『SS』嘘はないけど誠になってしまった話

それはかつてないほど梅雨明け宣言が長引き、果てしなく地平線の彼方にまで臨める黒雲がようやく立ち去って間もない日のことだった。
 男子トイレに張られている「水は大切に使いましょう」の注意書きを思わずはがしてゴミ箱につっこんでやりたくなるような、水不足の地域の人々だって二週間は節水せずともなに不自由なく暮らせるくらいの雨量を誇った最近の天気に、少なからず俺は不満を抱いていた。それというのも、抜いても抜いても生えてくる雑草のようにいつまでも消えない不満の種が立派に開花したからであり、それならば仕方がない、俺はどうにか枯れて次の種をどこにばらまくのか見当をつけることくらいしかできないからだ。
 言わずもがな、その比喩の対象というのは涼宮ハルヒなるクラスメイトの女子高校生である。
 ハルヒの言い分はこうだ。
「ねぇ、梅雨っていっそ無くなればいいと思わない? 毎年毎年洗濯物の乾く暇なんかなし、近所のちびっ子達だって外で遊べないって唇尖らせてたわ。一体なにが嬉しくてあんなに馬鹿の一つ覚えみたく雨降らせるのかしら」
 ハルヒの不服は分からなくもなかったが、それでは雨しか生活水の源がない場所に住んでいる住民の人達はどうなるんだ。と、前に国木田に反論されたことをそのまま言ってやる。
 ハルヒはじと目で俺を見やると、
「そんなのそこだけ降らせればいいだけじゃない。なにも日本全体が水枯渇してるわけじゃないんだから。一つのためだけに十を犠牲にするのはよくないわ」
 まあ、そうだな。しかし、俺たちが生まれ育ってきたこの国では誕生日におめでとうと言う習慣などといったものよりもこの時期に雨が降るのは常になっているんだ。自然は人間に干渉できるもんではないし、それならてるてる坊主を作って天に願うより家にこもって宿題でもしている方がよっぽど賢明ってもんだよ。
「それをあんたが言うの?」
 ものの例えだ。
「あーあ、せっかく野球の練習試合約束してたのに。どうしてくれるのよ」
 俺はそのとき初めて梅雨に感謝したが、それももう随分と前のことである。
 ここ数日ようやく晴れ間がさしてきて、太陽のような笑顔の持ち主ハルヒの機嫌が元通りになったかと言われると、ねじ曲げられた針金を元に戻しても跡が残ってしまうように不機嫌のままであった。
「だって、計画がオジャンになったんだもん」
 どうやら相手チームに勝ったら賞品をもらう約束をしていたらしく、それまで嬉々として待っていたのだが、生憎例年にはない長雨が降り注いだせいで中止の電話がかかってきたとのことだった。
 お気の毒にとしか言えなかった俺は、内心でわだかまりを取り除けずにいた。なんせハルヒアヒル口なのだ。その行為が問題というわけじゃないぞ。ただ、こういう気分の時には少なからずあいつの強制出勤命令が発令されているのではないかと憂いているのさ。
 掃除当番のハルヒを置いて向かった部室には、微笑みくんと読書人形のペアが既に来ていた。
「朝比奈さんはまだか」
「そのようですね」
 律儀に反応を返した古泉に視線を向ける。てっきり今頃は薄気味悪いあの空間にいるものと予想していたのだが、これでは口で言うほど梅雨もハルヒから反感を買っているわけではないらしい。
 ほっとしたようなそうでもないような気持ちのまま俺が近くのパイプ椅子を引き寄せて腰を下ろすと、待ちかねたように口を開いた。
「閉鎖空間は発生していないとお思いですか?」
 それでは発生しているようなものの言い方だな。
「発生していますよ。今現在もね。ですので一言伝言をしてから出向こうと思いまして、ここにいるんです」
 長門にでも伝えとけば良かったものを。長門を言われたことも伝えられないような木偶の坊だと思っているのか。
「いえ、そうではないんです」
 じゃあなんだ。さっさと行ってこい。
「局地的な天候の情報改変が行われている」
 いつまでも言い淀む古泉の代わりに、長門が口を開く。
「なんだそれは」
四国地方で観測データ史上初の集中豪雨が記録されている」
「つまりですね、」
