『SS』おかわり

「おかわり」


 ある晴れた日曜のこと。

日曜日といえば、土曜日の次にやって来るものであり、当たり前のことだが、昨日は土曜日だ。
 土曜日といえば、我らが団長様のきつい御命令により、ちっとも当たり前のことではないはずの市内探索パトロールが、当たり前のように実施される日である。
 休日だというのに、わざわざ駅前まで行かなければならないことに辟易しながらも、まあ、ついでに用事を済ませられるのならそれもいいかと、俺は自分を慰めていた。
 ところが、人の事情などまったくお構いなしの団長様に振り回され、結局予定していた用事を消化することができなかった。
 その用事とは、シャミセンの餌を買うことであり、俺はわざわざ完全休養日である日曜に再び駅前まで来ていた。
 昨日、パトロールのついでに買えていれば、二日連続でここまで来る事もなかったのに、まったく忌々しい。

 そんな悪態を付きながら、猫の餌を買うというミッションをクリアした俺の目に飛び込んできたのは、見慣れた後ろ姿だった。
 ボブカットをさらに短くしたような髪型。日曜だというのにセーラー服を着ていて、まるで幽霊のように、てくてくと歩いている。

「よう、長門。外で偶然会うなんて珍しいな」

「…………」

 振り返った少女の目は、クリスタルガラスで出来ているかの様に透明で、作り物のようにそこには感情などなかったのだが、

「…………図書館」

 そう言って右手に持っていた紙袋を掲げて見せた時には、わずかにだが、喜びの光がその目に宿ったように見えた。

「図書館の帰りか。その袋は本が入ってんのか? でも、どうして駅前にいるんだ? 家に帰るなら遠回りじゃないか?」

 俺がそう聞くと、長門は黙ってある方向へ視線を向ける。
 その先にあるのは……デパートか。ああ、なるほどね。図書館で借りるだけでは足りず、本屋で新刊でも買って帰ろうってことか。
 まったく大した読書欲だな。部室で毎日、凄いスピードで読破していく長門であったが、こうやって日曜に本を仕入れてんのか。
 そういえば、図書館のバーコードが付いてる本より、それ以外の本の方が多い気がするのだが、ひょっとしてあれ全部自分で買ってるのか?

 そこで俺は考えた。そうだな……こいつには散々世話になってるし……。

長門。本を買いに行くんだろ。俺にプレゼントさせてくれよ。今まで色々世話になってるからさ。お礼をしたいと思ってたんだ」

 俺の提案に、長門は喜んでくれるだろうと思ったのだが、

「………………いい」

 少しの沈黙のあと、短くそう答えた。
 んー、他の物がいいのか? 本で喜んでくれないとなると、何がいいだろう。
 俺が悩んでいると、長門はそのままてくてくと歩き出した。
 おい、どこ行くんだ、と俺が聞こうとすると、長門はすぐ近くにあったある店の前でピタッと立ち止まった。そして、そのままじっと店の看板を見上げている。

 ひょっとして腹が減ってたのか。

 しかし……。

 俺もその看板を見上げて、思わず躊躇する。
 長門が興味を持ったであろう店とは、回転寿司だった。
 最近できたチェーン店で、ハルヒも今度行こうと言っていたのだが……。
 長門を連れて回転寿司……。一皿100円だとしても、俺の財力じゃ10分と持たないだろう。

 俺の心を読んだわけではないだろうが、長門は看板から目を下ろし、店の前に置いてある掲示板の様なものを指差した。
 そこには、

『男性1575円、女性1260円。食べ放題。時間制限なし』

 と書かれてあった。

 二人で入っても3000円を超えない。これなら許容範囲だし、食べ放題で時間無制限だなんて、長門のためにあるような店じゃないか。

「丁度、昼飯時で腹減ったしな。ここで食ってこうか。もちろん俺のおごりだ」

 俺がそう言うと、長門はこっくりと頷いた。
 よしよし、この首の振り方だと、今度こそ喜んでくれてるようだ。
 そういえば、長門って俺達SOS団のメンバー以外と外出することはないだろうから、こういう店ってほとんど行ったことないんだろうな。
 ひょっとしたら、以前から回転寿司なるものに興味を持っていたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、長門を促し、店内へ入る。この店にはテーブル席がない。安い分、客をたくさん入れるようにするためだろうか、カウンター席しかない。
 長門が右側、俺が左側になるように並んで着席する。

長門。回転寿司ってのはな、この流れてるやつを、皿ごと取って食べるんだぞ。寿司だけ取っちゃだめだ。それさえ守れば、あとは好きなだけ食べていい。それと飲み物はこのお茶のパックを湯のみに入れて、こっからお湯が出るから。まあ、そんなにおいしいもんではないが、お茶はおかわり自由ってことだ」

 回転寿司が初めてであろう長門に、俺はそのシステムを解説する。まあ、定額制の食べ放題なので、皿の数がわからなくとも大丈夫であろうが、寿司だけ取って食べてたら顰蹙を買うことは明らかなので釘を刺しておく。

 俺が説明をしている間、じっと流れる寿司を眺めていた長門は、またまたこっくりと頷いた。なんだか、出走前のサラブレッドを見ているかのようだ。寿司を前にうずうずしている長門は、そこはかとなく可愛い。

