『SS』 涼宮ハルヒの別離 4

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残り二日。キョンがいなくなるまで。信じられないままで。
 昨日はどうにか乗り越えた、放課後には何とかあたしも普通に見えるようになってたと思う。でもイベントなんかやる気もなかったけど、それでもそんなとこ見せないようにってコンピ研の連中にゲーム借りたりして。
「………君がいなくなるとホームページの更新はどうなるんだ?」
 あの部長がそう言うのを聞いて、またキョンがいなくなるって思わされる。苦笑しながら握手してたキョンがいなくなったら、あたしはあのホームページを見に行く事があるんだろうか……?
 それよりもあたしは、キョンがいないあの部屋でいつものようにいられるのかな? みくるちゃんも、古泉くんも、有希もいるけどキョンがいないあの部屋で。
 今あたしが見てる景色も、もう見れなくなってしまうんだ…………………………団長席から見てる、古泉くんと向き合っているあいつの姿も。
 そう、今日は何もイベントもなくてSOS団は通常どおりに過ごしている。最後が近いからこそいつもどおりに。
 …………嘘よ、何にも考えられなくなっただけ。何かやればやるほどにキョンがいなくなるようで、段々と怖くなってくる。
 こんな事じゃダメなのに。あたしはキョンに笑っていて欲しいだけなのに。だから、あたしらしく色んな事しなきゃいけないのに。でも、怖くて。これが終わればキョンがいなくなるんだって思うと怖くて何も出来なくなってくる。
 そして何も考えられなくなって、ただキョンだけを見ているあたしがいた。
 不思議ね、誰も何も言わないけど。でもここがあたしのいる場所なんだって思う。いつの間にか家よりも落ち着く空間がこの部室になっていた。それはきっと古泉くんがいて、有希がいて、みくるちゃんもいて、そしてあいつがいてくれて。
 みんなもそう思ってくれてるのかな? あたしが我がままなだけなんじゃないって思いたいの。ねえ、だからあんたもここにいて……………
「やれやれ、完敗ですか。結局あなたに勝てないままで終わるのですかね」
 自分の考えに沈もうとしてた時に古泉くんがそう言いながら将棋の駒を片付けた。
「なんだったらもう一勝負いくか?」
「いえ、それならば別のゲームでリベンジといきましょう」
 古泉くんが席を立ち、ゲームの置いている棚に向かう。キョンがいなくなったら誰とゲームするんだろう? 何故かぼんやりとそんな事を考えた。
「ねえ、そのゲームどうするの?」
 そう思っていたのが口について出たらしいわね、古泉くんが足を止める。
「どう、とは?」
「だってキョンもいないのに古泉くんのゲームの相手なんかいないじゃない」
 その瞬間、場の空気が凍ったようだった。あたしは、言ってはいけない事を言ってしまったんだ。
「ま、まあ、彼がいなくても一人で出来るゲームも多いですから」
 古泉くんが苦笑を浮かべて言い訳をしてる。でも、
「なんだったらお前が相手をしてやれよ」
 そんな気軽に言ったキョンの言葉に、
「嫌よ!!」
 思い切り大きな声で反論してしまう、あたし。だってそこにいるのはキョンじゃなきゃダメで、あたしはそんな二人を見ているのが好きだったんだから。
 …………だけどキョンにはそう思ってもらえなかった。
「おい、ハルヒ! お前もうちょっと言い方ってもんが、」
「うるさいっ! あんたはもういなくなるんだから余計な事言うなっ!!」
「す、涼宮さん!!」
 え? みくるちゃんの声で我に返る。見れば古泉くんから笑みは消えて、キョンは何も言えなくなっていて。
 あ………あたし……………何を…………?
「…………そうだな、まあ俺には何も言う資格はないか。だが、いくら何でも古泉には謝っておけよ」
 そんな風に言われても、あたしはキョンがいなくちゃダメなんだって言いたかっただけなのに。それなのに、
「なによ?! 別に古泉くんのゲームの相手なら、いくらでも探せるわよ! あんたなんかに心配されるもんじゃないわ、あたしが次の団員を……」
「もういい!!」
 大きな音を立ててキョンが立ち上がった。その音に体がすくんだあたしは何も出来なくって。
「俺はお前に古泉に謝れと言ったんだ! それが次の団員だと?! そうかい、お前にとっちゃ俺の代わりなんぞすぐにでも見つかるだろうよ!」
 カバンを持ったキョンが部屋を出て行く。誰も何も出来ない、キョンが怒ってるのに、あたしは何も出来ない。
「あ、キョ……」
 あたしがキョンに謝らなくちゃと思った時には、もう部室の扉は無機質な音で閉じていった後だった。
「………彼を追います………万が一戻らない場合は連絡を入れますので」
 古泉くんはそれだけを言って部室を出て行った。一度だけあたしを見たその視線には非難めいたものがなかっただろうか? あたしは古泉くんにも謝っていないのだから。
 そして、
「あたしも行きます、あの二人に追いつけるか分かりませんけど」
 みくるちゃんがメイド服のまま出て行こうとする。あたしはまだ動けないのに。
 そのみくるちゃんは部屋を出る前にあたしの目を見据え、
キョンくんはきっと分かってくれます。涼宮さん、キョンくんときちんと話してください」
 真剣な眼差しだった。あたしは…………何も言えなかった。ただ二人が出て行くのを見てるだけだった。
 後悔の念があたしを押しつぶそうとしていく。あたしはただ、いつものあたしでいたかっただけなのに。それがどうして? あたしはキョンに大丈夫だって言いたかっただけなのに。
 気がついたら誰もいない。あたしは何をしてしまったんだろう………………その時だった。
「いいの?」
 その声は静かにあたしの耳に届く。そうだ、まだ有希はここにいた。
「あなたは…………それでいいの?」
