『SS』キョン……、の消失 17

しかしよ? 周囲の目なんかまったく気にしないこいつに手を引かれ続けるのはどうにも癪に障って仕方が無い。か弱い乙女の手をなんだと思ってんのかしら!
「もう!なんなのよあんたは?!」
思いっきり手を払って言ってやる。するとこの男、
「悪ぃ、自己紹介がまだだったな! 俺は涼宮ハルヒコってんだ、あんたの名前は?」
あのー、あたしが怒ってるとか思わない訳なの? それどころかふんぞり返ってあたしが何か言うのを待ってやってるって感じで。
ああ、こいつはこういう奴なんだわ。何度でも言うわ、初対面だけどそれだけは判るのよ。
なんか悔しいぞ、このまま素直に自己紹介するなんて。あたしの口はこういう咄嗟な時に見事な対応を見せてくれるに違いない。
「あたしの名前は、ジョン=スミスでいいわ。」
あれ、なんで? 自分でも分からない。誰だジョンって。
するとあまりに場違いな名前を聞いたハルヒコはキョトンとした顔をした(こいつ、こんな顔も出来るんだな)かと思うと、
「アッハッハッハ!!! あんた、やっぱ面白いや! なんだよ女なのにジョンって!」
大爆笑された。そりゃそうね、自分でも何故に男の、しかも外人なのかさっぱり分かんないもの。
「まあいいや、ならジョン! 俺と一緒に来い!!」
そう言ってまたあたしの手を引っ張ろうとする。そうはいくかい、あたしはハルヒコの手を華麗にかわすと、
「おあいにく様、あたし今から図書館に行くの。ナンパなら別の子を探しなさい!」
よし、これで図書館までダッシュで……………って今度は肩を掴まれた。
「なんだ? 図書館ぐらい俺が連れて行ってやるぜ! そら、行くぞ!」
いやいや、だからお前に連れて行ってもらいたい訳じゃないから!! なーんてことがこの天上天下唯我独尊を絵に描いて貼り付けておまけに展示しているような男には通用するはずもなく。
あたしのポリシーとして荒波には決して逆らってはろくな目に遭わないって事で。
結局ハルヒコに手を引かれながら図書館に行くはめになってしまったのよ。何とも言えない周囲の暖かい視線があたしの限りなく常識を保った羞恥心に突き刺さりながら。
はぁ、とため息しか出てこない。あたしの幸せ、逃げないでね。
そして図書館での用件なんてカウンターで本を返却するだけなんだから、さあどうする? って話よね。
なんというか、こいつに目をつけられた時点であたしの負けな気配がしてるのですよ、もう。
とりあえずカウンターに向かうあたしをハルヒコはニヤニヤしながら見ている。うん、どう見てもあたしが待たせてるようにしか見えん。これが初対面同士だとは誰も信じてくれなさそうね。
本なんか簡単に返せてしまい、ハルヒコはそれを見てあたしの方に近づいてくる。さて、どうやってこの人間台風から避難するべきなのでしょうか?
と、ハルヒコの後ろ。それはあたしの視界に飛び込んできてしまった。
緑色のウェーブ、北校の制服。休日の図書館にいる当たり前のような風景。
あたしはハルヒコの横をすり抜けて走った。
「おい! 待てよ、どうしたんだって!!」
ハルヒコが静止する声が後ろに遠ざかったが、あたしは気にならなかった。それよりもあの女性を追わなければ。
またも図書館が迷路に様変わりする、あの人の仕業なのは間違いない。しかし今度は逃がすわけにもいかないのよ!
