの世界で何も映そうとしないその瞳に、俺は苛立ちと不満を心の中でぶちまけたのであった。