『SS』 頭撫(ver.K)

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それはとある日曜日の午後だった。俺は昨日の不思議探索のダメージから、まあ財布の中身はどうしようもないが、少しでも回復をはかるべく鋭意惰眠を貪っていた。いいか、俺だって好きで寝てる訳じゃあないんだ。
だがしかし、そこまで流石の俺もそこまで長々とノンレム睡眠謳歌できるはずも無く、だらだらと何度目か分からない浅い眠りをさすらいながら何度目か分からない起床を繰り返していた、その時だった。
「――――おはよう――――ござい――――ました―――」
うん、これは夢なのだ。もしくはドリームなんだろう。どちらにしろレム睡眠が見せた幻に違いない。
目を開けた瞬間に、何らかの昆布めいた黒々とした長い黒髪のパッと見は美少女と言ってもいいがよくよく見ても美少女かもしれん薔薇というよりも昆布な乙女が布団の上で正座をして俺に乗っている夢を見るなんて、やはり不思議探索というものは俺に多大な負担をかけていたんだな。よし、ここはこの襲い掛かる疲労感から逃れる為にももう一眠りといこうじゃないか。
ということで俺は何度寝かわからないが、とりあえず目だけは閉じた。
するとケルプメイデンは何故俺が目を瞑ったのかを理解することは出来なかったのだろうか、
「――おやすみ――――なさい?」
などと言っておられる。よーし、いい傾向だ。このまま俺の家に居た事など忘却の彼方に置き去って、というかとりあえず出て行ってくれれば………
「――しらゆき――ひめは―――眠りの――――中へ―――」
……ん? 何だ? いきなりメルヘンな童話の事など呟かれてもこっちが困る。何かヒントは無いのか、ヒントは?
いや待てよ? この言葉そのものがヒントであったような。えーと、「白雪姫」だっけか? 確か前に大人の朝比奈さんが俺に教えてくれた………ってまさか!?
と思ってたら目の前に瞳を閉じた昆布乙女が唇を近づけてって!
「――ん―――」
「ちょ、ちょっと待て! 起きてる! 俺は起きてるから!」
何故だ、何故こいつは俺にキスしようとしやがったんだ?! 何よりどこから得たんだ、その情報。未来の情報管理も甚だ信用できないもんだな。まあ管理してるのは大きくなっても朝比奈さんだし。
『ひどいですよ、キョンく〜ん……』という天使のハニーボイスが聞こえたような気もしたが、そんなことよりこの昆布だ。まるでさっきの事など無かったかのごとく、未だ俺の布団の上で鎮座ましてるんだが。
というかなあ、お前は俺にキスすることに抵抗というものは無いのか? それとも宇宙人には恥や道徳の概念がないとでも言うつもりか? しかし、この長門側じゃない宇宙人のコミニュケーション能力というものはどうにも不足気味らしい。
「―――おはよう――――ございます――――」
いや、そんなに普通に挨拶されてもなあ。まだ俺の上に乗ったままだし、大して重くもないけどさ。
「おはよう……周防………九曜、だっけか?」
何となく毒気を抜かれた俺も普通に返してしまった。
「――――覚えてて―――くれて――――嬉しい――――わ――」
そう答える九曜は無表情なままにしか見えないかもしれない。だが無表情宇宙人の顔色を読む能力なら人より数倍はあるんじゃないかと言える俺には分かってしまった。
その真っ白な頬をほんの微かに赤く染め、ミクロン単位で俯き恥らうその姿は、一瞬でも俺たちの敵なのだという事を忘れてしまうのに充分すぎるほどだった。
っと、いかんいかん! 見惚れてしまってどうする、大体いつ入ってきて何でいるんだ、こいつは?! 万が一にも俺の生命が狙われたのだとするならば、最早風前の灯の方がまだ消えない確立は高いだろう。
そうだ、こんな所って俺の部屋か、まあ自宅で死んだら笑えないというか、どこで死んでも笑えない。だが、流石に九曜がここまで動けばこちらの宇宙人勢力も黙っていないだろう。
そこまでを一瞬で考えた俺は、そんな事はどうでもよさそうな海産物乙女に時間稼ぎをする意味でも話をしなくてはならないのだ。
「…………で、何故にお前が俺の部屋にいるんだ? しかも人の布団の上で正座して座っている理由を説明しろ。場合によってはただじゃおかんぞ」
いや、俺が何かするって訳じゃなくて多分長門か誰かが来てくれるって言うことなんだけど。それにだな? こいつ、いつまで俺の上に乗ってやがんだ?
