『SS』 ちいさながと そのに 15

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 寝れないと思っていたが、気付くと意識が無くなっていたらしい。ここ最近は有希のおかげで目覚めも良かったのだが、今日は久々に妹のボディアタックを喰らって目覚めたのだった。
「ぐおぅっ!」
 珍妙な声を上げて起き上がったが、有希は無事か?! 間違って下敷きにしてないかと不安になったが、
「………………」
 有希は既に着替えて机の上に正座をしていたのだった。安心した反面、有希が俺を起こす事もなく何も言わずに居るのが心配になる。
キョンくん、朝ごはん食べれなくなるよー」
 有希に話しかけようとしたが妹が居るので何も話せないまま、俺はとりあえずは顔を洗いに行くしかなかった。
 着替えて朝食を取りに行く間も有希は俺の肩の上にはいなかった。机の上で正座したままの有希の前にトーストを置く、今日は気をつけてイチゴジャムなど持ってきてみたのだが。
「…………ありがとう」
 食欲が無いのかと思ったが、もしかしたら無理にでも食べようと思っているのかもしれない。いや、そこまで人間的かどうかはさておくが、食事が出来るだけマシだと思う方がいいのだろう。でも会話が無いのが寂しいと思うのがダメかと言われるとどうしようもないんだが。
 疲れている体に鞭打ってトーストから溢れるほどにジャムを乗っけて口に運ぶ。とりあえず糖分だけでも補給しない事には今日一日を乗り越えられるかどうかさえ怪しいからな。
 嫌がられるかと思ったが素直に肩の上に収まって、有希と俺は学校へ向かう。どうにも会話のきっかけが無くなっているのは仕方ないとはいえ寂しいものがある。いつも以上に坂道が急に感じるのは気のせいじゃないだろう。
「ごめんなさい、言語を上手く構成出来ない。わたしの語彙に不足がある」
 そんな事はない、胸の中のモヤモヤなんて言葉にするのは困難なものなんだ。それはより有希が人間らしくなったという証明であり、言葉じゃない気持ちというのは肩の上から確かに伝わってくる。だから何も言わずに少しだけ笑った、それだけで通じると信じているからな。
 こうして教室に着いた俺たちは奇妙な、ある意味衝撃的な光景を目にすることとなった。涼宮ハルヒが笑顔で会話しているという光景である。
 しかもその相手は朝倉涼子なのだから始末に終えない。横に阪中がいるのはクッションみたいなものなのか? とにかく教室内でハルヒがあれだけ明るい顔をしているのは滅多にない事態である。それに朝倉は俺の席を占拠してしまっているのでどうにも近づき辛いのだ。仕方なく国木田に話しかける。
「朝倉さんは僕より早く来てたけど、涼宮さんが来たと同時にキョンの席に座ってからずっとあの調子だよ」
 どれだけ早く来てたのかは聞く気にもならないが、朝倉がハルヒの信用をここまで勝ち得たという事実には驚くな。
「まったくだ、涼宮なんかと話してるからみんな声がかけづらいじゃねえか」
 そう思ってるのはお前だけだ。谷口がどれだけハルヒを苦手にしているのかはよく理解しているが、現に阪中などは会話に上手く入っている。無論阪中がハルヒと親しくなってきているからというのもあるが、ハルヒが丸くなったと言えるのかもしれないな。
 などと韜晦しても仕方が無い。あの場で繰り広げられている光景は俺と有希にとっては心臓によくはないのだ。現にここまでハルヒと話している朝倉が今にも消えるかもしれないという可能性を孕んでいるという事を知っている身としては。つまりはこれで朝倉がいなくなればハルヒはどんな反応を示すのか分かりはしないし、かといって情報操作とやらで記憶を消されてしまうというのは出来るだけ避けたい。それは朝倉涼子という人間が消えると言う事であり、たとえ覚えていなくともそれは容認できる事ではないのだから。
「でも朝倉さんって、あんなに笑う人だったかな?」
「何言ってんだ、朝倉はいつも笑顔が似合うからこそ俺的ランクがAA⁺なんじゃねえか」
「それは知らないけど、なんだろ? 雰囲気が違うっていうか………」 
 そうだ、あんなに楽しげに話す朝倉の事を誰も覚えていないままで消されてしまうという事を黙って見ていられるほど俺は鬼じゃない。昨日の夜、朝倉の言った言葉が甦る。だがな? 万が一なんてあってはいけない、誰も消えない方法はきっとあるに違いないのだ。
 そろそろチャイムも鳴ろうかという頃に俺は席に戻ることにする。
「あ、ごめんねキョンくん。涼宮さん、またあとでね」
「うん、涼子も阪中ちゃんもまたあとで!」
 阪中と朝倉も席に戻っていったのだが、涼子だって? いつの間にそこまで親しくなったんだ、こいつら。ハルヒは最近滅多にないほど教室内で上機嫌である。いつもなら不機嫌そうに窓の外を見ているか、俺にちょっかいをかけるかなのにな。
「…………楽しそう」
 有希がそれを見て呟いた。そうだな、ハルヒも朝倉も楽しそうだった。それはハルヒがどこかでクラス内の友人を求めていたからなのか、朝倉の能力的なものなのかは分からない。だが、少なくとも高校生の日常としては健康的な風景であるといえよう。
「なあ、これでハルヒに何か影響が出たりするのか?」
「分からない、ただしその精神状態が安定しているということは言える」
 そうだろうな、今のハルヒは友人が出来た事に満足していると思う。後で古泉にも確認を取ったほうがいいのか? しかしそれも野暮っていうものだろう、今のハルヒを見ればそう思うさ。
 これで長門の事さえなければ俺も有希も笑って見ていられるのにな。今となっては泣きそうにすらなる、有希もそう思うだろ?
