『SS』 ちいさながと そのに 23

前回はこちら

 笑顔なのが逆に怖い。先程圧倒的な力の差を見せ付けられたばかりだ、もしかしたら俺達をあざ笑っているのか? 邪推する訳じゃないが思念体側の思惑をこの人が背負っているのは間違いが無いようだからだ。
 実際に喜緑さんが本気で有希を排除しようと思えば造作も無いのかもしれない、俺の記憶を操作するなど赤子の手を捻るようなものだろう。朝倉と長門も戦力なはずなのだが、喜緑さんの背後にいる思念体が本気になれば太刀打ちなど出来る訳も無いだろうしな。
 それでも俺達は諦める訳にもいかないんだ、有希の決めた思いを無駄になど出来るものかよ! 朝倉も長門も同様なのだろう、知らず喜緑さんを取り囲む様に三人が構えようとする。
「あらあら? 随分と嫌われたものですね」
 それでも余裕が消えない喜緑さんは、
「ふう、そろそろいいのではないでしょうか? これ以上無いほど最適な結果だと思いますし、私ももう悪役は勘弁です」
 いきなり天井に向かってそう言うと、今度は俯いてしまう。何だ?! 俺は当然として有希や長門、朝倉までも呆然と喜緑さんを見やるしかなかったのだが、宇宙人のお姉さんは俯いたままで沈黙していた。
「あ、あのー、喜緑さん?」
 長門と有希はこういう時は無反応ではないがリアクションは無いので自然と朝倉が声をかける。今までは俺の役目だったのだが、こういう時に先に犠牲になってくれる奴がいてくれるというのは助かるものだ。
 しかし喜緑さんは何も返事をしない。さすがに異常事態だと思ったのか、
「ちょっと喜緑さん?! 大丈ブッ!!」
 肩を叩こうと近づいた朝倉の顎に狙いすましたように顔を上げた喜緑さんの後頭部がヒットした。いや、大袈裟な表現じゃなく朝倉の目から火花が散った。舌は噛まなかったのだろうか? もう喜緑さんどころの騒ぎじゃない。
「ひゃ、はにふんのよ、ひみふぉりふぁん………………」
 お約束を守るヤツだな、見事に舌を噛んでいた朝倉が涙目で転げまわっているのに対して喜緑さんは何事も無かったかのような顔で座っている。 
「どうしたんですか、朝倉さん? それよりも私の話を聞いてください」
 あなたのせいです、と言うとまずいんだろうなあ。
「あなたのせい」
 流石長門だ、有希も言えないような事を無表情に言ってのけた。それを聞いた年長者は、
「そうですか。それでは私の話に参ります」
 見事に無視された朝倉と長門を置いたまま、本当に喜緑さんは話し始めてしまった。慌てて朝倉が起き上がる、長門も何か言いそうな口を閉じた。
「結論から言えば、合格です。いえ、成功と言えばいいのでしょうか?」
 結論から言えば俺達は呆気に取られていた。恐らくこの場の誰もが意味が不明だったに違いない、言った本人を除けば。なので喜緑さんに先を語ってもらうしかない。
「簡単に言うならばこれはお芝居です。情報統合思念体の意思に私が脚色した台本で実験したと言うのが一番近い表現でしょうね」
 俺達はもう何度目か分からない驚愕に襲われた。芝居? 実験? この人は何を言ってるんだ?!
喜緑江美里、説明を求める。我々は状況を把握出来ていない」
 有希の言葉に朝倉と長門も頷く。この三人すら把握出来ない出来事が俺なんかに分かるはずもない、ここは有希に任せるしかないのだろう。
「順序立てて説明致しますと、きっかけは昨年の冬まで遡ります。あの時、情報統合思念体は自らの消滅、存在の欠如というものを始めて経験しました」
 冬の空。あいつのいない世界。誰も知らない、無口な文学少女のはにかんだ笑顔。それが脳裏を過ぎった時、有希はどんな顔をしていたのだろう? 
