『SS』 ちいさながと そのに 3

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 食後の睡眠は非常に心地良いものなのであるが、それにただ漠然と溺れる訳にはいかないのが高校生の辛いところである。
涼宮ハルヒがあなたを捜索に来る可能性が高い」
 と有希に耳元で言われてしまえば、霧がかかった様だった脳細胞も一気に活性化するというもんだ。俺は慌てて飛び起きると、有希は当然のように肩に飛び乗った。
「どのくらい寝てたんだ?」
「残り三分で始業のチャイムが鳴る、それまでに涼宮ハルヒが行動に移す確率は92.052%」
 どんだけ人を遅刻魔にしたいのだ、あいつは。しかも旧校舎というか、部室に俺がいるところを見つかれば碌な目に遭わないだろう。たとえハルヒから見て俺が一人にしか見えなかったとしてもだ。
「急いで戻るぞ!」
 肩の有希に一声かけて俺は走り出した。少なくとも渡り廊下にいるところまでは見つかる訳にはいかないからな、何とか教室の近くまでは行っておきたい。とはいえ食後に寝てしまって、起き抜けに全力疾走はちとやりすぎた。俺はあっという間にスタミナ切れを起こしたのだった、何とも情けない話である。
「やばいな、ハルヒがこっちに向かって来るかもしれん」
 流石に焦ってきたが、とにかく足は動かない。有希の心配そうな視線はハルヒに見つかる事よりも俺の体調を考えてくれているようだ。
「わたしはステルスだから大丈夫、あなたはもう歩いた方がいい」
 そう言われても焦るものは焦るだろ。だが既に歩いているだけでしかないが。これじゃハルヒが探さなくても始業ギリギリだな。
 だが遅刻だけは回避しなければ不味過ぎる、残った力を振り絞って教室の目前まで走った俺が見たものは。
「あらキョン、どうしたの? 随分汗かいてるじゃない?」
「…………………」
 ハルヒ長門が廊下で立ち話をしているという珍しい光景を目の当たりにしてしまったのだった。何やら分からんがハルヒはどうやらここから動いてはいなかったらしい、つまりは俺と有希の心配は杞憂に終わった訳だったのだが。
「あー、トイレに行ってたら時間がなさそうだったんで走ってきただけだ」
「汚いわね、ちゃんと手を洗ってきた?」
 失礼な事を言われようとも探しに来られるより遥かにマシな状況である。でたらめだが走ったことには間違いが無いのでハルヒもあっさり信じてくれたようだった。
「それじゃあたしは教室に戻るわ。有希、また放課後にね!」
 そう言ってハルヒは教室のドアを開けた。俺もそれに続こうとして長門と視線が合う。
「……………」
 あー、そういうことか。俺はハルヒには聞こえないように小声で長門に話しかけた。
「すまん長門、時間稼ぎをしてくれてたのか?」
 これは俺にしか分からない程の小さな首肯。どうやら俺たちの帰りが遅かったために長門がフォローに入ってくれていたらしい。
「…………感謝する」
「…………かまわない」
 有希が長門に礼を言うというのもおかしな光景なのだが、これも大分慣れてきた。有希いわく、ダミーである長門との情報共有は徐々に少なくなってきているという。これは有希は有希であり、長門もまた一人の人格として認められてきたという事なのかもしれない。
「それじゃ俺たちも教室に戻るわ、ハルヒがまた何か言い出しかねん」
 長門と少し話しただけだが、ハルヒは自分がいないところで話があることを非常に好まない。それにどちらにしろ時間は無いのだ、後は放課後の団活が終ってからでも長門には改めてお礼を言っておこう。
「…………また」
 長門もそれだけ言うと自分の教室に戻っていった。それを見送るほど時間は無いので俺達も教室へと戻る。ハルヒは既に机に顔を伏せ、どうやら午後の授業は睡眠学習決定のようだ。なので席へ着く前に有希に話しかけた。
「しかし今回も長門に助けられちまったな、まあ喜緑さんから何か言われたのかもしれないが」
「そう、彼女はとても優秀」
 だな、あいつも長門有希なのだから優秀なのは当然だろう。これは有希なりに自分自身を自慢したような形になるのだろうか? すると有希は見えない程度に首を振り、
「彼女はわたしであって、わたしではない。これは彼女自身の自我、それはわたしも同様に行動したとしても違うもの」
 つまりは長門長門なりに自分で考えて行動したってことか? 頷いた有希はまるで我が事のように誇らしげだった。
「あなたのいる世界で、わたしも彼女も変化している。それはわたしには心地良い変化、これが………」
 そうだな、そういうことが成長っていうものなのかもしれない。俺も有希がいてくれるおかげで変わっていったところは多いだろうしな、それが長門にとってもいい方向に向かっているのならいいのだが。
「我々はあなたに感謝している、それは間違いないから」
 そう言ってもらえるとありがたいね。ここが教室じゃなければ有希を抱き寄せたいところではあるが、流石に見えない有希を撫でたりする訳にもいかないかと思ったが、
「俺の方こそ感謝してるよ、後で長門にもお礼を言わないとな」
 席に着くと後ろの住人は既に俺に気付かないレベルで夢の世界へと突入しつつある。それを確認して俺は有希を肩から降ろし、頭を軽く撫でてやった。傍目からは俺も机に伏せてるようにしか見えないだろうしな、このくらいはいいだろう。
「…………そう」
 そうだった、ここまででも俺達は気付く事はなかった。いつもと少しだけ違う変化に。
 それは有希ではない、長門の自我の目覚めだと思い、むしろ喜んですらいたのだから。机に伏せた俺の頭の上に座り、後ろのハルヒを観察というか見物している有希も気付いていなかった。それを俺達が知るのはもう少し後の事になる。
 ただその時は、俺はハルヒよろしく午後の授業の睡眠学習に勤しもうとして、
「授業を聞いて」
 と有希に起こされただけだったのだ。未だ事件の兆しは見えず、その時の俺達は平和なものだった。夢うつつで過ごす午後の授業の記憶がほとんど無かったのは、いつもの事にするとまずいのだがな。
 そんな授業が終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に後ろの席で飛び起きた気配がしたかと思うと、
「さあ、部室に行くわよ!」
 いきなり腕を掴まれてバランスを崩しそうになったりするのだ。こいつには寝起きの気だるさなどというものはないのか? 文句も言えないままにカバンだけを引っ掴んで教室を連れ出された。こういう時には有希が肩から落ちないというのは安心するな。
 引かれている反対の肩に移った有希は表情も変わらずに走っている俺と同じ様に髪を揺らしている。それも毎日の光景の一部と化していた。