『SS』 幸せ家族計画! 第四話

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ところで我が娘ながら思うのだが、有希は無表情ながら自分の好きなものには執着心が強い。例えば先ほどの本などを見てもらっても分かるだろう。
そして本と同様に、食というものに関してもこの娘はなかなかうるさいのであったりもするのだ。我が家には万能主婦たる佐々木がいてくれるので味についてはそういうことはないが、逆に舌を肥えさせてる気がしなくもない。
ということでレストラン街を本屋ばりにふらふら歩く娘を見ているのであった。ちなみにもう一人の娘は俺に抱かれて夢の中なのだが。
「…………まよう」
「そう、まだ九曜も寝てるからじっくり選んでいいからね」
佐々木が俺を確認して有希に話しかけた。おう、まだ九曜を抱えてても俺は平気だ。ただこういうときの有希は長くなるからなあ、そこまで持つかはちょっと自信ないぞ?
「いつでも代わるよ?」
いいさ、それより有希に早く決めさせてくれ。そうしたら座れるからな、後は九曜を起こせばいい。
「ふむ、しかしああなった有希を制御するのは汗馬の調教よりも難易だね。もう少し情報を絞り込もうか」
どうやら有希のコントロールに入ったらしい。ふらふらと歩く有希に、
「ねえ、有希はあっさりがいい? それとも濃い味付けがいいかな?」
「…………あっさり」
「そうか、それなら和食かな?」
「…………そう」
お、ふらふらが定まりつつあるな。なんとも見事なもんだな、有希は最小限のやり取りで自分が目指す店を決めつつある。後ろを歩く俺達はそれについていけばいいだけだし。
「揚げ物は嫌いかな?」
「すきだけど、いまはちがう」
「じゃあ、おうどんとかにしようか?」
「………………」
これでとんかつ屋とかの線は消えたな。しかし上手いな、ウチの女房は。有希のふらふらはいよいよ定まり、
「…………ここ」
見事にうどん屋でストップした。佐々木も満足そうなのは有希のコントロールに成功した証だろうな。俺も九曜を抱えている腕が痺れることもないままで店に入れて言う事なしだ。
後は店内がある程度空いていてくれれば…………………上手い事いったよ、こういう時はツイてるもんだな。まず間違いなく有希がグズるのは回避できた。
「ソファーの方を使ってくれないか、僕らは椅子を使うから」
佐々木に言われるまでもなくソファーを陣取る事にする。まだ九曜は起きそうにないしな。子供用の椅子を借りて有希を座らせた佐々木は、自分はその隣に座ると、
「さて、有希に先に決めてもらわないとね。九曜は起きそうにないかい?」
ああ、まだ起きないかもな。とりあえず九曜をソファーに降ろしてみたものの、すっかり寝てしまっていて起きる気配はない。小柄だから場所も取らないし、寝相が良いせいかソファーから落ちるそぶりすらない。
「それはそれで困りものだね、何を食べたいか分からないから勝手に注文して違っていたらどうしようか?」
まあそこまで気にしなくていいんじゃないか? 子供向けのメニューはあるだろうからそいつにしておこう、九曜が食べないなら俺が何とかするさ。
「そうだね、僕も九曜が好きそうなものを頼んでおくことにするよ。それなら後で取り分けてあげれば良くなるからね」
決まりだな。ところで俺達はこの会話の間中メニューは見ていない。何故ならば、
「………………」
我が家の食欲魔人が未だ決定を下していないからな。ちょっとだけメニューを見せてもらってもいいか?
「……………まだ」
そうですか。佐々木、苦笑しないでさっきみたいに有希を導いてくれ。
「さすがにこれは無理な相談さ、キョンだって分かってるだろ?」
そうだな、ここだけは有希は譲らない。九曜も起きそうにないし、女房と二人で苦笑しながらメニューと首っ引きになっている娘を見守るしかない俺なのだった。


「…………決まった」
有希が決めたのはごぼう天うどんである。まだ小さい有希には少々多いかと思ったが、
「これも」
トッピングに掻き揚げをチョイスした時点でやる気満々なのが見て取れた。やれやれ、残すんじゃないぞ?
「それじゃ僕らも選ぼうか?」
そうするか。とはいえ俺達はもう大体頼むものを決めていたのであっさりとしたものだ。俺はカツ丼、佐々木は丸天うどんにかしわにぎりを頼んだ。九曜の分はお子様ランチのような子供用のうどんのセットだ。ちなみに俺がうどんを頼まなかったのは九曜がうどん以外を食べたかった場合を考慮しての事である。
「……………まだ?」
いや、さっき頼んだばかりだぞ? いくら何でも待ち遠しすぎるだろ。こら! 足をぶらぶらさせない!
「……………まだ」
いや、落ち込むとこでもないだろ。まったく、普段は大人しいのにこんなときだけは我がまま一杯だな。
「いいんじゃないかな? 僕だっていつも有希が待ち遠しそうにしてくれてるから料理だって作り甲斐があるんだし」
そりゃ家の中ならいいけどな。だが外食でだと態度は良くないぞ、いいから足は止めなさい。
「はい、これ以上お父さんを困らせちゃいけません」
そう言って佐々木が有希の足を押さえるとピタッと止めるんだから、有希はお父さんが好きなのかお母さんの言う事だから止めたのか。
「どっちもすき」
ありがとよ。そう言われて素直に嬉しいんだから本当に俺は親馬鹿なんじゃないだろうか?
「自覚はあるようだね」
お前に言われたくないぞ、なんたってそんな笑顔なんだからな。
「くっくっく、まったくだ。僕らはどうやら娘達に甘すぎるかもしれないね」
傍らで眠っているもう一人の娘を見ながら俺は、そうだな、としか答えられなかった。


