『SS』キョン……、の消失 26

俺が次に目を開けた時には真っ白い天井が見えていた。ふう、これで二度目かこの天井を見上げるのは。
ということは俺が寝ているベッドの横には、
「やあ、お目覚めですか。」
えせスマイルの超能力者が居やがる訳なんだ。何故これが俺の天使じゃないのか神様に掛け合いたい、といってもあいつには言っても無駄だし恨み節しか出てこないがな。
とにかく確認しなけりゃならんことはこの解説好きならあっさりと答えてくれるだろう。
「おい、俺は何日寝てた?」
「おやおや、第一声がそれですか? そうですね、今回は何日も経ってはいません。長門さん風に言えば4時間と23分といったところでしょうか。」
甘いな、長門なら秒単位で正確に答えてくれるぞ。
「そうかもしれませんね。」
林檎の皮を剥いていた古泉が、
「お一ついかがです?」
と差し向けてきた皿に盛られた林檎を断り、話を進めさせる。
「俺はどうなったんだ?」
「ああ、ご自分ではお気づきになりませんでしたか? 貴方は体育の時間に頭部にソフトボールの直撃を受け、救急車でここまで運ばれたのですよ。」
ここでの俺は余程間抜けに設定されてるのかね、しかし体育でソフトボールをやってた記憶すらないんだが。
「恐らく記憶が混同しているのでしょう、僕が窓の外から校庭を眺めていた時には確かに貴方はバッターボックスに立っていましたから。」
そうか、段々思い出してきたぞ。確かに5時間目が体育で、俺は嫌々ながらソフトボールに参加していたのだった。
それで相手のピッチャーが球を投げて、ハルヒの大声が聞こえて………
「思い出しましたか。それで偶然それを見ていた僕が『機関』の息のかかったこの病院へと誘導したというわけです。」
なるほど、しかし数時間とは天蓋領域とやらは長門たちよりも優秀なのか?
「それは違う。あれは私個体の能力と違い、天蓋領域全体の力。自ずと規模が違いすぎる。」
うわっ! いたのか長門。というか林檎を食うな。
「大体のお話は長門さんから聞きました。いや、この病院に運んで正解でしたよ。」
そうだな、そこは感謝したほうがいいだろう。
「あなたの意識は頭部に衝撃を受けた際に天蓋領域の支配下に置かれ、別次元の同位体の精神深部に保存、封印されていた。」
それがあの女の子か。
「そう。この世界とは違い、あなたは私たちとはなにも接点を持たずに佐々木、と呼ばれる女性と親密に接している世界を天蓋領域が検索し、そこにいる周防九曜と現次元にいる周防九曜を同位させて観測するという実験に着手した。」
つまりあの世界は誰かに作り出された世界というわけじゃないのか?
1ミリの肯定で長門は答えた、なんとも懐かしく感じてしまうな。
「天蓋領域は生命体ではなく精神体としてのあなたが『鍵』としての能力の保持者ではないかと推測した。」
どういうことだ?
「つまり、あなた自身は平凡な人間ですが精神面などで涼宮さんや佐々木さんをコントロールする能力を隠し持っているのではないかと天蓋領域は考えたのですよ。」
なんだそりゃ、そんな器用なことができたら誰も苦労しないだろう。なによりハルヒや佐々木がコントロールされるようなタマか。
「……………あなたは自覚がありませんからね。」
なにが言いたい?
「いえ、佐々木さんはともかく涼宮さんはあなたの力で現在の平穏が生み出されているのは確かです。」
それは俺があの暴走女の効きもしないブレーキ役をお前らに一身に背負わされてるからだ。それにあいつだってそれなりに経験や学習をしているはずだしな。
「ふう、ではそういうことにしておきましょう。」
他に何か言いたそうな古泉を放っておいて長門に説明の続きを促す。皿の上の林檎を確実に減らしながら長門は話を続けた。
「彼女があなたの精神体を内包されたのがあの世界の時間軸で約5年前。つまり涼宮ハルヒの能力発動と同時期になるように設定された。彼女はあなたの記憶部分と現状との整合を無意識に求め、佐々木と接触した。」
そこにハルヒがいないから必然的に佐々木になったってことか? 長門が頷く。
「佐々木に接触した未来人には中学時代の出来事がなく、必然的に涼宮ハルヒとの接触機会が消失する。また、周防九曜もそのような出来事が発生出来ないように情報を操作した。」
ああ、あの時東中に俺がいなければジョン=スミスが存在しなくなり、ハルヒが北校に行く事もない。従って俺とハルヒは出会うこともないので、自然と佐々木と一緒にいる時間が増えるというわけか。
「概ねそう。これに周防九曜涼宮ハルヒにあなた以外の理由付けで北校へ行くように情報を操作すればあなたとの接点は完全に無くなる。そしてあなたが女性であったために同性との接触時間が増大したことも幸いした。」
そこまで考えての九曜の行動か。それならなんで俺はこの異常事態に気付けたんだ?
