『SS』 涼宮ハルヒの別離 6

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 あっという間に朝はやってくる。あたしとキョンが一緒にいられる最後の一日。
 みくるちゃんと別れた後、家に戻ったあたしはまずシャワーを浴びた。あの夢を見た時と同じ様に。でも、あの時とは違う。
 固く結んだ唇。流れていくお湯は髪の毛を伝っていく。あの日と同じように突っ張った頬。だけど今はそれがあたしの心を繋ぎとめている。
 バスルームから出たらパジャマに着替える、制服は何とかアイロンをかけた。絶対にぐちゃぐちゃな格好なんか出来ないもん、それだけは嫌!
 そしてあたしはベッドに入り、無理やり目を閉じて寝る事にした。少しでも寝ておかないと体調最悪でキョンには会えない、会いたくない。だからあたしは気合を入れて寝る事にした。最高のあたしでキョンに会うために。
 うん、待っててなんて言えない。でも最後にあたしのこの気持ちだけは伝えたい。
キョン………」
 あいつのあだ名を呟くだけで安心できる。あたしはゆっくり意識を落としていった…………
 そんな眠り方をしたのに熟睡出来たのは何でだろう? 夢を見たりはしなかったけど、何故だかあいつに包まれているような気分だった。あれだけ泣いてたのに鏡を見たら顔色も良かったし、頭もすっきりしてる。
 キョンに会えるのに、泣いてぐちゃぐちゃになった顔じゃなくて良かった、あたしはつい鏡の前で笑顔になる。こんなことで笑えるなんて、あたしも単純なんだな。そう思ったらまたおかしくて笑った。
 大丈夫だ、あたしは。みくるちゃんの言葉が胸の奥で暖かい。だから、
「よしっ!」
 制服に着替え、カチューシャをつけた時にもう一回気合を入れて。髪形は…………そのままにした。今のままの、ありのままのあたしでいたいから。
 最初の一歩を踏み出すのに必要以上に力を込めて、いつもより少しだけ遅い登校。それでもきっとあいつよりも早いんだろうな、最後の日なんだからちょっとは早く来てればいいけど。長い坂道を、あいつの顔を思い浮かべながら歩く。
 

