『SS』 月は確かにそこにある 3

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「ああ、先程は取り乱しました。もう大丈夫です、ご心配をおかけしました」
 俺が自分のお茶と古泉の紅茶を買ってきた時にはいつもの笑顔の古泉がいた。ただし通常寒気がするほどに爽やかでムカつく笑顔が見るに値するほどの美人の笑顔である以外は。
 流石に立ち直りも早いな、と俺は紅茶を置きながら思った。自分のお茶を飲みながらようやく弁当を口にする。しばし空腹を満たす作業に終始したのは単純に移動や会話に時間を取られてしまったからである。
 いつもより急ぎ目で弁当をかきこんで茶で流し込むと、俺は一息ついた。結局いつもより早く食っただけなのだが、目の前の古泉もパンを二個ばかり食べて満足したようだ。女の体になると食も細くなるのだろうか?
「さすがに食欲までは……………」
 まあそうだろうな、俺が女になっていたら気になって飯どころじゃないだろう。と、ここでやっと話が出来るようだ。
「やはりハルヒか?」
 弁当箱を片付けて食後の一服としてコーヒーを買うかどうか迷いながら俺は話のきっかけとして俺達の間では定番のヤツの名を出した。古泉は形の良い眉を顰め(悔しいが男女関わらずこんな表情が絵になる)、
長門さんの様子を見る限り間違いは無いでしょう。彼女の認識すら歪める力など涼宮さん以外には考えられませんからね、ですが僕の知る範囲で彼女がこのような事をする原因が不明なのも事実なのです」
 『機関』からも何も報告はありませんでしたね、と古泉は言った。ちなみに当然かもしれないが、『機関』でも古泉は女の子として存在を認識されているとのことだった。森さん辺りが見たらどう思うんだろうな、と思いはしたが。
「とはいえ現状での涼宮さんの精神状態は安定しているといえます。つまりは原因を特定出来たところで改善出来るかどうかと言えるでしょう」
 おまけに今がおかしいという認識があるのは俺と古泉の二人だけという状態だしな。やれやれと呟きながらペットボトルをゴミ箱に投げれば奇跡的にも綺麗に入った。
「そういえば私もあなたに聞きたいことがあるのですが」
 何だ? というか私って言うな。だが古泉は無意識だったのかばつの悪そうに、
「これは失礼、では改めて伺いたいのですが何故あなたはそのように冷静なのですか? こう言っては何ですが長門さんにあのような言い方をされて動揺しないとは思いませんでしたから」
 まあ普通はそうだろう。お前の方が余程動揺していたしな。そう言うと顔を赤くしたのだが、どうにも古泉らしくなくてこっちの心臓に悪い。気分を変えようと古泉の質問に答える。
「言っただろ、経験の差だって」
「という事は何らかの経験があるということですか?」
 ああ、そうだな。俺は忘れない、ハルヒやお前のいなかった世界を。
「いつだったか長門の作った世界でな、そこでは朝比奈さんや鶴屋さんはSOS団の事など何も知らなかった。それが分からなかった俺は鶴屋さんにこっぴどい目に遭わされたんだよ」
 それに比べればSOS団も存在する今の方がまだマシだ。少なくとも俺の存在は不要のようだが、それでもハルヒ長門も朝比奈さんもいて記憶もほぼ間違いは無い。という事は元に戻れる可能性も高いっていうことだろう。
「なるほど、確かに………………」
 そう言うと古泉はゲームの時に長考するかのように節目がちで考え出したのだが、元々整った顔立ちが憂いを帯びている姿というのは何とも言えないものがある。こいつ睫毛長いんだな、とつまらない事を発見したりしていたのだが、
「しかしいくつか疑問が残ります。この世界の矛盾と言えるものなのですが、SOS団は何時出来たのでしょうか?」
 顔を上げた古泉はあの雪山の洋館で見せたような表情を見せている。どうやらミステリ好きというのは本来のこいつの顔なのかもしれないな。だが疑問の意味が不明すぎる。
