『SS』 きっとキャット
俺の携帯に電話がかかってきた。土曜の夜のことだ。
「・・・明日の早朝、家に来て欲しい。」
いつもの様に不思議探しという名の金の搾取を終え、心身ともに疲れ果ているところに長門からの電話だ。俺にとってはラブコールに等しい。
「あぁ、わかった。」
何故、呼ぶのかは聞かない。それを聞くのは野暮ってもんだ。長門から何かして欲しいといわれることなど滅多にない。そんな長門の要望を聞かずして何を聞くというのだ。俺は、明日の朝早く起きるためにもう寝ることにした。
思えば、このとき何の用か聞いていれば良かったのかもしれない。
いつになくパッチリと目のさめた俺は、男性ホルモンの忌々しい影響によって少しずつ生え始めている髭を剃りつつ、顔を洗いつつでそのままリビングへと向かった。今日は日曜日であるのでこんな早くからは誰も起きておらず、みな一様に惰眠をむさぼっている。
朝食をとり終えた俺は特にすることがなくなったので、そろそろ重い腰を上げ長門の家に向かうことにした。
朝の冷たい風を自転車で切っていくのはなんとも新鮮で心地よい。車や人の往来も少なく予想していたよりも早く、長門のマンションへと辿り着いた。
普通ならオートロックであるので長門の部屋番号を押し、長門に開けてもらわなければならないが、俺は少し前から長門に合鍵をもらったので出入り自由の身となったわけである。もちろん、長門も俺の家の合鍵を持っているのでどちらも信用しあっているということになる。
という話は置いておくとして、さすがに最初の砦を突破したとしても長門の家のドアまで合鍵で開けるのは気が引けるので俺はインターフォンの呼び出しボタンをプッシュした
ピンポーン
「……………」
「あー、俺だ。」
「入って」
言われるがままに俺は中へと入った、と同時に、部屋を間違えたかと思った。
「……にゃあ」
「にゃあ、じゃねぇよ」
そこに突っ立っていたのは猫耳を装着し、両手を自分の顔のそばにあげ猫のポーズを取っている長門だった。
「そう。とりあえず、にゃかへ。」
長門の行動が著しくおかしいのは今回俺が呼ばれたことと密接に関係がありそうだ。とにかく、ただならぬことが起きている気がする。
「・・・で、どうしたのか説明してもらえるか?」
小さくうなずく長門
「私たち、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースは情報統合思念体から多くの情報をインストールすることが可能。望むのであれば、この地球上の全ての情報をも得ることが出来る」
「そいつは凄いな。それと、今回のこととどんな関係があるっていうんだ?」
「私は猫語のインストールを試みた。」
真顔でそう言い放ちやがった。いつでも長門は大真面目なんだが・・・・
「その結果、バグによって、猫の情報を全てインストールしてしまった。遺伝子の構成情報も全て書き換えが終了している」
遺伝子とかそういう話をされても俺のおつむにはまったくもってピンと来ないのでかなり混乱しているところだ。
「つまり、私は完全に猫になってしまう。」
さすがに俺でもことの重大さにはピンと来た。
「その、あれだ。アンインストールとかは出来ないのか?」
長門は自分の頭についている猫耳を弄繰り回しながら聞いていた。
「不可能。私にできることは、にゃい」
真顔で先ほどから話してくれているのはわかるが、猫耳をつけながらだとその話の重みは半減してしまう。長門を最初に見たときは可愛さのあまり卒倒してしまいそうになった。さらにいうと、さっきから「な」のおとが「にゃ」へと変化していることも俺にとっては更なるダメージである。あの長門がニャーニャー言ってるのは反則的なまでに可愛い。
「あにゃたを呼んだのはほかでもにゃい。万一にそにゃえて私の行動をバックアップしてもらおうと考えていた」
「で、その万一の事態が起きてしまったと。」
「そう」
「だが、お前にもどうしようもないのに、俺に何かできるのか?」
「心配はいらにゃい。明日の朝には元通りににゃるように申請しておいた。」
じゃあ、ますます俺はいらないのではないか、そんな考えが頭をよぎったとき更に長門が言葉を続けた。
「それまでの間、あにゃたには私のそばにいて欲しい。」
長門の説明を整理するとこうだ
自分が猫になるまでの間、さまざまな点で日常生活を送るのに障害が生じる。その手助けをして欲しいということだ。
