『SS』 ちいさながと そのに 10

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「さーて、何から訊こうかしらね…………」
 腕ぶして襲い掛からんばかりのハルヒを前にしても微笑を絶やさない朝倉は流石だと言わざるを得ないだろう。しかし朝倉はカナダに留学していた、ということになっており、その辺りの辻褄をどう合わせるのか分からない。余計な心配かもしれないが、もしもハルヒが不信感を持てば事態は急激にやばい方向へと持っていかれるからな。
 古泉が内心焦っているだろう中、ハルヒが口火を切った。
「まずは謎の転校についてよね、あんなに急に留学なんて何かあったとしか思えないわ!」
 いきなり失礼な言い草だとは思うのだが、朝倉は冷静に、
「そうね、私としても心苦しかったわ。でも、あの時はああするしかなかったの。ここだけの話なんだけど、実はね? あの時………………」
 申し訳ないがあえて省略させていただく。だが荒唐無稽ながらも真実味がある朝倉の国内脱出劇(まさにそう呼ぶにふさわしいものがあった)はハルヒと朝比奈さんの感動と興奮を呼ぶにふさわしい物があったのだ。
「そ、そんな…………ワンちゃんが朝倉さんを庇って…………可哀想です…………」
「まさか朝倉のおじいちゃんがねえ………………それでカナダだったのね…………」
 古泉は笑っていたが間違いなく苦笑いそのものだな、俺もどう反応していいものか分からないぞ。だが、話だけなら面白い上に妙な説得力がある。まあハルヒと朝比奈さん相手ならどうにでもなるかもしれないが。
 とにかくどこぞの超監督とやらが作った戦うウェイトレス映画よりも遥かにちゃんとしたストーリーである。鶴屋さんの文芸誌の小説に勝るとも劣らないだろう、これで事情さえ知らなければ俺も興奮して聞けたのにな。
「わかったわ、まさか貨物船の運行表を使って飛行機の時間のアリバイを作るところは流石ね。でもカーチェイスは見たかった気もするわね」
「そうなっていたら今頃私はいないわよ」
 えーと、いつの間にか和気藹々と話しているハルヒと朝倉なのだが。これは朝倉を褒めるべきなのか、ハルヒがアレなのか判断に迷うところだな、朝比奈さんも感動してらっしゃるし。
「それで? カナダに行ってからどうだったの?」
 完全に尋問じゃなくて朝倉ペースだ、引き込まれるように前傾姿勢になっているハルヒと朝比奈さんには悪いが馬鹿馬鹿しくて聞く気にもならなくなってきた。相槌は古泉に任せておいて大丈夫そうだしな。
 だからという訳じゃないが、俺はもう一つの懸案事項に集中する。有希は長門を見ているのに、長門は今だ顔を上げてくれないからだ。傍目から見れば朝倉の話にも関心がなさ過ぎるように見えるのでハルヒの反応的にも具合が悪い、あまりにも無関心すぎる。
 まるで初めて会った時の様な、と思った瞬間に自分を責めたくなった。そうだ、こいつはもう有希の表面だけを真似たダミーなんかじゃない、こいつも長門有希なのだ。だからせめて有希にだけでも応えてくれ、俺達はお前を心配してるんだ。本当に読んでいるのか判らない、いつもとは違うページがめくれる音。それを見る有希の悲しげな目は、俺も二度とは見たくないものだったのに。
 しかし、そんな俺達の憂いなどお構い無しで長門に話を振る奴がいる、言わずと知れたハルヒだ。
「ねえ有希、あんたから見ても面白いと思わない? まさかカナダであんな事やってたなんて思わなかったわよね?」
 あんな事ってどんな事だよ? と言いたい気持ちをぐっと堪えたのだが、長門ハルヒの問いかけにようやく本から顔を上げた。そしてただ一言、
「わたしは、彼女を知らない」
