『SS』 始まりの、指輪:キョン
指輪―キョンサイド―
日差しが差し込むこの部屋はとても明るくて暖かい。俺は一人静かに窓の傍で時間とあいつが来るのを待っている。
コンコンってノックの音がした。ようやく来てくれたか。もちろん誰が来たかは分かってる俺は、
「入れよ」
と声をかける。もうちょっと愛想よく言ってやった方が良かったんじゃないかと少しだけ悪い気もしたが、こいつとはこういう付き合いだ。
「失礼します」
「よく来てくれたな」
俺は、今は本気でこう思う『親友』を笑顔で迎え入れる。
爽やかな笑顔にますます磨きがかかっただけでなく大人っぽさも加味された古泉。こいつはハルヒとはある意味、対極の位置に居る俺の大事な奴だ。いや、俺たちにとっては、か?
「ふふっ、よくお似合いですよ。さしずめ王女様を迎えに行く白馬に乗った王子様のような、とでも申しましょうか」
ったく、相変わらずこいつの胡散臭い口調は変わらんな。だが、そんなストレートな感想は初めて聞いた気がするぜ。
「幸せそうですね。今の貴方になんと言葉をかければよいのでしょう?」
おいおい、あの時の頼んでもいないのに延々長々話を好むお前はどこに行ったんだ? 今日は、あの俺に結論を任せる推論推測解説を聞きたい気分なんだぜ?
「僕もそういう気分でしたけど、貴方を見た瞬間、何と言うのか忘れてしまいました。とても惚れ惚れしてしまったものでして」
相変わらず気色悪いセリフをさらりと吐く奴だ。言っておくが――
「ええ、もちろんです。ご心配なく。僕にもソッチの気はございません。仮にあるとするならば僕は貴方の幸福そうな笑顔を見ていられませんよ。そうでしょう?」
「確かにそうだな」
言って、俺たちは笑い合った。
それにしても、高一の二月、二人で夜道を歩いたあの日――古泉が、おそらくは初めて俺に見せたであろう本音を聞いたあの日は、まさか本当にこういう日が来るとは思ってもみなかった。いや、本当は気付いていたのだ。ただ、その時は認めたくなかっただけなんだろう、それどころじゃなかったこともあったしな。
俺もいつかこいつと腹を割って話せる親友になれる日が来ればいいな、と思っていた。なんだかんだ言ってもこいつは俺とハルヒのために奮闘した、今なら言えるが、とても友達思いの奴なんだ。伴侶と供に親友も人生では欠かせない大切な存在なんだということを、俺はこいつに教えられた。
「朝比奈さんと長門さんも来ていますよ。今は涼宮さんのところです」
そうか。朝比奈さんと長門も来てくれたんだな。とと、お前はもちろん、ハルヒに挨拶してから来たんだよな?
ハルヒのことだ。お前が、団長の自分を差し置いて俺の方に先に来た、なんて知ったらどんな罰ゲームを課せられるか分かったもんじゃないぞ。
「ご心配なく。ちゃんと言い訳を長門さんに言伝ましたよ。『男同士で話したい』、そして『新郎よりも先に僕が涼宮さんを拝見するわけにはいきません』と。あ、もう涼宮さんとは呼べなくなるんですよね」
言ってろ。この似非スマイル野郎。おっと、今回の『似非』は意味が違うぜ。なんたって古泉の奴は嫌味のつもりだったんだろうが、そんな雰囲気が全然なかったからだ。
まあその言い訳ならお前らしいし、ハルヒも納得するだろう。相変わらずハルヒの精神鑑定にかけては俺以上だな。
「いえいえ、本質や根本に関しては貴方の方がはるかに上です」
そうかい。そういや、向こうじゃ何て言ってるのかね。ハルヒのことだから俺の悪口言ってるとか。
「そんな訳ないじゃないですか。向こうでも朝比奈さんと長門さんが貴方方への祝福の言葉をかけているんですよ」
そうだな。朝比奈さんと長門がそんな事言うわけないか。まあハルヒの奴なら分かんが。
「そのような話題を涼宮さんがしていたとしても今の貴方はちっとも不機嫌にならないでしょう。貴方以上に涼宮さんのことを理解している人はいないのですから」
お前、さっき、「もう『涼宮さん』と呼べない」とか言わなかったか?
「おや、これは惚気られちゃいましたね」
てめえ! さてはひっかけやがったな!