そうして、俺と長門の奇妙な一日が始まった。
サポートといっても、長門が猫耳を装着した格好では外へは出歩けないので日長一日家の中で過ごすといった感じだ。いつもとなんら変わらない安息日。そこにちょっとスパイスが加わったところで、味が落ちるわけでもないし、さらにおいしくさえなる。
「長門、なんかして欲しいことあるか?」
「・・・にゃい」
普段と同じく本を読みふける長門であるのだが、その姿はいささか通常とは異なる。本に集中せずあちらこちらに気をとられ、まったくページをめくるそぶりを見せない。それどころか本の表紙をつまんでくるくると回し、眺め始めたではないか。
「暇なのか?」
本をこねくり回すのをやめると
「そうといえなくもない」
同時にしまったという顔をする長門。その表情は一マイクロメートルの顔筋の動きながらも俺の目は、しかと捕らえた。
「あれ? にゃ、っていわないんだな。」
慌てふためく姿を俺は微笑ましくみている。
「そんにゃことにゃい。聞き間違いだにゃん。」
最早、意味がわからない。とりあえず、長門が無理をしているということだけはわかった。それでも可愛いから許す。
ふと時計を見ると、長針と短針は12のラインを超え、お腹のすくピークの時間をさしていた。
「あそぶより、腹すいたろ。何か食いたいものあるか?」
「…牛乳が飲みたいにゃん。」
長門、今日はそのキャラで突き通すのか。
俺の買ってきた牛乳を大き目のコップに注ぎ、両の手でコップをしっかりと押さえ、ストローで吸っている姿はなんとも滑稽であり、同時に可愛くもある。猫が牛乳をストローで飲むという光景はトムとナントカという外国のアニメでしか見たことがなかったが、こんなに癒されるものなら毎日の朝食の風景に拝みたい。
俺はといえば買ってきた鮭おにぎりを黙々とほおばり、その長門の行動を目に焼き付けていた。その俺の視線に気付いたのか、俺のほうをじっと見つめる長門の視線は何かを訴えかけているようだった。
その長門の視線のいっていることを読み解いてみることにした。
ふむ、あなたの買ってきてくれた牛乳はおいしい。次は貴方の牛乳が飲みたい、って長門?! 何言って・・・
「そんにゃこといってにゃい。」
「そうか。」
どうやら俺の妄想が入り込んでしまったようだ。もう一度試みる。
「なんだ、この鮭が食いたいのか?」
俺はおにぎりを手で二つに割り、中から鮭を取り出した。俺がそれをつまんで長門に見せてやると、長門は期待に目を輝かせ、尻尾まで振ってやがる。・・・・・・・・いつの間に尻尾生えたんだ?
尻尾の出現には驚いたが、この鮭を普通にあげるのではつまらない。俺はちょっと悪戯してやることにした。
「欲しいなら、何らかの態度で示さないとな。」
長門は少し考えると、おもむろに俺のほうにぐっと顔を近づけると俺の指に挟まれている鮭を俺の指ごと口に含んだ。長門の柔らかな舌が俺の指に絡む。目を瞑っているというのが俺の頭にヘンな想像をさせる。指先を舐められただけだというのに俺は前かがみにならざるをえない状態になった。俺は変態か。
「・・・どう?」
少し得意げな顔をして聞く長門。
「いや、まぁ、予想外ではあったな。」
予想外すぎてアレはもう、そらまめ状態だがな。
「貴方の体の一部に著しい血液の流入が見られる。どこか悪いの?」
「いやぁ、ハッハッハ、顔が熱いから熱があるのかもなぁ。うーん、すこし横になったほうが・・・」
「血液流入は下腹部に集中している。やはり異常、調べる必要がある。」
長門はそういって身を乗り出してきた。
「待て待て待て!! その、あ、あれだっ。そう、ちょっとトイレいってくる!」
俺は半ば強引にその場から抜け出すと、トイレに籠もった。
「ふぅ・・・」
言っておくが、俺は何にもしてない。落ち着くまで待っただけだ、勘違いするなよ。
トイレから戻るとコタツの上には猫耳つきのカチューシャが置かれていた。もう長門が飽きたのだと思い、長門を見ると長門には相変わらず猫耳がついている。
「いくつ持ってるんだ、それ。」
「ひとつだけなのにゃ。」
どうやら、長門には本物の猫耳が生えてきてしまったらしい、尻尾といい耳といい、どんどん猫に近づいているではないか。
・・・と、俺の頭に一つの卑猥といえなくもない思い付きが舞い降りた。
