『SS』 長門有希の焦燥 2

前回はこちら

 マンションへの移動中の記憶が無い。どのように過ごし、夜を迎えたのかどうかも分からない。わたしの思考は全て彼の映像だけを再生し続けていた。その中でわたしは彼に真実を告げた、その時にもっと語彙の相違を解消できていれば今のような状況は生まれなかったのだろうか?
 最早過ぎ去った出来事を繰り返しながら煩悶する、これが人間のいう後悔、なのだろうか。わたしには分からない、それを知る術を既にわたしは失っていたのだから。何も無い室内で座っていた、座っている自覚すら無かった、ただ存在する為に存在する有機生命体の体は同じ姿勢を保ち続ける事だけにその能力を費やしているかのようだった。
 時間の経過はわたしの体内感覚で把握出来ていたが、食事も睡眠も必要は無かった。食欲や睡眠欲があれば、わたしも彼の事を忘れられたのだろうか。
 しかし、そのような事は許されない。わたしは全てを記憶している。
 彼の顔を。彼の仕草を。彼の声を。そして………………彼の死を。
「…………嘘………」
 その瞬間、全ての動作が止まり、思考すら出来ないままにわたしは倒れ込んでいた。自らの意思ではない。わたしに自意識という概念は乏しい、それは観察者としての目を持たされたわたしの使命。
 だが、今は自意識が無いはずのわたしは何も出来ずに居る事に痛みを覚えている。外的要因は皆無なのに痛みだけがわたしを蝕む。
 思考はループしながら同じ場所を彷徨い、生命は悲鳴を上げながら尚も生きる事を強要し続けてゆく。ただ彼の姿だけを再生する為にある今のわたしに、時は永遠であり、無限の牢獄であった。
 


 そして太陽は昇り、朝が訪れる。それは彼が消えた事を彼女が認識する時。わたしは……………それを観察する為に此処に居る。
 脳内の彼の姿をメモリの奥へと封じ、わたしは立ち上がった。使命を、わたしの役割を果たす為に。
「おはよう長門さん、いいお天気ね」
 昨日の事は既に過去であり、朝倉涼子は現在を生きている。だから彼女はわたしに笑いかける、贖罪では無く役目として。
 我々は並んで登校している。今日という一日は我々にとって最重要事項となる事が確定している為、本来なら学校周辺での接近を禁じられるべきわたしと朝倉涼子が行動を共にする事となったのだった。
「…………嫌われちゃったわね」
 大した事ではないだろう、バックアップとしてのわたしは朝倉涼子の期待には応えているはず。それでも彼女はまるで会話をしなければならないかのように、
「でも涼宮ハルヒの情報フレアさえ観測出来れば長門さんも理解できるはずよ、私は間違っていなかったって。だからあなたは」
 何も心配いらないの、そう言った朝倉涼子の表情をわたしは見ていなかった。彼女の笑顔がわたしにもたらすエラーを止めることは出来ないから。
 並んで歩くこの瞬間にも生まれ続けるエラーの正体をわたしは理解出来てはいない。しかしこの内面から沸き起こる破壊的衝動は確かに朝倉涼子の存在がもたらすもの。
 それは人間で言えば怒りと言えるものなのだろう、同じ目的を持っているはずの朝倉涼子にわたしは同族意識を持つ事が出来ない。彼がいないこの世界で、唯一の繋がりを持っているはずの彼女に対して同じ場所に存在したくないと思うわたしは既に壊れてしまっているのだ。
 だが、わたしはそれを表情で表す事はないままに学校へと到着した。これで朝倉涼子と別のクラスに移動出来る、その事実がわたしに安堵感を覚えさせた。安堵感を覚える自分に絶望しながら。
 下駄箱で分かれる際、
「それじゃまた後で。多分すぐだと思うわ」
 そう言った朝倉涼子はまだ笑顔のままだった。全てを手に入れた優越、それはわたし達インターフェースが持てる範疇を超えている。わたしが知る朝倉涼子は使命についての自信と誇りを持つ者ではあったが、今ここにいる彼女はまったく別の生命体にすら見えた。
 わたしは朝倉涼子と別れ、自分のクラスである六組へと向かう。まだ涼宮ハルヒが登校した形跡はない、朝倉涼子はどのような手段で彼の死を告げようというのだろうか?
 彼の死。一瞬でリフレインする映像、流れ出る血。生気を失った……………瞳。
「!!」
 情報が津波となり、理性を押し流そうとするように。彼の映像が奔流となって脳内だけではなく視覚を奪ってゆく。瞬間に溢れたデータの量を消化しきれずに、バランスを崩しかけた身体を壁に預け、どうにか支える。有機生命体の体はあまりにも脆く、抱えてしまったエラーは大量過ぎた。
 周囲の人間に気取られない内に教室へと移動する。自分の席に着く、という行動がここまで負担になるとは。わたしは席に着いて行動を制限する、きっと彼ならば机に伏せるだろう、また彼の映像が脳内で再生される。エラーが増大して何も出来ずに座っているだけのわたしに、
「大丈夫なの、長門さん?」
 クラスメイトが声をかけてきた。普段わたしは涼宮ハルヒの観測だけに存在している為、クラス内では何もしていない。別段注目される事も無く、そこに居ればいいだけの存在だった。それにこれ以上の外部要因との接触は今後の影響も懸念される…………………今後? わたしは今後など望んでいるのであろうか。
「…………なに?」
 通常の行動パターンから最適な選択。クラスメイトである女性は眉根を寄せ、
「ううん、何か顔色が悪そうだから…………」
 表情、皮膚感覚共に異常無し。何故彼女がわたしの体調を考慮したのか不明。しかしクラス内でわたしの存在が注目される事は不都合、返答は簡潔に行う。
「平気」
 その言葉を聞いたクラスメイトは尚も、
「そう? それならいいんだけど…………保健室に行くなら言ってね?」
 これ以上の接触は不都合。それなのにわたしの中で生まれた落ち着きは感謝、というものなのだろう。
「…………わかった」
 会話は終了した。クラスメイトは自分の席に戻り、わたしはまた一人佇んでいる。本来ならば読書でもしていれば良いのだろうが、わたしはいつの間にか本を広げる事をやめていた。
 これ以上彼の映像が脳内を占拠されると行動に支障しか出ない。全情報を遮断してほぼスリープモードに近い状態で始業のベルを待つ。
 ……………ホームルームが始まれば彼の死が涼宮ハルヒの知るところとなる。そして必ず情報フレアが発生するだろう。
 これで本当に進化の可能性は観測出来るの? わたしには分からない。朝倉涼子が求めた結果がそこにはあるのだろうか、彼ならば………………答えは既に失われている。過ぎ去った過去のみをわたしは追う事しか出来なくなっていた。