「そうは言いますが、僕には貴方が新婦を見てこい、と言っているようにしか聞こえなかったものですから。てっきり、涼宮さんを自慢したいのかと思ったもので少々悪戯心が芽生えたんですよ」
そうかい、再び俺たちは笑い合う。
「そういや長門のことなんだが……」
「ご心配なく。もう彼女も僕と同じで、今はあなた方の親友でいられることを誇りに思っておられます。もちろん朝比奈さんも」
それを聞き、俺は前から言いたかった事をこの機会に親友にぶつけてみたくなった。
「お前が長門か朝比奈さんをもらってやれよ。特に朝比奈さんならお前が望んだタイムトラベルやり放題だ」
「今度は僕に悩めと言うのですか? あなたがどれだけ苦悩していたかはよく理解しているつもりなのですよ。もっとも長門さんは我々の知らない方なのですが、なんでも福岡の方へ嫁がれるという話をされておられましたが」
そうなのか? それは全然知らなかった。悪いな長門、気を使わせてしまって。
しかしまあ長門が選んだ奴なら大丈夫だろう。なんとなく俺の肩の荷が下りた気がしたような不安なような。娘が嫁に行く父親の心境みたいだな。
「ふふっ、長門さんもそれはそれで嬉しいでしょうね。では、後ほど披露宴会場で」
立ち去ろうとする古泉を俺は引き止める。まだ俺は言い足りてないんでな。
「待て古泉」
「どうされました?」
「長門が相手を見つけたなら真面目に言うぞ。お前が朝比奈さんをもらえ。そして朝比奈さんもそう願っているはずだ」
古泉の笑顔が一瞬だけ固まった気がした。だがそれは俺が古泉という人間を知っているからで、こいつはいつもと変わったようには見えないだろう。
「ご冗談でしょう? 貴方はさらに未来の彼女を知っていますし、僕の所属する機関と彼女の所属する機関がどういう関係にあるかご存知のはずですよ?」
「お前は俺のことを散々鈍い奴だと言っていたが、お前も相当鈍いな。いや、それともこの期に及んでまだ仮面をかぶっているつもりなだけか?」
「はて? 僕は一度も朝比奈さんのことを――」
「おいおい、もうお前は俺をはぐらかすなんて真似は出来ないぜ」
こう見えて俺は長門の表情を読むことと、お前の笑顔の裏を読むことに関しては誰にも負ける気がしないんだぜ、それこそハルヒにだってな。
「……いつ気づかれました?」
「お前が『未来は変えられる』と言ったときから漠然とだ。それと、さらに未来からやってきた朝比奈さん、あれだけ素直で嘘なんて吐けそうになかった御方が年を取ったとは言えやけに回りくどくなっていたからだな。いくらなんでも大人になったからって、あんなに変わるもんじゃない。まあ時々は朝比奈さんらしいところを見せてくれてはいたが、今から考えれば明らかに誰かさんの影響を受けているとしか思えなかった」
「そこまで見ておられましたか……完敗です」
今更言うな、お前が俺に隠していた理由だって分からなくはないんだからな。
「お前と朝比奈さんは今まで起こった出来事を知っているんだ。特に奔走しまくった高校時代のことについては誰よりも詳しくだ。未来は変えられる。でも変えたくない。そして変えるわけにはいかない部分がある。そういう意味だろ?」
「その通りです」
「実は昨日、ハルヒと打ち合わせした。ブーケは長門か朝比奈さんに投げるつもりだったが、あとから朝比奈さんにするように言っておく。だが朝比奈さんには言うなよ? 楽しみが半減してしまう。おっとこれは朝比奈さんに意地悪するって意味じゃなくて本当にあの人が喜ぶ顔を見たいからだ」
「恐縮です。そして分かりました。ですが僕は純粋に、今日はあなた方の幸せな門出を祝わせていただくだけにしておきますよ」
そう言って深々と頭を下げた古泉は軽やかな足取りで涼やかに立ち去って行った。
