『SS』 ちいさながと

「なあ、そろそろ機嫌を直してくれないか?」
 肩の上の恋人にこっそり話しかけるのももう何度目だろうか、全身を覆いつくさんばかりの黒いオーラは俺からHPを確実に吸い取っていってるんだが。
「…………別に」
 ああ、こりゃいかん。どうやら有希様はご機嫌斜めのままのご様子なのだ。しかも原因が俺にあり、それは不可抗力の域を出ないのだとしても。
 何故だろう、今日はバレンタインデーという恋人同士が盛り上がってしかるべき日であるというのも関わらず。俺は尚も不機嫌オーラを肩の上から発し続ける彼女に対して様々なご機嫌取りを考えねばならないのであった。
 やれやれ、去年までの俺なら今頃は浮かれたテンションで有頂天のはずなのにな。まさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったぜ。
 ため息をつきながら、とりあえず今日の出来事を思い出してみたりした……………



 こうなる要素は実は朝の段階からあったのだ。それは俺と有希がいつものように朝飯を自分の部屋に持って行こうと台所に降りたところから始まる。
「あ! おはよー、キョンくん」
 妹がトーストを咥えたまま挨拶するのを軽く嗜めながら、自分の分を手に持った時、
「ちょっと待って!」
 と呼び止められると、
「へへー、これキョンくんの!」
 とまあ可愛らしくラッピングされた包みを渡された訳だ。はて、何かあったのかと思い出せずにいた俺に、
「バレンタインだよ!」
 言われて気付くところが今までモテなかった人間の悲しさなのかね。それに今年最初にチョコをもらったのが妹というのがまた哀れを誘ってくる。
「えー、頑張って作ったんだよー」
 しかも手作りって。完全に実験台じゃねえか? というかどこのどなたに手作りのチョコなど渡すのか、きちんと兄には報告しなさい。
「えーと、ミヨちゃんとー、あと友達の女の子!」
 そうか、まあバレンタインで女子同士でチョコを渡しあう光景というのも結構よく見るものだしな。
「男の子はキョンくんだけだからね!」
 ははは、喜んでいいのか複雑なところだな。兄としては嬉しいが、流石にそれもどうかと思わなくは無い。
「…………シスコン」
 えー、ちょっと待ってください。それはあまりじゃないでしょうか? というか、妹からチョコをもらったくらいで黒オーラはやめてくれ!
 とにかくここにいては色々とまずいことになりそうだったので、俺は自分の分のトーストを引っつかんで慌てて部屋へと戻ったのであった。ちなみに朝食の間は有希が口を聞いてくれなかったので食事をした気分にはなれなかった。これが全ての始まりだったんだろう、そこから俺は天国のような地獄を味わうはめになるのだった………




 
 そこからの事は話すと長くなるから省略させていただく。というのも、まったく違う意味で苦労はしたからな。概ね世間では勝ち組なのかもしれんが、今の俺にとっては痛し痒しってとこだったのは確かだ。
 家に帰って机の上にはチョコが六つ。SOS団女子に妹、何故か阪中と喜緑さんからも貰ったのだが、恐らく喜緑さんは慰労の意味と嫌がらせとを兼ねていると思われる。
 しかしだなあ、ここには本来俺がもらいたいチョコが無いなんて言えば贅沢としか思えないだろう。だが言いたいのだ、俺にとっての本命はないのだと。
 そしてそのチョコをくれるはずの彼女は絶賛不機嫌な訳で。
「あのなあ、流石にお前だって分かるだろ? SOS団の連中は去年もあったし、阪中はとりあえずルソーの件からの流れだろうし、喜緑さんは…………分かってやってるからなあ。とりあえずは義理そのものだろ」
 と言ったら黒オーラが増してしまった。何故だ?
「……………あなたはもっと自分を知るべき」
 よーく分かってるよ、俺なんかにゃ過ぎた話さ。だから義理でも貰えてるだけマシってもんだろ。だから何故怒ってんだ?
「ある意味、安全なことは理解出来ている」
 そうか? まあお前と俺とでも釣り合いが取れないくらいだもんな、俺は恵まれてるとは思うよ。
「わたしは、あなたがいい」
 ありがとよ。少しは機嫌直してくれたか?
「それでも多少は残念。理解はしていても……………」
 それで納得されても俺も寂しいもんだぜ。つまりはヤキモチを焼いてくれてる訳だから、もう有希が可愛くて仕方が無い。我ながらバカじゃないかと思うんだが、顔は自然とニヤけてくるってもんだ。
 肩の上の恋人をソッと頬に寄せて、
「俺には有希だけだよ」
 などと赤面もののセリフなど言ってみたのだが。
「わたしには、初めからあなたしかいなかった」
 と返されてしまい、結局顔が熱くなるしかなかった訳だ。そんな有希とこれから過ごす毎日がいつもこうであればいいと俺は思う。
 多少ヤキモチ焼きだけど、可愛い恋人がいる毎日を。