 時間の経過も分からないまま、校内にチャイムが鳴り響く。
 わたしは意識を戻し、隣室の様子を伺う。朝倉涼子がいるのでスキャン等は不要、有事にのみ行動すればいいはず。
 それにも関わらず、わたしは意識の全てを五組に向けていた。わたしが知る涼宮ハルヒならば。
『嘘よっ!!』
 わたしのクラスにまで響き渡る絶叫。声に混じるノイズ。
 怒声と喧騒。
 わたしのクラスでも隣室の様子が気になるのか、ざわめきが起こっている。担任が様子を伺おうとクラスを出ようとした時だった。
 


 隣の喧騒が消えた。



 何があったのかとまだ騒ぐクラスを担任が落ち着かせようとしている中、わたしは立ち上がって教室を飛び出した。何か言われたような気がしたが今のわたしには不要。
 五組の扉を開けようとした時に情報操作を認識、室内は既に制御空間と化しているようだ。涼宮ハルヒの情報フレアも観測出来ない、朝倉涼子はどうしたのだろうか?
 情報操作で扉を開ける。前回よりも簡単に進入出来たのは朝倉涼子もわたしが入れるようにしていたのだろう。だが事態は緊急を要する、室内ではどうなっている? 扉はわたしが入ったと同時に消え、目の前では誰も居なくなった空間に朝倉涼子が立っていた。
「ああ、長門さん」
 相変わらず微笑んだままで何事も無かったようにわたしを迎え入れる。誰も居ない空間で朝倉涼子は笑っていた。
「………観測対象は?」
 当然の質問、涼宮ハルヒも居ない空間の存在理由が理解出来ない。朝倉涼子は興味無さ気に、
「それがね? 涼宮ハルヒは情報フレアどころか叫んだかと思ったら気を失っちゃったの。どうやら許容範囲を超えちゃってるみたいなのね。有機生命体は脆いとは思ったけど、これほどとは思わなかったわ」
 当然の反応かもしれない、身近に居た人物の死を彼女は受け入れきれなかったのだろう。情報を爆発させる以前の問題として、我々は生命の、人間の死というものを考慮するべきだったのだ。しかし、わたしがその事に気付いた時には既に遅く、彼は亡くなり涼宮ハルヒは心を閉ざしてしまった。
 全てはわたし達の認識不足のせいなのに。人の命を、その想いを計りきれなかった我々が愚かだったのに。
「あーあ、これじゃ意味無いわね。せっかくキョンくんに死んでもらったのに無駄骨になっちゃうわ。いっそのこと、涼宮ハルヒにも生命の危険を感じてもらおうかしら? そうすれば――――――」
 それなのにまだ彼女は理解していない。人の想いを。そこから生まれる力こそが進化の可能性であるという認識を。否、わたしも理解しているとは言えないだろう。だが朝倉涼子の言葉は肯定出来ない、肯定する訳にはいかない。
「観測対象への直接的アプローチは推奨出来ない」
「あら? でも私は独断で行動した結果『鍵』が無くても大丈夫だって証明出来たわ。今回も死にさえしなければいいのよ、観測対象は生きてさえいればいいの」
 愕然とした。何という独善、理解しがたい傲慢。何も……………あなた達は何も理解出来ていない!
「人は、そのような生命ではない。我々が今だ理解出来ていない要素を持っている、それこそが――――」
「進化の可能性ってことでしょ? だから涼宮ハルヒの生命を脅かしてその様子を見るだけよ」
 それが間違っていると言っている! わたしは今度こそ自覚する、これは怒りなのだと。彼を殺し、まだ涼宮ハルヒを傷付けようとする朝倉涼子と容認する情報統合思念体に対し、わたしは明確な敵意を覚えたのだった。