大体長門といい、こいつといい気軽に人に乗っかってくるが、宇宙人には貞操観念というものが無いのか? いや、俺は理性が人数倍は強い人ではあるが、それだって限界というものがあってだな。
だが、なんとこの新機軸宇宙人はそんな俺の常識など軽く覆すのだよ。軽く首を傾げながら昆布が述べるところには、
「―――寝起き――――ドッキリ―――――?」
だそうだ。うん、どこで覚えてきたんだろう。というか、最近はテレビでも滅多に見ないぞ、そんな企画。それとだな、
「何で自分で言っておいて疑問形なんだ?」
大体質問を質問で返すなよ。すると周防九曜はまるで初めてそれに気付いたかのように、
「―――うっかり――――」
いや、うっかりでも無いと思うぞ。そんなに小首を傾げても………………ちょっと可愛いかもしれないが。
とりあえず俺は九曜を抱えて横にずらし、ようやく自分の体を起こした。しかし本当に軽いな、まるで風船みたいな軽さだった。しかし妹のように両脇に手を突っ込んで抱えてしまったのはいいのだろうか?
まあ何も抵抗が無かったので良しとしておく。とにかくまずは人と会っているっていうのに、身支度をしていないのは両方ともいい気分ではないだろう。ただし、相手を人と呼んでいいものかは疑問の余地が残るところではあるがな。大して気にしてる様子もないんだけど、こっちが何か気分が落ち着かないし。
ということで、俺は着替えを持って洗面所へと向う。さすがにこの場で着替える勇気はないぞ、だからそんな親離れの出来ない巣立つ前のツバメの雛のような目で見ないでくれ。何か急いで帰って来ないといけない気になってくるじゃないか。思わず小走りで部屋を飛び出してしまう俺なのであった。
数分後。大急ぎで着替えも済ませ、適当ながらも顔も洗って部屋に戻ってきたその目に飛び込んできたのは、本棚に放り込みっぱなしにしていた俺のアルバムを眺めている九曜の姿だった。えーと、なにしてやがる?
相も変わらずベッドの上で正座している九曜の隣に座り、真剣な眼差しでアルバムを見ている生後間もない宇宙人にそれとな聞いてみる。
「なあ、そんなの見てて楽しいのか? そこには俺の子供時代と最近の写真しか入っていないぞ?」
というか勝手に見られても気恥ずかしいだけなんだけどな。だが、思い出というものを持っていないであろう、この新しく俺達の前に現れた宇宙人さんの瞳の輝きを見れば何も言えなくなっちまうだろうよ。
そのアルバムは、昔は俺一人の写真しかなかったんだが、今では俺一人で写っている写真を探すのが難しい有様だ。それだけ俺にも色々あったってことなんだろうな。
SOS団+妹で行った、あの孤島ミステリー旅行時の写真を見ていた九曜にそう問うと、
「あなた達は――皆―――瞳が―――綺麗ね―――」
などという答えが返ってきた。そういえば俺と最初に会った時も言ってたな、それ。
…………何か意味があるのだろうか?