 何を言いたいの? 有希は平坦な声のままであたしに問いかける。視線は本から外さないままで、まるで自分には関係ない事のように。それがあたしの神経を逆撫でする。
「いいって何がよ?! 大体キョンの奴が最後までお節介な事言ってただけじゃない! あたしが団長なんだから、あたしがあいつがいなくたって全部決めるからいいのよ!」
 違う、そんなことを言いたいんじゃない。なのに口をついて出た言葉はキョンを傷つけるような言葉しか言えなかった。
「………………そう」
 有希が本を閉じる。パタンという音が静かな室内に大きく響いた。
 そのまま本を机の上に置いた有希が、あたしを見つめている。静かなのに、表情も変わらないままなのに。あたしはその迫力に押されていた。
「わたしは、」
 有希の声が静かなまま、あたしを刺すように届く。
「わたしは彼に感謝している。この世界でわたしが生きる術を与えてくれたのは彼。彼はわたしがここにいることを認め、許してくれた。わたしに暖かな温もりを与えてくれた」
 有希の想いが伝わってくるようだった。あたしもキョンにもらってるもの、その暖かな温もりを。そして有希もキョンにもらっていることも知っていたはずなのに。
「彼がこの北高から転校するという情報を得た瞬間から、わたしには原因不明のエラーが続発している。もうわたしの体はそれに耐えられるような要素はない。原因は彼。彼の存在がわたしの前から消失するという想像にわたしは耐えうる事が出来ない」
 有希の話している意味が分からない。だけどこれだけは理解できる、キョンがいなくなることに耐えられないってことだけは。それでもキョンは、あたしを信じてくれてるはずなんだ。いつものあたしを。
 でも、有希はそんなあたしの精一杯の強がりを嘲笑うように言葉を続けた。
「わたしは現状を打破したい。現在の状態では彼が転校したという事実のみが残り、わたしは彼のために何も出来ない。だから………」
 有希は言葉を切り、あたしの目を見た。そこに宿っていた強い光は、あたしが今まで見たこともない有希だった。
「わたしは、彼にこの想いを伝える。わたし自身が理解しているとは言えないが、それでも伝えなくてはいけないことは理解しているから」
 衝撃だった。あたしを貫くような有希の言葉。それはあたし自身が思いながらも口に出せない言葉だった。
 あたしは知らない内に口を開く。唇が乾いて痛い。喉も焼けるようで声が出にくいのが苛立ってくる。
「それって……………キョンのことが好きってことなのかしら?」
 そう、有希はキョンのことが好きなんだ。いつもキョンは有希のことを気にしてたし、有希もキョンにだけは心を開いてた。それはあたしにとってはとても苦しくて。
「…………わたしはまだ好意というものを理解しているとは言えない。それでも彼が離れていくという事実に耐えられない。もしもこれを感情と呼ぶのならば」
 有希は、あたしにもハッキリと分かるように頷き、
「わたしは、彼が好き。友愛でもない、仲間だからというものではない、わたしは異性としての彼を、女性として好き」
 それは有希の想いそのものだった。あたしには言えなかった言葉、あたしと同じ強い想い。
 ああ、この子は本当に強いんだ。真剣に自分と向き合って、ただキョンのことが好きだって言えるんだ。あたしは……………まだ何も言えないのに。
「あなたは………」
 あたしの心が虚ろになっていく。
「あなたは、彼の事をどう思っているの?」
 質問という名の刃だった。あたしの心を切り裂くような言葉の刃。あたしはそれに向き合えない、向き合う事が出来ないのに。
「あ、あたしは…………」
 真剣な有希の瞳。それに見据えられて。
「あたしは別に何とも思ってないわよ、それより有希もキョンなんかより別の男の子を探しなさい! あなた可愛いだし、頭もいいし、運動だって出来るんだから! なんだったらあたしも手伝うから!」 
 あたしは、それから逃げた。自分からも、有希からも。言いたくもない台詞を、言わされてる訳でもないのに言ってしまう。
「…………そう、理解した」
 それは悲しみ、怒り。そして、軽蔑と蔑み。
 真剣な彼女の想いに向き合えなかったあたしへ罰するような重い言葉。
「わたしは彼に会い、わたしの想いを伝える」
 有希は静かに部屋を出る。あたしの方をもう見ないままで。
 すれ違うようにあたしの隣を通るとき、
「あなたには、渡さない」
 そう言って。そして部屋にはあたし一人が取り残された。
「う………あ…………」
 力が抜けていく。膝から崩れ落ちる。
「ごめん………古泉くん……」
 素直に謝れなかった。
「みくるちゃん………ごめんね………」
 悲しませてしまった。
「有希………ごめん………ごめんなさい………」
 あなたの想いを受け止められなかった。
キョン…………キョン…………ごめん………ごめんなさい…………キョン…………」
 キョンにしっかりしてるって思って欲しかったのに。あたしは大丈夫だって言いたかったのに。心配させたくなかったのに!!
 怒らせちゃった…………何も出来なかった…………有希に………キョンは好きだっていうのかな…………
「や………やだ………ヒック………やだよう…………」
 あの夢が蘇える。キョンの隣にいた女の子は…………有希だったんだ…………
 あの子は純粋にキョンのことが好きで、キョンもそんな有希が好きで。あたしには勝てない、有希にはあたしは勝てないんだ、きっと。
「あたし………あたしぃ………キョンが好き………好きなのに…………」
 でもあたしは有希とも真正面から向き合えなかった、そんなあたしに何も言う資格なんてない!
「うわ………あぁ…………!!」
 あたしはただ泣きじゃくるしかなかった。止まらない涙を拭くことさえ忘れて、みんなに謝りながら泣くしかなかった……………