「もう一人のあなたが無意識の中のあなたを見つけ出したから。そうでなければ私も分からなかった。」
そうなのか? しかし女の俺はよく気が付いたもんだ。
「恐らく無意識下での行動パターンがあなたをトレースし続けていたため、深層意識内の違和感が蓄積されていたと思われる。中学生時代の3年間はまだしも、高校生となってからの1年間で違和感がピークを迎えたのではないかと推測される。」
あー、佐々木だけならともかく橘や九曜、それにあの藤原とまで一緒に行動してりゃ嫌でもストレスが溜まるってもんだ。
「あなたと彼女は同じであって違う。それに気付けなかった天蓋領域のミス。私と喜緑江美里はそれを察知して対策を練った。」
それがあの図書館や、あっちの世界のSOS団との遭遇か。
「しかし我々と長門さんはほぼ同じ時間を過ごしていたはずです。その間にそれだけのことが出来たとも思えなかったのですが。」
古泉が首を傾げる。そうだろう、この世界ではあまり時間が経っていないらしいしな。
喜緑江美里が生徒会室の時間を凍結し、我々はその中で多次元に交渉するための情報操作に終始していた。」
そう言った長門の言葉に珍しく古泉が目を剥いて驚いた。
「あの短い時間にそのようなことがあったのですか?! たしかに喜緑江美里の出現には我々も驚愕しましたが…………」
どうやら俺が呑気に寝ている間に宇宙的な大仕事があったらしい。
喜緑江美里は現在も作業中。この空間とあちらの空間との完全な遮断にはまだ時間がかかる。」
そうか、どうやらあの先輩にも感謝を忘れちゃいかんようだな。
「別にいい。あなたと天蓋領域との接触を察知できなかった私たちの失態。謝罪すべきは私。」
そう言うな、助けてもらったのは俺だ。すると古泉も、
「そうです、彼が無事だったのは長門さんの力によるところが大きかったのですから。それに我々は察知するどころか傍観者にもなり得なかったのです、正直『機関』からもお叱りを受けそうですよ。」
おい、お前までがなんだよ。
「始めからソフトボールなどの時点であらゆる可能性を考慮するべきだったのです。病院を手配する前にそのような危険を排除すべきでした、すいません。」
謝られるようなことか、そんな過保護なことされても迷惑なだけだぞ。
「しかし、」
もういい、古泉には病院に連れてきてもらったし長門にはこの世界に連れて来てもらった。それで十分だ。
「すいません、ありがとうございます。」
「…………………ありがとう。」
なーに、お前らがそんなに素直に礼を言うところが見れただけでもお釣りがくるさ。
「まったく、あなたらしい。」
お前だってそのインチキスマイルの方がらしいぜ。
「………………私からも質問がある。」
唐突に長門は言うと、古泉にチラッと視線を向けた。古泉もそれと分かったのか、
「では僕は涼宮さんたちを迎えに行きます。多分物凄い勢いでこちらに向かってるでしょうからね、せめて病院内だけでもお静かに願えるよう努力はします。」
多分貴方のようにはいきませんでしょうが、と言って古泉は病室を後にした。
さて、お前の質問ってなんだ? 長門
「あの時………」
あの時?
