『SS』キョン……、の消失 27

あたしが目を覚ますと、そこは見慣れない風景だった。
無機質で白い天井に蛍光灯の光だけが眩しい。ここは……………?
「ああよかった、気が付いたのです。」
そう言って橘は林檎の皮むきをしていた手を止めた。どうして橘があたしの寝てる横にいるんだ?
「ここは『組織』の管理する病院の一つです、私が手配しておきました。」
そうか、あたしはあの時エンターキーを押して………………
「急にキョンさんが倒れたので、みんな驚きました。でも長門さんが私に病院へ連れて行くように指示してくれて。」
長門が? 九曜はどうしたんだ?
「はい、九曜さんもキョンさんとほぼ同時に倒れてしまったのです。まるでパソコンの画面に吸い込まれるようでしたよ、私たちは何もできなくて………」
なるほど、九曜もあの世界に行ったからそうなるのね。それじゃあ橘のこの悔しそうな表情も納得するしかないわ。
キョンさんは長門さんが、九曜さんは藤原さんが運びました。あの二人は………何か知っているかのようでしたけど。」
長門は全て分かっていただろうが藤原さんも多分規定事項として知っていたんじゃないかと今なら思う。だから九曜を見ていたんだと。
「そうなのですか?! それなら何故私たちに内緒だったんですか!!」
橘としてもそう言わざるを得ないだろう、佐々木以外のメンバーで事情を知らなかったのはこいつだけだったということになるんだから。
「別にお前を無視してた訳じゃない、この規定事項は曖昧な部分を多く含むデリケートなものだったので僕にも禁則事項が多かっただけだ。」
そう言いながら病室に入ってきたのは藤原さんだった。心なしか焦燥感が滲んでいる、この人も色々問題を抱えながらあたし達を見守る事しかできなかったんだ。
藤原さんはパイプ椅子を取り出して橘の隣に座り、
「九曜なら無事だ。外傷、内臓共に問題は無い。今はまだ眠っているがな。」
そうですか、それなら安心です。
「…………これは規定事項ではない。ただ僕がお前なら九曜の安否をまず確認するだろうと思っただけだからな。」
ありがとうございます、先輩。
「む、こんな時だけ後輩面か。まったく、お前も都合のいい。」
ははは、あたしもそう思います。だから橘、お前も藤原さんを許してやってくれ。あたしからのお願いだから。
「むー、ずるいですキョンさん………それに九曜さんも無事なのだったら私がこいつに何も言えないのです…………」
橘は顔を俯かせて林檎の皮むきに集中するふりをする。それがこいつの藤原さんに対する精一杯の感謝の表れなのかもね。
「ふん、これで僕の知る今回の規定事項は全てクリアされた。結局、僕の言ったとおりだっただろう?」
そうなるのか、結局あたしはここに帰ることが出来たんだし。
「そうですね。」
と言うしかないわけだ。それを聞いた藤原さんの得意そうな顔と呆れ気味の橘の顔を見て、やっとあたしも帰ってきたことを自覚できた。
九曜については……………あいつもあいつなりにこの世界に愛着を持っていた。それだけだったんだと思うことにしよう、きっともう一人の九曜の影響もあったに違いないし。
「失礼します。」
丁寧なノックの後に古泉と長門が入ってきた。
「ノックはいいが返事を聞かないで入ってこないでよ。」
「すみません、話し声が聞こえたので。それに長門さんが貴女にお話があるようでしたから。」
そう言う古泉の背後には無言の長門。チラッと藤原さんと橘を眺めたのは人払いの催促だろうか。
「すまん、橘、藤原さん。」
「分かってる、何かあったらすぐに呼べよ。」
「え? え? あ、あの私まだ林檎が………………」
藤原さんに引かれるように橘が病室を出ると、
「さて、私は長門さんからある程度のお話を聞いたので同席させていただいてよろしいでしょうか?」
「構わない。私は事後の処理を任されたのみだから。」
長門はそう言って橘が座った。隣には古泉。
「私からの質問は一つだけ。」
なんだ? お前の質問ならなんでも答えてやるわよ。
「あなたは何故エンターキーを?」
ああ、それか。
「あなたはあの選択を選ぶことで世界を崩壊させる可能性があった。周防九曜もそれを恐れた。それなのに何故に?」
どうも長門はどこに行っても、どんなとこでも長門だな。それだからあたしも真剣に答えなきゃいけない。
あたしは言葉を思いつくままに話し出した。
「そうね、簡単に言うとそうしなきゃいけない気がしただけかな。でもあたしはあっちの長門の作った世界のことを知っている。それからどうやって帰ったかも。」
長門は黙って聞いている。
「だからあたしはあいつから選択肢を任された時に決めてた。あいつならこうすると思ったから。あたしはあたしの選んだ事を後悔だけはしたくないもの。」
エンターキーはここにあったんだからそれを押すのはあたしの役目なのよ。
「あいつはあいつなりにこの世界を楽しんでくれてた、それはあたしが一番よく分かってる。」
佐々木、橘、九曜、藤原さん、あいつの目にはどう写ってたのかしらね。
「それならこの世界は必ず守られる。あたしはこの世界の佐々木の力を信じてる、いや信じたかったから。」
佐々木が望まない結末は少なくともこの世界では起こらないはずなんだって。
「それだけよ。」
そう、あたしはあたしの信じた世界を信じてる。これがあたしの選んだ選択。
「それだけでは根拠に乏しい。」
おいおい長門、根拠ってのはね、
「だってあっちのあんたがこの世界とあの世界が違うって言ったのよ? あたしとあいつはそれを信じただけなんだけど。」
「……………そうか。」
長門は小さく呟いた。その口元がほんの1ナノくらい上がったのを見逃すあたしじゃないわよ?
「せっかく知り合ったんだから、これからもよろしくね。」
「了解。」
「おやおや、私は蚊帳の外ですか? それは少々寂しいですね。」
あー、もう、分かってるわよ。あんたとももしかしたら長い付き合いにならざるを得ないのかと思うと憂鬱になってくるわよ。
「私はSOS団で数少ない同性の友人が出来たことを心から喜びたいですけどね。」
それならその作ったような笑顔はやめなさい。いや、それもお前らしいと言っていいのかね?
「ふふ、私ももうどちらが本当の自分か分かりませんし、それはそれで構わないとも思えてきていますよ。」
はいはい、もうお前はそれでいいわよ。
「話は終わったか? 貴様らもいい加減病人に負担をかけるな。」
「そうです! ここは私たちがキョンさんを看病しますからとっとと帰るのです!!」
やれやれ、こいつらも堪え性がないわね。
「いえいえ、こちらとしては『機関』の病院の方へご招待できずに痛恨の極みなのですが。」
「…………私がここにいる。」
お前らも火に油を注ぐなよ。
「むっ? それは僕達に対する宣戦布告と取っていいのか?!」
「あー! 私が剥いた林檎! それはキョンさんのですよ!!」
いつの間に林檎を食べてたんだ長門。そのまま妙なにらみ合いの四人。あのなあ、ここに倒れた人間がいるの忘れてないか?


