『SS』キョン……、の消失 23

登校中も授業中も特筆することはなかった。
ただ珍しいくらいあたしの睡魔が襲ってこなかったことくらいか。
そして、
「さあ、我々の新しい活動の第一歩といきましょうか。」
佐々木の号令により、あたしたちは初めて(正確に言えばあたしは初めてではない、はずだ)北校へと赴く事となったのだった。
ゴクリと生唾を飲み、覚悟を決める。

…………んじゃなかった。やめときゃよかったのよ。
「…………何なんだ? ここに通う奴らは自分の肉体を痛めつけるのが楽しいのか?」
まったくです、まさかここまでとは。
「ふうふう、ま、待ってください、さ、佐々木さん………………」
意外に体力ないのか橘。たしかスポーツ系は得意と聞いたが。
「―――――――」
ああ、こいつにはこんな坂道なんの影響もないだろう。というかまさか浮いてたりしてないよね?
「どうやら私達は余程恵まれた環境で学業に従事していたようだね。公立だから一応進学先の中で考慮に入っていたんだが、私立で正解だったと実感できるよ。」
こいつもそう言いながらも余裕だ、何をやらせても一級品な佐々木にとって坂を登るなんて何のこともないんだろう。
まあ簡単に言えば、あたしたちは北校へと向かう坂道で早くも挫折しそうになっているという体たらくな訳なのよね。あー、あいつ凄いわ。
『これに慣れた頃には俺もかなり足腰が鍛えられてしまうんじゃないだろうか』
そうね、ただ慣れそうにはないんだけど。
「おう! 遅かったな! SOS団を待たせるなんてあっちゃなんないことなんだぞ!!」
まあこいつにとってもこのくらいの道なんぞどうでもよさそうだ。北校の校門前に仁王立ちをしている涼宮ハルヒコにとっては、だ。
しかしそれならば傍らに立つ朝比奈さんなんかはよくこの坂が平気なもんだ、これが経験の差なのだろうか。
とにかくあたし達は息も絶え絶えになりながらもようやく北校へとたどり着いたのである。帰りたい、帰らせて。

「ああ、お待ちしておりました。生徒会の方には私から連絡をしてあります。ようこそ北校へ。」
ズンズンと歩くハルヒコを先頭に、朝比奈さんに案内されながら玄関まで歩いたあたし達を爽やかな笑顔の古泉が迎える。
「よし! ここまで来たらこっちのもんだ、あの生徒会長の嫌味っ面なんぞ見たくもないからな!」
古泉が苦笑しているのは生徒会長が自分の仕込みだからだろう、今のあたしにはそれが分かる。
「こちらですぅ。」
朝比奈さんの案内で校内へ。光陽園よりも年季の入った建物に妙な懐かしさを感じる。
そうだ、ここの渡り廊下を通ったら旧校舎に入って。
ああ、分かるさ。多分目をつぶっても行けるんじゃないかというくらいあたしはこの道を歩いている。
「おっ?! 随分積極的だなキョン、結構結構。」
「まるでここに来たことがあるかのようだね、歩みに迷いがないよ。でも出来ればもう少し僕らは学校見学をしたいんだがね。」
ハルヒコと佐々木にそう言われ、はじめて朝比奈さんを追い抜いた事に気付いたくらいだからね。
「まあ学校見学は後々にでも。長門さんが部室で待ってますしね。」
古泉に促されて総勢8人の大所帯がゾロゾロと移動する。しかも5人が他校の制服だ、異様といえばこんなに異様な光景も中々無いだろうな。

そして旧校舎の4階。一番端の部屋。
多分文芸部と書かれている表札の上に黒々と『SOS団!!』と書かれた紙が貼られている。
「待たせたな有希!」
ノックなんかすることもなく、ハルヒコが蹴っ飛ばしてドアを開ける。どこにいってもこのドアは悲惨な目に遭うらしい。
「………………」
窓際の席で分厚いハードカバーの本を開いていた長門が1ミリほど会釈した。といってもあたし以外気が付いてないと思うぞ、長門
「あの―――――」
佐々木が何か言おうと口を開きかけたとき―――――。