「さて、そろそろ起こさないと流石に注文が来てからでは九曜だって食べられないよ」
そうだな、起きぬけじゃ可哀想だ。ということで九曜を起こしてやったんだが。
「――――――あふ―――――」
まあ予想通りの反応だな。珍しく大きくあくびをした九曜の大きな黒い瞳には涙も浮いている。おい、ご飯だぞ?
「――――た―――べ――――る――――」
そうか。あまりはっきりしゃべる方ではない子であるが、寝起きはそれが極まるな。何よりまだ頭がゆらゆらと揺れている。
「そろそろ来るけど食べられるか?」
「―――おなか――――すいた――――」
その割には瞼が半分落ちてるんだけどな。とりあえず座らせてみてはいるものの、頭は前後にヘッドバンギング中だ。いや、テーブルに頭を打ちそうで怖い。
「あーもう! しっかりしろ、九曜!」
そのままじゃ間違いなくテーブルの角と九曜のおでこは激突するぞ、俺は急いで九曜を自分の膝の上に乗せた。手を回してしっかり抱え込めばとりあえず頭は打たないだろう。
「……………!!」
「こら有希、椅子の上に立とうとしちゃいけません!」
どうしたんだ? 今度は有希が両手を伸ばして俺の方に近寄ろうとしている。
「やれやれ、お父さんが好きなのもいいけどこれは困りものだよ………」
どうにか有希を佐々木が宥めていると、やっと有希のお待ちかねのうどんがやってきた。流石の有希も目の前に食べ物が来たら大人しくなる。九曜も香りでようやくお目覚めのようだ。
「一人で食べれるな?」
九曜が頷いたので降りてもらった。さっきよりもしっかり座った九曜は最早うどんしか目がいってないようでもあるし。
「ごはん――――――」
「…………まちかねた」
我が娘ながら何と言うか食欲魔人だな。
「さあ、有希、九曜、キョンもちゃんと手を合わせて」
はいよ、佐々木の号令一過、
「いただきます」
とちゃんと挨拶するのが我が家のしきたりである。有希も九曜も俺だってそれに異を唱えることは許されない。
「美味しく食事をする為にはこちらも最低限の礼儀を尽くさねばならない、それは当然だと思わないかい?」
佐々木に初めてそう言われた時は目からウロコだったけどな。その考えは我が娘達にも脈々と受け継がれている。
そこからはウチの食卓は割りと静かなものだ。元々口数が多いほうではない娘達は食事を始めれば集中するせいか黙々と食べている。俺と佐々木が二言三言会話を交わしているだけだな。
かといって手間が掛からないかと言えば、そうとも言えないのが不思議なもんである。特に俺の隣に座っている娘の場合はな。
「ほら九曜、もうちょっと静かに食べれないのか?」
決してふざけている訳じゃないんだ、それは分かるんだが。何故か九曜は食べるのが下手くそである、特に汁物など本人の知る由も無い方向にツユが飛んでいく。となれば隣に座る親としてはフォローに追われる訳なんだよ。
「―――おいしい――――」
ほっぺについた汁をナプキンで拭きながら、それでも食べるペースを落とさない九曜は大物だとしか言い様がないな。このまま成長したらどうなってしまうんだろう?
「大丈夫だよ、子供の頃はよくあることさ」
それならいいけどな。それに比べれば、
「……………びみ」
こちらの娘は逆に綺麗に食べすぎだろ、と言わんばかりである。恐らくカレーうどんでも汁がはねることはないんじゃないか?
しかも量が多いかと思っていたのに、もう掻き揚げを片付けて黙々と麺をすすっている。ごぼう天はどうした?
「あとのおたのしみ」
好きなものはとっておくタイプのようだ。姉がそうなら妹は、
「―――それ――――ちょうだい――――」
と言う間に俺のカツを一切れ取りやがった。しかも自分は食べかけで。こっちは好きなものを先に食べたり人の食べてるのが美味しそうに見えるタチのようだ。



そして、
「ごちそうさまでした」
「―――もう――いらない――――」
真逆のセリフなのに同時に手を合わせた姉妹がそこに居るわけで。ツユの一滴も残さず食べきった有希と、全部を食べかけで終わってしまった九曜。そして九曜に取られたりした残骸のカツ丼を前にする俺。
「頑張ってね、お父さん」
何故か九曜に手を出されることもなく綺麗に食べ終わったお母さんの一言で、冷めたカツ丼とのびたうどんを相手に孤軍奮闘を余儀なくされる俺なのだった。
うん、もう毎度の事とはいえ結構胃にもたれるんだぞ、これ。だがご飯を残すというのは子供達の教育にもよろしくない、ここは家長として責任を持って綺麗に食べきらねばならんのだ!
子供達の期待を込めた視線と、嫁さんの生暖かい視線に見守られながら俺は努めて明るく箸を進めたのであった………