ありがとうな、古泉。
俺は視線を動かして再び窓の外の青空を見やる。
今、この部屋に居るのは俺一人だ。やけに静かに感じる。
しかしこの静けさは何とも言えず心地いい。
遠い遠い記憶が俺の中を駆け巡る。
小学生の頃は純粋にヒーローや超常現象に憧れていた。ああなりたいって思っていた。
中学生、高校に入った頃にはもう、現実を見れるようになっていた。普通で怠惰な人生を送るのだろうと勝手に諦観した、今、思えばつまらない自分が居た。
夢を見ることから卒業した、なんて言葉で夢を諦めたことを誤魔化していた。
だが、あいつに会ったから。あいつがいてくれたから。
昔、夢見た空想を世界中の誰よりもあいつに感じた。だからあいつの傍を離れられなかった。幼い頃より純粋に真剣に。
いつしか、俺はあいつ自身を求めるようになっていた自分に気づいた。姿形だけじゃない。喜怒哀楽、あいつのすべてを俺は求めていた。
そして今、その夢が叶った気がする。誰よりも幸せな気持ちでこの場所にいる。全部あいつが俺にくれたもの、そしてこれからも俺があいつにやりたいもの。
俺は一人、時間を待つ。様々な事を思い出しながら。だから全然退屈じゃない。
俺はハルヒと結婚するんだ――
…… …… ……
何なんだろうな。この気持ちは。「何やってたんだ昔の俺は」って気になる。高校生の頃はいかに自分が素直じゃなかったかがよく解る。
やれやれ――
俺はハルヒを迎えに行った日を思い出しながら自嘲の笑みを浮かべて、なんとも懐かしく思える嘆息を吐いていた。
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俺達が高校を卒業した時、ハルヒの手には二つの指輪。右手の薬指と左手の小指に輝いていた。
俺の手には指輪は一つ。右手の薬指に輝いてる、俺はハルヒのもの、ハルヒは俺のものだって証。
本当はお互いの指輪に『Yours Forever』って刻みたかったんだがそれは右手じゃない薬指に嵌める指輪のときにした。
だから俺は約束した。二人に無い指輪を用意することを。
「いつまででも待ってるわよ?」
「嘘つけ、待つ気なんかないだろうが」
苦笑しながらあいつを抱きしめたときのあいつのぬくもりは今でも覚えている。まあ急かしてくるような気がヒシヒシしているから苦笑だったんだが。
「いいさ、こっちだって待たせる気はないからな」
てことでそう言って卒業式の日に俺達は口づけを交わした。あの日も俺は幸せだった。
それから大学生活が始まって、俺とハルヒは――まあこれはあんまり甘くも幸せでもない話に分類されるがハルヒの猛烈な家庭教師の甲斐あって――何とか一緒の大学に通えた。学部は違うがな。そしてそれは仕方がないことでもあったんだよ。
理由か? ま、それは後ほどってやつだ。
もっとも、そこでも変わることなく俺はハルヒが好きで、ハルヒも変わらずに俺を好きでいてくれた。
俺の、いや俺たちの大学生活は充実してたと言い切れるだろう。少し離れてたが長門も朝比奈さんも古泉も連絡は取れたしな。
あっという間の四年間だった気がする。それはハルヒが居てくれたからか?
そんな学生生活も残りがわずかになった時だった。
就職を考えていたようだったハルヒに俺は告げた。
「お前なら大学院に行った方がいいと思うぞ、研究テーマは空間歪曲だったっけ?」
「え? でもそれってテーマとしては全然意味ないし、そんな研究したって誰も評価してくんないんだけど……」
そんなもん言わせとけ、お前あんだけ楽しそうだったじゃねえか。
「そりゃそうだけど、あれって上手く行けば時間だって飛び越えちゃうかもなんだからね? だからあたしだってもっと研究もしてみたい。でも……」
親御さんの説得なら手伝うぞ?
