『SS』 ちいさながと ケンカ

 俺と有希はほぼ二十四時間共に過ごしている。それは有希のサイズの問題もあるのだが、何よりお互いが求めたからである。こうして俺の家で一緒に暮らし、朝起きてから学校、SOS団、帰ってから寝るまで常に寄り添っているのだ。
 だからといって苦になっているかと言えばそんなことはまったくない。お互いを尊重し、何よりも好きな相手なのだからこの若さでここまで安心した同居生活が出来ているというのも奇跡的なのかもしれないな。とにかく全てにおいて順調であると言わざるを得ないのであるのだが。
「…………………………」
 あー、先に言っておく。この沈黙は有希のデフォルトではない、二人分の沈黙だ。俺も有希も先程から会話どころか口を開いていない。
 それどころか視線も碌に合わせちゃいない。俺だけじゃないぞ、有希だってそうだ。これは何かと言われれば俺たちはケンカの真っ最中だからであるからだ。
 確かに俺たちは二十四時間共に過ごし、その事に不満など欠片も持っちゃいないのだが。それでもやはり同一人物でもない二人が暮らせば多少の意見の相違というものはあるもので、それは俺と有希の間にも厳然として存在するものなのである。よって俺たちは些細な意見の食い違いにより現在の状態に至っているのであった。
「あー、有希?」
 久々に、とは言え数十分ぶりなだけだが有希に話しかける。このままじゃいかんと思っただけなのだが、
「………………なに」
 声の固さにムッとする。なまじ俺だけが気付いてしまうのだからしょうがないのだが、そこまで頑なになられるとこっちだって依怙地になろうというものだ。
「…………………謝らないからな」
「…………………そう」
 結局元の木阿弥である。再び冷戦状態へと陥ったベッドの上の俺と机の上の有希の間には目の前には見えない壁が間違いなく存在し、それは今のところ崩壊の兆しは見えないようだ。
 そりゃ今までの事もあるし、有希に対して俺が折れるべきなのであろうが、だからといって俺にだって男の沽券というものがあるんだ。それに俺には俺の拘りというか、生きてきたらそれなりに自分でのルールというものも存在する。有希の言う事も理解出来なくはないのだろうが、たまには意地を張らないといけないような気もしてしまうのだ。
 つまりは小さな抵抗である、世話になっているからといって尻に敷かれるのとはまた違うのだ。そんなに有希の言うなりになってたまるか、俺はそんなアホな考えに捕らわれていた。
 そのまま沈黙だけが続いていたのだが、それを打ち破って立ち上がったのは有希の方だった。久々のアクションについ視線が動く。
「……………どうした?」
 有希が能力を使って力ずくでどうにかしようとすれば、いくら十二分の一サイズとはいえ太刀打ちできるものじゃない。思わず身構えた俺を横目で見た有希は、
「………実家に帰らせていただく」
 そう言って窓から飛び降りてしまったのだ。流石に慌てて窓際に駆け寄り、窓の外を覗き込んでみても時既に遅しというやつである。元々小さくて見難い上に恐らく全力に近いスピードで走って行ったんじゃないか? 最早有希の姿など影も形もなかったのであった。
 いつもの俺ならば血相を変えて階段を駆け下りていたに違いないのだが、さっきまでケンカをしていたからか、俺は不貞腐れたようにベッドに体を投げ出した。
「ったく、何だよあいつ……………」
 愚痴の一つも出ようというものだ。何もない天井を見つめながら益体も無い有希への不満などをぶつけようとしてみるのだが、
「…………………まいったな」
 我ながら驚くほどに出てこない。まああえて言うならばサイズについてくらいなものだが、それは言っちゃなんないことだろ? 何より有希のサイズが戻れば二十四時間共に居る事は出来なくなる、それはそれで何と言うか寂しいものだ。
 結局小一時間ほど天井を見つめながらあれこれと思案していた俺なのだが、
「やれやれだ………」
 起き上がった時にはもう気持ちが入れ替わっていた。冷静になったのが良かったのかもしれないな、とにかく行かなきゃならないんだ。
 俺は自転車を走らせながら有希に何と言おうか考えていた。幸い有希の実家は分かってるしな、後は入れてくれるかどうかだろう。




『……………………なに』
