『SS』 ちいさながと

 季節は立春を迎え、日差しには暖かさを感じつつもまだまだ風は肌寒いと思える今日この頃。しかして季節の流れなど関係なく学生生活というものは送らねばならず、こうして俺は学校に来ているのであった。
 という事で教室内では風も通らず日差しだけが暖かいものだから、ついつい瞼も重くなろうというものだが春眠と言うにはちと早いような気がしなくはないが、それでも睡魔には逆らえないのであった。
「あなたが授業中に睡眠を取っている統計は年間を通じて変化は無い」
 それを言ったらお終いなんじゃねえか? というか俺の肩の上でそんな統計取ってたのかよ。
「あなたのことだから全てを知る必要がある」
 いや、さすがにそんなとこは知って欲しくはないな。それより俺の成績向上のためにも起こしていただけるとありがたいのだが。
「あなたが起きることで涼宮ハルヒが不信感を持つ可能性がある」
 どれだけ寝てるイメージが強いのだ俺は? 多少憮然としながらも肩の上の恋人である長門有希と小声で話していたわけなのだが、肝心のハルヒにはばれないのか?
涼宮ハルヒは睡眠中」
 自分だけ寝てやがるのかよ、いいご身分だな。それでも下がらないハルヒの成績に不公平感を感じながらも、退屈な授業を寝ずに聞けるだけマシだと思い、俺は有希との会話を楽しんでいたのだった。
「授業を聞いて」
 はい、すいません。ということで睡魔と闘いながらもどうにか授業を聞き続けた俺なのであるが、いかんせん脳内に記憶されたかと言われれば自信もないのであった。



