『SS』ちいさながと

新緑も眩しい五月晴れのある日のことだ。その日もテレビでは例年に無い猛暑だと毎年恒例のようにお題目を繰り返していた。思うんだが、こいつらの言ってる例年とやらは一体いつの事なんだ?
まあ言ってる事だけは例年並みだ。言ってる天気予報の美人なお姉さんが毎年入れ替わってるだけでな。
とにかくまだ梅雨さえ迎えていないのに、季節だけは夏を先取りしやがった格好なんだよ。まったく、鬱陶しい事この上ない。
などと俺がテレビの向こう側で笑顔を振りまいている罪の無いお姉さんに悪態の一つも吐きたくなるのにだって、ちゃんとした理由があるんだぜ?
「もうすぐ煮立つ。」
そうかい。
などと言ってる間に鍋の中から大量の泡が浮き立ち、濛々と熱気が立ち込めている。すぐ傍でそれを見ている俺にもダイレクトに熱気が伝わってくる。
あー、あちい。
「火を止めて。」
あいよ。
「ザルを用意。」
ははあ。
「では鍋を持って。」
やっぱりか。
「一気に流す。」
うおぅ、湯気が! 湯気で前が見えん!!
「ザルからこぼさないで。」
いや、分かってるんだがかなり熱いんだって! 大体この鍋なんで持ち手までステンレスなんだよ! こうプラスチックのカバーとかだな、
「鍋を軽く水洗いしたら、それを鍋に戻して。」
あ、お前、人の話をだな、
「早く、鍋に水を張って。」
…………かしこまりましたよ。俺は鍋に水を張った。
「もっとたっぷりと。」
あのなあ、お前は俺の肩の上から指示してるだけかもしれんが、これ結構重いんだぞ?
「お願い。」
分かった分かった、だからそんな目で俺を見るなよ。
とにかく俺はこの暑い中で熱い湯を流してはまた水を張って煮立たせる作業に従事してるわけなんだよ。
「………………沸騰まで約7分。」
この通常サイズ12分の1の宇宙人にして、俺の恋人たる長門有希の命ずるままにな。
「なあ有希、もういいんじゃないか? これで3回目だぞ?」
大体台所なんかエアコンが効いてる訳でもないし、それでなくても猛暑に加えて熱気立ち込める鍋の中の湯を流しにぶちまける作業を2回も繰り返したんだ。俺の全身はもう汗でびっしょりなんだ、頼むからせめてお湯が沸くまでリビングに避難させてもらえないか?
「…………あと1回。」
マジかよ。
「ただし沸騰までリビングに行く事は私も推奨する。」
そうか。



とりあえずリビングに避難した俺はまずエアコンのスイッチを入れようとする。
「待って。」
なんだ? まさかここから台所へリターンなんてのはごめんだぞ?!
「まずは汗を拭かないと風邪をひく。」
そうだな。
ということでタオルで汗を拭きながら俺は何故こんな事をするはめになってしまったのか、ぼんやりと思い出すことにした。
俺が垂らしたタオルの端で同じ様に汗を拭いている有希の真意も分からないままだしな。




………………きっかけは多分、昨日街中で見かけたカップルだったんじゃないかと思う。そいつらは何ともご大層に、上下とも同じデザインの洋服に身を固めていたのである。
つまり一般的にはこういうのをペアルックというんだろうな。しかし絶滅危惧種と思われたまったく同じシャツを着た若い男女を見るとは俺も不思議探しのコツというものが掴めつつあるのかもしれない。
まあ俺と有希も世間的にはカップルと呼ばれるものに属するとは思うのだが、あいにくと同じ柄のシャツなどという気恥ずかしい衣装は所有していない。
なによりまったく同じデザインの服などあるわけもないか。第一サイズというものが有希の今の状態であるはずもない。
「洋服の再構成なら可能。」
やめてくれ、例えお前が他の誰にも見られないとしても俺は恥ずかしさで悶え死ぬぞ。
「……………そう。」
しまった、どうやら言い過ぎたかもしれん。有希はそのまま俯いてしまったのだから。
「あー、有希はああいうのに興味があったりするのか?」
「少々。」
いかん、この反応はかなり興味があったに違いない。俺は慌ててフォローに入らねばならなかった。
「そうだ、それならペアのカップとかどうだ? あれなら部屋で使えるし。」
「先日湯飲みを作った。」
そうだった。ついこの間、有希は自分用の湯飲みを再構成したのだった。これは人形用の小物に和風の湯飲みが無かった事が原因である。
「ならアクセサリーとか、」
涼宮ハルヒは100%の確率で発見する。」
そうか、あいつなら大いに可能性があるだろう。そして痛くも無い腹を探られるに違いない。
「しかしハルヒの奴、俺がなにかアクセサリーでも付けた所で何も変わりはしないだろうに。」
「………………あなたは……………そのままでいて。」
ああ、なにかため息のようなものを吐かれた気もするがお前の言うとおりにするよ。
「同じ理由で携帯ストラップなどの小物も不可。」
なんという事だ、俺の自由とはここまで束縛されていたのか。俺は正真正銘のため息を盛大に吐いた。
「しかしなあ、それはそれで寂しいものがあるな。有希、ごめんな。」
「いい、私に名案がある。」
なんという事だ、俺の杞憂をよそに有希はここまで考えていたのか。俺は正真正銘の感嘆の声を盛大に上げた。
「ということで付き合って。」
どういうことか分からんが付き合おう。