 彼を失い、全てを否定し、絶望と共にわたしは誓う。涼宮ハルヒを守る、それがわたしに出来るせめてもの唯一の償い。同期したわたしの知る彼が何よりも望むであろう彼女の命を、わたしの生命を賭して守ってみせる。
「………どういうつもりかしら? 長門さん、あなたは創造主に逆らうとでも言うのかしら?」
 創造主? 確かにそう。わたしは情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用インターフェイス。存在理由は涼宮ハルヒの観測及び報告。
 否、わたしは否定する。それは彼がわたしに与えてくれたもの。わたしは高らかにそれを名乗ろう、彼がいなくともわたしは、
「わたしはSOS団団員その二、長門有希。団長の危険を放置する訳にはいかない、わたしの全力を持って対処し、処理をする」
 そう、彼が団員その一であるように。彼を失わせたわたしは、これ以上何も失う訳にはいかないのだ。全身を駆け巡る決意。わたしは今、確かにわたしとして存在する。
 例えそれが無謀な行為だとしても。朝倉涼子は微笑みを絶やさず、
「面白い事を言い出したわね、それじゃどうするのかしら?」
 余裕を湛えたその笑いはわたしには不快感しか与えない。嫌悪、これはそう言ってもよいのだろう。わたしは無意識に身構えた。
「あなたを止める。朝倉涼子、これ以上の独断は許さない」
うん、それ無理。だって今のわたしは独断で動いている訳じゃないもの。これは情報統合思念体の意思でもあるの。独断なのは長門さん、あなたよ?」
 承知済みだ、情報統合思念体はわたしの行動を制限しようとしている。これを創造主と呼ぶのならば、わたしは神にすら逆らえるだろう。このような自己のことしか考えないような創造主をわたしは否定する。
 これ以上は不利にしかならない、わたしは情報統合思念体からのリンクを全て遮断した。
「うふふ、無茶な事するわね。そんな事をしてどうなるのか、分からない訳じゃないでしょ?」
 急激に体内に負担が増加する、まるで全身を締め付けられて重りを乗せられたかのごとく重心が下がってゆく。情報統合思念体の力を得られなくなった今、わたしに残されたのはインターフェイス内に蓄積させていた情報操作能力のみ。
「さあ、どうやって私を止めるのかしらね? 情報統合思念体の力も無く、ただの人間程度に成り下がったあなたに」
 笑っている。尚も笑える朝倉涼子、そしてそれを動かす思念体。
 彼を消滅させ、涼宮ハルヒを傷付けるその存在を容認する訳にはいかない。
 わたしは、全能力を朝倉涼子の情報解除に費やせるように攻性情報を構築する。情報統合思念体の力もないインターフェイスは哀れなほど無力ながら、わたしの意志を乗せて情報を構築していった。朝倉涼子の油断、それだけがわたしの優位点である。
 彼女もそれが分かっているのだろう、何も行動を移そうとしないままで睨み合いは続き、わたしは無限と思える時間をかけて攻性情報を構築する事に成功した。
 全能力を開放して、朝倉涼子に対峙出来る回数は二回。それで朝倉涼子を情報解除出来なければわたしには何も残されないだろう。


 ……………たとえ成功したとしても、わたしはこの世界に留まる事が出来なくとも。


「………勝負!」
 わたしは笑顔の朝倉涼子に向けて急襲を開始した…………………