 そんなある意味いつもの光景が繰り広げられた授業も終わり、これまたいつもの、という形容詞が良く似合う放課後を迎えるために俺たちは文芸部室に向かったわけであるが、
「どうなっとるんだ?」
 部屋の前で虚しく立ち尽くしているのである。肩の上には有希、傍らには古泉がいるが、どちらも事情は分かっていないようなのでハルヒの我がままである事は間違いあるまい。
「さて、僕が来たときにはこの状態でしたので何とも言えません。どうやら朝比奈さんと長門さんは既に入室されているようですが」
 ほう、朝比奈さんと長門が? 横目で見れば有希も頷いている、どうやら大した事ではなさそうだが長門も有希には教えてやってもいいだろうに。
 とりあえずは待機せざるを得ないようだ。ただ呆然と突っ立っているのもつまらんが、かといってニヤケ面と顔をつき合わせて話すなんぞ勘弁だ。くそっ、席を外して有希と話してた方がマシだな。
「すまんがちょっと、」
 と言おうとした瞬間にタイミング良く扉が開きやがる。せめてもう少し遅くても良かったぜ、と有希と視線を交わしてみた。
「おっ待たせー! はい、入った入った!!」
 まるで客引きのようなハルヒに引き込まれて部室に入ると、
「やあやあ、お邪魔してるよっ!」 
 何と鶴屋さんまで居るとは意外だった。それにしても別に着替えているわけでもなく、朝比奈さんまで制服のままだ。一体ハルヒは何故俺たちを締め出したんだ?
「ふっふーん、これを鶴屋さんに用意してもらったのよ!」
 見ればえらく派手な着物である。いや、これは、
十二単
 だな。それにしても流石は鶴屋さんだ、こんなもんまで用意できるとは。と、ここで俺は気がついた。そうか、今日は、
「雛祭りだからね!!」
 ということである。家にも妹の為に雛飾りが飾られていたが、男の俺には無縁だからすっかり失念していた。ちなみに妹は今日はミヨキチのところでパーティーだと言っていたような。
 まあハルヒも女の子ってことだろう、しかし俺たちにはあまり関係ないな。
「じゃあ、みくるちゃん、鶴屋さん、有希、はいこれ!」
 ん? ハルヒの奴がいつの間にかくじを持っている。なんでくじがいるのかは分からないが、どうやら俺と古泉は蚊帳の外のままらしい。
 という事でくじの結果は長門が印し付きで他のメンバーは無印だったのだが、一体なんのくじだったんだ?
「あーあ、まあ有希なら似合いそうよね。はい、それじゃキョン?」
 なんだ?
「出てけ!!」
 って、おい!! さっき入ったばかりなのにまたも蹴り出されてしまった。その後ろににこやかについて来る古泉には被害が無いのもお約束ってやつか?
 とにかく有希は蹴られたくらいでは肩から落ちる事は無いが、それでも気遣ってそっと手をやる。ついでに古泉から距離を置き、有希に確認を取ってみる。 
涼宮ハルヒの意図は不明。もう一人のわたしからも情報の伝達はない。恐らくは涼宮ハルヒから口止めされていると推測されるが、多分わたしとしても報告する必要が無かったと思う」
 おいおい、お前にしちゃ随分と曖昧な表現だな。
「微妙なニュアンスという感覚はあなたがわたしに教えてくれたもの」
 そうか? 俺は結構はっきりしていると思うんだが。
「……………ある一部はそうではない」
 そうなのか? まあ日本人というものは曖昧さを美徳とする民族だからな。
「…………そう」
 などと有希と話していたら古泉の奴が、
「どうやらよろしいようですよ」
 と言ったので部室に戻る事にした。古泉が距離を置いたままだったことについて何か言いたそうだったが、ここは部室内で何があったかに注意させておくべきだろう。そんなに時間は経っていなかったんだ、四六時中あいつに顔を近づけられてたまるか。
 有希も賛成の意を頷きで表した所で部室の中で俺が見たものは、十二単を身に纏い、手に扇を持った長門だった。さっきのくじはこれだったのか、と感心するしかない。
 それほど長門は綺麗なのだった。小柄な長門十二単を纏い、冠を着けたその姿はまさにお雛様そのものだ。しかもこの短い時間でうっすらと化粧までしている、唇に差した紅の赤さが白い長門の顔を逆に引き立たせて見せている。
 何と言うか、流石は長門だよなと思わず見とれていると、思い切り耳を引っ張られた。誰に? などとは言えるものじゃない、もう右肩の上の暗黒オーラは俺を跪かせようとしているんだからな。
「見とれ過ぎている」
 だって長門じゃねえか、もし有希が同じ衣装を着てくれたら俺はそれだけで十年は戦えるぞ。
「……………そう」
 そりゃそうさ、長門有希だから俺は見とれちまったんだからな。それが言い訳になるとは言わないが、やはり長門は綺麗なのだ。
「なーに有希の事ジロジロ見てんのよ?!」
 と頭に衝撃が走った。有希ですら追いつけないスピードで叩かれたようだって、痛えじゃねえか!! と、ハルヒが目を三角にしてこちらを睨んでいる。有希の暗黒オーラのせいでこいつの殺気には気付かなかったぜ。
 よく見ればハルヒは巫女服を着て手に柄杓を持っている。何だ? こいつまでコスプレをしてるのは構わんが、どういう意図だ?
「あっはっは! ハルにゃん、それはちょいとやりすぎってもんさ!」
 助け舟を出してくれたのは頼れる先輩の鶴屋さんだが、これまた巫女服だ。一体何がと、
「大丈夫ですか、キョンくん?」
 ああ大丈夫です朝比奈さんってあなたまで巫女服ですか? どうなってるんだ、こりゃ? という疑問はすぐに解けた。お雛様がいて巫女服の女性三人だろ?
「皆さんは三人官女ですか」
 あっさり言うな古泉。てっきりハルヒは自分が十二単を着られないと拗ねてしまうかと思ったが、官女役も結構楽しそうにこなしている。逆に三人で騒げるからこっちの方がいいのかもしれんな。
「てことは俺たちは五人囃子か? それなら人数を集めて…」
「何言ってんの! そんなのよりお内裏様でしょ?」
 ああそうか、まずはそっちだよな。それじゃくじを、
「はい、古泉くんお願いね!」
 何だと? あっさりと衣装を古泉に渡したハルヒは得意気にしているが何で古泉が内裏って決まってんだよ?!
「あんたが有希に釣り合う訳ないでしょ! ほら、あんたは写真係!!」
 それは酷い。朝比奈さんも鶴屋さんも古泉ですら済まなさそうな顔をしてやがる。だが団長命令は絶対だとさ、俺はしぶしぶデジカメを手にしたのだった。



 古泉の着替えを待つことしばし。ハルヒ達は何やら話しながら俺に写真を撮らせている。まあそれぞれが被写体としては申し分はないので黙って従っていたのだが、右肩の上が気になって仕方が無い。だが意外なことに有希は黒いオーラも若干納まり、それどころか普通にハルヒ達を眺めている。
 ところが困った事にこの室内において黒いオーラを出すのは有希一人では無かったのだったよ。俺には分かってしまうのだが、長門よ、お前せめて本は読んでおけ。それだけ落ち込んだ空気を出していたらハルヒでも気付くかもしれんぞ?
 しかし長門は無表情に見えながらも不機嫌そのものなのである。美しい十二単のお雛様は窓際の席で本を広げることも無く、ただ黙り込んで座っていたのであった。
「お待たせいたしました」
 と、ここで古泉が着替えて入ってくる。ムカつくが似合ってやがる、素材の違いというものを思い知らされるな。少々以上に心に傷を負いそうな俺に、
「ほら、主役も揃ったから撮影に入るわよ!」
 団長命令で嫌々撮影開始となった。しかし、これがまた非常に厄介だったのだ。
「はいはい、並んで並んで!」
 古泉と長門が並んで座る。それをファインダーに収めて……………………イラッとした。悔しいが似合ってやがる、それはそれはお似合いのお雛様だ。
「うんうん、やっぱり美男美女は絵になるわ!」
 そうだな、本当に絵になってるよ。ハルヒの見る目は正しいと言わざるを得んな。