ピポ


突然、手も触れていないパソコンが電子音を発した。
「なんだあ?!」
ハルヒコが叫び、長門がパソコンを注視する。
「どうしたんだい? パソコンをセットしておいて何かイベントなのかな?」
佐々木の問いに
「た、たしかこの部屋のパソコンは壊れてて………」
「そうだ! このポンコツ捨てるとこもないからどうするか考えてたんだぞ?!」
朝比奈さんとハルヒコがほぼ同時に答えた。
!!これか?!
あたしはパソコンにかじりつく様に旧式のモニターを覗き込む。
ダークグレイのディスプレイ上に音もなく文字が流れていった。

YUKI.N>見えてる?

そっちか。ああ、見えてるとも長門
「なんだ? 何故お前がそれを使っている?」
「き、危険ですキョンさん! 離れてください!」
藤原さんと橘がなにか言っているがあたしは無視して文字を見つめる。
これはあたしにとっての規定事項なんだ、一瞬たりとも目を離すわけにはいかない。

YUKI.N>このメッセージが表示されたということはそこにわたし、涼宮ハルヒ古泉一樹朝比奈みくる、佐々木、藤原、橘、そして周防九曜が存在しているはずである。

四人ばかりちょっと違うがね。

YUKI.N>それが鍵である。あなたは正解を見つけ出した。

あたしの力というより喜緑さんのおかげよね、あの人が居なければ全員を一堂に揃えることができなかったはずよ。それにしてもこの光景も久々よね。
あたしは頭の中で長門の平坦な声を音読しながら(考えてみればあたしが聞いたことはほとんどないはずなのだが)スクロールする画面を眺めていた。

YUKI.N>これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合をそれ以外のキーを選択せよ。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る。ただし成功の保障は出来ない。また帰還できる保障もない。

分かってるさ、それでもあたしは選ばなきゃならないんだろ?

YUKI.N>このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行の場合も自動的に消去される。Ready?

そしてカーソルの点滅。何から何までよく同じ様に出来るもんね。ただあの時とは違う。
「おいキョン、どうなってんだよ? なんでお前がウチのボロパソコンを扱えるんだ?!」
ハルヒコが後ろで喚いているが無視だ。朝比奈さんと古泉は呆然としてるし、橘と藤原さんも何が起こっているか理解できていないだろう。
この場で注目するのは――――
長門、これでいいの?」
「私には分からない。ただ……………」
ただ?
「あなたが選ぶ道はあなたが決めるべき。」
そう言って長門は再び本を開いた。こいつは全てを理解したらしい。
そして、
「――――――――――」
九曜はあの画面とあたしをただひたすらに見つめていた。
「九曜、」
「――――私は――――観測する――――しか―――――」
ううん、あんたはよくやってくれた。あたし達はなんどもあんたに助けられたんだから。
「―――――鍵は――――扉へ――――――」
そうね、どうやらあたしには、いいや俺には帰る場所があるようだ。
「佐々木。」
あたしはざわめく室内で九曜たちを除けば唯一といっていいほど冷静な親友の名を呼んだ。
キョン、君は……………行ってしまうのかい?」
その目に浮かぶものを見てあたしは理解してしまう。こいつは冷静だったんじゃない、まだ自分を律しようとしているんだと。
それが出来なくなっているのも分からないのに。
「ごめん、ちょっと待ってて。」
あたしは佐々木の頭に手をやる。柔らかい髪の感触が手のひらに心地良かった。
「やっぱり俺はSOS団の団員その一らしいんだ。」
その言葉は自然に出た。
「君は……………キョン?」
佐々木の目が大きく開いて。
あたしはエンターキーを押し込んだ。