「だがそれと今回の件とは関連性が希薄」
 長門がそう言ったが本人はあくまで知識としてしかあの冬は知らないはずだ、だからこそ喜緑さんは話を続ける。
「ですが情報統合思念体は脅威に感じたと共に一つの可能性を考慮するに至りました。すなわちインターフェースが創造主のプログラムを凌駕して行動するという事実にです。それは有機生命体の体を持つ事によって派生したものではないかと情報統合思念体は考えました」
「つまりは有希が人間らしくなったからじゃないかってことですか?」
 俺の質問に喜緑さんが頷く。
「そしてもう一つ原因があるとすれば、それはあなたの存在です」
「俺? どういうことですか?」
「ああ、それは何となく私にもわかるなあ」
「………………」
 喜緑さんはともかく朝倉や長門にまでどこか暖かい目で見られてしまい、つい頬も赤くなろうかと言うものだがそんなことはどうでもいい。
「つまり長門さんが変わっていったのはあなたと過ごしたからであり、それはメンテナンスの為とはいえ現在はより顕著になっています。これにより長門有希はより自我という新たなるプログラムを自己発生させたのではないかと推測したのです。そしてそれは情報統合思念体の求める自己進化への足がかりになるのではないかと思念体は考えました」
 有希が自己意識に目覚める事と自己進化にどのような繋がりがあるのか分からないのだが。
涼宮ハルヒが能力に目覚めた要因の一つとして彼女が有機生命体である人間であることが重要なのではないかというのは思念体が以前より懸念していた事項の一つです。ただし思念体自体でそれを確かめる術はありません。我々インターフェースは有機生命体へのコンタクトと同時に有機生命体とは何か、という事を確認するべく存在するといっても過言ではないのです」
「そうなの?!」
 いや、何故お前が驚く。という朝倉は置いておいて、喜緑さんの話は確かに驚愕というものであろう。宇宙人は俺達人類をそこまで知りたがってたのか? その割にはどうも勘違いしているとしか思えないのだが。
「それが顕著になったのが長門さんがあなたと共に暮らすようになってからですね。正直な話をすれば、今回の件はそれが無ければ実行はありえませんでしたから」
 それっていうのは何なのかと聞くまでもないだろう、有希が人間らしくなったというのは俺が一番良く分かっているからな。そうなったのが俺にも原因があるのだとすれば、それは誇れる事であって恥ずべき事ではない。有希も分かったのか、朝倉や長門にも分かるほど大きく頷いた。
「でもそれと私が再構成された事と何の関係があるの?」
「ええ、これが実験です。長門さんが、いえ、人間とはこのような時にどのような選択をするのか? それは我々とは必ず違うはずなのです。それは朝倉さんと長門さんが証明してくれました」
 確かに朝倉も長門も、有希さえも自分を消すという結論に一度は向かおうとした。それは効率とかだけを考えた結果なのかもしれない。だが人間はそんなに割り切りのいいもんじゃない、大切な人を失くすという事をあっさりと受け入れられるほど強い生き物じゃないんだよ。
 だからこそ俺達は足掻くんだ、希望ってやつをどうやっても探すんだよ。たとえ曖昧な、形もないようなものでも諦めたりするのは嫌なんだ。そして有希もそれが分かってくれた。創造主を脅してでも守りたいものがあるんだって事に。
「ですが朝倉さんと長門さんが自らを排除してまでも長門さんを守ろうとする意思、それもまた一つの人間的な、と言えるものなのかもしれませんね」
 そうだな、と俺は頷いた。自己犠牲という手段はともかく、誰かを守ろうとする気持ちは分かるんだよな。
「え? そういうものなの?」
「…………………そう」
 朝倉の場合は無自覚に、長門は自覚を持って行動していたようだが。その二人を慈愛を込めた目で見ている喜緑さんはどこか自慢気であった。
「これは情報統合思念体にとっても一つの賭けでした。長門有希が進化の可能性となるか、それともただのバグなのかという」
 それに有希は勝ったという事なのか?
「はい、場合によれば長門有希という存在そのものをリセットされるかもしれませんでした。つまり情報統合思念体の意思どおり動く昔の長門さんのように」
 軽く言われたが背筋が凍る。もしそんな事になれば俺は有希を失っていたかもしれないのだ、あの何も無い部屋で何も考えずただ使命とやらで佇む長門有希などもう見たくはないんだ。俺も有希も、あのプログラムのままだった頃の、ダミーとしか呼ばれなかった長門を見ている。長門自身もそれを思い出したのか拳を握り締めていた。それを見た有希が、
「………………それは肯定できない、それならばわたしは全力を持って抵抗したであろう」
「全て承知の上です。ですがそれでも情報統合思念体は賭けなどという不確定要素を採用しなければなりませんでした、それほどまでに長門さんの感情というデータは魅力的だったのです」
 賭け、か。そう考えれば長門の親玉も人間的になったと言えるのかもしれないな。もしかしたら俺が思う以上にこいつらは人間というものを知ろうとしているのかもしれない。
 何にしろ有希も長門も朝倉も助かる、それでいいんだよな? もう俺はそれだけでいい、それ以上何も言うつもりも無いんだから。
「やはりあなたが鍵でした。長門さんはあなたに会い、あなたと共にあるが故に我々が知らない成長というプロセスを経て新たなるインターフェースを越えた存在へと変化しつつあります。これが進化と呼べるのか、我々はそれを確かめたいのです」
「そうね、悔しいけどキョンくんがいなかったら長門さんは変わらなかったんだもんね」
「あなたのおかげ」
 そう言われても本当に俺は何もしていない。あえて言うなら俺は長門有希が好きなだけで、好きな女の子と一緒にいる今の状況に満足しているというだけだろう。だからどうしてもこいつを守る、そう思っているだけさ。
「それがわたしを変えた。あなたが居てくれる、あなたが好き、だからわたしはわたしになれた。全てはあなたと共にある、わたしはそれだけでいいと思っていた」
 ああ、俺もそうだった。だけどな?