「時空を越えてあなたと彼女が会った時に何故選択権を彼女に与えたの?」
ああ、あの夢の中か。あいつの夢の中なのか俺の夢の中なのかはっきりしないが。
「あの時彼女は精神的に不安定な状態にあった。自分が自分でないかもしれない、この世界が幻であるかもしれない不安。それはあなたがいることで生まれた不安。それなのに何故?」
長門の黒瞳がまっすぐに俺を捕らえて離さない。ううむ、言葉にしづらいんだが。
それでも長門の質問には俺も真剣に答えるしかない。俺は思い浮かぶままに話した。
「あー、簡単に言っちまえばなんとなくとしか言えんのだが。そうだな、俺は前に誰もハルヒを知らない、お前が作り出した世界からこっちに戻る事を選んだ。それは後悔していない。」
長門は黙って聞いている。
「だからあいつが俺なら俺の後悔しない選択しかしないと思ったんだ。あいつはあの世界を十分に楽しんでいる、あいつの中にいた俺もそれは分かったし、俺も楽しくなかったと言えば嘘になる。」
佐々木、九曜、橘、藤原、みんな俺が知っているあいつらと同じで微妙に違っていた。
「それならあいつはその世界を守るために一番いい方法を取るに決まってる。俺がそうしたように。」
エンターキーがあの世界にあったんだ、それを押すのはあの世界の俺の仕事に決まっている。
「それだけさ。」
そう、それだけの話なんだ。どこにいようが、どんな姿だろうが、俺は俺に出来ることをやるだけなのさ。
「なーに、SOS団雑用よか、支部長の方がいいに決まってんだろうしな。」
そう言って俺は笑った。長門は、
「それで彼女の不安が拭えたとは思えない。」
と言ったが、
「お前も喜緑さんも、あの世界はこの世界と違うって言ってくれたからな。俺もあいつもそれを信じただけの話さ。」
「…………………そう。」
長門は少しだけ俯いた。その口の端が少しだけ、そうだな1ナノくらい上がっているのを俺は見逃さなかったがな。
「あらためて、ただいま長門。」
「おかえりなさい。」
そうさ、俺の居場所はここにある。
無口な宇宙人の女の子、麗しい未来人の女性の先輩、爽やか笑顔のハンサム超能力者がそこには居る。
そして、
「こーの馬鹿キョン!! なにボールが当たったぐらいで気絶なんかしてんのよ!! まったく、SOS団の団員たるもの気合でボールをゴールに叩き込んでやりなさいよね!!!」
おい、それは違うスポーツだろうが。
そんな事を言ってるくせに目の周りが真っ赤な黄色いカチューシャの団長様がドアを蹴破るように飛び込んでくるんだよ。
やれやれ、ここは部室じゃないんだぞ? ドアの修理費は『機関』持ちだろうな、古泉。
まるで見舞いにきたとは思えないほどの仁王立ちのハルヒ
その後ろで涙を瞳に湛えている朝比奈さん。
苦笑いも爽やかな古泉。
林檎を食べ終わってる長門
ははは、やっぱここが一番落ち着いちまう。
「すまん、心配かけたなハルヒ。見舞いありがとな、多分すぐ退院だ。朝比奈さんもわざわざすいません。」
恐らく傷なんかは長門が治してるだろうし。
「い、いえ………キョンくん………無事でよかった…………」
今にも泣きそうな朝比奈さんに比べ、こいつは耳まで真っ赤になると、
「な! な! なによ! 別に心配なんかしてないわよ! それにあんたが勝手に退院なんか言うんじゃなくて、ちゃんとお医者さんに診てもらってからキチンと元気になって、それから………」
心配してないわりには医者に診てもらえってのはなんだよ。大丈夫だ、頭も痛くないし意識もはっきりしてるだろ?
「う、うん。でもちゃんと検査してもらってから退院しなさい! あーあ、あんたの退院祝いを2回もやらなきゃなんないなんて団長使いの荒い平団員だわ!!」
誰も頼んでないがな。でもな?
「ああ、こき使って悪いな。その分楽しみにしといてやるぞ。」
「なッ?! ま、任せなさい! ぜーったいに楽しいパーティにしてみせるんだから!! そうと決まれば鶴屋さんにも連絡しないとね! 行くわよ、みくるちゃん! 有希!」
「は?! ひゃあい!!」
「了解。」
女性陣を引き連れて勢いよく走り出そうとするあいつの太陽のような笑顔を見ちまったからな。
「おやおや、閉鎖空間さえ覚悟していたのに。さすがは貴方だとしか言いようがありませんね。さて、僕も女性陣のお手伝いに参りますか、力仕事の人手は足りないでしょうからね。」
ああ、その方面の担当がここに寝てるからな。
「……………部室でお待ちしてますよ、医者を呼んで手続きをしておきますので。」
頼んだぞ。
そう言った古泉が出て行った後の病室で俺は一人ニヤついている。
何だかんだ言って俺はこの世界が楽しいんだろうね、それなら…………
「せいぜい楽しんでくれよ、キョン。」
もう一人の自分の笑顔をぼんやりと想像しながら、俺は退院のための医者を待っているのだった。







ああ、それとハルヒの料理もな。結構楽しみにしてるんだぜ?