「それもあるわよ、でもウチの親なら大丈夫だと思う。それより、」
「………俺を信用してくれ、ハルヒ。お前一人くらいなんとかしてやる」
「う、ず、ずるくない、それ? プロポーズならもうちょっと……」
「それならちゃんと用意してやるさ。だからこれはお前の進路の話ってことにしとけ」
「やっぱりずるいじゃない!」
恥ずかしくって顔を合わせらんない! って気持ちをそのまま表現するかのようにハルヒは俺の胸に飛び込んできた――
もしかしたら大学院を進めたのは俺の言い訳のためだったのかもな。
ハルヒはずっと待っている、俺からの言葉を。
いつも一緒に居た。いつも俺たちはお互いを見ていたけど。
そこにはまだ指輪は無かった。
遅くなったんで大学の研究室に迎えに行ったとき、どこか声をかけ辛かった日があった。
なぜならハルヒが少しだけ寂しそうに、左手に「もうちょっとだけ待ってて」って話しかけていたから。
まるで地球を背負ってしまったかのような自責の念に押しつぶされそうになったがそれでも俺はそれに耐えなければならなかったんだ。
どうしても俺には譲れないものがあったから――
俺はとある出版社に勤めるようになった。
「やりたい事があるんでな」
と言って、後は黙々と働いた。じゃないとあの日のハルヒの顔を思い出してしまうからだ。少しでも罪滅ぼしをしようとハルヒの学費は俺が払った、もちろん他に意味がなかったとも言えないんだが。
「お前のやってることが未来に繋がってるってことなんだよ」
学費の話をハルヒにした時、あいつは自責に駆られていたように見えたので、俺はそう言ってやった。
まあ詳しく言えなかったのは禁則事項だったからだが。
これでいいんですよね? 朝比奈さん。
なんともクエスチョンマークを点滅させまくっているハルヒの後ろ姿を見送って俺は夜空にそう声をかけていた。
待ってくれているハルヒに俺は甘えてしまっていたのかもしれない。
早くハルヒに――
その思いが俺を焦らせていたのかもしれない。
焦燥感は決して結果を速やかに良い方へと導くことはなかった――
ハルヒが大学院を卒業する春の日の事だった。正確な日付も覚えている。その日を選んだのは深い意味はない。
逸る気持ちを抑えきれなかったから、ただそれだけだ。
「ちょっといいか?」
もう桜が満開になってるなんて早すぎるなって思う夜だった。
そんな満開の桜の木の下で、俺達は向かい合ってる、いつもと同じだけど違う雰囲気で。
「あー、ハルヒ?」
い、いかん! 勝手に声が上ずりやがる! 落ち着け! 落ち着くんだ!
「その、何だ? うん、まずは卒業おめでとう」
って、違う違う! 前振りにしても無茶振り過ぎるぞ!
「まだ先の話よ、まあ決まってる事だけど。でもありがと。そんな話したくてわざわざこんな所まで来たの?」
などというハルヒの目は俺のことを見抜いている。
そりゃそうだ。俺もハルヒもお互いがお互いのことを誰よりも一番よく知っているのだから。
そしてこれは俺から言わなければならない。
おそらくはハルヒが、俺が発する言葉としては今、一番聞きたいであろうセリフを。
しかしその前に、だ。
「うむ、それでだな? まあついでというとアレなんだが、これを見てくれないか?」
そう言って一冊の本を見せてやった。
しかも折ったページを。そこに載っているのは、
「…………小説大賞? これが何なの?」
「佳作のとこ見てみろ」
「あのねえ、こんなくらいとこで小さい記事なんて――」
小さくて悪かったな、まあいいから見てみろよ、ほれ。
携帯のライトで照らされた記事には何人かの名前。
「これが何なのよ?」
「右から三番目」
「それがどうしたって……………え? ってこれ!?」
「ようやく気付きやがったか、まったくやれやれだ」
「そんな事より何でキョンの、えーとまあ本名? がここにあるのかって事よ!」
「そりゃ俺が書いたからだろ、まあ何回目かは忘れたが自分では結構早かったと思うぞ? その為にコネも作ったしな」
そうさ。俺は昔、お前が思い出させてくれた、幼き頃、夢見た世界をもう一度見たくなったんだ。もちろん、実現するのは――もしかしたらハルヒにハルヒの力を自覚させてしまえば叶うかもしれんが――容易じゃない。だったらその世界を想像の世界に作ればいい。それでもその世界は確かに『現実』に現れるのだから。
そして俺は今、夢を現実にすることができたんだ。
もっとも、これからその現実がどうなるかは――
「まあ内緒にしてた事は謝る、スマン。けど俺だってたまにはお前を驚かせたいんだぜ?」
「充分過ぎるほど驚いたわよ! まさかキョンにこんなサプライズがあるなんてね」
「それでやっと目処がついたってとこさ、一応担当も付いたしな」
「えっ? どういう……………」
と言いかけたハルヒに俺は小さな箱を見せた。
「まあ給料三ヶ月分だ、担当もいるけど仕事はまだ辞められんからちょっとばかり予定が狂っちまった」