 そして、あたしは。


 教室の前で足を止めた。ううん、怖くて足が止まった。
 このドアを開けて中に入ったら。自分の席に着いてしまったら。あいつが教室に入ってきてしまったら。
 終わりになっちゃう。あいつと一緒にいられなくっちゃう。それに。
 有希とキョンはどうなったんだろう? 有希はちゃんと自分の想いを伝えられたのかな? キョンはそれにどう答えたの?
 色んな事が一瞬で頭を駆け巡って、そうしたら怖くてドアに手がかけられなくなって。躊躇しているの? あたし。あれだけみくるちゃんに勇気付けられたのに。
 それでも手が伸ばせないあたしに、
「どうしたの、涼宮さん?」
 声をかけてきたのは国木田………だっけ、キョンの友達の。そういや、こいつはキョンと違って優等生で学校に来るのも早かったわね。
 国木田はドアの前にあたしが立ち尽くしてるのを不思議そうに見たけど、
キョンならもう来てるよ」
 笑ってそう言った。え? 何で? 何でキョンがもう教室にいるの? いや待って! どうしてこいつにそんなこと、
「………キョンは涼宮さんを待ってるからね」 
 え?
「まあキョンとは結構長い付き合いだから分かっちゃうんだよ、転校するのも多分最初に聞いたんじゃないかな」
 国木田は苦笑しながら、
「大体キョンは顔に出やすいからね、それに涼宮さんも」
 なっ?! 何よ! なんだってあたしが!
「いいから早く教室に入りなよ。言ったろ、キョンは涼宮さんを待ってるんだ。それとも、」
 国木田から笑みが消えた。
「僕の友人を、これ以上困らせるというなら僕がまず話してもいいかい?」
 いつもとは違う顔。あ、そうか。こいつがキョンとは一番付き合いが長いのよね。だからキョンが真剣に悩んでる時、一番心配してたかもしれない。それなのにあたしは自分のことばかり…………
「いいわよ、あたしを待ってるんでしょ?」
 それを聞いた国木田はまた笑って、
「うん、珍しく早く来たからもしかしたら寝てるかもね」
 それもありえるから怖いわ。つい、あたしもつられて笑った。
「その顔でキョンには会ってくれないかな? さっきの涼宮さんならキョンが逃げちゃうから」
 余計なお世話よ! でもさっきまでのもやもやが少しは晴れたかもしれない。だって今なら教室のドアを開けることも出来るから。何も言わずに教室から離れていってくれた国木田にも感謝なのかもしれないけど。
 教室のドアを開ける、目に飛び込んできたのは変わらないはずの光景。じゃなかった。
 …………キョンが、泣いていた。ううん、あいつはただ座ってただけ。でも、あたしには泣いているように見えたの。その理由は分からないままでも。
 それでもあたしは自分の席に着かなきゃならない。そうじゃなきゃ何も始らない。だから、キョン
 あたしの想いを伝えるから。あんたが泣いてる訳を聞かせて。あたしなんかが聞いていいのかも分からないけど、それでも聞きたい、話したい。
 何も言えないままで席に着いてもキョンは何も言わなかった。どうしようもない沈黙、なのにあたしの口はさっきまでの勢いなんか全然なくって。
 どうしよう、あんなに言いたい事があったのに。あたしは言えるはずなのに。それなのに、あいつは背中を向けている。その背中に声すらかけることも出来ない。あたしって……………こんなに弱虫だったんだ…………
 また泣きたくなりそうな、弱いあたしを救ってくれたのは、やっぱり背中を向けてたあいつだった。
ハルヒ、昨日はすまなかった」
 背中を向けたままだけど。謝らなきゃいけないのは、あたしなんだけど。だけどキョンは先に謝る。謝ってくれる。その優しさを、やっとあたしは分かった。今更なのに。
「…………今日は休まないでよね」
 そんなことしか言えないあたし。でも、キョンがいないままなんて嫌だから。それに、あたしはまだ伝えてないから。
「ああ、最後だしな。お前が来るなって言っても行くさ」
 減らず口は変わらない、それなのに悲しくて。そしてまた、二人が話さなくなった。
 今度こそあたしから何か話さないと。なのに口をつくのは小さな、
「あ………」
 という溜息のような音だけ。まるで喉だけが切り取られたように、口を開け閉めしてるだけの間抜けなあたし。こんなはずじゃない、思い切って大きな声を出そうとした時だった。
「なあハルヒ、ちょっといいか?」
 いきなりキョンが振り向いた。何よ、と言いかけて言葉が止まる。
 見たことのない顔だった。違う、たった一度だけ、夢の中だけどこんな顔をしてた。真剣な、意を決したような顔。
「放課後なんだが、SOS団の活動が終ったら部室に残っていてくれ。他のみんなには俺から言っておく」
 どうして? なんて聞けなかった。それだけキョンの真剣さも伝わってきたし、あたしもそう言おうと思っていたから。
「頼む、大事な話なんだ」
 大事な話………まさか、いや、そんなことない。きっとキョンはあたしに謝るんだ、有希と一緒に。
「…………分かったわよ」
 だけど、あいつが有希と二人でいても。あたしは自分の想いを伝えよう。それがあたしの決めたことなんだから。
「すまん」
 それからはキョンはクラスのみんなに囲まれて、あたしは自分の決意が揺らがないように、何も言わずに机に伏せてしまっていた。
 阪中ちゃんと国木田は何も言わずにあたしを見たけど、それ以上は追求されなかったのが嬉しかった。
 待ってて、キョン。あたしは自分に素直に、どんなことでも受け止める。だから、あたしの気持ちを。あんたに対しての想いをちゃんと伝えるから。様々な思いを込めて、ただ授業が過ぎるのを待っていたの………


 お昼だけはきちんと取った。間違ってもいつもどおりに。あたしらしくないあたしでキョンとは向き合えないから。


 午後の授業も同じように机に伏せた。キョンがどうしているのか気になったけど、今あいつを見たら、あたしは自分を抑えられない気がした。
 だから、キョンがどんな気持ちで授業を受けていたか知らなかった。その思いも。


 そして放課後を告げるチャイムが鳴った……………