それ以上の油がここに迫ってきていたのが、あたしにも他の面々にもすぐ分かってしまったんだがね。
「だーかーらー!! 団員の心配をする団長ってのの何が悪いんだっての!!」
キョンがそれを本当に望んでいるのか分からないと言っているのよ。それに女性の病室に男性が堂々と入り込むのは感心出来ないからね。」
「はひゃあ〜、お、お二人ともそのへんで…………」
あぁ、朝比奈さん申し訳ありません。あなたがその二人に対して精一杯の努力をしているのが痛いほど伝わります。
「よう! 目が覚めてるようだな!! さーて、あのパソコンについてじっくり白状してもらうぜ!!」
「大丈夫かい、キョン? すまない、北校での説明に手間取ってしまって。」
太陽のような灼熱の笑顔と月光のような涼やかな微笑み。佐々木とハルヒコがあたしの目の前にある。
「ごめんな二人とも。なーに、すぐに退院するからちょっと待っててくれない?」
それを聞いた二人のキョトンとした顔。なあ、やっぱお前らどっか似てるわよ。
「お、おう! ただ医者にはキッチリ診てもらえよ!!」
「そうだキョン。君を信じないわけでも無いが、生兵法は怪我の元ともいうからね?」
佐々木、それは使い方間違ってない? ハルヒコもそんなに心配するな、あたしは大丈夫だから。
「それなら俺達SOS団がキョンの歓迎&退院祝いをパーッ!と開いてやるぜ!! みつる! 有希! 古泉! 行くぞ!! そうだ、ついでだから鶴屋さんとか呼んじまうか?!」
「は、はーい!」
「了解。」
「かしこまりました。」
やっぱりSOS団はこうじゃないとね。あたしはその姿が見れるだけでも楽しくなってくるんだ。
すると今まさに病室を出ようとしたハルヒコが急に回れ右をしたかと思うと、
「ついでだ、お前らも手伝えよ。これはキョンのSOS団光陽園支部長就任祝いでもあるんだからな!!」
さすがはハルヒコだ、とんでもない事を簡単に言い出すんだから。
「なっ?! なんで私たちが!」
「ふん、貴様らと馴れ合うつもりは無い。」
「くっくっく、いきなり大胆な発言だね。呉越同舟という訳かい?」
「ぼ、僕は別にどちらでも……………」
「これはこれは。この様な形で親睦を深めるのは吝かではありませんがね。」
「………………」
あーもう、うるさいッ!! とにかく全員でやるんならやりなさい!!
「やっぱキョンは分かってんな!」
「まあ元々君が縁の付き合いだからね。」
この二人がそう言ったんだ、
「うー、佐々木さんがそう言うなら…………」
「涼宮さんの仰せのままに。」
「ふう、これも決められた事なのかと納得するしかないのか。」
「よ、よろしくお願いしますぅ〜」
「………………」
こうなるに決まってるんだよね。
「――――――私も―――――」
九曜?! いつから居たんだよ?
「つい先程―――――――あなたに謝罪を――――」
もういいのよ、それよりお前も一緒に行くのか?
九曜は1ミリ頷いた。そうよ、それでいいんだって。あたしは九曜の頭を軽く撫でてやった。
「そういうことだ、主賓は主賓らしく畏まって来いよな!!」
「ああ、僕も久しぶりに料理の腕を振舞わせてもらうことにするよ。楽しみにしといて欲しいな。」
そんな二人を先頭に、あたしの歓迎会とやらの企画を実行するべく全員が病室を出て行く。よく入ってたな、この部屋。
最後に橘が、
「ではお医者さんをお呼びしますので、キョンさんは休んでください。」
と言って部屋を出ようとする。その前に一礼して、
「佐々木さんの内面世界が落ち着いてきました。やっぱりキョンさんは凄いのです、ありがとうございました!!」
などという言葉を残して。
そして静かになった病室で、あたしは一人ニヤついていたりする。
ちょっとだけ賑やかになっちゃったけど、あたしは何だかんだ言ってこの世界が楽しいのよね。だから………………
「せいぜい楽しみなさいよね、キョン。」
もう一人の自分の笑顔なんかぼんやり想像しながら、あたしは退院のためのお医者さんを待っていたりするのだった。





ああ、それと佐々木の料理だけは勘弁してほしいな。あれだけの万能選手が何故あんなに味覚オンチなのか神様さえ分からないだろうし、ね?