「………………何よ、あんた作家になってあたしに指輪を贈るつもりだったってこと?」
ハルヒの声が震えている、そうだろうな、これは俺の我がままだ。
「そうしたかったが卒業に間に合わなかったんでな。これ以上は俺が待てん、はっきり言って何度学生結婚しようかと思ったか分からん」
「何よ、何なのよ? あたしを待たせないって言っといて! あんたの夢の為にあたしは………………待たされたって言うの!?」
そうだな。どんな理由があれ、俺はハルヒを待たせてしまった。
たとえそれが、ハルヒにふさわしい男になってからだという理由だとしてもだ。
それは決してすぐに償えるものじゃない。
一生をかけて償うものでしかない。
「すまんハルヒ、俺は約束を破っちまったな。待たせてすまなかった、ゴメンな」
俺はそっとハルヒを抱きしめる。もしかしたら殴られるかも、などとは微塵も思わなかった。
なぜなら殴られても構わないと思ったし、殴られるようなことをしてしまったからだ。
ハルヒには自分の想像を現実にする力がある。だったら俺だってそういう人間じゃないと釣り合う訳がない。
俺も自分の想像を現実にする力が欲しかった。
幼き頃見た夢、そしてハルヒにふさわしい男になるために俺は作家の道を選んだ。
「ううん、あたしが……」
何故お前が謝る? そんな必要はどこにもない。
「いいんだ、お前がやりたかった事をやってるのを見るのが俺は好きなんだから」
抱きしめたハルヒの体が温かい。まるで俺を癒してくれるかのように。
すべてをハルヒは受けて入れてくれる。俺の全てをを許してくれている。
そんなハルヒにもうこれ以上、俺は甘えるわけにはいかない。形として示さなきゃいけない。
なぜならハルヒが泣いているから。俺の胸には温かくしかし物哀しげな波紋が広がってくるから。
今度は俺がハルヒを甘えさせてやる番だ。
「ねえ…………」
「何だ?」
胸の内に広がってくるような声、聞き慣れたハルヒの声に。俺はどこか安堵していた。
なぜかって?
それはだな、こう言ってくれたからさ。
「あたしで………いいのかな………………?」
いい(に決まってんだろ)
「だってあたし、我がままだし」
別に(今に始まったころじゃない)
「あんたの言う事なんか聞かないし、あんたが迷惑かもしれないって思ってる」
どうぞ(思う存分迷惑かけてくれ)
ふっ、なんか初めて文芸部室に押し掛けたときの長門の気持ちはこんなんだったのかな、なんて思えるぜ。今ならな。
「そんなあたしなんかより……………」
おっと、これ以上、心の中にはツッコミのストックは用意していないぞ。
「もういいか? 大体お前が今まで俺の言う事なんか聞いたことあるかよ?」
俺はハルヒの言葉を遮って頭にそっと、割れやすいけど綺麗なガラス細工に触れる気持ちで手を置いた。
なぜだか自然と笑みがこぼれた。そうだな。俺は嬉しいんだろうな。
「それでいいんだ、ハルヒ。お前は何も間違ってないし、悪い事はしていないんだ。俺が好きでそれに付き合いたいって言ってんだからな」
どうしたんだ俺? 俺ってこんなキャラだったか? いいや、キャラなんかどうでもいいんだ、俺は思ったことを口にしてるだけなんだから。
「何で…………?」
それを聞くのか、ハルヒ。そんなもん答えは決まっている、俺は笑って言えるんだぜ?
「何でってそりゃお前、俺は世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団、略してSOS団の団員その一だからだろ?」
そうだな。今までもこれからもずっとずっと俺たちはこうやって一緒に――
って待てよ?
「まあすまんが最後のSだけは変わっちまうがな」
「構わないわよ、そんな事!! 馬鹿みたいなとこにだけ拘るんだから、もう!」
ふふっ。どうしたんだろうな。さっきの緊張感、どこ行ったんだ?
「そう言う事だ、改めて言うぞ? ハルヒ、待たせて悪かった。俺と……………結婚してくれないか?」
なんたって、このセリフをさらりと、だが真剣に言えたんだからな。ちゃんとハルヒの目をまっすぐ見て。
もっとも答えは分かっているさ。
「……………うん」
それだけで充分だ。
にしてもなんだか不思議な気分だな。まるで試験後の気分だ。なんだってあの開放感に包まれているんだ?
だからちょっとやってみた。
「そっか、いやー、ここまで来て怒鳴られたらどうしようかと思ったぜ」
「ちょっと、何でそこであたしが怒鳴ったりするのよ! まったく減らず口だけは変わんないんだから!」
「それでいいさ、ハルヒはそうじゃなきゃな」
そうさ。これでこそハルヒだ。あんなしんみりしたハルヒは――
まあたまにならいいが、普段はこういうハルヒでなくちゃな。
あまりのギャップに思わず笑ってしまうぞ。
「もう、そこで笑ってんじゃないわよ!」
あ、ちと笑いすぎたか。ハルヒがアヒル顔になってそっぽを向いちまったし。
もっとも機嫌が悪い訳じゃなさそうだ。
な、そうだろう?
