『SS』 長門有希の焦燥 3

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 瞬間移動で肉体にかかる負担が大きすぎる。わたしは攻性情報に能力のほぼ全てを費やしているため、行動時における肉体制御はもう出来ない。
 全身にかかる衝撃はわたしの肉体を確実に破壊してゆくが、朝倉涼子に対抗する為には能力を割く訳にはいかない。急接近後に拳による直接打撃、同時に攻性情報の注入。わたしに残された手段はこれだけしかない。
「遅すぎるわよ、長門さん?」
 わたしの拳は悉くかわされた。身体能力に著しい差がある、全て承知の上でわたしは攻撃の手を休める訳にはいかない。肉体が限界を迎えるまでの活動時間は短すぎるのだから。
 拳だけではなく脚による蹴撃も織り交ぜながら攻勢を止めない。関節が稼動範囲を超えて悲鳴を上げているが、再生に向ける時間は無い。
 コンマ数秒単位で繰り出す打撃の嵐を朝倉涼子は涼しい顔で受け流す。わたしの意図は既に読まれていた、受け止めることなく流されてゆく打撃はその勢いを殺す事さえ出来ずにいたずらに肉体を傷付けてゆく。
「ほらほら、そんな動きじゃ当たらないわよ!」
 朝倉涼子の笑顔から余裕は剥ぎ取れない。圧倒的力の差がそこにはあり、わたしの拳は虚しく宙を舞う。その動作の一つ一つが着実なダメージをわたしの肉体に刻み込む。
「………………」
 わたしの拳は既に朱に染まっていた。激しい動きで毛細血管が破れている、服で隠れている部分も同様。だが肉体の損傷を省みている時間はない、行動には支障がない内は攻撃は休めない。
 飛び散る血液さえも朝倉涼子には触れることが出来ない、このままでは出血による行動低下も懸念される。
「あはは、もう活動停止? 動きが鈍くなってきたわよ」
 反応速度が二割低下。予想よりも遥かに早い、出血による影響を低く見ていた? 否、これは……………わたしは焦燥している? 情報統合思念体の影響がないわたしは動きに無駄が出来ている、それが焦りを生み、また疲弊させていた。
 それを理解しながらも動きを止める事は出来ない、悪循環が空回りしながらわたしを痛めつけてゆく。
 

 それでも、ただ一撃を朝倉涼子に。


 わたしの攻撃は尚も続く。無謀で、無意味な自傷行為の舞踏。朝倉涼子は観客のように笑ってかわしながら愚か者のダンスを見る。
 それでも、わたしは、
「もういいわ」
 朝倉涼子の呟きを聞いた瞬間、わたしの腹部に衝撃が走り、
「!!」
 吹き飛ばされた身体は空間を形成する端まで飛ばされ、壁に激突した。肋骨が折れ、内臓が損傷した感触が、痛覚を遮断! 
「ゲフッ……」
 喉から口腔内に溜まった血液を吐き出す。呼吸は………まだ可能。しかし行動に大幅な制限、肉体再生に情報構成を回せない。
「あーあ、脆いなあ。そんな事じゃ私には指一本触れられないわよ?」
 分かっている、そんな事は。しかし、わたしにはこれしかない。インターフェイスに残されている情報操作能力を全て使い果たし、わたしは立ち上がった。
「ふーん、まだやるんだ………」
 当然。わたしはまだ何もしていない。このインターフェイスで行動可能時間は…………もういい。
 そのような事に思考を割くのは無意味。今わたしに出来る事を。再度わたしは朝倉涼子に攻撃を仕掛けた。