九曜側の親玉の意図などが隠されているのかと気にはなったが、本人が話してくれるはずも無く、その前に自分で言ってて意味が分かってるかも大いに謎なので、つまらない疑問は頭から消す事にした。
「で? 何で俺の部屋に?」
さすがに二度目の問いには答えてくれるだろう、という思いもあって俺はもう一度質問してみる。
すると九曜はゆっくりと写真から目を離し、俺の目を真っ直ぐに射抜きながらこう言った。
「―――遊びに―――来たの――」
はあ? あまりに普通なその答えに、開いた口も開きっぱなしだな。
「遊びに? 俺の家にか?」
間抜けにも同じ質問を繰り返してしまう俺に大きな瞳で見据えたままの言葉が少ない少女が答える。
「――そう――」
どうやら本気で遊びに来たつもりらしい。それなら玄関から普通に入ってきてほしかったもんだ。まあ玄関先で断わる可能性のほうが高いか。
しかしなあ、
「何でまた?」
俺なんだよ。お前の担当は俺じゃないだろうが。
「―――ササッキーが―――行ってみたら――どうって―――」
ササッキー? 誰だ、その局アナの深夜枠でのあだ名みたいな………ああ、佐々木の事か。元誘拐犯の橘は確かきょこたんとか言ってたな。しかも自称で。
それにしても佐々木が行ってみたら、か。意外だな、とはいえあれでも友人といえる存在には世話焼きなところもあるからまあ気楽に言ったのかもしれん。ただ俺を巻き込まないで欲しかったところではあるな。
「佐々木は何でついてこなかったんだ?」
当然の質問だったのだが、九曜が言うには模試があるらしく、
『まあ親友としてキョンは君の相手としては最良な相手だと思うよ、私の分まで楽しんできてくれないかな』
と言って来れなかったんだそうだ。あいつも忙しいからな。そして何故俺以外の奴だと口調が変わるんだろう。
ついでに橘は、
『今日はケーキバイキングがあるのです! よってあなたに全てをお任せします!』
とか言ってたそうだ。アホだな、あの俗物超能力者。というかケーキ以下か俺は。
だが、それでも九曜は満足そうに、
「一人で――――出来たもん――――」
と、軽く胸を張って見せた。ほぼ無かった、とは言えないし、どこが無かったかなどは言えたもんじゃない。とにかくちょっとだけ誇らしげなこの経験値ゼロの女の子を、
「そうか、えらかったな」
と頭を撫でてやる訳だ。って妹じゃないのに何やってんだ俺?
まるで子供扱いそのものだな、と思いはしたが、九曜自身はどうやら嬉しいらしく微動だにしなかった。
頭を撫でながら九曜を見れば、目を閉じて左右にゆらゆら揺れている。まるでネコだな。
うーむ、これは気持ち良いのだろうか? 少なくとも不満があるようには見えないけど。
そして触っている俺としても…………………これが気持ちが良いのである。
これほどまでに長い髪だが、どうやっているのか手入れは行き届いているようで手触りはサラサラと柔らかく、その感触は指に絡みながら流れてゆき、心地良い刺激を手全体に与えてくれる。
黒くしなやかな髪が日の光を浴びて濡れたように光っていた。その美しさに息を呑みそうになる。ヤバイ、これはクセになるぞ! だって撫でる手が止まらない。妹の頭を撫でるのとは違い、それは麻薬のような魅力を持って俺の手を動かすのだ。
違うんだ、これは何も知らない九曜にちゃんと言われたとおりに出来て良かったねってことで褒めてあげるのが成長を促すきっかけになっていくんだよ。などとまったく言い訳にならない言い訳を脳内で繰り返しながらも早三十分。
最早スポーツの域にまで達するのではないかと思わんばかりに九曜の髪を撫でていた俺。ここまで休憩もなしなんだぜ? 我ながらおかしな事になってるもんだと思うだろ。
だがなあ。いざ手を止めようとすると、
「―――止めたら――――あなたを――――貰う――」
と瞳を閉じて日向ぼっこで眠っているような黒髪の乙女に言われてしまえばどうしようもないだろう? だから仕方なくずっとこうしているだけさ。その感触を手放したくないってのもあるかもしれないけどな。
それにしたって止め処が分からなくなってきている。おいおい、何時までやれば良いのだよ? とは普段無表情なくせに今は至福の顔をしているこいつに聞けるはずもない。






「………はあ、やれやれだな」
周防九曜の撫で心地の良い頭を手のひら全部で感じながら、俺は一抹の不安を覚えたのだった………







ようやく開放された時には、既に日はとっくに暮れていたことはもうどうでもいい事であり、おまけに翌日学校に行けば、
「…………撫でて」
と二日続けて宇宙人の頭を撫でなければならなくなったのは、また別の話である。