獣耳や尻尾がついている女の子はそこの部分がかなり弱いというのが王道である。触られると、あられもない声が思わず出てしまったり、顔を赤らめ、その声をこらえたりする。それはまぁ、少年誌でも成人誌でもいっしょである。弁解しておくが、俺は成人誌は読んだことなどない。断じてないぞ、と震える声で否定しておこう。
俺は長門の背後にそっと回りこむと、耳をふわりと触った。
「にゃに?」
くるりと振り向き、無表情で聞いてきた。どうやらこっちはハズレのようだ。では、このピンと立った尻尾はどうか。
「どうしたの?」
心の沈みを気づかれないようにしながら、おれはなんでもないと答えた。あの漫画に描かれていたことはどうやら嘘だったらしい。まことに残念である。
その後は特に何かあるわけでもなく、だらだらとした一日を過ごした。そして日もとっぷりと沈んだ夜8時ごろ。事件は起こった。
夕飯を取り終わり、長門とボールで遊んでいたときのことである。
「長門、そんなにボールが楽しいか?」
俺が投げたボールを長門が取ってくるという行為を延々と繰り返しているのだが、長門はまったく飽きる気配がない。毎回、嬉しそうにして持ってくる。そんな長門が可愛いからといって、持ってくるたびに頭を撫でてやっている俺もどうかとは思う。
「ちょっと待ってろ。トイレ行ってくる。」
これは本当に用を足すためである。
振り向いて、長門を見ると、ボールを珍しいものでも見るかのように、目を輝かせて見つめ、つんつんと叩いて遊んでいる。ほんとに猫みたいになってきたようだ。長門の新しい一面を見ることが出来たので、バグに感謝するべきといったところか。
俺が戻ってくると、先ほど長門がいた場所にはさっきまで長門が着ていたであろう服が落ちていた。
「おーい、長門ー。」
辺りを見回してもいない。服も着ないでどこいったんだ? 脱衣かくれんぼなんて聞いた事がない。そもそも先に脱いでるしな。
「にゃう」
そういって俺の後ろから飛び掛ってきたのは毛並みのつややかなブルーの瞳をした猫だった。
「お前、どこから入って・・・って長門か?!」
「・・・・そう」
いつもの平坦な声が返ってきた。お前、しゃべれるのか。
「あと数分で完全にしゃべれにゃくなってしまうにゃ。」
猫になってもキャラは変えないつもりらしい。
そのにゃがととも、またボールでひたすら遊んでやり、押入れから引っ張り出してきた毛玉や俺の家に一度帰って、妹から借りてきたねずみのオモチャで遊んでやっているうちに、いつの間にか11時をまわっていた。
「にゃがと、そろそろ寝る時間だぞ。」
ボールにしがみつき、離れようとしない。そんなに楽しいのか。
「ほら、明日も遊んでやるから。な?」
ぱっと顔を輝かせた、かどうかは定かではないが、嬉しそうな態度を示して、にゃがとは寝室へと向かった。
にゃがとが寝ようとする布団とは別に布団を引っ張り出そうとすると、にゃがとは前足をちょいちょいと動かし、まるで俺を呼んでいるようだった。
「どうした? 一緒に寝て欲しいのか?」
尻尾をくるくると動かす。どうやら正解らしい。
年頃の女の子、しかも恋人関係にある女子と寝床を共にするのは男としてのある部分が黙っちゃいないというか、非常に緊張するわけである。それでも、猫に欲情するのも異常だと思うので、俺は仕方なく寝ることにした。
にゃがとを腕に抱える形になっているので、そのぬくもりはじかに俺に伝わってきて、非常に温かい。こんどシャミセンを連れ込んでみようか。
「今日は楽しかったな。こういう日もたまには悪くない。」
そういいながら頭を撫ででやる。ごろごろと喉の奥で気持ちよさそうになく。肯定ということでいいんだよな。
思えば、今日の一連の出来事は本当にバグだったのだろうか。
長門の口癖はどうやら意図的なものだったし、特に手助けの必要もなかった。いざとなれば同じマンションに住む朝倉にだって頼めたしな。考えてみると、長門は寂しかったのではないかと思う。だんだんと、付き合い方がマンネリ化していたし、デートも少なかった。そんな俺に業を煮やした長門が奥の手を使ったのだろう。こうでもしないと、長門と触れ合ってやれない俺がふがいない。
よし、これからは週に一度ぐらいはデートしよう。そんな決意を胸にひめ、にゃがとのぬくもりを全身で感じながら俺は眠りについたのだった。
翌朝、裸の長門を俺の腕がしっかりと抱いており、柔らかいものとのふれあいに反応してしまった俺が、落ち着くまでまたトイレに籠もることになるのはまた別の話だ。