あたしは図書館ということも忘れて全力で走った。が、追いつかない。
またか、と思った瞬間にあたしの視界が一回転した。まさに世界が逆転したかのように。
「うわわわわっ!!」
さっきまで足元だったのが頭になってる! ような気がしたのだが、どうやらあたしが逆さまになっているようだ。
だが重力はあたしから見た足元にあるのは確かなようで、その証拠にあたしのスカートは捲くれたりしていない。
頭に血が上らないのも不思議な感じなのだが、逆さまになったしまったあたしにはどうすることも出来ない。そこに、
「ようやく干渉が可能な範囲となってきましたね。」
あの緑髪の女性が前方に立っていた。さっき見失ったはずなのに。
優しい微笑みを浮かべながら、逆さまの彼女が歩いてくる。
「しかしまだこの程度ですか、敵ながらお見事と言わざるを得ませんね。」
敵? 何のことだろうか、しかしあたしを見るその瞳には敵意など感じないように思う。
「あなたには初めましてですね、喜緑江美里と申します。」
そう言って静かに頭を下げる彼女に変な疑問が浮かび上がる。
『なんでこの人は変わっていないんだ?』
いや、この人がここにいることがおかしいと思うあたしがおかしいのだ。多分、そういうことなのだろう。
「扉はあなたと出会いました。ただそれはまだ細く儚い糸にすぎませんが。しかし鍵がそこにある限り、扉もまた存在するのです。」
何を言ってるのかさっぱり分かんない。でもそれが重要なヒントだってことはあたしの鈍い頭にだって分かる。だから聞くしかないのだ、この異様な状況についてを。
「どういうことなの? あなたは何がしたいのよ、あたしに何の用があるっていうの?!」
それに対し喜緑さんは、
「まだあなたは気付いていません。気付けないというのが正解でしょうけど。私もまだ情報の構築には時間がかかりそうですし。」
などと要領を得ない事しか言わなかった。
逆さまの世界であたしと喜緑さんだけが立っている、このヘンテコな空間からの脱出だけでも考えた方がいいのかもしれない。こんな時こそ出番なんだけど、九曜!!
「あら、流石に気付かれましたか。今の状況なら仕方ありませんね。」
そんなあたしの考えを読み取ったように喜緑さんは呟くと、
「扉はあなたの近くにあります、大事なのは全てを揃えること。あとはこちらの長門さんに聞いて下さい。」
あたしに向かってそう言った途端に空間に大きな亀裂が入った。
轟音とともに黒い影が空間内に進入してくる。九曜か!!
長い黒髪のあたし達の側の宇宙人は緑髪の恐らく宇宙人と相対している。
「―――――――大丈夫?」
ええ、なんとかね。どうやって出たらいいのか途方にくれたりする前で助かったわ。
「――――――――そう。」
視線を喜緑さんから外すことなく、九曜はあたしに答えた。
「心配いりませんよ、鍵に手を出す愚を冒すはずはありません。」
と、こちらは笑みを崩す事のない喜緑さんだ。九曜の登場にも表情一つ変化しない。
「一応こちらの情報制御空間内なのですが、ここは一旦退却ですね。まだ鍵に変化は見受けられませんし。ヒントが与えられただけ良しとしましょう。」
空間の亀裂が大きくなっていき、その亀裂の中に喜緑さんが入っていく。
「ではまたお会いしましょう。」
という一言を残し、喜緑さんはあたし達の目前から消えてしまった。同時に逆さまだった空間も消え、いつの間にか普通に図書館の廊下に立っている。
「なんだったのよ、一体……………」
九曜は無言。
「はあ………とりあえずありがと、九曜。」
すると九曜があたしの服の裾を掴んだ。なに?
「―――――あなたの―――――帰る場所―――――」
うーん、そう言われてもねえ。
「私は―――――観測する――――――鍵の行方を―――――」
わかったって。あたしは九曜の頭を撫でてやった。首をすくめる九曜に、
「あたしはどこにもいかない。あたしの帰る場所ってのはあたしが決めるんだから。」
そしてその場所には佐々木がいて、橘に藤原さん。
「あんただって大事な仲間なんだからね。」
「――――――――」
九曜が小さく頷いた。そうよ、今までだってそうだったし、これからだってお前らと居たいってあたしは思ってるんだ。
そう誓うあたしの中で何かが叫ぶ。
『俺は………今までの世界が好きなんだ!』
そうだ、あたしは今までの世界が好きなの!
あたしは…………
俺は……………
あたしは誓いながらも思った。
多分あたしは自分の中の声に逆らえなくなっていくんだろうということを。
頼む、もしもの時は助けてよ、みんな……………