「幸せになろう、俺が幸せにするんじゃない、お前が幸せになるんじゃない、俺達は俺達が幸せになろう」
ハルヒが俺を見つめる。しかしそれは――
「そんでもって周りの奴らも幸せな気分にさせちまうんだ、古泉も、長門も、朝比奈さんも、鶴屋さんや国木田、谷口だって他の奴らだってそうだ、俺達と関わってきた全部の人間を幸福にしてやるんだ。ハルヒ、お前なら出来るさ」
そうさ、俺達は世界を大いに盛り上げるんだよ! まったく、お前と一緒にいたせいでこんな馬鹿馬鹿しい話がここまで真剣に言えちまうんだ。だから、お前は笑いながら、
「あんたも滅茶苦茶言ってるわよ、でもそうなりたい。いや、そうしなきゃ駄目よね!」
そう言ってくれればいい。それだけで俺は前に進めるんだぜ。
「そうさ、だから俺達はその為にも幸せになるんだよ」
ハルヒと初めて口づけを交わしたあの日、俺はハルヒに、まったく伝わらなかったが、この世界の素晴らしさを説いたつもりだった。
面白くないからって世界を放棄しちゃいけない。面白くないなら面白くすればいい。
お前の理念はそこにあるはずだ。でなけりゃ俺の受け売りとは言え、『世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団』なんて発想は出てこないはずだ。
あの時は受け入れてもらえなかったようだが今は違うだろ?
「わかってるわよ! 絶対にみんなで幸せになるんだから! だから、だからキョン!」
「ああ、俺達はずっと一緒さ。お前だってそうだろう?」
「あったりまえじゃない! さっきまで流れてた涙なんかもうどっかにいっちゃった!」
ハルヒは最高の笑顔で俺の胸に飛び込んできた。そうだな、お前が初めて見せた笑顔もこんな笑顔だった。
以来、俺はその笑顔に魅かれたんだ。
「愛してるぞ、ハルヒ」
「愛してるわ、キョン」
俺たちは、高校卒業の日のように、満開の桜の木の下で、最高の笑顔で、最高の気分で、最高の――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
幸福を告げる鐘が鳴り響き、ハルヒがバージンロードを歩いてくる。花嫁入場の曲の冒頭が「答えはいつも私の胸に――何でだろう――あなたを選んだ私――」だったりしたのがハルヒにしっくりする気がしてなんとも不思議な気分だった。幸福を告げる鐘の音にもマッチしていたしな。
今は父親に連れられて来ているがこれからは俺が連れて行くんだ。
いや違うな。どちらかがどちらかを連れて行くんじゃない。二人で手を取って進んでいくんだ。
周りにいるみんなの顔が笑ってくれている、幸せそうに。
ひょっとして俺はちょっとだけ堅苦しそうな格好に緊張しているのか?
まあ仕方ないよな。
そうさ、ようやくあいつの左手の薬指を輝せることができるんだ。もう寂しい思いはさせないぜ。
誰よりも、世界中の誰よりも幸せにさせてやる証拠として。
いや待てよ? そうじゃないよな。
「いいや、それなら俺の方が幸せだね。だってお前がいるもんな」
「何よ、あたしの方が幸せだもん!」
なんだか子供みたいなやり取りだが、そんな俺たちの指に光る指輪。
やっと渡せた最後の、じゃないな。今から始まる二人の為の最初の指輪だ。
しかしだな。その指輪より輝いてるぜ、お前の笑顔はよ。
「あたしの方が絶対に愛してるんだからね、キョン!」
「それだけは譲れんな、愛してるぜハルヒ」
みんなの幸せに包まれて。幸せをみんなで分け合って。
そして俺たちは幸せになる。おっと、この『俺たち』は俺とハルヒって意味じゃないぜ。もちろん分かっているよな?
みんなの前で誓い合う俺たちの瞼越しにに飛び込んでくる柔らかく温かな光。
その光には光沢の深さに差があるんだ。
そして深い部分の光が告げる。
YOURS FOEVER――
ハルヒも同じ光を感じただろうぜ。