『SS』 涼宮ハルヒの別離

 悪夢を見たの。それははっきりと覚えている。
キョン! ねえ、待って!! 行かないでキョン!!」
 あたしの前をキョンが去っていく。振り返ることもなくて。あたしはただ立ち尽くすしか出来なくて。
「なんで!? 待ってって言ってるのに!!」
 叫びだけが虚しく響く。キョンは振り向いてくれないままなのに。
「え? ちょっと! ねえ、誰なの?」
 いつの間にかキョンに寄り添う女の子が一人。キョンの腕に腕を絡ませ、頬を寄せているその子はとても幸せそう。でもそれはあたしじゃなくって、キョンは優しくその子に微笑みかけていて。
 何で? どうしてキョンがその子に笑ってるの? そこにはあたしが、あたしがいないのに………
キョン…………待ってよ…………行かないでよ…………」
 頬を涙が伝っている。それなのにあたしは動けない。遠ざかっていく二人をただ見てるしか出来なくて。
「やだ………やだよう………………キョン……………」
 泣きながら名前を呼ぶしか出来ない。それなのに振り向いてくれない。それが哀しくて、悔しくて、寂しくて。あたしはまた泣いた。
 もう何も言えなくなって、ただ涙を流すあたしに、キョンに寄り添う女の子が振り向いた。
 その顔を見た瞬間、
「!!!!」
 あたしの意識はそこで終わった…………




 信じられない夢だったわ、何であたしがキョンなんかの夢を見なくちゃいけないのよ? と思ってるのに体が重くて動かない。
 あー、なんか目とか痛いわ。きっと真っ赤なのね、頬も突っ張ってるし。まるで泣いてたみたいじゃない。
 仕方ない、シャワーでも浴びなくちゃ。そう思いながら重い体を無理やり起こす。
 ベッドから降りようとしたら力が入んなくて膝から崩れ落ちる。あれ? 何であたしこんな……………ふとあいつの背中を見たような気がして。
 馬鹿な思考回路に頭がおかしくなる前にシャワー浴びないと。重すぎる足取りでバスルームに向かうあたし。
 まったく、なんで変な夢を見た挙句に朝から気分悪くなんなきゃならないのよ?! それもこれもきっとあの背中のせいね!
 シャワーの熱いお湯を浴びて少しは落ち着いた頭で、あたしは学校に行ってからあいつに何て言ってやろうかと考えていたの……




 シャワーを浴びたりしてたのに結構早く登校できたのはきっとあんな夢を見たせいね。いつもは気にならない坂道も変に長く感じちゃったし、どうもあたしらしくなくて気分が乗らないわね。
 そんなあたしが教室に入ると、これもまた見慣れない光景が。何であんたがもういるのよ? あたしの席の前の見慣れたあいつはいつものように机に伏せている。
 珍しいというか、今まで無かったかもしれないわね。あたしより先にあいつがいるなんて。
 ……………何だろう? あんな夢見たせいかも。あたしの鼓動が速くなっていった。
 あたしは動揺を隠して自分の席に着く。その途中でキョンの友達の国木田だっけ? あいつに見られた気がしたけど、気のせいかも。おまけにあたしが席に着いてもキョンは顔も上げてくれない。
「おはよう! 相変わらず不景気そうに寝てんわね〜、珍しく遅刻の心配もないかと思ったら慣れない事して疲れきってんじゃないわよ!」
 それが頭にきたからワザと大きな声で挨拶してやった。あいつはゆっくりと顔を挙げ、
「そうだな、こういうもんは慣れたくはないもんだ」
 その表情はあたしが見たことのない顔で。それを見たら何か背筋に走った気がした。
「あ………」
 聞きたい、どうしてそんな顔してるのか。またあの夢が脳裏をよぎる。まさか………………
 あたしがキョンの襟首を引っ張ろうとした時に、タイミング悪く担任が入ってきた。何なのよ、あたしがキョンに聞きたい事があるってのに!
 まあいいわ、どうせあいつがあたしに隠し事なんて出来るとは思えないし。そう、後からだって聞けるのよ。
 それはあたしの甘えだったのかもしれない。いつもあいつがいる事が当然だなんて思ってたのだから。
 そしてあたしの甘えた考えは一瞬にして崩れ去っていったの。
「おい、キョン。それじゃ前に来い」
 ホームルームでいきなり呼び出されるキョン。まったく何しでかしたのかしら? それとも困った人でも助けて表彰でもされたとか。それならSOS団としてあいつも頑張ったという事で団長としても鼻が高いけどね。
 そんな呑気な考えで、あいつが何て言われるのかなんて思ってたら岡部がいきなり、
「えー、急な話になるが今週をもってキョンが転校する事が決まった。ご両親の都合だそうだが、最後までクラスの仲間として接してくれ」
 クラス中がざわざわと騒いでいる。だけどあたしには何も耳に入ってこなかった。何を言ってるの? あのハンドボール馬鹿は。
「やれやれ、もうちょっと言い方もあるってもんだろうが」
 キョンが疲れたように席に着く。みんな何か言いたそうだけど、まだホームルームは続いてるし。それにあたしにはまだ信じられないし。
 ねえ、何かの冗談よね? さっきの話って何だったの? キョンが転校? ありえる訳ないじゃない!! 現実として受け止められなくて、だからあたしは何も訊けなくて。ただぼんやりとその背中を見つめてしまっていたの…………
「おい! どういうことか説明しやがれ!!」
 ホームルームが終わって授業までの短い間。谷口がキョンの席であいつに詰め寄っている。
「どうもこうもない、岡部が言ったとおりなんだよ。ウチの親が転勤になってな? このご時勢だ、まだ仕事があるだけマシなんだってことなんだとよ」
 淡々とそれに答えるキョン。いつの間にか周りを何人もの生徒が囲んでて、谷口は代表のように訊いている。本来ならその立場はあたしなのかもしれないのに。なのにまるで人事のようにしか聞けないあたしがいて。何でだろ? 自分の席でただ座ってるだけのあたし。
 そっか、キョンってみんなに心配してもらえてるんだなって、何故かそんな事ばっか考えてた。
「それにしてもいきなり過ぎるんじゃねえか?! もうちょっと俺らに相談してくれてもいいじゃねえか!」
 谷口が怒ってるのも分かるな、いっつもこいつはいきなりあたしを驚かせるんだから。でもキョンはため息をつきながら、
「俺だって聞いたのはつい先日さ、相談も何も自分の気持ちを整理出来てるかどうかさえ分からん」
「う…………………すまん………」
「なに、いいってこった。それより日にちもないが、あまり気にしないでくれ。いつもどおりで頼むわ」
 何で? 何であんたはそんなに普通でいられるの? その態度がまたあたしから現実感を奪っていってるのに。何人かの質問に答えながら、たまに笑顔さえ見せるキョンにまだ自分が置かれた立場も分からず呆然と見ているあたしがいたのに。