 時計を気にした古泉が話を繋ぐ。
「ここのところ涼宮さんが雨を気にしていた理由、お分かりですよね」
 そりゃあまあな。これでもハルヒとクラスメイトなわけだし、ストレスのはけ口になってやってるからな。許容量はそこまで多くないが。
「そこであなたはこう言いましたよね、雨が降らなかったら困る地域があると。ですから涼宮さんはそこにだけ雨が降るようにしたんですよ。今後梅雨が来なくてもいいように何年分もの降水量でもって」
 アホか。いくらなんでも短絡的すぎるぞ。それは本当にハルヒが関係しているのか、まさかお前らの勘違いってわけじゃないだろうな。確認も取れてないのにそんな突飛なこと言われても困り果てるだけなのだが。
「確認なら取れています。閉鎖空間の発生時期と一致していますし、なにより長門さんもそう言っています」
「そうなのか長門?」
「そう」
 長門と古泉が俺をかつぐとも思えん。古泉があるとしても、長門は嘘などつかない。それなら、やはりこんな馬鹿げたガキのようなことをしでかしたのか、あいつは。どうにも納得出来んが、エキスパートのこいつらが言うんだからそうなんだろう。
 顔の筋肉が強ばっていくのが分かる。ついでに溜息も出てくる。今から帰ろうったって無理なんだろうな。
「くれぐれも刺激するようなことは言わないでくださいよ。これ以上の被害はさすがに我々でもカバーしきれなくなるのでね」
 古泉の携帯ががなりたてたのを合図に、奴は飛び出していった。頼みましたよと全部を俺に押しつけて。俺はもう一度溜息をつくと、今度はなんでもないような様子の長門に視線を合わせた。しかし長門の視線は手元の書物に釘付けであり、その書物が気象関係のものだと言うところを見ると、曲がりなりにも解決法を探し出そうとしているのだろうか。
 そんなはずもないか、と嘆息して晴れ晴れな青空へと焦点を結んだ。
 廊下から響いてくる雨のような冷たい音がなんともミスマッチだな。
「みんないる? みくるちゃんは連れてきたんだけど」
「古泉がバイトで休みだと」
「あっそ。さ、早く入っちゃってみくるちゃん」
「あ、はい。みなさん遅れてすみません」
 さっきから無表情なハルヒは朝比奈さんを半ば強引に部室へと引き入れたかと思うと、「邪魔」と言って俺を部室の外へと追い立てた。予想以上にイライラしている。
「古泉活躍してるかもな……」
 していてもちっとも嬉しくないのだが、それはそれで悪い気もする。俺が一部の人々が乾きに耐えられなくなるなどとほざいたから、今のような事態になっているのだから。まあ、言わなくとも閉鎖空間自体は発生しているだろうがな。
 運動部がトレーニングに励んでいる風景を目の肥やしにしながら、俺はなんと天気記号で言う黒丸のありがたみを伝えるべきか考えていた。のだが、いつまでたっても降り注ぐ雫の良さなど見つかるはずもなかった。なにせ俺だって雨を鬱陶しいと思うクチだ。それならハルヒに同調した方が幾分マシだし、俺の心情にも反していないしな。まったく面倒なことこの上ない。なにを好んでお天道様を蔑まさなければいけないのだ。
 衣擦れの音が途絶えたのを合図に、俺は部室へと再び戻った。そこには万物がどうでもよくなってくる美しさを湛えた我が団唯一のメイドさんが佇んでいるわけだが、今日はそれにうつつを抜かす暇もない。懸案事項を手っ取り早く済ませたかった俺は、早々にハルヒに話しかけた。
「なあハルヒ、ちょっといいか?」
 返ってきた声はいかにもなトーンの落ちたもので、
「なによ。別にあんたと話すことなんてなにもないわよ」
「まあそう言うな。ええっとなあ……晴れってのはいいもんだよな」
「当たり前でしょ。雨が降らなきゃならない場所はもうずっと降ってりゃいいのよ。その分晴れはあたしたちで満喫したらいいんだから」
 やばい、これでは悪化の一途を辿るだけだ。
「…………」
 長門、そんな目で見るな。今度はうまくやるさ。
「そうだな、例え話をしようか」
「なんのよ」
「俺がお前に薔薇をあげるとする。それも一日一本だ。一週間で七本。一ヶ月で三十本にもなるぞ。お前はそれを迷惑だとは思わないか?」