「わたしは、彼女達を救いたい…………」
 俺もだ。だからこそ諦めるつもりはない、俺なんかが出来る事があるのかどうか分からないが、足掻くのだけは止める気なんかはないぞ。だからな、
「俺に出来る事はないのか?」
 些細な事でいい、お前達の力になりたいんだ。
「分からない。けれど……………………」
 有希は俺の頬に寄り添った。
「そばに………………いて………欲しい…………」
 ああ、何があっても一緒にいるよ。抱きしめてやりたいが教室ではそうもいかないけれど。
「あんた、顔色悪くない?」
 ハルヒが珍しく俺に気を使って顔を覗き込もうとしたので、
「ああ、ちょっと寝不足でな」
 と適当に誤魔化しながら机に伏せる。
「ちょっと、保健室でも行く?」
 えらく優しいな、でもそれなら放課後の部活を回避する方向でいってもらえないか?
「馬鹿ねえ、SOS団の活動に支障をきたさないように今から体を休めるんじゃない。いいから寝てきなさい!」
 とまあ病人に対する態度とは思えない様子で蹴飛ばされながら教室を追い出される。おい、誰が担任に説明するんだよ? などとはハルヒに通用するわけが無い。
 周りの奴らも、またかって具合で何も言わないのも気に食わないが、朝倉が浮かべていた苦笑が妙に印象深かった。わかるだろ? こういうのをいつも相手にしてるんだ。
「やれやれ…………大丈夫か、有希?」
 あれだけ酷い扱いを受けていても肩から落ちる心配などまったくないが、一応は有希を気遣うと、
「とりあえず保健室へ。あなたが睡眠不足の症状を起こしている事はわたしにも理解出来る」
 流石にばれるか。朝倉と話していた事までは分からないようだが、寝不足なのは仕方ないしな。
「…………わたしのせい」
 それは違う。間違っても自分を責めるんじゃないぞ、単に寝不足なだけだ。確かに考えているけど、それはそれだ。
「まあハルヒにも感謝しておこうか、ちょっと寝る事にしとこう」
 保健室のベッドに横になってから俺はようやく一息ついた。保険医もホームルーム前から来るような生徒を邪険にはしないものだ。帰るか? というのを断わるだけでも苦労はしたが。
 このまま目を閉じたら確かに眠っちまいそうだな。制服のネクタイも外し、楽な体勢でいると睡魔も襲い掛かってくる。
「…………わたしも涼宮ハルヒに感謝している」
 どうしてだ? ハルヒの観察には教室にいた方がいいし、朝倉もいるのに。だが有希は小さく首を振って俺の腕に頭を乗せて横になった。
「二人きりになりたかった、少しでも」 
 こういう時に何なんだが、凄く可愛い。俺だって有希と二人でいたいもんな、考えてみれば緊張しすぎて昨日もゆっくりは出来なかった。
「少し寝ておくか」
 腕の中で僅かな動きがあり、俺も安心して目を閉じた。少なくともこの後の事を考えれば不安もあるが、今は休養しかないのだろう。
 俺と有希は結局放課後のチャイムが鳴るまで保健室から出ることは無かった。俺は有希を抱きしめていたようで、気付けば横向きで有希が見えないような体勢だった。
「………おはよう」
 俺の腕の中で有希がそう言った。その顔は先程よりは落ち着いているように見えた。やっと有希がらしくなった、と思う。
「それじゃ団活にでも行くか」
 肩に有希を乗せて俺は保健室を後にした。本来なら帰りたいとこでもあるが、流石に団長が許しはしないだろう。そういえば昼休みにもハルヒが顔を出さなかったのは気になるな。
 とりあえずはSOS団の活動だけはこなさねばならないだろう。俺達は部室に向かったのであった。