『SS』 ちいさながと そのに 19

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「大丈夫、損害を与えるつもりなんかないから。ただ多少は消耗してもらわないと、ねっ!」
 朝倉が声と同時にダッシュして長門に襲い掛かった。ただしその手には何も握られておらず、素手で殴りかかっている。危害を加えないという言葉に嘘は無いだろうが、傍目から見れば長門が危ないようにしか見えない。だが殴りかかられたのは長門なのである。軽々と朝倉のパンチをかわしてゆく、まるでボクシングの試合のようだ。
 しかも俺などの目で追えるくらいなのだから二人とも本気で無いことだけはよく分かる。朝倉も長門も目的は相手の消耗なのだから持久戦も覚悟の上なのかもしれない、しかも出来るだけ相手を傷付けないようにという条件付だ。これはある意味で予定調和な芝居なのかもしれない、組み手のような二人の攻防を見るとそう思えてくる。
「……………情報操作における軽度の削りあいを行っている」
 どういうことだ? 有希は二人の戦いを見ながら小さく呟いた。
「触れた箇所から相手の構成情報にアクセスして能力を低下させようとしている、つまり二人が接触する毎に人間で言う体力を吸い取りあっていると考えていい」
 つまりは持久戦じゃなくて一気に決着をつけようとしているっていう事か。だから長門は朝倉のパンチをかわし続けているだけなのだろう。それは朝倉も同様でお互いに手を出し合っているがクリーンヒットどころか、かすりもしていないのだ。
「やるわね、近接戦闘でここまで私についてこれるなんて思わなかったわ!」
「データは常に蓄積していた、シミュレーションにおけるわたしの勝率は92%を超える」
 長門は朝倉の攻撃をかわしながら淡々と言っているが、あいつは本を読みながらこんな戦闘が起こることを予測していたとでも言うのだろうか? 
「我々は常にあるべき事態に備えてシミュレーションを繰り返している。観測対象に起こりうる全ての事態に備える事もわたし達に課せられた使命でもある」
 有希もそうなのか? 俺と一緒にいた時もシミュレーションとやらを重ねていたのだろうか。
「………………あなたと過ごしていた時間、わたしのシミュレーションにおける役目は全て彼女が担っていた。後にわたしへフィードすることによりわたし自身の知識として蓄積されるから」
 あー、ようするに長門にまかせっきりでサボっていたと?
「そうではない、わたしはあなたと過ごす時間はあなたの事しか考えられないだけ」
 あーうん、何か聞いて悪かった。何というかごめん。
「有希ちゃんはああ見えて甘えん坊だからね」
「……………それについてはわたしも否定しない」
 お前らなあ、戦いながら有希にツッコむんじゃねえよ! どうも本気じゃない二人は余裕がありすぎるんじゃないか? 最早演舞のような華麗さで互いの攻撃をかわしながらも手数が減るような気配も無い。
「だからこそ長門さんを助けなきゃいけないのよ!」
 一瞬の隙をついて、ついに朝倉のハイキックが長門を捉えた。だが長門は腕でガードをしながら、
「それはわたしも同様っ!」
 強烈な前蹴りを朝倉の腹部へ! だが咄嗟に朝倉は距離を取ってそれをかわす。すると長門が今までの勢いを無くして膝から崩れ落ちた。ガードしていたのに何故だ?!
「言ったじゃない、私達の戦闘にガードなんか無意味なのよ」
 そうだった、朝倉は長門接触した時点で勝っていたのだった。能力を削られた長門は力無く座り込むしかない、その長門に朝倉はゆっくりと近づいた。
長門さんがフルスペックならこうはいかなかったでしょうね。でもあなたと有希ちゃんは二人で一人なの、私はあなたに負ける気はしなかったわ」
 そう言って手のひらを長門に向ける。
「ほんの少し大人しくしてくれればいいの、それで全てお終い。それじゃいくわね」
 朝倉が高速呪文を唱えようとした瞬間だった。今まで座り込んでいた長門が突然立ち上がり朝倉の腕を掴んだのだ!
「なっ?! ま、まさかそんな力が残ってたなんて…………」
 朝倉も電池が切れたからくり人形のように急激に力を失くしていく、そして互いに膝立ちの状態で腕をつかみ合っているのだった。
「言ったはず、わたしは負けないと」
「…………この機会を狙っていたなんてね。流石長門さんだわ、でも私も負けられないのよ!」
 お互いの腕をつかみ合ったまま、長門と朝倉が同時に高速で何かを呟く。
「…………情報制御開始!」
 二人が声を揃えた、まさにその瞬間だった。
「…………待って」
 朝倉と長門の間に飛び込む影、有希?! いつの間にか俺の傍を離れた有希は長門と朝倉の腕の間に飛び込んだのであった。
 突然の有希の乱入に慌てて朝倉と長門が離れる。
「危ないわね! もしもの事があったらどうするのよ?!」
「我々はともかくあなたのサイズではどのような影響を与えるか予想出来ない、迂闊な行動は慎むべき」
 そんな危ない事を平気な顔してやろうとしていたくせに有希の行動一つで顔色を変えて説教しているのだからやはりこいつらは有希が大事なのだろう。情けない事にあまりの動きの早さに反応一つ出来なかった俺は、この後の有希の言葉にすら動作が遅れてしまったのだから。
「わたしはあなた達二人を失いたくない。原因はわたし。わたしの存在があなた達の弊害となるのならば手段は一つしかない」
 何だと?! まさか、有希までもこんな馬鹿馬鹿しい理屈で……………
「……………!!」
長門さん?!」
 有希の言葉にいち早く反応した長門が有希の体を掴もうとする。だが一瞬早く有希の体は宙に浮き上がった。
「…………パーソナルネーム長門有希の情報解除を申請する」
 その瞬間、有希の全身が淡く白い光に包まれていった。やばい、有希は本気だ! 反応が遅れた俺が有希の体に手を伸ばそうとした時だった。
キョンくん!」
 朝倉の叫びと同時に手のひらに重い感触が。これは…………………あのナイフが俺の手に握られている。
「早く! それで私を刺しなさい! 今なら私の情報解除の方が先に終わるわ、有希の申請が認証される前に!!」
 待て、本当にそれしかないのか?! 有希を救う為に朝倉を、それも俺の手で消すしかないって言うのかよ!
「躊躇ってる暇なんかないの! 有希が消えてもいいの?!」
 朝倉が両手を広げている。それでも躊躇うなって言うほうが無理だろう、無抵抗の朝倉にナイフを突き立てられるほど俺は狂っちゃいない!
「いいから! 私よりも有希を、長門さんを助けて!!」
 朝倉が俺に飛び掛ってくる、いや、俺の持つナイフに刺されようとしている。本当にこれしかないのか?! 有希を救う為には朝倉を犠牲にするしかないのか! もう迷う時間などは無かった、有希は光に包まれ、朝倉はその身を犠牲とする為に俺へと迫ってくる。
 この時の俺の混乱は思い出したくもない。パニックに陥った俺は訳も分からない叫びを上げて両目を硬く閉じたままナイフを突き出してしまったのだから。
「それでいいの、後はお願いね………」
 朝倉の囁きと手に鈍い感触。俺は恐怖のあまり意識を失いかけていた………………
 どうなってしまうのか、どうしたらいいんだ? その答えをくれる者はどこにもいないままだった。