………………そして本当にどういうことか分からんままに買い物をして、どういうことか分からんままに家族が留守にしている家へと帰り、どういうことか分からんままに鍋を火にかけて現在に至るという次第だ。



「煮立った。」
そうか。俺はようやく涼しくなりかけてきたリビングに後ろ髪を強く引かれながらも、有希を肩に乗せて灼熱の台所へと戻っていったのだった。
「ふう、これで最後だよな?」
「そう。これで水を張って、再度煮立たせたら弱火にして。」
また煮るのか。あれから2度の下茹でを繰り返したヤツは、今また煮立たされる為に水を被っている。
「ここからが勝負。」
そう力強く宣言した有希は自分の身長の倍はありそうな菜箸をまるで槍のように持っている。おお、勇ましき戦女神の誕生である。
「あなたはその間にこれを。」
そう言った有希に渡されたものを俺はオーブンにかける。
「スタートのタイミングは私が出す。」
頼むぞ、お前の正確無比なタイミングに俺も答えてみせるぜ。
「期待している。」
任せとけ。




それからはまさに有希の一人舞台だった。
鍋の中でコトコトと踊りだしそうなヤツを巧みな火加減でコントロールしながら、菜箸といつの間にか取り出したお玉を器用に持ち替えながら、ある時は掬い、またある時は突き刺す。
「水を。」
ヤツが飛び出そうとしようものなら、容赦なく水を足す戦女神。
戦闘は1時間の長きものとなった。
そしてついに、
「これで完了。」
菜箸をヤツに突き立てた有希に微笑みのようなものが浮かんで見えたのは、きっと俺の気のせいではないはずだ。
「しかしまだ油断は出来ない。ここからは私の能力を全て使う。」
有希が本気だ。俺はその姿に神々しさすら感じた。
ヤツは煮られ続けた茹で汁から開放され、そこに有希が正確に計測し、なおかつヒューマノイドインターフェースが持つファジー機能、まあ勘だな、をフルに発揮させた数々のアイテムを放り込まれる。
ラニュー糖。
塩。
そのまま鍋に蓋をして、弱火で10分。
茹で汁を戻して、さらに20分。
「ここ。」
有希の指令に俺の指がオーブンのスイッチを入れる。
そして…………………









「完成。」
俺がオーブンで焼いた餅を有希が味付けして煮込んだ小豆の中に入れたものが今、俺達の目の前にある。もちろん栗の甘露煮を入れるのも忘れていない。
「有希…………これは………………?」
そうだ、俺の記憶に間違いなければこれは紛れもなく、
「善哉。」
だよな。俺と有希が長時間かけて作り上げたものは間違いようもないほどのぜんざいだったのだ。
ちなみに関東の方では汁がなく、小豆をかけたものもぜんざいと呼ぶようだがそんなもんは知らん。
ついでに言えば、つぶあんだからこそのぜんざいであり、こしあんのものは「こしあんのぜんざい」もしくは汁粉である。それが俺の常識だから文句は受け付けない。
「私の自信作。」
ああ、確かに上手そうだ。しかしだな?
「なあ、なんでぜんざいなんだ?」
ペアルックのバカップルを見てから何故ぜんざいに結びつくのか俺にはさっぱり理解が出来ないのだが。
「これは私とあなたが二人で作った善哉。」
そうだな。お前が小さくなってるからというのもあるが、これは二人で作ったぜんざいだ。
「初めての共同作業。」
あ、なんとなく言いたい事が分かってしまった。
「これは正に夫婦善哉。」
ダジャレかよ!!
その一言のためにここまでやったのか俺達は………………なんだろう、この脱力感。
「私は楽しかった。」
ははは、そうかよ。実は俺もなんだ。
それから俺達は仲良くぜんざいを食べたのだが、生憎とお碗は一つだった。
夫婦善哉は二つのお碗じゃなかったっけ?
「それでは寂しいから。」
な? これで本当の夫婦善哉ってわけなのさ。

追記

このためだけにぜんざいのレシピをググッて探したんだが、なかなか奥が深いぜ。