 そう言って再び視線を本に落としたのだった。白けた空気が部室を支配して行く事にすら関心が無いかのごとく、長門は何も言わなくなってしまった。だがハルヒは少しだけ眉を顰めると、
「ふーん、そうだったっけ? 確か体育なんかで一緒だったような気がするんだけど覚えてないの?」
 そういえば合同授業なんかもあったな。だが長門は何も答えそうにない、朝倉も同様なのでギクシャクした空気になることは間違いないだろう。
 それよりも長門の言葉そのものの真意が分からない。それは長門が他のクラスに関心が無いってことか? それとも……………お前が朝倉涼子と過ごした時間がないからっていうことなのか? 恐らく俺と有希にしか分からない長門の二つの意味を持つ言葉に戸惑いながらも、
「そうは言うがな、俺達だって長門以外の六組の連中を一々覚えちゃいないだろ? それと同じようなもんだろ、なあ長門?」
 フォローのつもりで言ったのだが長門はミリ単位の頷きさえ返してくれない。それでもハルヒの方が納得したらしく、
「そういうもんよね、確かにクラス以外の連中の名前とかまでは覚えてなくてもおかしくないわ。それじゃ改めてあたしがSOS団員を紹介するわね!」
 結局自分が紹介したかっただけじゃねえかと思うくらい嬉しそうにハルヒは朝倉に団員の紹介とやらを始めた。
「この子は朝比奈みくるちゃん! SOS団のマスコットキャラなの、可愛いしお茶も淹れてくれるし、それも美味しいんだから!」
 何を今更と言った感じなのだが、ハルヒは朝比奈さんを抱きしめて胸を持ち上げている。おっぱいも大きいしね! と言って朝比奈さんの顔を真っ赤にさせている様子を面白そうに見ていた朝倉が、
「よろしくお願いしますね、朝比奈先輩」
「ふぇ? は、はい! よろしく…………」
 差し出した手を朝比奈さんが握ったところでハルヒは満足そうに頷いたのだが朝比奈さんが上級生だなんて紹介してないはずだけどな。まあそのくらいはどうとでもなるだろう、朝比奈さんの人気は朝倉の転校前から校内に鳴り響いていたしな。
「こっちが古泉一樹くん、九組に転校してきたんだけど知ってた? 頼りになる副団長よ!」
「どうも、タイミング的にはすれ違いのようになってしまいましたね。古泉一樹です、よろしく」
 古泉が先制して差し出した手を、
「そうみたいね、今後は少しは話せるといいわね。よろしくね」
 と握り返す朝倉。その瞬間、火花のようなものが散ったような気がした。表面的には美男美女の握手など絵になるのだけれど、内面は腹の探りあいでしかないからな。
 個人的にはハラハラしながら見ていたのだが、ハルヒは写真でも撮りたそうに、
「うん、何か困った事があれば相談してみたらいいわ。古泉くんは海外にも親戚が多いんでしょ?」
 などと言って古泉の顔色を若干青くさせた。それは自業自得だな、朝倉もそうするわ、なんて頷いてるし。まあどうにかなるだろう、『機関』も苦労するだろうがな。
キョンはもういいわね」
 そりゃクラスメイトだからな。だが言い方ってもんがあるだろう、多少憮然とする中で朝倉の苦笑が不愉快だ。
「…………後から紹介する?」
 いや、いいよ。というか朝倉に今更紹介してもらってもなあ。しかし何故この話に有希が加わろうとしたのだか。そう言いながら朝倉ではなく長門を見ている有希の視線を思うと何か言わなければ落ち着かなかっただけなのかもしれない。
 軽口も虚しく聞こえる有希の関心は今からハルヒが紹介する無口な読書家にしか向いていないのだから。
「最後は長門有希ね! 隣のクラスで、SOS団が誇る万能選手よ! ちょっと無口だけどすっごく頭いいし、運動も出来るんだから!」
