『SS』 木枯らしに抱かれて

 あなたはきっと知らない。私の気持ちに。私もきっと知らない。自分の気持ちに。
「よう、お前もここに来てたのか」
 ずっと話したかったのに、かけられなかった声。あなたの声を聴きたかった、少しだけ叶えられた願いを。
「やあ、そういう君もこんな所で会えるとは思わなかったよ。どうやら高校受験というものは眠れる獅子をも揺り起こさねばならないほどに僕達の生活のリズムというものを変えてゆくようだね」
 口を出る言葉は自分自身を守ろうとするような殻に包まれた台詞。あなたは奇妙な顔をしてそれを聞いている。でも、私には他に使える言葉遣いが無い。どうしても異性と話すという行為そのものが私に壁を作らせる。それは異性に対する恐怖なのか、自らの自尊心の成せるものなのか、私は今まで疑問にも思わずにいたはずなのに。
 あなたにまでも、こうした話し方しか出来ない自分に嫌悪するのに。それでもあなたは私を責めたりはしない、私の全てを受け入れようとするように。
「助かったよ、知り合いもいないままでこんな所には居たくなかったからな」
 その微笑みを見ている私の胸の中を、あなたはきっと気付かない。
 そう、あなたは気付かないままでしょう。私があなたをずっと見ていた事に。私があなたと出会ったのは三年生のクラスなんかじゃない。
 それは三年前、中学の入学式の時。まだ新しい制服に身を包み、何も分からないままで一人立ち尽くしていた私が初めて捕らえた視線の先にあなたがいた。
 春の風、ではない。冬の終わりを告げるような木枯らしの中。
 私はあなたと出会い、そして恋に落ちた。小さく芽吹いた心は時と共に育ち、今の私を形作っている。だから私は、あなたと話すこの瞬間も胸を騒がせているというのに。
「そうか、僕もやはり見知った顔が傍にいるというのは心強くあるよ。それでは一年間よろしく頼む」
 私の想いを、この短くも長い時間に。自分でも気付かない内に心は、あなたを求めていたのだから。
 狂おしい程にあなたを欲する自分を律せなくなりそうになりながら、それでも私の弱い心はあなたに本当の自分を見せる事を頑ななまでに拒み続ける。
キョンなんて、すごいユニークなあだ名だね。どうしてそんなことになったんだい?」
 あなたの事を、もっと知りたい。それでもあなたには気取られないように。
 他愛の無い会話、それが私の胸を暖める。そして、締め付ける。
 彼の名前は彼そのものを表す様な名前だった。それは優しく、気高く、私はその名前を愛する事が出来る。それでも、
「でも、キョンって方が僕は好きかな」
 あなたの名前も、そのあだ名もどちらも好きだから。そしてあだ名を呼ぶことで少しでもあなたとの距離が近くなるのなら。
 それに、あなたのほんの少しだけ困ったような、諦めたような顔も好きだから。
 時は流れて、学校以外でもあなたとの時間が増えていく。私の事も、少しでも分かってくれているのだろうか? 私はあなたの事を少しでも理解出来ているのだろうか?
 学習塾からの帰り道、あなたと肩を並べて歩く夜の道。自転車を押しながら私が乗るバス停までの短い逢瀬。他愛も無い話題が心地良いのは決して私が蓄えた知識のせいではないはずだから。あなたが聞いてくれている、それだけで私の心は満たされてゆく。あなたも、そうであって欲しい。
「それじゃ、また明日な」
「ああ、また明日」
 バスに乗り込み、発信するまであなたはちゃんと見送ってくれる。そしてゆっくりとバスが動き出し、あなたは私に背を向ける。
 最後部の席はあなたを見送る私の指定席と化していた。それはあなたが気付かない私だけの秘密。
 自転車に跨り、一気に遠ざかる背中に、
「……………好き」
 小さく囁いても決して届く事はないままで。届かせる事も出来ないままの想いは胸の奥をただ駆け抜けていくだけだった。
 バスを降り、家までの僅かな距離をあなたを想い歩く。見上げた満天の星空は哀しい程に光輝いていた。
 瞬く星々は天使の翼のように私を包み込もうとする。けれども美しい天使の声は私に諦めを促しているように思えた。
 それでも、諦めきれない恋に私は夢を見る。あなたに伝える勇気もないのに、私は私の恋を諦めているのに。
 ベッドに倒れ、大きく息を吐き。私は目を閉じる。瞼の裏に浮かぶあなたの顔は優しい微笑みなのに。
 何故だろう、心が抉られる。あなたに伝える事の出来ない自分の弱さに、今だにまともに話せない自らの情けなさに。心がただ傷ついてゆく。閉じた瞼から流れる涙は頬を伝わり、私はそれを拭う事もないまま意識を深く沈める事しか出来なかった……………
 そして私は夢の中で。
 泣いている私。ただ泣いている。何も出来ない、何も動けない弱くて可哀想な私に、私は泣きながら言うしかない。
 泣かないで、私の恋心。それはとても素晴らしい事なのに。
 だけど涙は河となり、私が私として彼と接する事を阻む。だけど。だけどもしも願いが叶うのならば。
 この涙の河を越えて全てを忘れる事が出来たのならば。いいえ、全てを忘れても、きっとこの想いだけは忘れない。
 目覚めた時には忘れてしまう夢だけど、流した涙の感触だけは私の頬に確かな証として残っていた。
 ……………いつになれば、この夢を見なくなるのだろう。それでも同じ夢に捕らわれながら、時間だけは確実に過ぎていくのだった。
 季節は瞬く間に過ぎ去り、あなたを初めて見た季節がやってくる。
 白い季節の風が吹き、冬はもう私達の傍にいる。受験というものが確実に近づく足音を私達は確かに聞いていた。
 既にお互いの進路は決まっている。私は市外の進学校を受験する事になっているし、あなたは公立に行くのだから。離れる事を知りながら、何も踏み出せない私に風は冷たく吹き付けるのだった。
キョン、これで互いの道は違える事となるが、連絡だけはしてくれよ。これだけの時間を共に過ごした友人と高校が違う程度で疎遠になるのはいかにも人間関係が希薄のようで残念だからね」
「ああ、お前こそ年賀状くらいはよこしてくれよ。まあ家が引っ越す訳でもないから機会があれば会えるだろうけどな」
 あなたの受験結果を出校日に聞けて良かった。そうでなければ私は自分の進路を放棄する事に何も抵抗は無かったはずだ。そしてあなたの言葉に小さく反論してしまう、きっと会う機会なんてないくせに、と。
 それでもあなたが合格してくれて良かった。私と共に勉強をして出た結果だから。嬉しいけど哀しい。何故ならこれであなたと離れてしまうのだから。
 卒業して、お互いの道を進む。あなたはきっと様々な経験と共に私を忘れてゆくかもしれない。それを私は止める術が無い。
 何故言えないのだろう、簡単な一言が。何故言わないのだろう、喉の奥に引っかかっている一言を。
「また会おう、キョン
「おう、またな、佐々木」
 こうして最後の挨拶を交わした私達はこれから別々の道を行く。もう、私の隣にはあなたがいないのだ。
 家へ帰る私の背中と心の中を、今年最後の木枯らしが吹き抜けていく。その冷たさに身をすくめても、もうあなたはいないのに。
「…………また、会いたいよ…………」
 涙で滲む瞳の奥にはあなたが変わらず笑っていてくれるのに。凍えるような風にも私の中の燃える様な想いは消えることは無かった…………





 せつない片想い
 あなたは気づかない……………