 あー、これは有希だな。声が固いし何よりインターフォンを鳴らしてからのタイムラグが長すぎる。どうせジャンプしながらの会話なのだと今の俺なら容易に気付くのだ。
 これは望み薄かなと思いながらも有希に話しかけようとした時だった。
『入って』
『!』
 と同時に自動ドアが開いたので急いで飛び込む。直前のやり取りから察するに有希ではなく長門がドアを開けてくれたようだな。
 エレベーターで七階に上がると長門の部屋の前で既にドアを開けている部屋の持ち主がいた。用意のいいことだな、と長門に近づくと、
「待っていた」
 どうやら本当のようで、玄関からわざわざ顔を覗かせてまでいたくらい俺の到着が待ち遠しかったようだ。とはいえ、これは俺を待っていたという事ではないのだろう。
「……………オリジナルは室内」
 多少声が疲れているのは気のせいか? しかもわざわざ玄関まで出てきたのは何も迎えというだけではなさそうだ。
「わたしには最早手段がない、あなたに賭ける」
 つまり早く連れて帰れと。最初からそのつもりだったとはいえ、長門がここまで疲れるという有希のテンションが怖くもある。
 しかしもう決めた事なのだ。俺は思い切ってリビングに足を踏み入れた。そのまま回れ右、といきたくもなったのだが。シンプルな部屋の中心にコタツ机があり、その中心に正座した有希。
 そしてあの暗黒のオーラが部屋全体を塗りつぶしているのだ、これはさしもの長門とて同じ空間には居たくないだろう。有希が怒ると怖いのはつくづく分かっていたつもりだったのだが、これはなかなかのピンチである。
「…………有希」
 だが有希をこうさせてしまったのは俺であり、責任を持って解決しなければいけないのもまた俺なのである。俺はゆっくりと有希に近づいていった。入り口に背を向けている有希は俺が近づいている事に気付きながらも振り返る事もしてくれない。ここまで本気で怒っているのは珍しいな、本当に本気になれば俺の命が無いのだが。
「あー、その、すまなかった」
 きっかけとしてはそう言うしかない。勿論無視である。
「確かに俺が意地を張っていた。有希の言ってる事も分からなくはなかったのに、つい自分のルールを押し付けようとしていたのかもしれない」
 背を向けている有希の後ろで俺も正座をして語りかける。せめて誠意は見せなければならないだろう、たとえ見えていないようでも有希が分からないなどということはないのだから。
「だけど聞いてくれ。俺も男だしつい意地は張っちまったけど、それでお前を責めたりしてる訳じゃないんだ。俺も俺なりに今まで生活してきた中でこうなったというのも分かって欲しかっただけなんだ」
「……………理解は出来る」
 ようやく有希が口を開いてくれた。心なしかオーラも弱まった気がしてくる。
「だけど一緒に暮らしているのに自分の意見ばかりを押し付けたのは間違いないだろうな。しかもお前の意見にも男の意地なんてもんだけで聞こうともしなかった、それは悪いと思っている」
 もうオーラはまったく感じさせないが、それでもまだ振り返ってくれない恋人の背中に俺は精一杯の気持ちを話す。
「けどな? 有希がいなくなって一人で居た時にしばらく考えていたんだ。そうしたら単純な事に気付いちまった」
「なに?」
「いや、俺が意地を張ったのは有希がいてくれるからなんだなってさ。有希がまず居る事、そうじゃなきゃ意地なんか張る必要もないんだからな。そんな単純な事に気付いたらお前がいないっていう状態がおかしい事に気付いたのさ」
 単純すぎるだろ? だけど俺が誰に対して意地になっていたのかと考えればそうなってしまうんだよ。だから有希がいない今の状態なんて耐えられるはずもなかっただけだ。
「だから有希が居ない俺なんか意味がないんだ。お前がいるからこそ俺がいる、それだけだったんだよ。お願いだ、帰ってきてくれないか?」
 そのまま頭を下げた。要は土下座だな。男として情けないというなら恋人をここまで怒らせた時点で情けないんだ、今更このくらいなんて事はない。それよりも有希に許してもらう方が大事なだけだ。
 こうして俺は頭を下げたまま有希の返事を待つ。やがて、
「……………頭を上げて」
 頭上から降ってくるような声に顔を上げると、そこには俺を見つめる小さな恋人の姿があった。ほんの数時間なだけなのに随分と懐かしい気分になってしまう程、俺は有希を求めていたという事なのだろうな。