 自慢げに長門を紹介しているのを聞きながら、朝倉と長門は何を思っているのだろうかと考えてみる。思えばこの二人は学校内ではまったくといっていいほど接点がない。それはハルヒの視線を意識して意図的にそうやっていた面もある、よって、
「『初めまして』長門さんだっけ? お隣のクラスなのね、よろしく」
 朝倉のセリフは正しいのだが違和感がありすぎて気持ちが悪い。舞台の裏側で着替えているのを見ながら芝居を見ているようなもんだろうな、内幕を知りながら白々しい三文芝居を見せ付けられる。
「……………」
 長門らしい数ミリの首肯。だが、長門は朝倉の差し出した手を握り返すことは無かった。苦笑して朝倉が手を引っ込める。
「これがあたしのSOS団よ! どう? 面白そうでしょう?」
 瞳を輝かせて朝倉の反応を待つハルヒは、子供が自分の宝物を自慢するような自信に満ちた顔である。もう朝倉への尋問などどうでもよくなっているな。
「ええ、楽しそうね。良かった、涼宮さんはいいお友達に恵まれてるのね」
「当然よ! あたしは自分の居場所くらいは自分で作るんだから!」
 轟然と胸を張ったハルヒがチラッと俺に視線を向けたのはSOS団の創生のきっかけが俺の不用意な一言だったからなのだろう。
「そうね、クラスに馴染まないからって他に出来る事は沢山あるものね」
 そう言った朝倉もハルヒの視線に気付いているのか、セリフは俺に向かって言ったかのようだった。そうだ、この一言をきっかけに俺自身もこのヘンテコな世界に巻き込まれていったのだからな。
 そして今や俺には彼女まで出来てしまった。しかもこの世界に相応しい不思議なプロフィール満載の。
 彼女は………有希は俺の肩の上で一連のやり取りを見ていたのだが、朝倉もいるこの空間で有希だけがどうしていいのか分からなくなっているような気がする。
「さて、それじゃさっきの続きね。カナダってさあ…………」
 ハルヒが再び朝倉との会話に夢中になっていく中で、朝比奈さんはその横で朝倉の話に一喜一憂している。古泉も適度に相槌を打ちながら、どうやらハルヒが落ち着いているせいか電話が鳴ることはないようだ。
 にも関わらず長門有希だけが取り残されたように会話に加わらず本の世界に没頭しているように見えた。勿論そんな事は無い、何故かと言えば長門が本当に本を読んでいるかどうかってくらいは分かるほど、俺は長門有希の事を理解しているつもりだからだ。
 俺もハルヒ達の会話に適当な相槌を入れながらも、神経は長門と有希の二人にだけ向けている。どうしたんだよ、長門? お前が俺と有希にそこまで何も話さないなんておかしいじゃないか。それを言えたらどれだけ楽だろうか、とはいえ長門は何も言ってはくれない。
 俺達だけが感じている焦燥感だが、それ故に余計心苦しいものがある。俺ですらこうなのだから有希はもっと苦しいだろう。せめて寄り添わせたいところだがハルヒ達がいる手前あまり変な動きも出来ない。
 じりじりと時間が過ぎてゆくのを何も出来ずにただ待つしかない。最早ハルヒ達の会話など頭に入っていかなくなっている、それよりも長門と話す時間が欲しい。やがて、ぱたんと本が閉じる音がした。
「あ、もうそんな時間なんだ? それじゃ帰りましょうか!」
 時間を忘れるほど話に夢中になっていたハルヒが思い出したようにそう言うと、俺と古泉は朝比奈さんの着替えを待つべく部屋の外に出るしかない。
 朝倉も室内に残るようで、俺と古泉は何も言わずに部屋を出ることにした。その前に有希に長門はいいのか、と視線で聞いてみたのだが有希は俺の肩から動くことは無かった。
「彼女からのアプローチを待つしかない………………」
 寂しそうに有希が呟いた。