「ところでこのチョコはどうする? なんだったらお前が食べてもいいんだが」
 俺もそこまで甘いものが好きじゃないからな。と思ったら絶対零度の瞳で睨みつけられた。あれ? もしかして俺まずいこと言った?
「……………あなたはもっと自分を知るべき」
 だから何をだよ? すると有希は俺じゃなくても分かりそうなため息までついてみせたのだ。
「あなたがあなたでよかった」
 すごく呆れられた気がするんだが。とりあえずどうすりゃいいんだ?
「食べて」
 は? これ全部? さっきも言ったが俺はそこまで甘いものは、
「食べて。それはあなたがもらったもの」
 うーん、だからお前も、
「あなたは責任を持って食べるべき」
 はいはい、分かりましたよ。まさかここまで強く有希に言われるとは思わなかったな。
「…………想いは込められているから」
 何か言ったか?
「なんでもない、それよりも早く」
 今食うのかよ?! 流石に一気にってのも………
「台所で食することを推奨する」
 何で? 別にここでだっていいじゃねえか。というか、俺に部屋から出て行けってことか? と抗議もしたくなるが、どうやら何らかの意図はあるんだろう。
 それにここで逆らうとこの後が大変なのだ、有希が拗ねたらどういうことになるのかは一緒に暮らして嫌というほど思い知っているのだからな。
 ということでキッチンで懸命になってチョコを消費していった俺なのである。味ならば全員保障済みである、いや、とある先輩の物だけは塩味だった。というか海産物だったような。
 どちらにしろ、もうチョコはしばらく勘弁してもらいたいもんだ。どうにか片付けて胸焼けを起こしながら部屋へと戻ると、そこにはチョコが座っていた。
「……………何やってんだ、有希?」
「わたしがチョコ」
 あー、もしかしてこれがやりたかったのか? というかいつの間にそんなの仕込んでたんだか。
「裸にリボンは経験済み」
 だよな。だからといって全身チョココーティングは少々やり過ぎのような。
「熱くないのか?」
「平気」
 まあ有希の能力なら大丈夫なんだろう、普通は全身大火傷だ。
「傷一つない」
 だろうな。
「ただし、このままでは皮膚呼吸出来ずに生体活動は停止する」
 何だと?! サラッととんでもない事を言うな! ネタにするにはリスクでかすぎだろ!!
「ど、どうすれば、」
「舐めて」
 はい? いや、俺はもうチョコは散々………
「訂正する。わたしを食べて」
 はい、喜んで!! そうだよ、これは有希を助けるためには仕方ないんだ! ということで俺は有希の命を救うべく、全力を持ってチョコを舐めたのであった。
「………そこはっ………ちがう………」
 気のせいだ、いや、ちょっとすべっただけだから。
「…………それ………は………」
 あー、甘いなー、チョコが甘いのかー。
「…………もっと………」
 当たり前じゃないか! これも有希を助ける為なんですよ!!






 で、まあ有希を助けた代償として鼻血の海に溺れたり顔中にニキビが出来たりしたのも仕方ない話なんだよ、うん。
 結論としてはチョコの食べすぎはよくないってことだ。みんなも気をつけてくれ。
「あなたはチョコ以外も食べすぎ」
 それも仕方ないだろう?