 結果は予想するまでも無いものだった。わたしの意志の数十分の一も反応してくれない身体は、最早動く為に全ての神経を遮断させながら反射的に動かしているに過ぎない。
 膝の靭帯が切れた脚は意思が無いかのように虚しく空間を彷徨い、朱から黒へと変色した拳は肩まで上がる事を拒否している。
 それでもわたしは動く事を止めない。喉に絡まる血液を吐き出し、眼球内の毛細血管も切れ、赤く染まった視界に朝倉涼子を捉えている限り。
「滑稽ね、まるでピエロみたい」
 それでも構わない、あなたに一撃を入れられるのならば。拳を振り回した勢いで肩の関節が外れ、右腕が力無く下がった。
「………哀れね」
 蔑みの視線がわたしを貫く。だが、わたしは構う事無く力の入らない脚を朝倉涼子に蹴り上げる。
「無駄よ」
 朝倉涼子が指を指し、わたしの脚は膝からありえない方向に捻じ曲がった。痛覚を遮断していなければ激痛で気絶していたであろう衝撃にも関わらず、わたしは次の行動を。
 取る事は不可能だった。バランスを崩した身体は地面へと倒れ込み、起き上がろうとした肉体は意思を拒絶する。無様に横たわるわたしに、朝倉涼子が近づいてきた。膝を折り、わたしの顔を覗き込む。
「あらら、酷い有様ね? 綺麗な顔が台無しじゃない」
 何事も無かったように優雅に微笑む朝倉涼子の表情に、失った感覚が戻ってくる。顔を挙げ、霞む視界で朝倉涼子を捉えた。
「………まだそんな目で私を見る事が出来るのね」 
 冷たい視線が交わされる。そして朝倉涼子は笑顔でわたしに尋ねてきた。
「ねえ長門さん? あなたは何故私に逆らうの? どうして情報統合思念体の意思に背くのかしら?」
 それは…………涼宮ハルヒを傷付けようとしているから。進化の可能性を自ら閉ざしかねない行為を容認は出来ない。
 それにわたしはSOS団の団員として団長を守る。それは彼との約束。
 

 約束? 彼との?

 
 そう、わたしは彼に、誓ったのだ。そして、その彼はもういない。目の前の朝倉涼子が彼を殺したのだ。
 思考が白く染まり、わたしは、
「彼の…………」
 胸に秘めていた言葉が、止まる事無く溢れ出す。
「彼の………仇を………わたしが…………」
 返して、彼を。
「あなたが………彼を………わたしから………」
 彼がいない世界なんて。
「彼の仇を………打ちたい……………」
 そうだ、わたしから彼を奪った報いを。わたしは朝倉涼子を消去したい理由はそこに帰結するのだ。
 全てをわたしから奪った朝倉涼子に、しかるべき報いを。これは……………………………復讐。
 あまりにも稚拙な思考がわたしを支配していた。感情と言うものがあるのならば、わたしは急激な感情の起伏に流されている。それを今この時自覚した。
「おかしな事を言うようになったわね」
 本当に面白そうに朝倉涼子は笑い、
「でもつまらないわ、もうあなたには用は無いわね」
 その目に宿る殺気はわたしが知る朝倉涼子のものではなかった。表情を消したその顔は、以前のわたしとも違う。そう、それは生命を感じさせない瞳。
「パーソナルネーム長門有希を敵性と判断」
 朝倉涼子が手のひらをわたしにかざす。
「情報解除の申請、行動に移すわ」
 思念体は申請を受理するだろう、わたしにはもう抵抗する力は残されていない。情報を解除、即ち有機生命体で言うところの死をわたしも迎えるのだろう。
 ………彼の仇は取れなかった。でも、彼の元へはゆける。既に解除された彼を追うように、わたしは光の粒子と化すのだ。
 もうこの世界にわたしの存在する理由は皆無。否、彼が消滅したあの時から、わたしの居場所は無かったのだ。
「さよなら、ポンコツバックアップさん!」
 光が朝倉涼子の手のひらからわたしを包み込もうとした瞬間だった。


 空間に亀裂が走り、轟音と共に裂けていった。


「な、何っ?!」
 朝倉涼子が飛び散る瓦礫から身を避けるようにわたしから離れる。轟音と埃が舞う中、能力の落ちたわたしの視界には何も映らなかった。
 しかし何者かの気配は感じる、朝倉涼子の情報空間内に侵入出来る様な人間などいるはずはないのに。
 
 それなのに。
「すまん長門、遅くなった!!」
 何故あなたの声が聞こえるの? 何故あなたの背中がわたしの目の前にあるの?
 これは幻覚? それとも、
「もう大丈夫だ、後はなんとかなるからな」
 失ったはずの彼の笑顔を、わたしは霞んで消えつつある視力で確かに捉えたのであった…………