「だが、わたしがわたしである為に、わたしは好きな人を誰も失いたくは無い。すなわち朝倉涼子長門有希、あなたたちを」
長門さん……………」
「…………………」
 そうさ、俺達は自分達だけよければいいなんてこれっぽっちも思っちゃいない。有希が守りたい、一緒にいたいって思うのは俺だけじゃないんだからな。
「それがあなたたちが出した答えです。理不尽でも、非効率的でも、大切だから失いたくない。それは感情という情報統合思念体が持ち得なかった要素なのですから。そして感情とは、有機生命体が持つ想いの力とは進化の可能性なのかもしれないのですから」
 喜緑さんは満足そうに頷き、
「ありがとうございます。あなたがいてくれて、長門さんと共にいてくれて、長門さんを好きになってくれて、心より感謝いたします」
 深々と俺に頭を下げた。
「喜緑さん……………」
「………………喜緑江美里、あなたは………」
 顔を上げた喜緑さんは満面の笑顔だった。俺は思った、一番この賭けに自信を持っていたのはこの人じゃなかったのかと。喜緑さんは全て分かった上で思念体の賭けとやらに乗ったんじゃないか? それは有希を信頼しているからなのだろう、考えてみればこの人が一番人間らしかったのかもしれないな。
「さて、全ては終わりました。情報統合思念体は今回の懸案の結果に一定の評価を与えています、よって現状維持という結論となりました。みなさん、お疲れ様でした」
 喜緑さんは言いたい事は言ったとばかりに立ち上がり、そのまま去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待って! 私はどうなるの? 現状って言うなら私はイレギュラーな存在のはずよ?!」
 朝倉が思わず立ち上がる。そうだ、結局朝倉はどうなってしまうんだ?
「ああ、あなたは私のバックアップです。単独行動はまだ容認出来そうもありませんので目の届く範囲にいてくださいね」
「へ?」
 あっさりと言われて朝倉が驚いている。それはそうだろう、最初から分かっていたかのようだったからな。そして喜緑さんはあの優しい目で、
「言ったはずです、私の脚色だと。そして私は朝倉さんを再構成する機会があるのならば何よりもそれを優先すると」
 そうだったのか、つまりは喜緑さんは朝倉を再構成するためだけにこの芝居を打ったっていう事だったんだ。やはりこのお人は自信を持って賭けていたのだ、有希を信じていてくれたんだ。
「き、喜緑さん…………」
「あなたもそれで良かったと思うでしょう? ねえ、長門さん」 
 有希が頷いた。そうさ、結果として朝倉はここに居る。それは喜緑さんも有希も望んだ事なんだ。
「き、きみどりさぁ〜んっ!!」
 感極まった朝倉が喜緑さんに抱きついた。その目から溢れる涙に気付いているだろうか? こいつもまた人間らしくなったという証拠なんだぜ、それは。
 喜緑さんは帰ってきた妹の髪を優しく撫でながら、
「おかえりなさい、朝倉さん」
「……………ヒック、ただいま…………ただいま、喜緑さん………」
 それは本当に姉というものだったのだろう。俺は上に兄弟はいないが、それでもそれは心温まる光景だった。帰ったら少しは妹を構ってやろうかな、そう思えるほどに。
「では私たちは帰ります。また明日学校でお会いしましょう」
「また明日、明日って言えるんだね。うん! また明日ね!」
 喜緑さんがお辞儀して、朝倉は大きく手を振ってそれぞれの部屋へと戻っていった。俺と有希はそれを見送り、そして長門の部屋へ戻る。するとそこには俯いて正座する長門が居た。
「…………わたしは、無力だった。誰も救えず、オリジナルとあなたを苦しめた……………」
 ああ、それをずっと後悔していたんだな。何も言わなかったのはそのせいか、だがそれは違う。
「そうではない、あなたもまたわたしには必要な、大切な人なのだから」
 有希が俺の肩から長門の膝の上へと飛び移った。そのまま俯いた長門の顔を下から見上げる。
「わたしには、そのような事を言われる資格がない」
 長門が視線を逸らすように顔を背ける。しかし有希はそれを追う。
「資格ならばある、あなたはわたしなのだから」 