 よく考えれば、SOS団の三人娘はもの凄くレベルが高いよな。朝比奈さんは非公認ミス北高、いや、ミスコンをやれば公認になることは間違いないほどの愛らしさだし、ハルヒだって見た目だけなら全国の女子高生の中でもトップ10には入りそうだ。
 この2人に比べて、無口で無感動な分、長門は目立たないが、こいつだって見た目はもの凄く可愛い。谷口の審査によれば、Aマイナーらしいし、実際、ハルヒや朝比奈さんより、長門の方がいいという奴だってたくさんいるだろう。
 そんな女の子とこうやって肩を並べて食事できるんだ。ハルヒになんだかんだ巻き込まれるのも悪いことばかりじゃないよな。

 長門の横顔を眺めながら、寿司を食べるってのもおつなもんだ。

 俺は、ひとり物思いに耽りながら、さて、そろそろ俺も食べようかね、と流れている寿司に手を出そうとした……が。

 あれ? 寿司がひとつも流れていない。
 そう思うと同時に、視界の右端に、長門の腕が見える。
 見えるのはいいんだが……。この動きはなんだ? まるでシャドウボクシングをするかのように、左腕を前に出しては元に戻すというのを素早く繰り返している。

 嫌な予感がして、俺はそっちを見ないようにしたかった。できれば気付かない振りをして、この場をやり過ごせればと思ったのだが。そういうわけにはいかないのは毎度のことだ……。
 店内がやけにざわついている。
 そりゃそうだ。寿司の流れが、せき止められてるんだからな……。
 しかも、見た目はものすごく華奢な少女によって……。

 長門の周りにはすでに、お皿のタワーが出来上がっており、それに囲まれるようにして、長門は流れてくる寿司をひとつ残らず食べ続けている。

「お、おい。長門。いくら好きなだけ食べていいからって、片っ端から取ってくやつがあるか。もうちょっとペース落とせ」

「………………」

 俺の言葉にピタっと動きを止めると、じっと俺の顔に視線を固定させる。
 そこには、明確な抗議の色が見えた。

「あ、いや。確かに好きなだけ食べていいって俺が言ったんだが、ものには限度ってもんがあるだろ? それに、お前が全部食べ尽くしてしまったら、他のお客さんに寿司が回っていかないし。もうちょっとみんなに行き渡るようなペースで頼むよ」

「…………了解した」

 長門はそう言うと、今までのハイスピードでの消化作業を一旦やめた。
 じっと、寿司の流れを眺めている。
 気を悪くしちまったのかな……。
 動かなくなった長門を見て俺はそう思ったのだが、まったくの杞憂だった。

 長門は再び動きだし、さっきのペースに比べればかなりゆっくりと食べ始めた。
 寿司の流れも、まあこれなら大丈夫だろうというぐらいには復活し、俺はとりあえずほっとした。
 ふう。まったくこいつは、ハルヒとは違った意味で目が離せないよな。

 しかし、ほっとしたのも束の間、長門の周りに城砦のように聳え立っていく皿の壁を眺めながら、俺はまた別の心配をしなければならないことを悟った。席に座ってから、たった数十分でこれだけ食べてるんだ……。あんまりやり過ぎると店から追い出されるんじゃないか……。

 そう思いながら、長門の一心不乱に寿司を平らげていく姿を見ていると、ある違和感に気付く。
 長門の動きが、なんだか不自然だ。いや、規則的と言った方がいいか? だからこその違和感……。
 思いついたことを確認する為に、しばらく秒数を計りながら長門の動きを観察する。


 やっぱりだ。こいつはぴったり10秒に1回の間隔で皿を取っている。

「おい。長門、ひょっとしてお前…………」

「ベルトコンベアの流れは1秒当たり8cm進むようになっている。つまりおおよそ1秒で1皿流れている。わたし以外のお客に充分行き渡るようにしつつ、わたしの食欲を最大限に満たすには、10秒に1回お寿司を取るのが最適であると判断した」

「…………」

 今度は俺が沈黙する番だった……。
 んー。こいつに分かるように説明するには、どうすればいいかな……。

「あのさ、長門。そんな風に数字で考えるんじゃなくて、例えば、お前の一番好きな物から食べていくってのはどうだ? そうすれば、自然と食べるペースも適度なものになるし。そんな風に機械的に食べてたっておいしくないだろ?」

 そう言われた長門は、再び俺の顔に視線を固定する。
 長い沈黙。
 なんだ……怒らせちまったかな? そんな変なこと言ったっけ?

 長門がもたらす独特な沈黙に耐えられなくなりそうになった時、長門はスタッと椅子から降りると、顔を俺に近づけてくる。

 そして…………。

 カプっと、俺の唇にかぶりついた。

 唖然として何も言えない俺に、

「好きな者から食べてみた」

 長門は平然とそんなことを言ってのけた。

 完全に思考が停止し、何が起こったのか全く理解できない。

 長門は、椅子に座りなおし寿司を食べようとしたのだろうが、何かを思いついたのか、ゆっくりとこちらを向いて、こう言った。

「あなたも……おかわり自由?」