 だがなあ。

 そいつは長門有希なのだ。例え俺の肩に乗っている恋人が本当の長門有希なのだとしても、目の前にも長門有希がいるんだよ。
 それが俺以外の男と並んで写真を撮られていい気分になれるか? 俺はまだそこまで割り切りのいい年齢じゃない。しかもシャッターを切るのは俺だなんて馬鹿にされてるような気分だ。
 いつもと変わらないはずの古泉のニヤケ面も、騒ぎ立てるハルヒにも腹が立つ。確かにばらせばどうなるのか分かってるさ、だからといって長門の横に俺がいない写真を俺が撮らなきゃいかん理由にはならないだろうが!
 イライラのあまり何枚か写真を撮った時点でカメラを投げつけて帰ろうかと思った時に、そっと俺の頬に寄り添う感触があった。
「……………我慢して」
 有希が俺の頬に体をすり寄せている。いくら見えないとはいえ、普段の有希とは思えないほど大胆な行動だ。だがこれはないだろう? 俺だって我慢はしてるつもりだぞ。
「…………わたしも、わたしたちも耐えている」
 ファインダーの中の長門も一見表情は変わらなく見えているだろう。しかし俺には分かるが、ここまで露骨に不快感を表す長門など見たことはない。
 肩の上の有希だってそうだ、俺に寄り添っているのは何も俺を抑えるためだけじゃないんだって事は触れている体が小さく震えている事で分かるんだよ。
 


 …………お前らにそこまでされて俺だけが我がままを言う訳にはいかねえだろ……………


 それから俺はハルヒの言うままに写真を撮りまくった。朝比奈さんや鶴屋さんも楽しそうだったのは唯一の救いだな。
 そしてずっと長門の隣にいた古泉も流石に気付いていたのか、いつもよりも疲れた声で、
「そろそろお開きにしませんか、この衣装は想像よりも疲れるようで」
 と言い出したので、俺以外の人間の意見には耳を傾ける団長閣下は、
「それじゃこの辺にしておきましょうか! キョン、現像よろしく!」
 満足気にそうのたまわれたのであった。やれやれ、やっとこの苦痛から開放されるのか。俺と有希は大きく溜息をついたのだった。
 


 ハルヒに追い出されるより先に部屋を飛び出した俺たちは古泉がトイレで着替えるのを見送ってから改めて一息ついた。
「すまん、有希。分かってたはずなのにな」
 そうだ、俺達の関係はばれてはいけないのだからこんな状況はあって当然のはずなんだよな。今回はともかく次回も我慢できる自信がないぜ。
「いい。わたしもこのような状況を予測しておくべきだった、そうすれば対処は出来ていたはず。わたしたちのミス、ごめんなさい」
 なんでお前が謝るんだよ、俺が悪いのさ。情けないが嫉妬しちまうなんてな。
「ありがとう、有希が居てくれて助かった」
 小さな恋人は小さく頷き、
「でも嬉しかった」
 そう言ってくれた。嬉しい? なんでだ?
「あなたはわたしが他の男性と共にいることを望まなかった。わたしの隣には常にあなたがいるべき」
 そうだよ、有希の横には俺が居たいんだ。
「あなたがヤキモチを焼いてくれた。それが嬉しい」
 ………………ああそうだよ、悪いか? 何となく照れてしまい、俺は有希から顔を背けた。すると、
「……………かわいい」
 なんて言われて抱きしめられてしまい、赤くなった顔をどうやって古泉に誤魔化すかを必死に考えなきゃならなくなってしまったってことだ。
「あー、長門にもフォロー入れないとなー」
 話を逸らそうとしてみたのだが、
「そうして欲しい」
 と意外にも言われてしまった。
「今回は特別。彼女もわたしだから」
 そうか。それじゃあ帰ってから改めて長門のマンションで雛祭りでもやるか。小さな頷きの恋人を寄り添わせながら、俺はようやく暖かな気持ちになれたのであった………















 それよりもハルヒには悪いが、今後はこういうイベントの時はせめて平等にくじを引かせてもらおう。こんな思いは俺も有希も懲り懲りだからな。
「恐らく平等にはならない」
 なんでだ? またハルヒの能力が、
「わたしがあなたと一緒になるように情報を操作する」
 ………………そうか。



 その有希の宣言通りにそれからのくじは長門と行動することが多くなり、それを不審に思ったハルヒが無意識の能力を発揮したために能力同士のぶつかり合いによる空間とかが色々大変な事になった話はまた機会があれば語る事となるのだろうな。