「いつっていうのはどういうことだ?」
「元来SOS団、いえ我々の遭遇した事件のきっかけは涼宮さんとあなたの会話や行動に帰結するパターンが多くあります。にも関わらず、そのあなたがいない状態でSOS団が存続している事態が異常なのではないでしょうか?」
 随分と買い被ってくれているが、その全ての事件とやらはハルヒの与り知らぬところがほぼ多数だ。だからハルヒなりに矛盾が起こらなければそれは正しい出来事ってやつなんだろうよ。
「その辺りが我々のアプローチするところになりそうですね、もしかしたら過去の出来事が今回のきっかけなのかもしれませんし」
 だとすれば気の長くなるような作業だな、しかも何がきっかけなのかはハルヒ次第か。長門や朝比奈さんの協力も望めそうもないし、今回も厄介事を抱え込む羽目になっちまってるのか。
 俺がため息混じりにそう言うと古泉は楽しそうに、
「今回は僕も当事者です、少しは苦労も分かち合えるのではないですか?」
 さっきまでの焦り顔が嘘のようだな、クスクスと笑いながら話す姿はいたずらを企むかのようで谷口辺りが見れば目の形をハートマークにして飛び掛らんばかりの勢いで電話番号を聞きそうだな。まあ現実を知ればと言いたいが、言うわけにもいかない。それに現実を知っても構わないかもしれんな、あいつなら。
 まあどう見ても美人が楽しそうに笑っているのであるのだから部室と違い周囲の目が気にならなくも無い。早めに切り上げた方がよさそうだ。
「随分と楽しそうじゃないか、少しは苦労してみろってんだ」
「まあ毎回は勘弁願いたいですが、今回は初めてですからね。実を言えば多少興奮しています、動揺はしましたけど」
 そういうものか?
「あなたならお分かりではないですか? それに女性になるというのもなかなか無い経験ですし」
 俺なら絶対に断わる。どうせ元が良くないからな、残念な出来になるに決まっているのに女になんぞなってたまるか。
「意外と可愛いと思いますけどね」
 ウィンクをしながら言うんじゃない、誤解されたらどうすんだよ?
「ああ、そうですね。でも誤解されても別にどうということはないじゃないですか、男同士なんですし」
 見た目が違うから問題なんだろうが。それに少しは自覚しやがれ、
「お前がそこまで美人じゃなければいいんだがな、少しは自重してくれ」
 元がいいと女になっても美人にしかならないのかと腹も立ってくる。そんな古泉を見て自分が女になったらと想像したら嫌気もさすってもんだろう。
「それは光栄ですね、この姿があなたのお気にいれば幸いです」
 やめてくれ、気持ち悪い。からかう余裕が出てきただけマシなのかもしれないが、付き合うつもりなど毛頭無いぞ。
「そうですね、まずは情報を収集するべきなのでしょう。我々がこの世界ではどのように過ごし、涼宮さんがどのような経緯でSOS団を作ったのかなど調べておかないといけないでしょうね」
 それは俺にやれということか?
「私も私なりに調べますが、一番近くにいるのはあなたですから」
 はあ、やれやれだ。しかしハルヒとどのように接すればいいのかは悩みどころではあるな。それにSOS団との距離も不明なままだ。
「そうですね、放課後に話すという訳にもいかないようですから考えてみた方がいいのかもしれません」
 細かく打ち合わせたいところではあったが、幾らなんでも昼休みだけでは短すぎた。予鈴が鳴ってしまったので二人で教室に急ぎながら、
「では放課後にでも。休み時間は出来るだけ涼宮さんと話してくださいね」
 そう言われて別れたのだが、わざわざ手を振る必要があったのだろうか? おかげでクラスに戻るまでの視線が結構痛かった気がするのだが。
 それに戻ったら戻ったところで、
「ねえ、あんた一姫さんと何話してた訳?」
 ……………一姫さんねえ…………………すまんな、古泉。どうやらこの世界での俺とハルヒの関係はあまり良好ではないかもしれん。
 俺はハルヒへの言い訳を考えながら憂鬱な気持ちで席に着いたのだった。