『SS』 ちいさながと そのに 13

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 その日の夜は互いに会話は少なかった。俺は有希になんと言ってやればいいのか分からないままだったし、有希も何も話せるような状態ではなかったと思う。夕食はまるで示し合わせたみたいにカレーだったのが皮肉に感じた。
 何も話さなくても普段は心地良いのだが、今回の沈黙は重く息苦しいものがある。それでも出来るだけ俺は有希に話しかけたのだが、出会った時の様なわずかな顔の動きだけで返事が返ってくるだけだった。まさに八方塞りってやつだったんだ、俺にとっては。 
 それでも粛々と日々の動きはこなさないとならない。俺たちは夕食を終えると、風呂に入って着替えて寝るしかないのだ。
 一緒に風呂に入っていれば有希と日常の些細な出来事などを話していたりするものなのだが、今日は話題が無いわけでもなく、逆に話せない事が多いから何も言えない。いつもよりも早めに上がったような気もするが、風呂場でイチャイチャしてないってだけだな。
 すっかりおなじみとなった少しだけ大きめのパジャマに身を包んだ有希は、いつもならば読書の時間であるか俺の宿題を見てくれるのだが。
「もう寝るのか?」
 そこまで早いとは言わないが、一般的な高校生にしてはまだ起きていて当然のような時間である。だが有希は既に俺のベッドの上で横になっていた。
「……………きて」
 と言われれば普段ならばこの後結局寝れない展開へと続くのであるが、今回はそういう意味ではないだろうな。素直に有希の隣で横になると、有希は俺の腕の上で寄り添ってきた。最近は俺の上ではなく腕枕をされるようにして俺の胸へくっつくのが有希の好みではあるが、それでも今日はまるで胸の中に隠れるようにぴったりとしがみついている。
 当たり前だ、有希は不安なのだ。今までのように割り切れたんじゃない、誰かを想う喜びを、誰かを失う悲しみを知った小さな彼女は選ぶ事など出来なくなっている。どちらも大切な人だと、今の有希は知っているんだ。
「…………大丈夫だ、今までだってなんとかやってきたんだからな。今度だって何とかするさ」
 気休めにもならないセリフを呟きながら、俺は有希の小さな体を抱え込むように横を向いた。
「わたしは……………」
「大丈夫だって言ってんだろ。俺はまだ諦めてないぞ」
 そうだ、まだ何か方法はあるはずなんだ。朝倉か長門か、どちらかが消えていいなんて理屈は最早俺には通用しない。無茶苦茶でも解決させる、ハルヒが望む世界とやらでは誰もが笑ってるらしいからな。
「お前のところの親玉をギャフンと言わせてやるからな」
 努めて明るい口調で俺は言ってやった。本当にそうなるとは俺自身も思っちゃいないが、それでも俺まで落ち込むわけにはいかないからな。有希はそれを聞くとほんの数ミクロンだが唇の端を上げ、
「その言葉は死語」
 とだけ言った。そっちかよ、とまあ有希が笑ってくれたのだからいいんだが。
「疲れたろ? いいから休んでおけよ」
 本来の十二分の一となっている有希にとっては負担が大きすぎる一日だったに違いない。そんな体調の心配すら今更じゃないと出来なかったなんてな。有希も素直に、
「そうする…………おやすみなさい」
 そのまま有希は目を閉じた。やはり疲れは溜まっていたらしい、しばらくもしない内に小さな寝息が聞こえてくる。ここまで無防備に俺より先に眠る有希なんて久しぶりだな。
「おやすみ、有希」
 俺もそのまま寝る事にしたよ、しっかりと俺の寝巻きを掴んで離さない有希を置いておくわけにもいかないしな。俺もとりあえずは目を閉じたのであった……………



 それは夢だと思う。俺は元のサイズになった長門有希を抱きしめていた。
 整った美しい顔立ちの有希が俺の胸に顔を埋めて静かに眠っている。
 安心したようなその横顔を見て、俺は何よりも彼女を守りたいと改めて誓うのだった。
 そしてその寝息に誘われるように俺の意識もまた飛んでいって……………………


 何故気付いたのかは分からない。着信音ではなくバイブレーションだったにも関わらず、俺は自分の携帯が鳴っているのに気付いてしまったのだった。
 有希がいるので無視しようかとも思ったし、時間帯からいってもおかしすぎる。だが、携帯のメモリにある女の名前がある限り、電話を無視するというのは世界の危機に直結する可能性もあるのだ。
 完全に眠っている有希をそっと腕から降ろし(この時点で有希が起きない事を怪しむべきだった)俺は携帯を開いた。
 留守電にもならず、なによりマナーモードになど設定していない携帯の通話ボタンを押すと、
『もしもし?』
 聞きたくはなかった声が耳に飛び込んできた。
「お前か、こんな時間に何の用だ?」
『そんなに遅いと思わないけど? 随分早寝なのね』
 ほっとけ、今回はたまたまだ。舌打ちしたい気分だが、切ってはダメだと分かりつつはある。
「よくこの電話が分かったな、お前には教えた記憶はないぞ」
『そんなものどうにでもなるわよ。………………嘘よ、長門さんから訊いたの』
 そうか、長門ならお前には教えそうだな。いや、教えないわけにもいかなかったか。
「…………何の用だ?」
『分かってるでしょ、少しだけ出て来れないかしら?』
 分かってても拒否したいんだよ。それに、
「生憎と同居人がもう寝てるんだがな」
『そっちの長門さんはもうしばらく起きないわ。むしろ休ませてあげて』
「どういう事だ? 有希に何かしたのか?!」
『私じゃないわ、喜緑さんが負担をかけ過ぎたからって強制的にスリープモードをかけているの』
 なるほどな、それであの有希がすぐに寝てしまって俺の動きにも反応しなかった訳か。 
『だから今しかないって事なの。例の公園で分かるわね?』
 それは長門との約束だったんだがな。だが分かってしまったからには強制って事なのだろう。
「……………ちょっと待ってろ……………全部話してくれるんだろうな?」
『…………私に理解出来ている範囲は全て話すわ』
 そうしてくれ。俺は急いで着替え、部屋を出る。その直前に有希を見つめ、
「いってくる」
 小さく呟いた。




 最早見慣れすぎた公園は初めて俺が長門有希と長話をするきっかけとなった所でもある。自転車を飛ばして駆けつけた俺の目の前には長門が座っていたベンチがあり、そこには長門ではない人物が座っていた。
「思ったよりも早かったかな」
 そうかい。ベンチから立ち上がった女性は俺へと歩み寄ってきた。
「本当なら部屋に呼んでもよかったけど、流石に難しかったの。今もこのベンチの周辺の情報閉鎖だけで精一杯、内緒話も楽じゃないわね」
 お前らの間で隠し事をするってのは大変なのは分かってるよ。それでも俺に話す事があるんだな?
「うん、長門さんを助けて欲しいの。私はその為にここにいるのだから」
 それは俺も同様だ。有希も長門も助けたいと思う。だからって当事者であるお前がそんな事を言い出すとはな。
 つくづく自分の運命の不可思議さを痛感する。まさか恋人を救うために自分を殺そうとした相手と話さなきゃならないとは。
 


 そう、朝倉涼子と二人で話さなきゃならないなんてな。笑顔の優等生なクラスメイト兼殺人鬼を前に、俺は緊張のあまり息を呑んだのであった。