キョンがあたしに薔薇を? なんでそうなるのよ」
 俺の話を鵜呑みにしてくれればいいものを、こいつはいらんところまで詮索しやがる。
「そりゃあ、それ相応の理由があるからだろうよ。異性になんの理由もなしに薔薇など俺はあげんぞ」
 お前がそのけったいな能力を行使などしなければ、誰がやるものか。ただでさえ財政が圧迫されている昨今であるのに。
「え、それってつまり……」
「よし、その黙ったまま聞け。いいか? もういっちょ例え話だ」
 こくこくとハルヒが首を振る。
「俺がその薔薇と共に、いくらキザな営利目的主義のホストでも言わないようなクサい台詞をお前に言うとする。ああ、ハルヒ。お前はなんて美しいんだ。この世の誰よりもお前は輝き、俺という矮小な存在を自覚させる。それでも俺はお前が好きだ。誰よりも、愛している。いや愛してしまった」
 うわっ。自分で言ってて気持ち悪くなってきたぞ。こんなこと言ったら誰でも嘔吐必死だ。
「……というようにだな。つまりはなんでも過剰はよくないんだよ。薔薇だって貰えば嬉しいかもしれないが本数が多いと迷惑だ。褒め言葉にしろ、多大にしすぎると逆に疑念を持つ羽目になる。大は小を兼ねると言うが、それは森羅万象に当てはまるわけではないのだ。いいか、ここからが大切だぞ? 雨の日があるからこそ晴れの日が栄え、晴れの日があるからこそ雨がありがたい。お前も雨がいやだなんて言わずにだ――ッ!」
キョン!」
 言い終える前にハルヒが抱きついてきた。なんだなんだ。いきなりどうした。アメフトの練習でもする気か。
「あたしもキョンのこと大好き! あんたから告白してくれるなんて思ってもみなかったわ。今まで隠しててごめん。好きよ、キョン
 は――? 思わず目を疑ってしまった。なにを言ってるんだこいつは。俺が好き、だと? まさかハルヒそっくりの宇宙人か。いやいや、それなら長門が何らかの形で俺に伝えているだろう。ということはどうだ、このベタベタと引っ付くハルヒは紛れもなく俺の知る涼宮ハルヒその人だというのか。
「あり得ん」
 そうだ、未来人が変身スーツを着てハルヒに化け、俺をどうにかしようとしているかもしれない。俺の価値は他の四人に比べてそこまで高くないと自負しているが、しかしなにかしら思惑合っての行動かもしれない。
 俺は危機感を抱き、朝比奈さんを仰ぎ見た。
 そこに浮かんでいたのは天使のような微笑みで、
「おめでとうございます。キョンくん、涼宮さん」
「お幸せに」
 は、え、あの?
「うん、ありがとう二人とも! あたし達これ以上ないってくらいラブラブになるから」
 いや、マジで頭沸いてるんじゃないかと思ったね。こいつの頭を開いて調べてみたいと思ったことはあるが、今はまったく別目的で鈍器で殴った方がいいとさえ思ったほどだ。
キョン? どうしたのよ、なんかあんまり嬉しそうじゃないけど。もしかして、あれは冗談だったとかそういうんじゃないわよね……?」
 その瞬間、俺の携帯に着信があった。少しだけ胸元のハルヒに失礼して、携帯に耳をあてる。
「もしもし」
『古泉です。単刀直入に言いますがどうしたのでしょうか。一度閉鎖空間が消え去ったと同時に世界も一時的に平静を取り戻したのですが、たった今またも閉鎖空間が大量発生しました。もしなにか心当たりがあるのなら今すぐ改善して下さい。おっと、もうそろそろ仲間が救援を要しているのでこれで』
 一方的に言って切れてしまった。
「ねえ、キョン。やっぱりあれは嘘だったの? それだったらあたし……」
「あー、実はな」
 次の俺の一言で、世界が生まれ変わるような感覚を得た。
「今の電話、古泉もおめでとうだとさ。これから一緒に幸せになろうなハルヒ
「え、うそ、古泉くんも? ううっ、こんなにいい団員に恵まれてあたし幸せだわ」
「これからも仲良くですよ、涼宮さん」
「頑張って」
「これから一杯二人の思い出を作っていこうなハルヒ
 ハルヒは涙を流しながら頷いた。
「うんっ!」

「こんなはずじゃなかったのに……」

改めてzaxasさん、ありがとうございました!!