「そうではない、わたしはどうやってもあなたではない」
 その長門の声に含まれた悲しみに俺は気付いてしまった。
「わたしには…………………彼女の、朝倉涼子喜緑江美里との思い出はない。わたしが持っているのは彼女達との知識だけ」
 …………そうか、長門は生まれた時に喜緑さんや朝倉とのやり取りを有希から記憶のコピーとして知っている。だがそれを実感している訳ではない、それが長門としては理解できないのだろう。
 いや、違うな。悔しいんだ、自分にない思い出を持って、それが力となった三人を見て。長門はもしかしたら疎外感のようなものを感じてしまったのかもしれない。
「………わたしは、やはり存在するべきではなかった」
 それは哀しい声だった。自分の居場所を失くした、そう思い込んでいる長門の肩に有希が飛ぶ。そして肩の上の有希は長門を抱きしめた。
「…………思い出はこれから作ればいい。朝倉涼子喜緑江美里もそれを望んでいる、そしてわたしも」
 その光景は先程と同じだった。喜緑さんが見せた優しさを、有希が長門に見せている。
「あなたはここにいて。わたしと共に思い出を作ればいい、わたしはそれを望む。あなたもまた、わたしなのだから」
 大きさは違うが、これもまた姉妹なのかもしれない。双子の姉妹の姉が妹を宥めている、そういうものなのかもな。
「わたしは………………ここにいていいの?」
 長門が俺を見た。今まで見たことのない光をその瞳に映して。それに俺が言える事は一つしかないだろう?
「当たり前だ、俺も有希もお前と一緒に居たいんだよ」
 光が、揺れた。
「……………ありがとう………」
 再び俯いた長門の髪を有希が撫でている。だが俺はそれを見る事も無く部屋を出た。だってヤバイだろ? 女の子の泣く顔もあまり見たくないが、それよりも俺の泣き顔なんて見られたもんじゃないからな。
 全身の力が抜けたように座り込み、
「………よかった…………よかったよな…………」
 顔を覆った姿なんか有希にすら見せられない。有希が長門を宥める間にどうにか顔まで洗えたのは奇跡なのかもしれないな。



「ここにいて」
 今日だけは長門の我がままにも付き合ってやらないといけないだろう。俺と有希は長門の部屋で布団を引いて横になっていた。隣で長門が小さく寝息を立てている。疲れていたのだろう、様々な感情を押し殺して俺が長門の隣で横になった途端に長門は眠ってしまったようだ。
「……………安心している」
 そうか、それならいいんだが。俺としては通常サイズの女の子が隣にいるだけで寝にくかったりもするけどな。
「なあ、有希」
「なに?」
 俺の腕を枕にした有希に声をかける。だが話すような事は何も無かった。
「…………ありがとな、お前が消えたりしなくて良かったよ」
「わたしも、あなたと一緒に居ることが何よりも幸福」
 ああ、俺もそうさ。
「朝倉もいるしな」
「そう」
 もうあいつとも普通に話せるだろう、脇腹の痛みはもう感じない。
「だけど喜緑さんには勘弁だ、あの人の芝居なんか見抜けるはずもないしな」
「わたしの能力でも判別出来ない、喜緑江美里は思念体と直接アクセスして全能力の権限を受けている」
 だろうな、それでもあの人は俺達を信頼してくれていたのだろう。もしくは思念体というのはそこまで読んでいたのかもしれないが。
「とりあえず元通りだな、多少賑やかになりそうだが」
「それがいい。その上でわたしはあなたと共にありたい」
 俺もさ。俺は有希を抱き寄せた。
「あなたを、好きで良かった」
「同じくだな、俺も有希が好きだ」
 顔と顔が近づいている、サイズの問題? そんなの関係ないね。
 俺と有希の唇が重なり、俺たちは永遠を誓うようなキスをした。この小さな恋人を手放さないように、そして彼女が愛する全てを俺も守りたいと思いながら。



 唇が離れた時、有希が小さく呟いた。
「もう決してあなたを泣かせたりしないから」
 なっ?! お前、知ってたのか………………
 顔を真っ赤にして、長門が寝ている手前叫ぶ事も出来ずに身悶えする俺を見ている有希のいたずらが成功した子供のような小悪魔な笑顔は貴重だったんだけどな?