「ねえ、涼宮さん?」
 お昼休みに食堂から戻る途中、あたしは阪中ちゃんに呼び止められた。少しづつだけど、あたしも阪中ちゃんとは話が出来てきてる。でも。
「何でキョンくんに何もお話しないの?」
 分かってた、こう言われる事が。そして何処かでそれを聞かれたくなかった事も。だってあたしにも何でか分からないままなんだし。いつものようにキョンと話せなくなってるなんて、阪中ちゃんにも分かっちゃうものなのかしら?
「うん、まるで涼宮さんがキョンくんと話すの怖がってるみたいなのね?」
 あたしが? キョンと話すのを怖がってる? どうしてそう思われてるんだろ、あたしはいつもどおりのつもりなのに。
「それならキョンくんと今日話した?」
 それは…………………そういえば……………
「……………それでいいの?」
 分かんない。あたしにもどうしたいのか、あいつとどんな顔して話せばいいのか分からないままなんだから。そう、あたしはキョンになんと言って話せばいいんだろう?
キョンくんも涼宮さんとそういうお話したくないのかもね」
 そう、かな? だってあいつは変わらな過ぎて。
「だから涼宮さんも普通にしてればいいと思うのね」
 うん、そうよね! 阪中ちゃんの言葉に少しだけ心の中にあるモヤモヤが晴れていったような気がした。でも、やっぱりどこかで認められない自分もいて。
「それなら放課後に話せばいいのね、SOS団があるからキョン君もお話してくれるんじゃないかな?」
 ………そっか、SOS団もあるんだ、あたしには。そうよ、団長として平団員のキョンが悩んでたら話を聞いてあげなくちゃ!!
「ありがと阪中ちゃん、団活のときにでも話を聞いとくわ」
「うん、だから…………」
 そんな顔しないで、そう阪中ちゃんに言われたあたしがどんな顔してたのか、あたしには分からないままだったんだけど。
 それでも教室に戻った時に、いつものように机に伏せてるキョンを見た時。
 少しだけそれがおかしくて笑った。うん、あたしは大丈夫。だから放課後までいつものあたしでいよう、そう思いながらあたしも自分の席で机に伏せる事にした。
 うん、あんな夢見ちゃってたから、ちょっとだけ不安なだけなのよ。だけどキョンはいつもどおりだし、あたしもきっとそうなんだ。
 だから……………夢なんか見なくていいから、少しだけ眠らせて……………………