「わたしも、あなたの話を聞こうともしなかった。あなたの今まで積み上げてきたものを理解しようとせずに自分の都合だけを優先しようとしたのはわたしも同罪。これは意地というものならば、わたしも意地を張っていた」
 少しだけ俯いた有希にそっと手を差し伸べる。有希は黙ってその手に頬を寄せた。
「………………それでもあなたを待っていた」
 ああ、遅くなってすまない。
「いい。わたしも謝ることが出来なかった。あなたを待っていて、あなたに謝罪までさせた。許されないのはわたし、ごめんなさい……………」
「もういいんだよ、とりあえず俺は有希がいないとダメなんだ」
「わたしもあなたがいない世界などあり得ない」
 それだけで十分だよ。俺は有希を持ち上げる。素直に従ってくれた有希は俺の右肩の上に座ってくれた。やはりここに有希が居る事が一番落ち着くな。
「あなたの傍が一番心地良い」
 まさに同じくだな。俺は有希を寄り添わせる。
 とりあえずは元の鞘ってことなのだろう。いや、改めて有希の存在の大きさを知ったのだからたまには意見の衝突というのもあってしかるべきなのかもしれないな。
 まず有希を大切に、その上でお互いの意見を交わしていけばいい。衝突したところで話し合えば何とかなる、そのくらいは俺にだって出来るだろう。
 小さな恋人はそんな事を俺に教えてくれているのかもしれないな、そうやって二人で少しづつ成長できればいいのだろう。
「ありがとうな、有希」
 俺がそう言うと肩の上の恋人は小さく頷いてくれたのであった。





「それで?」
 俺達の話し合いの間、外で待っていた長門は急須からお茶を注ぎながらそう聞いてきた。
「何がだ?」
 俺は長門の淹れてくれた茶を飲みながら疑問を疑問で返した。有希はいつものように右肩に落ち着いている。
「今回の争いの原因を知りたい。わたしには知る権利がある」
 確かに巻き込まれて部屋まで占拠されていた長門には聞く権利はあるかもしれない。しかし今思い返してみればささいな原因なのである、なかなか言いづらいものもあるのであった。
「……………カレー」
「カレー?」
 有希が小さく呟いた言葉に長門が珍しく疑問系で答える。
「正確にはカツカレー。彼はカツカレーのカツのみにソースをかけて食そうとしていた。これは邪道」
 そうはいうが、たまにはカツはカツ、カレーはカレーで分けて食べたいと思うぞ?
「ならばカツカレーを頼む必要はない。カレーとカツの調和があってこそのカツカレーであって、そこにはソースなどという異物は存在の必要はない」
 それを言うならカレーにソースや醤油をかけるのも邪道なのかよ?
「調味料はあくまでアクセント。カレーは万能、カツはカレーがあるのだから他には必要ない」
 しかしだなあ、と俺達が再び言い争いに発展しそうな雰囲気になりそうだった時、正面から襲い掛かってくる黒いオーラに動きを止められてしまったのであった。
「………………それだけ?」
 静かに口を開く黒オーラ発生源。いや確かに馬鹿馬鹿しいかもしれないが、結構大事じゃないか? カツはカツで味わいたいっていうのは。だがそこで主張しすぎればまた元に戻るだけだ。今後は気をつけるよ。
「わたしも自分の主張のみを押し付けすぎた。今度はカツにソースをかけてみようと思う」
 おおそうか、美味いんだから是非やってみてくれ。なーに、たまには味を変えてもいいと思うぞ? 新たなるカレーの魅力が発見できるかもしれん。
「………そう」
 ああ、今度また食いに行こうな。それに小さく有希が頷く。そして黒オーラが部屋を包み込んだ。
「…………帰って」
 気付けば俺は玄関先に放り出されていた。何事が起こったのかと呆然とする俺の頭の上に、これまた放り投げられた有希が着地する。ついでのように靴まで投げられて玄関のドアは閉められてしまった。
「あなたたちのケンカは犬も食さない」
 ため息のような声を残して。あー、どうする?
「とりあえずは帰宅したほうがいい。彼女は本気」
 のようだな。俺は投げられた靴を履き、いそいそと家路についたのであった。


 その後、俺と有希が長門の機嫌を取るためにどれほどの苦労をしたか、特にカレー屋における長門の食欲のおかげで破産寸前まで追い込まれてしまうような事になったのはまた別の話になるのであった。